スタニスワフ・レム『SFと未来学』15章 メタ未来学:何のためにある章なの?

はじめに

はい、最後のパート、結論部分……と思うでしょ? ちがうのよ、これが。言い残したでかい話を落ち穂拾い的にしときますよ、というだけで、本全体のまとめとか総括とかでは一切ない。

この最初の部分は「メタ未来学的結び」なんだけれど、同じことを狂ったように繰り返している。

  • 文化は虚構であり、必ずしも合理的な根拠はない
  • 科学は文化的な規範が根拠レスだと暴くけれど、かわりのものは提供しない
  • 虚構の文化が果たしていた社会的役割、価値設定、充足感の提供といった役割を果たすものがなくなってやべーぞ

これだけなの。でも、未来学はどこに出てくるの? 未来学は、その科学の一つだ、というだけ。

スタニスワフ・レム『SFと未来学 II』

あらすじ

  • 人間は、本能を失った不完全な動物なんで、かわりに文化を創りその中で生きる。
  • 文化は虚構であり、必ずしも合理的な根拠はない
  • 科学は文化的な規範が根拠レスだと暴くけれど、かわりのものは提供しない
  • 虚構の文化が果たしていた社会的役割、価値設定、充足感の提供といった役割を果たすものがなくなってやべーぞ
  • 未来学は、新しい価値観とか新しい理念を要求するけど無理。価値観や文化って「こう感じるべき」といわれて「はいそうですか」と受け入れられるようなものじゃないから。

感想

はあ、そうですか。その通りですねえ。それで? この話はいったいここで何の役割を果たしてるの? SFと何の関係あるの? 話の流れの中でどんな役割果たしてるの?

短い章なのに、その中で上の話が狂ったように繰り返される。別にそんな突拍子もない話ではないし、細かく説明する必要もないと思うんだが……

SFがそうした文化の役割を補えるとか、科学と文化の橋渡しできるとか、そういう剛毅な話になるのかと思ったけど、そういう議論の連続性を考えることなく、話はあっさり放り出される。なんですの?

次で最後!

さて、次は最後「メタファンタジア」こと「メタSFについての結び」なんだが、レムの主張はこのメタ未来学と同じでつまらん。そしてそれだけでなく、日本語の翻訳「メタファンタジア」が、それをさらにわけわからなくしていることについても言及せざるを得ない。

最大の問題は特に最後の部分で、批判/非難をすべて、「批評」にしてしまっていること。これまでずっと本書でレムは、英米SFを罵倒し非難してきたでしょ。最後の部分は、そういう罵倒や非難に何の意味があるのか、という弁明なのね。SFが文明の問題や未来の考察をしてない、という非難のことだ。

ところが巽孝之の訳はこれをすべて「批評」にしてる。クリティークだから批評、というわけ。でもそれはレムのやったこと、本書のコレまでの文脈を完全に歪めてしまっている。そういう話じゃないんだよね。

あと、以前レムの変に道徳的なところの話として、ナボコフの『ロリータ』はタブー破りですばらしいといいつつ、『アーダ』は近親相姦で不妊だから受け入れられない、と述べているのを引用したことがある。

cruel.org

でも、該当するところ読むと、ちがうじゃん。そんなこと書いてないじゃん。ちょっとこれが巽孝之の訳のせいか英訳のせいかも調べないと。面倒だなあ。

が、もうすぐ終わるぞ!