まだナイジェリアの査証がおりず、再度現地出発が延期。これ以上のびると、もう現地行き中止せざるを得ないが、どうしようか……
と考えていても何もないし、飛行機に乗っていたはずの時間が暇なだけなので、昨日みたレムの初期エッセイ集『軌道に乗る』(1957)をざざっとAIに訳させて眺めておりました。
昨日紹介したSF論はおもしろい。その他いくつか。あの『高い城・文学エッセイ』に載っている「ドストエフスキーについて遠慮なく」も収録されている。
が、その他は1950年代ってこともあって、どうしようもない駄文。あと、初出が出ていないんだが、新聞かなんかに載ったコラムがほとんどみたい。非常に短いものばかりで、そういうのだと、たとえば「SF作品ってくだらないのバッカだぜ、こんなのとか〜。ダメだね、死ねよ」みたいな嫌味な罵倒も、軽く読み流せて気にならない。
いちおう、AIに全訳させたんで、訳文はあるがLaTeXで整形やチェックする手間も惜しいくらいのくだらない代物ばかりなので、中身一行要約してすませよう。そのほとんどは、現代的な価値はまったくない。当時のレムの、ソ連東欧翼賛的な立場 (どこまで本気かはわからない) を確認するための資料としての意義しかない。
昔はこの手のエッセイとか、いろんなSF作家とか書いていたし、あと團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズとか、特に最後の部分の本当にくだらないエッセイとかはそんな雰囲気だなあ。『パイプのけむり』は、母親がおもしろいぞと言っていて、中学の図書館で少し読んだらぬるくて全然おもしろくなかった。ほぼ忘れたが、ファッションについて尋ねられて、聞きかじりで、王特中のデザインがいいと言って、あとでそれがオートクチュールを聞き間違えていたのに気づきましたチャンチャン、というのが、中坊ながらあまりにくだらなくて倒れそうになったのは記憶している。が、閑話休題。
スタニスワフ・レム『軌道に乗る:レム雑文集』要約
第一部:導きの星 (文学芸術について)
SF: (1959)
推理小説について (1960)
推理小説はある種のパターンにはまってしまっている。ヨーロッパ型のえらい探偵型のやつはトリックの奇抜さに頼るしかなく、だんだん荒唐無稽に。チャンドラーの情けないマーロウや、ガードナーのペリー・メイスンなどアメリカで新しい発展をとげているが、こちらも扇情的なアクションと女に頼る。もっと高度になってほしいが商業主義のためその可能性はない。
幽霊がいっぱい (1957)
幽霊ホラーのアンソロジーを読んだが、何とも牧歌的で、この水爆の時代に心がほろりとするくらい。むしろ古きよき時代へのノスタルジー本だ。
つんぼはだぁれ? (1958)
現代音楽をきいてみたがつまらない、こんなのスノビズムの極致で時間の無駄。
新しいアメリカのおとぎ話 (1957)
アメリカのSFアンソロジーを読んだ。疑似科学的な用語で飾った現代版のおとぎ話で、アメリカの読者がおめでたいから成立するみたいだ。
贋作 (1958)
ステファン・テメルソンの小説『教授Mmaaの講義』を読んだ。くだらないという書評を読んで、確認しようと思ったがやっぱくだらなかった。
見過ごされた天才について (1958)
埋もれた天才や名作というのはある。天才や名作は、それを受け容れ広める環境との相互作用なので、そうした環境が整わないと埋もれるのは仕方ない。ポーランドは辺境なので、それが受容されるチャンスも低い。
抽象絵画について (1958)
抽象絵画の展覧会にいくつか行った。偶然の介入で生まれる芸術作品みたいなのがたくさんあった。それは価値基準の根底を否定するようなもので、そのうち機械でもできるし、ヤバいんじゃないの?
統一場理論と詩 (1958)
文芸誌で、統一場理論について騒いでいる人たちがいたが、あんまりわかっておらず無知の告白でしかないし、何もあわてるような話じゃないよ。
臨床医の日記より:サルトル『壁』について (1958)
サルトルって人は医者のようで『壁』という臨床報告書を出版したのを読んだが、臨床報告にしては文学っぽすぎて役立たずで客観的な部分がなくて無価値。
闇の中から語る声: カミュ『ペスト』『転落』について (1958)
カミュ『ペスト』『転落』を読んだ。皮肉なしで、すばらしい。実に見事な作品で、自分の考えている文学理論にも見直しを迫る。その中でカミュは歴史からの自由を目指し、新たな哲学の領域へと踏み込んでいる。
ドストエフスキーについて、遠慮なく (1957)
邦訳あるのでそっち読んで。ドストエフスキーについてではなく、ドストエフスキーを論じた別の人の本について、なんかキャラや内容について現実の人間のモデルにこじつけることにばかりこだわっているのがダメだが、頑張っているよ、という評価。
第2部:連鎖反応 (科学について)
原子力の十年 (1955)
原子力の歴史をおさらいし、マンハッタン計画とナチスの核開発の話をして、戦後に原子力の平和利用が歌われたが、それが核の秘密をもらすなというファシスト的秘密主義に陥ったりしたし、また西側の原発輸出はいつになるかわからん、でもソ連の原子力開発はすばらしくて、これから東欧諸国はソ連からどんどん原発をもらって発展するぜ、すばらしい。
宇宙航行について ― 現実的に (1955)
宇宙旅行は、今後ますます現実的なものとなるだろうが、そのために必要な技術開発も大きい。でも月、惑星、太陽系外、他の恒星へとどんどん発展するぜ!
科学の変貌 (1955)
小学生から「金星探検計画に行きたい!」とお手紙をもらったよ。まだ実現してないけど、そういうのは実現するはずだし永遠に人類は前進するぜ!
対立物の統一 (1954)
寿命延長とか死者復活とかの研究が進んでいるが、あらゆる進歩にはその裏面がある。だがそれと常に取り組み続けて進歩を目指したいものである。それが人類ってもんだぜ!
奇跡の技術 (1954)
各種の技術発展は生物進化と似たところがある。複雑性最小化と理論的知識を統合するところで優れた装置が生まれる。いま、フレッド・ホイルが無から生まれる物質を提唱したりしていて、精神が物質よりも優位にたつという現象が実現し、想像力が刺激されるぜ!
小さな即興 (1954)
一般向けの科学啓蒙書が少なすぎるという苦情がある。原子力についてどんな本ができるか考えて見たけど、こういう本はほしいね。だから出版社はがんばってくれ。
異星からの客人をどう迎えるか (1957)
アメリカの一般向け科学書を読んだら、最後の章は「宇宙人をどう迎えるか」というものだった。これはアメリカ人が触れている知的環境の一部だ。これが新しい神話の土壌になるかもね。
地球外の円盤(1957)
UFOについての本が出た。UFOは本当らしいし、どうもマジで地球を観察しているらしい。これ、マジで書いてるのか皮肉のつもりなのか判断つかない。皮肉だと思いたい。
リモコン子猫(1957)
コンピュータでの作曲の試みがあった。「リモコン子猫」という歌を作った。また人間と会話できるコンピュータもできつつある。すると機械の知的能力を真面目に考えるべきでは?
顔を探す機械 (1958)
最近は流線型がはやっているがすぐに廃れた。他の機能的要請から出たデザインを別の分野に押しつけることはできない。コンピュータはどんな外観を持つべきだろうか?
西暦2000年について (1958)
2000年を予測する、という雑誌特集があったが、昔から人は、いまあるものをそのまままっすぐ延長することしかできない。だから予言には慎重になろう。SFではいろんな予測があるが、それも大したものではない。
科学的予測 (1958)
イギリス人の学者がミサイルや核爆弾の将来について予想したが、すぐに現実に追い越された。みんなが頑張ればいろんな開発が可能になる。惑星飛行だってみんなが力をあわせればすぐ実現するぜ!
技術的進歩の限界について (1958)
科学技術の進歩はどんどん進む。すぐに核融合でエネルギー問題がなくなる。水素から元素変換してあらゆる物質が作れるようになる。すべてがオートメーション化される。すると人間のやることがなくなるが、どうなるかわからない。でも何とかなるよ!
世界よ、どこへ行くのか? (1958)
技術はどんどん進歩する。だが社会面では、人口爆発はどうするのか? そしてオートメーションとあいまって、その人たちの仕事はどうなる? 自由には、それに伴う人類の成長が必要だ!
第3部:有象無象 (その他泣きたいほどつまらないエッセイ群)
輸入のトラブル (1957)
外国に行くというと、まわりの人が、あれ買ってきて、これ買ってきてとお願いがたくさんくるよ。たいへんだねーというユーモアエッセイ(のつもりらしい)
エレガンスの手引き (1958)
エレガンスの手引き書を読んだがくだらないファッション指南が書いてあって笑止だぜ。
冬のタトラ山脈――補足 (1958)
タトラ山にいったら、ロープウェイの職員の対応がひどかったぜ。賄賂と美人じゃないととても使えないな。(というのをガイドブックに加筆すべき条項としておもしろおかしく書いてみせたもの)
自己インタビュー (1957)
レムにレムがインタビューしたら、推理SF構想にエログロナンセンス路線に行くと言っていたという冗談(のつもりだがおもしろくない)架空インタビュー