フロイト『夢判断』:フロイトの過大評価をはっきりわからせてくれる見事な新訳

古典をきちんと読まなければ、みたいな強迫観念は、昔は強かったけれど、いまはあまり残っていない。が、フロイトは高校時代に岸田秀に入れ込んだこともあり、またいろんな人がフロイトはすごい、フロイトにかえれ、みたいなことをしきりに言うので、いずれ読まねば、という気持はあった。そして高橋義孝のギクシャクした金くぎ翻訳をなどを読んで挫折し、いやこれはぼくの理解力が足りないのか、これをきちんと理解すると、何かすごい世界が広がるのか、と思っていた。いつの日か、ちゃんと読もう……

そしてその「いつの日か」がやってきた。フロイト『夢判断」新訳だ。

そしてこれは、すばらしい。訳は実に明快でわかりやすい。これまで読んで挫折したのは、何よりも翻訳がダメだったせいだ、というのがはっきりわかる。が、同時にもう一つわかったことがある。フロイトは、そのダメな翻訳のおかげでずいぶん得をしていた、ということだ。多くの人がおそらくはぼくのように、わからないのはフロイトがとても深遠でむずかしいことを書いているからにちがいないと思ってありがたがっていたようだ。でも、実際には全然ちがった。フロイトの書いていることは浅はかきわまりない。

この本、いろんな夢の解釈の話が出てくるのだけれど、一つ残らず勝手な解釈をフロイトがつけてドヤ顔して、なぜそれが正しいと断言できるのか、ほかの解釈がありえんのか一切説明なし。こじつけと「実はこんな事情があって」と後出しジャンケンまみれ。

そして理屈はすべて願望充足だ。何かが出てくれば願望充足、出てこなければ抑圧で別のものに転移されてやっぱり願望充足等々。そしてその願望が本当にあるのかどうやってわかるのか? それはもう、この夢に出てきた/出てこなかったからという、ろくでもない循環論法。どれもフロイトの勝手な思いこみだけの屁理屈だなあ。患者とのお話の糸口にはいいし、意識されてる以外に心の働きがあるという最後に出てくる主張は当時は意味があったんだろうけど、いまそれをありがたがる理由は特にないだろう。

事例として、自分の夢をとりあげたものがある。でもそれこそ、フロイトの我田引水をよく示すものになっている。なんでも、友人をバカだと切り捨てる夢を見たとか。それまでのフロイトの理屈を適用すれば、ああフロイトはその友人を実はうとましく思ってるんだなあ、ということになるだろう。ところが驚いたことに、フロイトの解釈は全然ちがう。「でもオレは実際はあの友人は評価してるから、これはホントはカクカクしかじかで、友人を大事に思ってる夢と解釈できる」そうな。そして自分が実に総合的に物事を捕らえて解釈を行っているなあと悦にいる。いや、そういう自分では認識しておらず認めたくないものが夢として出るのだ、という話をしてませんでしたっけ? 明らかにフロイトが自分の本心認めたくないだけの弁解にしか見えない。

その他の部分でもフロイトは露骨に患者をその後のセッションで誘導してるし、患者もなんかフロイトに気に入られなくてはという依存関係があるみたいで、「実は……」とフロイトの好きな(=エッチな)話をうちあけてフロイトが悦に入る、というのがしょっちゅう。

で、結局は「吾輩は患者とはすでにいっぱいセッションやって心の隅々も知り尽くしてるから夢のどこが何にどう対応してるか正しく解釈できるんだよ」よって吾輩の解釈は無謬であり絶対なのだ、という話に落ち着く。でもね、そんなにわかってるなら、何のための夢判断? どんな夢だろうと、フロイトがすでにわかっていることにはめこむだけなんでしょう? だったらお遊び以上の意味はないのでは?

そんなわけで、座興に読むにはよいけれど、フロイトの新解釈とか、その価値の再認識といった話にはまったくならない。むしろ「なんでこんなヨタがありがたがられているんだろう?」と悪い意味で目からウロコが落ちる契機になるんじゃないだろうか。ちなみに、フロイトが自分の成功例として他の本であげるいろんな患者(狼男とか)は、他の人が検証してみたら全然治って無くて、フロイトが勝手に完治宣言して追い出しただけだったとかいう話もきくし、「患者のことは全部知ってる」はまったく信用ならん。

なお、脳科学者の中野信子が2019年7月に、産経新聞でこの本についてヨイショしている。

www.sankei.com

が、彼女が書評で書いているようなこと、たとえば「本書は自然科学と人文科学を止揚させる試みを通じて新たな気づきをもたらす」とか「人間の内に広がる世界への視座を養うのにまたとない一冊」なんてことは一切ない。むしろ彼女が挙げているこれまでの批判である「本書に記述されているような人間精神へのフロイト風分析について、自然科学の見地からはエビデンス(科学的根拠)に乏しいとして棄却すべきだという考え方の研究者も中にはいる」という考え方がいかに妥当か、というのを改めて認識することにしかならないと思う。訳者名にわざわざ「先生」をつけているところから見て、何か誉めねばならない個人的な義理でもあるんだろうか?

フロイトの過大評価を修正するという意味では、たいへんありがたい訳書。フロイト盲信病の初期症状治療にはまたとない一冊ではある。フロイトってどれほどすごいの? と思っている人はまず手にとってほしい。