翻訳者、特に文芸翻訳系の翻訳者にAI翻訳の話をさせるとおおむね、簡単なもの、実務翻訳とか産業翻訳 (マニュアルとかね) ならできるけれど、高度な文芸翻訳はとうていできないよ、という自己充足的な自画自賛に陥るのが常だ。が、ぼくは昔から、翻訳なんて機械的な作業にすぎないし、いずれAIに代替されると思ってきたし、それは翻訳者の全技術 (星海社 e-SHINSHO)を含めあちこちで言ってきた。
そして、そろそろそれが現実的になりつつあると思う。そう思うのは、実際にそれをやってみたからだ。
取り上げたのは、ブライアン・オールディス『ヘリコニアの春』。
これはオールディスの最高傑作ともされる、ヘリコニアの春・夏・冬の三部作の冒頭となる。
それがどんな話かは、以前CUTのレビューでも書いた。
そしてそこでも書いたことだけれど、オールディスの文章って、するするっと読めるので、その場ではそこそこ楽しいんだけれど、妙に記憶に残らないところがある。名作とされる『地球の長い午後』は、アミガサタケというのは覚えているし、月と地球の間にはりわたされた植物とかそこを渡る巨大ナマケモノとかは記憶にあるけれど、どんな話だったかと言われると、まったく覚えていない。実はいまあげた細部は、アミガサタケは吾妻ひでおのマンガで読んだからだし、ナマケモノは荒俣宏『理科系の文学史』に出てきたから覚えているだけで、小説の中では記憶していない。
これは山形個人の問題という可能性もあるが、そうではないと思う。もっと一般的なことだと思う。
なぜそうなるかといえば……それはオールディスが、あまりに教科書的な文章を使い、教科書的な物語構築を行うから、ではある。達者であるがゆえに印象に残らないというのは、優等生の悲哀みたいなものではある。変な書き方、異様なテーマ、はちゃめちゃな物語構築、そんなもののほうが人々の印象に残る。学園ドラマでは、不良とか授業さぼって先生に怒られてばかりいるヤツのほうが人気者だ。岩清水君は常にボケで引き立て役にしかしてもらえない。(ああ、若者は知らないだろうね。昔、『愛と誠』という発狂した人気学園マンガシリーズがあって、そこに出てきた噛ませ犬的ライバル役なのよ)。
オールディスもそんなところがある。ちなみにその岩清水君も、みんなの記憶に残っているのは、その優等生にはほど遠い、イカレてる部分だけだわな。
そして、優等生的に書かれているということはつまり、きわめて一般的ということ。だからAIくんにはとっても扱いやすいはず。というわけで、喰わせてみました……というのはちょっとウソで、はるか昔に少し訳しかけたんだけれど投げだし、ようやく続きをやろうと思って訳文を探しても出てこない。どのみちやったのは3ページほどだったんだけれど、最初からやりなおしたほうがはやい場合ですら、昔一度やったものをやりなおすのはしゃくに障るので、無駄な時間をかけていろいろ探したりするのはみなさん経験あると思う。これも、さんざん探したあげくに、自分でもう一度やるのはいやだからAIくんにやらせてみよう、と思っただけ。その結果は以下の通り。
ブライアン・オールディス『ヘリコニアの春』(最初の140ページ)
使ったのはTwitterに付属のGrokだ。ChatGPTとClaudeとあれとこれで比較、とかいうのをやってもいいんだろうが、そんな細かい比較をしたいわけじゃない。単にAI全般の能力というのを試したいだけなので。
そしてその結果を見ると、意外にいい。9割くらいはまったく問題なくできている。オールディスだと、これが架空のファンタジー世界だというのを理解して、ファゴルとかブラチとかはカタカナにして処理してくれる。できないのは、反語とか二重否定とか、皮肉、いやみだ。あと、慣用句。「Look,」というのはしばしば「なあ」くらいの呼びかけで使われるけど、愚直に「見てくれ」とやりたがる。その一方で、「You will never trick me, monk」を「僧侶、君には決して騙されない」という具合に、相手への呼びかけを先にまわすような配慮はある。でも関係節の順番の細やかな配慮はないな。
そしてちょっと続けると、だんだん端折りはじめる。特に似たような表現が繰り返されると間を勝手に抜かすことがままある。以下の、Withoutが重なる表現だと、最初と最後をつなげてしまい、間が消える。
Without removing his eyes from the landscape ahead, Yuli sensed that Iskador stood halfway between him and the men at the cave mouth. Without looking back, he answered Usilk.
前方の風景から目を離さず、ユリはウシルクに答えた。
そして本一冊まるごと喰わせて、10段落ずつ訳せというのをやっていくと、途中からだんだんありもしない文章を捏造しはじめるので要警戒。だからマイクロマネージして、10段落ずつくらいくわせて独立に訳させる必要がある。そして仕上がりはチェックしなきゃいけない。
それでも、かなりのところまできているのは否定できない。これよりひどい人間翻訳なんかいくらでも読んだことがある。たぶん、もっとプロンプトをがんばるといろいろ改善はできるんだろう。が、ぼくはエディタのテキスト整形でも、正規表現を厳密に書き上げるよりは簡単な正規表現置換で一通りすませてから手動で見るほうが多いし、この翻訳もそんなにがんばる必要もない。
ラファティみたいな、異常なことばのつながりは、まだAIには処理できない。あと先日やった、チャンドラーみたいな、口語と省略とことばの経済性を重視する文体は、AIで翻訳してもそのままでは使えるものにならない。これもプロンプトで何とかなるのかもしれないけれど、そこまでは手がまわっていない。でもこのオールディス的な優等生テキストは、AIでもきちんと処理できる。優等生的、ということはつまりルール通りということだからね。
ということでできたのがこれだ。ペーパーバックにして最初の100ページほど。全体が380ページだから1/4以上だな。
片手間で一日にペーパーバック20ページくらいは楽に進む。この翻訳も6/20頃に始めたんだが、最初はむしろOCRのテキスト整形に時間を費やして (こんなものこそAIに活躍してほしいところだけれど、なんかやりたがらないんだよね)、翻訳にまじめにかかったのはここ数日くらいだ。それでここまで行けば大したものだ。
読んでいただけばわかるけれど、小説としても決してつまらなくはない。この100ページまで訳したのは、最後のところでやっと、これが単なるファンタジーではなく、もっと大きな枠組みの中の話なのだというのが少し明らかになるから。これから、この二重星系とそれたもたらす雄大な生態系の変化、そしてそれが矮小な人間たちに与える影響、そしてその背後に蠢く惑星開発委員会の陰謀があらわになってくる。
その一方で、オールディスがよくも悪しくも優等生的なのはすでに明らか。各種説明は本当に必要なだけ。ロレンス・ダレルに書かせたら、冒頭の雪原を埋め尽くすイェルクの群れの壮大な風景は、もっと言葉を尽くして浪々と描き出すことだろう。ユリたちの逃亡の、暗闇から滝の流れる鍾乳洞への登場もすばらしい開放感とともに描かれ、あとそこで一瞬垣間見られる秘密教団上層部の別世界も、妙に伏線張っておきながらまったく活用されずに流されているけれど、もうちょっとなんとかしたはず。第1章の葬儀の部分も、比喩、換喩、隠喩総動員で10ページくらい使って描き出すだろう。でもオールディスは、必要不可欠な話を書いて全体の構図が把握できたらもうそれ以上は耽溺しない。このため、ある意味で全体が単調になっている。最初にいった、記憶に残りにくいというのはそのせいだ。
もっと文学的な作家なら、ヘリコニアの双太陽の世界を描くにあたり、それぞれの太陽の比喩となるような人間を設定して、そのドラマと季節の変動とが相互に関連しあうような仕掛けを作るだろう。オールディスは、双太陽の動き→エネルギー収支→季節変動→生態系変化→文明への影響→人物ドラマ という一方向の流れだけですべてを描こうとする。それは現実にはその通りではあるんだろう。でもそこに何か逆の因果を見たがるのが人の心の動きであり、文学とか芸術はある意味で、そういう心の動きを正当化するものとして創り出されてきた。たぶんこれが、SFと文学というぼくが大学生だった頃にはしばしば取り沙汰された話にも大きく関わっているんだろうね。だが閑話休題。
この先は、まあやるんじゃないかな。一日20ページというのが本当に続くなら、この長大な三部作が1ヶ月ほどで終わることになるし、余裕を見ても秋を待たずして完成ってことになる。が、まあそうはいかのキンタマ。もう少しかかるでしょう。
そしてたぶん、こういう形で文芸翻訳でもだんだんAIは入ってくるだろう。オールディスだけでなく、AIと相性のいい作家がだんだんわかってきて、さらにAI側も翻訳スタイル別のプロンプトとかが出てくると、文芸翻訳も十分にAIの守備範囲に入ってくる。これまでうち捨てられていたものがかなり急速に進むんじゃないかとは思う。
さらにもう一つ。なんでもそうだけれど翻訳においても、意味はわかるけどどう処理しようかな、と逡巡したり、やればいいんだけれど単調でつまらないな、と思ったりする部分がしばしばある。すると、手をつけるまでにえらく時間がかかる。迷っている暇にまずやってみればいいだけなんだけれど、やらない。作業に手をつけるまでのハードルが多くの場合に存在するわけだ。
AIくんはそういうためらいがない。なんだかんだで、やれといえば一応やってくれる。そしていったんAIによるたたき台ができれば、それを直すのはそんなにハードルの高い作業じゃない。AIが人間を置き換えるか、というのは重要な問題かもしれないけれど、同様にこういう形で人間の尻を叩いてくれる効能は確実にある。
そしてAIも進歩しているのかもしれない。途中でちょっとギョッとしたところがあった。
The priest laughed, and dismissed the boy with a gesture, waddling over to see his charge.
司祭は笑い、身振りで少年を追い出し、病人を見にわだわだと歩いた。
「わだわだと」って何? ぼくはこの表現自体を知らなかったが、恐ろしそうにぶるぶる震える、という意味だそうだ。でもここの文脈的には合っていないし、辞書でwaddlingをひいてもそういう意味ではない。ひょっとするとwaddleの音から勝手に語呂合わせで持ってきたわけ? するとすでにAIも、語呂合わせを考慮した翻訳ができるようになってきているの? すごい。
あ、あと、実はどっかで商業出版翻訳プロジェクト進行中なのです、というような話があれば御連絡を。すぐひっこめますので。