ハンガリー動乱記念日の大騒動


 50年前に、ハンガリー動乱というのがあったのだった。もちろんぼくはリアルタイムでは知らないのだけれど、ハンガリーソ連軍に刃向かって、ブダペスト市民が一斉に蜂起した事件であり、現地の人の表現では「ハンガリー革命」ということになる。


今年2006年の10月23日はその50周年にあたるので、かなり大規模なお祭り騒ぎが行われることとなっていた。22日には街の中心部のあちこちの道路が封鎖されて、パトカーに先導された諸外国のゲストたちがベンツで行き来していた。ぼくはちょうど、そんな状況だとはまったく知らずに、全然関係ない会議に出席するためにブダペストにきていたのだった。しきりにテレビや街角で行われる「ハンガリー革命がどうしたこうした」という演説や飾り付けを見て、同じ会議に出ていたクロアチアの人物は「何が革命だ、すぐに鎮圧されたくせに」とせせら笑ってはいたけれど、一方で会議の議長のイギリス人は当時のことを覚えていて、「朝はちょっとした騒ぎでしかなかったはずのものが、夕方にはほとんどブダペスト市民一斉蜂起になっていてかなり衝撃だった」とのことだ。

さて、ハンガリーではつい先月の9月くらいに、首相が「おれたちはこの4年間何もやってこなかった。うそばかりついていた」と言っているテープが流出したために、首相退陣を求めて大規模なデモが起きた。正直でいいなと思うんだけどなあ。が、ハンガリー国民の一部はそうは思わなかったらしい。デモ隊がテレビ局に突入して警官隊と衝突したりして、大騒ぎではあったんだが、それもすぐに下火になって、もう落ち着いたかな、という感じでになってはいた。とはいえ、今回の革命50周年式典も、現政権主催のものと、野党主催のものとが折り合いがつかずに別々のところで開催されることになったりして、せっかくのお祝いなのに……という感じではあった。ぼくの会議のロジを担当した現地の委員たちも「まあ残念だけどしょうがない」ということで、でもそれで大きなトラブルは起きないだろうとのことだった。


ところが。


会議が終わって宿に戻ろうとすると中心部にある乗り換え駅を地下鉄が通過してしまい、二つ先の駅でおろされた。電車の中でも各種の旗をもった人はいたけれど、地上にあがるとまあ歩行者天国を人がまばらに歩いてる感じ。一部の記念碑の前には、たいまつを持った人たちが集まってはいたけれど。


たいまつを持つ人たちまだ祭日のホコテンっぽい


でも、そのまま地下鉄が通過した中心部の駅に向かうにつれて、人の密度がだんだん濃くなっていった。といっても隅田川の花火の群衆くらいで、なんかイベントでもあるのか、としか思わなかったんだけれど。その時点ではまた知らなかったんだが、昼間にすでにかなりの衝突があちこちで発生していて、陳列用のソ連戦車を持ち出すやつとかもいたようだ。そして繁華街の中心(まあ銀座の交差点のイメージらしい)アストリアは、なにやらステージができて激しい演説が展開し、全体に殺気立っている。


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そして、近くの与党本部らしきところの出窓ではもっと声高な演説が展開され、その前にいる人々の旗の振り方も激しい。


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でも、この時点――夕方7時くらい――ではまだそんなに不穏な雰囲気ではなかったのだが、なんとか宿まで帰り着き、テレビをつけると、なんとさっきの政党前のところを警官隊がブロックして、催涙弾と暴動鎮圧用ゴム弾をどかどか撃ちまくっている! しばらくして落ち着いたかな、と思って戻ってみたときの様子がこれ。


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デモ隊と警官隊が完全ににらみ合い状態。あたりには催涙ガスがもうもうとたちこめていて、写真が落ち着いて撮れる状態ではない。デモ隊のほうは何となく群れているだけ……と思ったら、あちこちを遠征していたデモ隊らしき集団が次々に合流してきて、だんだん群れが大きくなってくる。


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だんだん明らかにやばくなってきたのでぼくはここで逃げ出したのだけれど、この数時間後に、警官隊が本格的にデモ隊排除に動きだし、催涙弾とゴム弾と放水車が出動して、すさまじい状況が展開されたのだた。負傷者は百人を超えたとか。


うーむ。ハンガリーは、東欧諸国の中では結構うまくやっているほうではあったのに。いちはやくEU にも入れたし(ユーロはまだだが)。最近日本で自伝の邦訳が出て話題になった経済学者コルナイ・ヤノーシュもハンガリーの人で、計画経済と自由市場の問題をかなりきちんと考え抜いていて非常に頭のいい経済ではあるし、前に皆既日食を見に来たときには崩れ落ちそうだった建物群もちゃんと改修されていて、経済の好調ぶりをうかがわせるものだったのに。それがここまで深い亀裂を社会の中に抱えていたとは。その根底に何があるのかは、まだ現地にいてきちんと調べ切れていないので、後日また報告することにしよう。ただおそらくは、ある程度は社会主義から市場経済への移行に伴って生じた不満のせいなんだろう。ハンガリーの同僚たちにきいても、ある人は経済があるといい、ある人はそれが単純に政治的なものだといい、そしてある人は「ただのハンガリー的なお祭り騒ぎ」だという。どれが正しいかはわからない。


ただ、ハンガリー動乱のときの雰囲気が少しはわかった気がする。特に何か組織があったわけではなく、突発的にすべては起きたとのこと。たぶん当時もこんな感じで全体に何となく騒ぎがエスカレートし、鬱屈していた感情が爆発したんだろう。でも、翌朝にはすべてが何事もなかったように平常に戻ってはいて、温泉につかった地元のおっさんたち(ブダペストは温泉が有名なのだ)が、昨晩の一件について激論をかわしていた。



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