内蒙経営策:満州帝国の二番煎じプロジェクト(実はちがう)の全貌

その昔、CUTにこんな文章を書いたことがある。

アゾット/亜素州をめぐる幻想と現実。

かのクラフト・エヴィング商会『クラウド・コレクター』の書評なんだけど、その枕に使ったのが、ぼくの曾爺さんかなんかのインチキプロジェクトの話しだった。

その曾爺さんの一世一代の大ばくちが、大日本帝国の傀儡国家たる満州帝国の成功にあやかって、蒙古帝国ってのをでっちあげて搾取しようという一大計画だった。いろんなお膳立てまで整えて、関東軍とも話がついていたとかいないとか。どっからか傀儡用にフビライ汗の末裔ってのまで見つけだしてきて、擁立の準備は着々と進んでいたらしい。

さてもちろん、これを読んで真に受けた人は、まあいないだろう。そんな変なやつ&変な計画、あったわけないよねー、と。先日、小川哲『ゲームの王国』について、著者&大森望と座談会をしたときにも、この話をちょっと出して、おもしろがってもらえたんだけど、まあ聞いている人もたぶん、あまり気にもせずに流したと思う。

が、この話、まったくの本当なのだ。少なくとも、そういうプロジェクトはあった。うちの曾爺さんの一味は本当にその企画書を書いて関東軍に出している。関東軍がそれをどこまで真面目に検討したかは、知りようもないけれど……

というわけで、その企画書をお目にかけよう。

「内蒙経営策」(pdf, 7.6MB)

書かれていることはなかなかおもしろい。当時のアメリカが権益を求めてモンゴルあたりでうごめきつつ、朝鮮半島独立運動を焚きつけようとしていて云々という前振りのあたりとか(ネトウヨ諸君! エサですよ! 朝鮮独立なんて米帝の陰謀だったんですよ! でも、たぶんこれはマジにそうだったんだと思う。アメリカがそのくらいの工作しないわけないもん)。でもうちの曾爺さん、むしろアメリカの脚の速さや鋭い計算には感嘆していて、「敵ながら痛快」と感心していて、おまえいいのかよ、という感じ。でもそれに対して日本はまるで対応できてなくて、無気力許すまじ、という。んでもって、日本経済は不景気で、銀行共とかがアレで農業も商工も不況で、しかも日本の財界はまったくバカで銅相場なんかで火傷こきやがって、もっとガーンと売ってでて資本に生気を与え(アニマルスピリットってやつですな)この蒙古帝国再興やったら、「水はその低きに就く経済に国境なし」だから世界から資本がなだれこんでウハウハ、優柔不断してねーで、さっさとやろうぜ、という内容。

大正9年だから、1920年ですな。不況回復に一大(公共)事業を、というわけで、1920年にすでに文句なしのケインジアンだったというわけ。さすがぼくの先祖です。いまならリフレ派の旗を強力に振ってくれたことでしょう。で、第1期の資本金1億円がすでに払い込み、とあって、第二期のお金を優先株で調達しよう、というわけ。

もうちょっと具体的な内容がどっかにないのかなー、という気はするが、手元にあるのはこれだけ。なんでもこの曾爺さん、我が家の伝承によればこの計画のためにジンギスカンの末裔というのを見つけてきて(って、モンゴル人全員、たぶん系図をたどればどっかでジンギスカンにつながるはず)、その王位の証たる、蒙古王の翡翠、なるものを手に入れたとかなんとかで、それが実家のどこかにあるとかいう噂が流れて、一時かなり大騒ぎになったけど、何も出てこなかったのは、いまはもう笑い話(のはず)。第1期の払い込み金1億円が、現物で納付と書いてあるのは、たぶんこの蒙古王の翡翠とか、なんだろうねー。

この爺さんの、他のインチキ事業の名残も母の実家のどこかにあるらしくて、いつか見てみたいんだけどねー。

付記

柳下毅一郎より、この蒙古総合自治政府とは関係ないのかと質問がきた。

この企画書は1920年、それに対して自治政府は1936年。曾爺さんが直接関係していた可能性は低いし(1932年に死んでるから)、間接的にも、年が離れすぎてる。関係者が、ヒントを得た可能性はなきにしもあらずだけれど、一方でそんなにオリジナルな発想というわけでもないし、たぶんまったく別物と考えてかまわないと思う。が、もちろんぼくは専門家ではないし、もしその筋のプロが「いやこれぞこの分野で長年論争の的となっていたミッシングリンク!」というようなことがあって、我が家を日本史の片隅に載せてくれるというなら、もちろん拒むものではありません。

付記2

1920年だから、1932年の満州国の二番煎じではないとの指摘があった。言われて見ればそうだ。我が家の中ではそういう前振りで話されるのが常だったので、チェックもせずにそういうものだと思い込んでいた。ありがとう!

内蒙経営策:満州帝国の二番煎じプロジェクトの全貌 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

満州国の成立が1932年で、これが1920年の話だとすれば満州国は関係ない

2018/06/05 00:59
b.hatena.ne.jp

スマートシティって結局なんなのよ。

 ぼくは、こんな何やってるかわからんやつではあるけど、一応都市計画畑の出身ではあって、いまもそういうのを追いかけてはいる(ときどき仕事にもなるし)。で、最近の都市計画がらみで流行というと、スマートシティってやつ。スマートシティ開発します、こんどのナントカはスマートシティ、あれやこれや。日本のインフラ輸出の一環でも、スマートシティを作りますとかいうのがある。

 が、結局それって何なのよ、というとよくわからない。スマートシティと称するもののパンフを見ると、暮らしやすい街作りとか、あーだこーだ出てくるんだが、でも「じゃあ、どこらへんがスマートなんですか」というのを探そうとすると、なかなかわからない。だいたいありがちなパターンとしては

  • スマートメーターとか入れて消費量とか最適化したり、ソーラー発電とか自前で持ったりして、場合によってはスマートシティ全体で電力会社と契約して仮想発電所とかそういうのでエネルギー消費を抑えます。

  • 全域にWIFIとか入れてネット使い放題みたいな〜

  • 家にジジババどもの見守りサービスみたいなのをあらかじめ組み込んでおきます

なんかそんな程度。で、この手の腐った図がコンセプトと称して出てくるのね。この手の図を苦し紛れにでっちあげた経験が山ほどある身としては、近親憎悪をのようなものをビシビシ感じてしまうのだ。

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で、先日、柏の葉スマートシティというところの説明会に行ってきたわけだ。この開発自体は、それなりによいものではある。東大工学部の柏キャンパスのあるところね。昔は東大生に柏送りといえば、なんかソ連時代のシベリア送りみたいな感じだったけれど、かなりいい感じになっているし、つくばエクスプレスのおかげでそんなに遠くないし。東大その他のキャンパスとの提携でいろいろ産学協同みたいなこともできるし、雇用創出で単なるベッドタウンではない起業とか職場とかの可能性もある。開発としても、まだ新しいから駅前に空き地とかあってアレだけど、でもだんだん新しい店とかもできてきて、いい感じではある。

でも、どのあたりがスマートシティなのかというと……ちょっとしたエネルギー管理みたいな話と、ジジババどもの見守りサービスみたいなのと、そのくらいなのだ。

www.kashiwanoha-smartcity.com

コントロールセンターで、集中的なエネルギー管理は排出管理をして、災害時には電力融通みたいなのは考えていると。それから、実証実験のところに、まあちょっとしたユビキタスがどうしたとかいうのはあるけど……あんまり大きくないよね。

で、実際に説明会にいっても、あまりそういう「スマートシティ」みたいなのは前面に出ないで、住民に優しい、暮らしやすさの追及を、高齢者にも配慮を、職住近接でインキュベーションシェアオフィスみたいなのも作って、みたいな説明で、各種関係者間の協議会を開いて地道な意見調整を通じた街作りを、というようなこと。そして、登壇者はしきりに「スマートシティとかいうのは好きじゃない」「ITが前面に出るのはよくなくて、人が中心」というようなことを述べ、柏の葉の欠点は、古い店がないとか、昔からの畳屋とか居酒屋が賃料があがったので残れない、多様性がアレで問題だとか、そういうことをしきりにいっている。

さて……人が中心とか、暮らしやすさが大事とかいうのは、ぼくもお題目としては当然ありだと思う。が、スマートシティというのは、それを何かITのゴリゴリ活用で実現しちゃうよ、というのがメインだったのではないの? ついでにいうと、畳屋さんの営業が続かないのは、賃料がどうしたいう以前に、そもそも和室が減ってきて畳の需要が限られてるからでしょ? 新規開発で賃料があがらなくても、早晩消える運命にあるよね? それは都市開発で面倒見るべきことなの?

この説明会は、不動産や都市開発関係の学会というか専門家会議みたいな、Urban Land Institute というのが主催したものだった。で、この日は重慶の都市開発関係者が大挙してやってきていた。かれらは本当に、こんな通りいっぺんのお題目を聞きたかったんだろうか? かれらの質問は、高齢者のための住戸とか多世代居住に適用した住戸プランとかはあるのか、その見守りサービスはどんな形で集約されて医療機関と結ばれているのか、ということ、さらに交通のオンデマンド配車も含めた交通へのIT活用はあるのか、各種のITサービスは収支的にもとがとれてるのか(とれてないって)といったことだった。その雰囲気からして、かれらはホントにスマートシティというものについて、IT活用について知りたかったと思うんだよね。たぶんがっかりしたと思うなあ。

そして、比較的優秀なスマートシティとされている柏の葉がこういうレベルなら、日本がインフラ輸出でやろうとしているスマートシティって、どうなのかなあ、という感じではある。スマートシティの看板あげるなら、ホントにもっとITをエグイくらいに使わないと。実はここ、あの矢野「データの見えざる手」和男のいる日立の研究所なんかもあるので、そっちがらみでもっと、ビッグデータで住民の完全操縦、みたいなのを期待していたのだ。こう、住民全部をスマホで追跡して、そのインタラクションが下がると犯罪率があがるし起業も含めた経済活動が停滞するのがわかっているから、インタラクションが一定水準以下に落ちたら、インタラクションを刺激する居酒屋や公共施設の割引券をどんどん市内でばらまいて、デベロッパー主催の無料でビールでも配るイベントでも開催して、するとインタラクションがあがって経済活動が回復するんですワッハッハ、みたいな。本郷でちょいと無料サービス券ばらまいただけで、馬鹿な東大生がどんどん柏にやってきて、ちょろいもんです人間なんて、ビッグデータの神の前にはゴミクズですわ〜、とかね。

スマートグリッド/スマートメーターも、実は言われてるほど大したもんじゃなくて、少なくとも一部では全然効果ないってことだし、するとやっぱ、スマートシティって何なのよ、というのは改めて考えないと、ダメだなあ、とは思う。

www.cbc.ca

そしてたぶん、そのためにはもっと、上でいったような完全人間コントロール作戦とか、完全自動運転オンデマンドとか、その手のとんでもないと思われている話を実際に色々試してみないとダメではないかとは思うんだよね。まあ日本で実際の人間でそれをやるのはなかなか日本ではつらいから、中国の完全顔認証監視都市とかみたいなのには絶対にかなわなくて、日本がインフラ輸出の目玉にできるほどのものをホントに作れるのか、というのはなかなか絶望的ではあるんだけど。

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これは皮肉ではなくて、本当のスマートシティはこういうものであるはずだとは思うのだ。


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セックス妖精、なぜ殺したがるの?

いま見ているすっげえ分厚いファンタジー本があって、そこで万能の主人公がセックス妖精と出会う場面がある。いやホント。セックス妖精。

そのセックス妖精、千年も前からどんな男でもそのあまりのよさに、身も心も虜になってしまい、彼女のもとから帰ってきた少数の男も鬱になって気が狂って数ヶ月で死ぬという伝説の存在で、それに出会った主人公、ウハウハでついていくわけだ。

で、この主人公くんは童貞だったので、そのセックス妖精に筆おろしまでしてもらって、もう心身ともに奪われそうよー、あー二発目したくなっちゃったー、我を忘れそう、というところでなんだか急に自制心を発揮して、なんか自分のつらい過去を思い出しているうちに、いきなり「自分は自分だ」と悟りを拓いてしまい、それにより突然風の真の名を操れる力が覚醒する!

そしてその覚醒した力で何をするかというと……

いきなり怒りが沸き起こって、そのセックス妖精を殺そうとするのだ。

えーと……

なんで殺そうとするの? 何を怒ってんの?

ぼくは、自分が何か見落としたのかと思って、そのセックス妖精の章をまた読み返した。彼女が主人公を殺そうとしたとか、なにか悪辣なことをしたような部分があったっけ? 何もなし。

しばらく考えているうちに、ここで何が起きているのかわかった。このセックス妖精に心身ともに奪われる=こいつは自分という人間の理性を失わせようとした=自分に対する攻撃である、よって怒って、殺してやる、という発想なわけか!

でもさあ、まずそういう相手だって知ったうえで、自分から進んでついてったんだろ?何を文句言ってるの?心身ともに奪われるって、別にセックス妖精があんたの心を懐に入れたわけじゃないだろ?テメーが自分の性欲に負けてサル状態になっただけでしょ?悟り開いたんなら、己のそれまでの意志の弱さを恥じるべきだろー。まして筆おろしまでしてくれたセックス妖精ちゃんに、怒ったりり、殺そうとしたりなんて、なにこいつ?

……と思ったんだけど、考えて見れば、インドとかサウジとか、あるいは欧米でも(かつてだけでなく、いまでも!)、女は男を誘惑するから邪悪だとか、強姦は女が悪いとかいうのは、まさにこの発想なわけだ。でも、そういう発想と価値観をここまで当然のこととしてむき出しにするというのは、かなりすごいなあ、とかなり呆れてしまった。それも、殺そうとする!

ファンタジーだから、ちょっと中世ヨーロッパじみた世界を舞台にしているから、価値観もそれにあわせているだけと思いたいところだけれど、他の各種側面では開明的で、そういう古い価値観を出すときには、それなりに説明があったり言い訳じみた記述が伴ったりしているけれど、ここはホント、何の説明もない。作者はこれが当然、だれでもすぐに理解できるあたりまえの反応だと本当に思っているわけだ。

このIncelどもの議論とかも、日本のネラーみたいに「しょせんイケメンしかもてない、おれたちダメだ」という主張まではわかるんだけれど、そこからなんで女を殺してやるとかいう話になるのかさっぱりわからないんだけど、たぶんなんかそういう飛躍って関係あるはず。

www.vox.com

でもって殺されそうになったセックス妖精は、怖がって泣いちゃうんだけど、主人公はいったん覚醒した自分の力がすぐに消えてしまったことで涙を流して、相手の涙を見ても申し訳ないとか後ろめたい気分は一切なく、自分の力の喪失だけのことしか考えない。これまでも、小賢しい主人公ではあるんだけど、ここまでゲスになってくるとさらに萎えるよなー。

ちなみに、結局殺すのは思いとどまって、またその後も何発もやって、その後主人公はうまいことヤリ逃げします。


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ネットハラスメントにはパスワード変更を奨めよう!

ツイッターフェイスブックも、あれもこれも、ネットコミュニティが同じ意見の連中が集まるエコーチェンバーと化し、その連中がお互いをブートストラップしあって勝手に舞い上がり、威勢良くなって、するとますます引っ込みがつかなくなって中にははた迷惑な実力行使にまで及ぶバカがたくさん沸いてくる、というのはもちろん周知のこと。

で、これを抑えるにはどうしたらいいのかってことで、みんなで注意しましょうとか、理性的に説得しましょうとかいうのは正論ながら無力なのももちろんご存じの通り。すると、「運営に言って取り締まらせろ」なんてことをみんな言うわけだが、これまたむずかしい。いきなりアカウント停止にすべきなの?ゼロトレランスとか言ってそういうのをやるところもあるけど、結局何を許すか赦さないかは、かなり恣意的にならざるを得ない。やられたほうは、なんで自分だけが、と不満に思い、またどっちサイドでもかなりの人は「あれがいいのになぜこっちは取り締まられる」「あれがダメなのになぜこっちは野放しだ」と文句タラタラになり、あげくの果てに「ツイッター思想統制してる」とか「運営はトランプシンパ」とか、単にプラットホーム提供してるだけのところが、あれやこれやと痛くもない腹を探られる。

一方でゲンロンの自由なんてものもある。バカな人たちは「ヘイトスピーチだ」と言えばなんでも弾圧してかまわないと思っているようだけれど、そんな安易なものではない。ちなみに、スペインではヘイトスピーチ取締の規制が成立しているけれど、カタロニア独立運動の各種発言がスペインに対するヘイトスピーチだとして、この規制のおかげでガシガシ取り締まられたりしているヘイトスピーチは常に、自分の好きなものは健全な批判でゲンロンの自由にされ、自分の嫌いなモノはすぐにヘイトスピーチだ。アメリカでもカナダでもイギリスでも、進歩派がなんでもかんでもイスラモフォビアだLGBT差別だ、排外主義者だレイシストだ、他者を受け入れる寛容性のない偏狭なミーイズムの田舎者め、とレッテル貼りをして悦にいっていたら、逆にそれこそまさに社会の分断を煽る不寛容でしかなく、言われたほうはさらに態度を硬化させて、おかげでトランプが出てきてしまったりあれやこれや。

でもネットの場合、各種のろくでもない発言に対する対処のやり方があるんだそうな。運営がそいつに対して「おまえの発言はダメ~」と言うと、言われた側は態度を硬化させて悪化したりする。でもそこで「あなたのアカウントがクラックされて、なんか変な発言がいっぱい投稿されてるみたいだけど~。パスワード変えたら?」と連絡してあげると、そいつはその手の発言を止めるんだって。

Building successful online communities: Evidence-based social design - AcaWiki

要するに、相手に逃げ場を与えてあげること。「おまえがやった」と正面切って糾弾したら、相手はメンツをつぶされてしまう。逃げ場がないから、強情張る以外に手がない。でもそこで「変な発言出てるけど、これはきみじゃないよねえ?」と言ってあげることで、相手はもちろん自分の発言が婉曲にたしなめられているのを知りつつ、でもメンツを保てる逃げ場が少しはできる。自分のまちがいを認める必要はない。つっこまれても、そいつも「アカウントがクラックされちゃってぇ」と言えばいい。見え透いたウソではあるけれど、でもそれを言うなら、小さなウソは社会の潤滑油だ。ネットで勇ましい発言をしている連中のある程度の部分は、それがあまり感心される発言でないのを知っている。というか、まさにそうだからこそ、それを敢えていうことにスリルがあって楽しい。そういう人に対しては、これはもう一つ「おまえ、バレてるよ」というメッセージになり、だから引っ込まざるを得ない。

この上の中でも特にすばらしいところを少し抽出。

ここが重要な点だ。[パスワード変えたら、と言われた]受け手は、自分に罪があると一切認めたりはしないし、何の罰も受けないが、それでもやめる。[この仕組みは]私たち(管理運営側)と下手人どもとの間の、対決姿勢の論争を大幅に減らし、同時によくない行動の再発も減らした。下手人を正面から糾弾すると、その人たちはしばしば、自分のよくない行動は自分の権利の範囲内だと主張する(そしてそれはその通りかもしれない)。そしてその主張を改めて強調するために、そのよくない行動を敢えてくり返し、こちらの権威に挑んでみせるのだ。そのよくない行動をやったのが彼らではないというふりを(その当人に対してだけでも)してあげて、メンツを保たせてあげると、プライドを傷つけられずにすみ、もっと責任ある市民になる傾向が強い。

この引用で特に重要なのは「自分のよくない行動は自分の権利の範囲内だと主張する(そしてそれはその通りかもしれない)」という部分。言論の自由というものを認めるということは、いやがらせ、粘着、反社会的、差別的となる発言をする権利はある、というのを認めることだ。よく「ヘイトスピーチ!」とふりかざして糾弾する連中は、ヘイトスピーチをする権利そのものがない、ヘイトスピーチはそれ自体が違法だといいつのり、そしてそれを強制するための法律や規制を作らせようとする。

でもたぶんそれは非生産的で、運用面でさらに混乱を招くことになる(実際招いている)。そしてもう一つこうした発想の多くのまちがいは、世の中すべて法律でいいか悪いか決まる、と思い込んでいること。でもそういうものではない。レッシグを引き合いに出すまでもなく、世の中法律ですべて決まるのではない。そして、決めさせるべきでもない。会話――ネット上であろうとなかろうと――は通常は規範が律するもので、それを法律的に規制しようとするとかえってこじれる。ある意味で、ネット上の議論が極論化して過激になるのは、それを高圧的に法律や規制で取り締まろうとする反動なのだ、とさえ言える。

これは一般論としてだし、ケースによっては強い対応が必要ではある。そういうケースをあれもこれもと掲げることはできるし、それは個別に考えたほうがいいかもしれない。でも、それで上のような論点が否定されるものでもない。

ネットだともう一つありがちなのは、「匿名だからいい気になってみんな大言壮語する、だから実名登録を~」みたいな対応だ。実は照会した記事の中でも、匿名性を下げるのが有効なはず、という意見を出している。ネトウヨも現実生活ではおとなしい温厚な人だし、ネトサヨがみんなしばき隊でリンチしてるわけじゃない。だから実名出させれば発言もおさまる、というわけだ。でもいまの話を考えると、これも必ずしも効果的ではないかもしれない。これまた逃げ場をなくしてしまうから。前世紀の名掲示板だった黒木のなんでも掲示板では、実名を挙げる必要はないけれど、ヘマをしたときに恥をかくだけの一貫したアイデンティティを保つような形での投稿が推奨されていた。古い例ではあるけれど、やっぱ先駆的だったよな、とは思う。

黒木のなんでも掲示板

もちろん、これが万能ではないだろう。黒木掲示板でも、まあ有害で有毒な投稿者は定期的に出てきて人々を消耗させていた。引用先のコラムであがっているのは、MITでの例だ。それに2012年の本に出ている、一九九〇年代の報告の例で、いまはかなり変わっているのかもしれない。でも、対応の方針として一つのヒントにはなるはず。

それにしても、香山リカなどの芸能人が、ツイッターでバカな発言をしてつっこまれると、「アカウントが乗っ取られた」とヘタレた言い訳をしていっそう嘲笑される件が多々あるけれど、そういうときに「ああそうですかあ、乗っ取られたんですかあ。それにしてもずいぶんひどいこと言う乗っ取り犯ですねえ。パスワード変えたら?」と見え透いた返しをしておけば、ほどほどのところでみんな止まるのかもしれないね。

news.mikimedia.net

上のネタは、このツイートで知ったもの。役立たずのツイッターも、ときにおもしろいネタがあります。


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ロシア未来派とコスミズム

モスクワのレーニン廟には、レーニンのミイラというか防腐死体があるのはもちろん有名な話だ。通常、それはソ連(およびその他)の社会主義が個人崇拝に堕した明白な印として嘲笑されることが多い(ベトナムホーチミン廟と同じで)。そして、それ自体はまちがいないことだ。

でもその一方で、そこにはもっとずっとおっかない発想があったというのを今日初めて知った。レーニンの遺体保存を主張した葬儀委員レオニード・クラーシンは、ソヴィエト科学がいずれ死者を復活させられると本気で信じていて、そのために死体保存をすべきだと主張していたんだと。そしてレーニン廟は、それを実現するためにアレクセイ・シューセフが設計したもの。シューセフはロシア未来派の一人だったんだけれど、死者復活に備えてかれは、レーニン廟をタイムマシンとして設計したんだと。

その設計の基本的なアイデアの根底にあったのは、かのロシア未来派のマレヴィッチの思想。マレヴィッチは、正方形や立方体が大好きだったんだけれど、その理由は、彼が神智学やウスペンスキーにかぶれて、幾何学形態が高次の現実をあらわしていると思っていたから。特に立方体は四次元の、時間を超越した場をあらわし、人々を師から逃れられるようにすると思っていた。だからレーニン廟は、基本は立方体にすべきだというのがマレヴィッチの考えで、シューセフはそれをもとに、三位一体の思想とくっつけて(なんせその思想によれば2000年ほど前に死から蘇った方がいらっしゃいましたし)レーニン廟を設計したんだそうな。

もちろん死者の復活というのは、伊藤計画を読んだ人ならご存じの通りロシアコスミズムの親分フョードロフの思想なんで、ボグダーノフなんかに影響してるのは知っていたが、それが未来派やらボリシェヴィキ中枢部にここまで入り込んでいたとは知らなかった! レーニン廟がそんなオカルト建築だったおは!

でもって、そのフョードロフ思想がスターリンの大粛清をいかに正当化したかとか(そのうち生き返らせるからいいじゃん、というわけ)なにやらめちゃくちゃな話がいろいろ次の本に出ているらしいので、是非読まねば!

The Russian Cosmists: The Esoteric Futurism of Nikolai Fedorov and His Followers

The Russian Cosmists: The Esoteric Futurism of Nikolai Fedorov and His Followers

こういう話を知ったのは、Fortean Times #365のおかげ。この号では他に

  • ガーナの首都アクラに、ついこないだまで10年続いた偽のアメリカ大使館があった

  • トリュフはいまはブタを使って探したりしない(ブタは確かに見つける能力はあるが、見つけたら自分で喰ってしまうので役にたたない!)

などいろいろおもしろいネタ満載。

ロシアコスミズムのネタは前にもした。

cruel.hatenablog.com

だけどこんな主流にまで入り込んでいたとは予想外。


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岩田規久男副総裁は黒田の尻を蹴飛ばしてリフレを十倍増させるべきだったと思う。

 本稿の主張は、表題通り。岩田規久男は副総裁として、リフレの理論にもっともっと忠実に動き、黒田総裁を蹴飛ばしても締め上げても何をしてもいいので金融緩和をますます激化させてほしかったし、それができなかったのは不甲斐ないということだ。リフレ派の理論を十分に実践できなくて、あと一歩のところだけに情けないよ、ということ。おしまい。

 で、その理由を簡単に説明しようか。

 岩田規久男が、3月で日銀副総裁を退任した。お疲れ様でした……と言う気持ちはある一方で、正直いって岩田規久男が日銀で何をやっていたのか、ぼくにはよくわからない。日銀の政策は基本的に総裁がすべて決めるのであって、副総裁は総裁の方針には反対できないんだよ、と教えてくれた人々もいた。そうなのかもしれない。でも、そうなんですか? 本当にそんなお飾りの、総裁のオウム役でしかないんですか? ぼくにはそれが解せないところだし、不満なところでもある。

 リフレ派の多くの人々は、岩田規久男と直接のつきあいがあるし、それもあってあまり岩田規久男に対して批判的なことを言おうとはしない。最初の頃は、「岩田先生は副総裁になってからすっかり影がうすくなったねー、あはは」的なことは言っていたけれど、その後はそれすら言わなくなった。いまはやりの「そんたく」ってやつ? ちなみにぼくはこの言葉が大嫌いで、聞く度に何か、博多どんたくしながら洗濯するような(というのがどんなものか自分でもよくわかんないんだけど)ものが頭に浮かんでしまって、すごく変な感じがする……というのはどうでもいいか。

 で、黒田総裁&岩田副総裁就任直後は、2%のインフレを2年以内のなるべくはやい時期に、という話をさんざんしていた。そして、岩田規久男はそれについて、それが確実にできることだし、金融政策だけでやりきれることだし、それができなければ自分は辞任する(しなければならない)と大見得を切ったのは事実だ。当時は、フリードマンの「インフレはいつでもどこでも、貨幣的な現象である」という発言がしきりに引用されて、だから金融政策でデフレ脱出できる、という話が随所で見られた。岩田自身、その変種を語っていたし、金融政策でやりきれるというのは2014年の講演会でも言っていたし、また他のところでも断言していた。

cruel.hatenablog.com

そしてそれに対して、ぼくも含めリフレ派はかっさいした。白川日銀が、いろいろ言い訳をして何もしなかったのに対し、やる気を見せてくれてすばらしいと思ったから。2%できなければ辞任というのは、国会で言ったんだっけ?

 で……実際にはもちろん、それは達成できなかった。一つには、消費税率引き上げの影響はあまりに大きかったということがある。でも、それに対して黒田総裁@日本銀行は、事前も事後も「想定内、想定内」と言い続けて何も対応をしなかった。そして岩田規久男も、確かに最後の公式講演で消費税については苦言を呈したし、財政政策についても注文を出した。でもやはりそれは、日銀の方針には影響しなかったのは事実。インフレは貨幣的な現象であるのは事実なので、日銀が金融政策をもっとドカーンとがんばれば消費税の影響を相殺できたのかもしれない。でも少なくとも日銀はそこまでやらなかった。

 もちろん、黒田&岩田の手綱の下で日銀がやった各種の方針が、景気(特に雇用)にいい影響を与えたのは確かだ。でも、やっぱり当初の主張から見れば未達だし、目標おおむね達成なんて言えるものでないのは事実。

 そしてそれに対して、リフレ派の人々が、いや2%なんてどうでもいいとか、それを達成するなんて言ってないとかいうのは……ぼくは見苦しいと思う。

 インフレ2%が、そんなあらゆることを完璧にやった場合にだけ到達できる、オール満点の目標だという認識は、ぼくにはなかった。もちろん、ぼくはリフレ派の中では学者じゃないし、だからお前の勉強不足だと言われればそれまでだ。でも……でも岩田規久男を筆頭にリフレ派は、インフレ2%が絶対確実にまちがいなく達成できる、少なくともその近くにはいく、という認識は明確に出していた。「やりきる」というのは、2%に達しないようなら、黒田バズーカごときでは止めず、黒田地対空ミサイルから黒田ICBMから黒田拡散波動法から黒田デススターまでなんでもやる、という意味だとぼくは解釈していた。

 それができなかったというのは――それも、2%はいかなかったけど誤差範囲ってことで大目てくださいよ、というレベルではないよね――やっぱり、己の不明を認めるか、日銀の不甲斐なさを責める必要はあると思う。そして岩田規久男にとっては、この二つは同じことだ。

今年1月末の最後の記者会見での3ページ目に、それについての言い訳はある。でもぼくはこれは、言い訳以上のものにはみえない。これはぼくは、かつての講演での論調と同じものだとは思わない。やるだけのことはやるけど他の条件もあったからダメでも許してね、みたいな逃げ口上は、昔は打っていなかったぞ。「やりきる」というのはそういうことじゃないと思うぞ。

そしてこの言い訳が「デフレはいつでもどこでも貨幣現象だ」の適切な読み替えだともぼくは思わない。それは岩田規久男擁護にしても、あまりに稚拙だと思う。リフレは理屈は正しいけれど、でも日銀はその理論通りの動きをきちんと見せず、黒田日銀はかなり漂白されていった。

 ついでに言えば、消費税率の最初の引き上げが、ある意味でリフレ派のオウンゴールみたいなところがあるのはまちがいない。黒田バズーカは最初、あまりにうまく行きすぎた。始まる前からすさまじい成功を見せ……それが「景気、なんとかなりそうじゃん」という雰囲気をつくって増税オッケー議論にはからずも貢献した/利用されたのは、これまた事実だと思う。リフレ派の大半が(というのもぼくも全員フォローしてるわけじゃないから)「消費税ウェーイ」と旗を振ったことはなくて、どっちかといえば反対していたのは事実。悪い影響を懸念していたのも事実。でもその後の10%案に反対したときほどの必死感は、その頃はなかった。その頃あった様々な論調については、2013年末に書いたこの論説に書いた。死んでも反対オールスターズではなかったのはまちがいない。

cruel.hatenablog.com

いまにしてこの論説(の中のCPIグラフ)を見ると、2013年末の時点で、インフレ1%すでに超えていたんだねえ。消費税、あと一年待っていれば2%なんか楽々達成できてたのかもねえ(遠い目)。

 もちろんバーナンキクルーグマンも、アメリカでインフレ目標がなかなか達成できなかったことについて、やっぱ思ったよりむずかしい、という話をしている。そして金融だけでなく、財政出動も含めた手を打って、もっとがんばらないとダメだよね、という話をしている。日本でもその通りではあるんだろう。それは当初の認識が甘かったということではある。少なくともぼくはそうだ。もちろん、リフレ派の中には「いや自分は当初から財政の重要性を強く主張してきて日銀の不甲斐なさを常日頃から言ってきた」という人もいるだろう。でもそう主張しそうな人も、岩田規久男には優しいなあ。とっても優しい。

 たぶん、みんなぼくの知らないことを知っているんだろうとは思う。岩田規久男が日銀内部で、いかに獅子奮迅の働きをしてきて、いまの日銀の方針ですら、その活躍があればこその精一杯のものなんだ、というような事情があるのかもしれない。でもぼくは、その事情を知らないので、やはり岩田規久男はふがいなかった、と思うしかない。

 そしてもしそうなら、若田部昌澄がこんどの副総裁になっても、どこまで期待できるのかな、という気はしなくもない。いや、若田部昌澄とはときどき顔もあわせてウナギの絶滅に貢献したりしたし、もちろん期待はしている。ニーソン『海賊の経済学』は若田部さんから紹介がきて訳したものだし、以下の記事の通りだと思う。

tanakahidetomi.hatenablog.com

でも、若田部がいかにすごくて立派な学者であっても、副総裁がそんなに無力で、岩田規久男すら何もできない程度のお飾りの地位でしかないなら、副総裁人事なんかどうだっていいじゃないか、という気もかなりしてしまう。岩田規久男にはできなかったことが、若田部昌澄にはできるの? 本当に?

 期待としては、今回の森友書き換え問題で財務省が守勢に追い込まれて、消費税の追加引き上げはとりやめになることで、できればもっと財政出動どんどんしてくれるようになって、それとあわせて若田部昌澄の(そして片岡剛士委員らの)活躍で日銀がついにもっと拡張スタンスを出す、ということではある。その期待は捨ててはいない。

 でもそのためにも、岩田規久男にはやはり、日銀時代のご自身の不甲斐なさについて、これから正直に述べて欲しいとは思う。27日になんか番組出演するとかで、そこでいろいろぶちまけて欲しいな、と思う。

ザ・ボイス そこまで言うか! | 毎週月~木曜日16:00~ | ラジオFM93+AM1242 ニッポン放送

 これを読んで、リフレ派の敗北宣言とか言う人もいるだろうけど、そういうわけじゃない。ある程度の成果は挙げている。でも、それが不十分だった。もっとリフレをしなくうてはいけない。いままでの政策だと、当初の大見得は実現できていないし、それを実現するための方策を今後もっと強くだしていかないと、逆戻りする可能性すらあるのはまちがいない。そこらへん、岩田規久男自身も、そして他のリフレ派も、もっと強く主張してかないといけないだろう。このぼくも含め。ということで、まず岩田規久男自身に、己の不甲斐なさを認めるところからはじめてもらえないかなー、とは思うわけだ。

追記

書いた直後にこれが出た。

www.nikkei.com

そうそう、副総裁も審議委員も、もっと`外に出て言いたい放題言わなきゃ。そうでないといる意味ないよ。日銀の対外的なコミュニケーションが、あの公式発表の微妙な表現をあれこれ深読みするつまらない伝統芸能みたいなのになってるのも、どうにかならんのか。で、もっと目標についてはギチギチ責任持たせないと。


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経済学でも男女で意見の相違があります

エコノミスト』で、経済学者でも男女で意見に差が見られるという研究を紹介し、こういう意見の相違が研究にも影響するかもね、という記事を載せたところ、経済学関係者の出入りするフォーラム、Economic Job Market Rumors で関連スレッドが、まさにここで紹介された経済学セクシズムホイホイと化しているそうです。

で、問題の記事とはどんなものか?お楽しみあれ(ここは一つ、ディアドラ・マクロスキーのご意見がほしいところ)

経済学でも男女で意見の相違があります

Men and women in economics have different opinions

The Economist, 2018/2/15

男は火星から、女は金星からやってきたという。でも経済学者は当然ながら惑星地球に暮らし、それを感情に左右されずに調査しているはず、ですよね? 残念ながら、新しい論文によると、この陰鬱な科学者たちですら、男女の性別で指向が分かれるという。ネブラスカ大学リンカーン校アン・マリー・メイとILOのメアリー・マクガーヴェイは、ヨーロッパ18カ国の経済学者を調査して、人口全体で見られる男女差は、経済学教育を受けても生き残ることを示した。男性経済学者たちは、女性に比べて政府介入より市場による解決を好み、環境保護について懐疑的で、再分配には(ほんの少し)後ろ向きだ(図を参照)。

経済学者の意見の男女差

メイらによるアメリカの経済学者を対象とした類似調査でも、男性は政府規制に懐疑的で、アラスカ国立野生保護区での石油採掘にも平気だし、最低賃金引き上げは失業を引き起こすと考える傾向があると示されてている。女性は、ウォルマートが純便益を生み出すという見解に対する合意比率が14ポイント低く、アメリカの貿易自由化は、外国での労働基準引き上げを条件にすべきだという意見に合意する率が30ポイント高い。

こんな男女差は、別に問題ではないのかもしれない。結局のところ良い経済学は、理論とデータを使って偏見を抑えることなのだから。でも一部の証拠を見ると、イデオロギーは経済学者の研究にも忍び込むのだと示唆される。シカゴ大のズービン・ジェルヴェ、コロンビア大のスレシュ・ナイドゥ、コロンビア・ビジネススクールのブルース・コガットは経済学論文で使われている用語を整理して、著者の指向を算出し、それが政治的な署名活動での参加と一致していることを示した。右派経済学者たちは、市場への介入に反対する推計を生み出しがちだという。ナイドゥの計算した他のデータを見ると、女性は男性よりも左がかった用語をつかいがちだ。

この意見の相違は、経済学分野が圧倒的に男性の多い分野だということを考えると、懸念材料になる。メイらは、標本内の男性たちは、女性にくらべて教授の率が二倍だったという。経済学者のえらさが男性側に歪んでいるなら、この学問の成果もまた、その男性たちの気に入る方向に歪みかねない。

メイらの明らかにした最後のちがいを見ると、なぜ経済学者たちが性差を問題視したがらないかも示唆される。男性経済学者は、どちらかといえば男性と女性が一般に同じ職業機会を持つと考えがちであり、報酬水準の差もおおむね技能や選択で説明できると考えがちだ。これに対して女性は、一般的にも学問の世界でも、女性は機会が不平等だと見ることが多い。

女性が男性とちがう見方をするなら、その女性たちは経済学のもっとえらい門番たちと対立しかねない。そして男性が、市場は女性を最高の職業へと押しやるのだと考えがちなら、性の不平等が解決すべき問題だという発想に対しても抵抗しがちになるかもしれない。男性はまた、研究チームでの男女比の均等化が経済的な知識を改善するという考え方についても懐疑的だ。

もちろん、意見の相違があってもそれが必ずしも女性に好意的とは限らない。かれらの理由付けは「魂胆を持った理由付け」になっているのかもしれない。つまり自分たちが昇進できないのは、自分たちの欠点のせいではなくシステムのせいだと思ったり、経済学に自分たちの同類がたくさんいれば経済学にとってもよいと思い込んだりしているだけかもしれないい。

でも別の可能性として、女性は個人的な体験から、男性の持っていない情報を得ているのかもしれない。男性だって「魂胆を持つ理由付け」に影響されやすいことは十分に考えられる。自分の成功について、それが不公平な特権のおかげだと思うよりは、自分が頑張ったおかげだと考えるほうが容易だ。

最高の経済学者ですら、自分の偏見には気がつきにくい。1960年に、ノーベル経済学賞受賞者で筋金入りの実証主義者だった故ジョージ・スティーグラーは、経済学者の政治的な願望が理論に与える「有毒な」影響について嘆いたけれど、全体としては実証科学としての経済学は、倫理的にも政治的にも中立なのだと主張した。でも当のスティーグラー自身の見解ですら、一部はこの理想を実現できていない。かれの元大学院生で、いまや独立した経済学者であるスーザン・ブランドウェインによれば、スティーグラーはシカゴ大学経済学部が教授陣に女性を雇った日には辞職すると語っていたそうだ。