はい、ラヴジョイの続き。
今回は、18世紀に、存在の大いなる連鎖が流行って、それが人間の立ち位置についての考え方に影響し、格差社会の弁明まで出てきました、という話。
比較的中身は薄いというか、言われていることはそんなに意外ではなく、ああ、こういう考え方も出てくるかねえ。というもの。全体として、存在の位階があってそれが重要なんだから、人間は自分が特別と思うな、自分のポジションだけ守ってろ、改善しようとするな、という現状肯定イデオロギーが出てきた、ということになる。それぞれについて、いろんな詩人や評論家があれこれ言っているのを引用するけれど、ざっと見ておけばいい感じ。それが18世紀社会の維持に決定的な影響を持っていた、という感じではない。
ただ、ラブジョイが社会格差正当化と努力しない議論を嫌っていたことはわかる。かなりこれらの議論についてのコメントは手厳しい (注も含め)。
それと、これは第二次大戦前だけれど、この章のような、人間を貶める発想とは逆の変な人間の傲りを煽るような発想が出てきていることへの懸念は、ロマン主義の章と同じくここでも出ている。