ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』第7講:18世紀楽天主義

ラヴジョイ、短い章なのですぐ終わってしまいました。

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ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』(山形浩生訳)

楽天主義というと、ヴォルテール『カンディード』に出てくるパングロス博士の、「物事はすべて現状通り以外の形ではありえなかった」「現状はすべて最高よ、悪いことがあってもそれも含めて、現状が最高なのよ」というおめでたい論者のように思える。

なんかの芝居で演じられたパングロス博士。

そして、その通りなのだ。楽天主義はまさにそういう議論。

ただしそれは別に、その人たちが陽気で楽天的だったということではない。神は善で、善を最大化するように行動するから、現在以上に善の多い世界はあり得ない、という結論が先にあって、よって現状以外はあり得ず、悪いことも善を最大化するものだ、という議論。一歩まちがえれば、(いやまちがえなくても)「もう世の中どうしようもないよ、改善の余地はまったくないよ」という悲観論とまったく同じ。

そして、そのために存在の連鎖や充満の原理がどう出てくるかといえば、こう、人が争ったりライオンが獲物を獲ったりしないようにすればもっと優しい世界になりそうだと思うでしょ? でもそうなったら、ライオンや人の本質が変わってしまい、現在のライオンや人間が占める存在の連鎖の中の場が空いちゃうよね? すると存在の連鎖が切れちゃうよね?そうならないためにも、オメーら現状で満足してなさい、という話。

天地創造のことばかり考えるため、彼らにとっての「善」というのは、とにかく世の中をできる限り充満させることになってしまい、普通の人の考える善とはかけはなれたもの。そして世の中に悪が存在するのも、それをなくそうとすると、合成の誤謬で全体としての善 (つまり命や個体数や種の総数) が減っちゃうので、だからそれと戦うのは無駄どころか有害、と言い出す。

そんなふうに悪が正当化されると、普通の人が考える神様とか、人間の普通の意味での善行とか、幸福とか美徳とかはまったく意味がなくなってしまい、この楽天主義者たちの議論はどんどん異様になっていった、とのお話。

ヴォルテールはもちろん、パングロス博士をボケ役で登場させるだけあって、この楽天主義者たちをバカにしまくる。そして、まさにそのバカにされた通りの存在でした、という話。

本当に、ここに書いただけの内容なので、パワポは作りません。さて、あと残り1章になっちゃった。ここまできたら、いずれやっちゃいますわ。