ナオミ・ウルフ (博士) の……凋落なのか元からそうだったのか……

2021年6月に、ナオミ・ウルフのツイッターアカウントが停止をくらった。

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いやー、ついにそこまできてしまったかという感じではある。もともと、軽薄なフェミニスト論者ではあって、『美の陰謀』とか、美しさの規範を押しつけることで女性は貶められているというテーゼを主張しつつ、メークばっちりの自分の写真を表紙に載せることに特に矛盾を感じない人で、しかも、その美の陰謀により女性が拒食症に追いやられて何万人も死んでいるのだ! とか主張したけど*1実際に数字を見てみたら、死んでるのは400人くらいで、死ななきゃいいってもんでもないし主張はわからんでもないが、桁が2つも3つもちがうというのはあまりに雑ではないか、と言われつつも、この手の論者の常としてそういう細かいことはいいのだ、と資本主義批判のナオミ・クラインとあわせてそのあまりの雑さ加減や支離滅裂さのため、世界のナオミたちの面汚しと呼ばれつつも (そういや最近、別のナオミさんもいたねえ)、左翼リベラル系の常として勢いとスローガンだけでメディアに珍重されてきたんだが……

いずれのナオミも、だんだんそれが飽きられてきた。そしてそのせいなのかどうか、特にこのナオミ・ウルフは最近どんどんすごいことになっているのだ。

近著Outrages! の醜態

だんだん自分が真面目に扱われなくなったことを気にするようになったナオミ・ウルフは、がんばって博士号を取得して、それをとても自慢していた。そして、その博士論文をもとにした新著を出した。それが2019年のOutrages!だった。

本としての中身は基本的には、シモンズという19世紀半ばくらいのイギリス詩人が、隠れゲイで、裏で同性愛をテーマにした詩作や創作ノートをたくさんつけていた、というお話だ。そしてその中には、こういう嗜好がバレたらどうしよう、という恐怖もたびたび登場してくる。

でもそういう物書きがいました、というだけなら、別に何の目新しさもない。正直いって、そんなすごい書き手だとも思わないし。博士号に値するだけの、何か目新しい知見は出ているんだろうか?

本書を読むのは結構苦痛で、というのもナオミ・ウルフは何やら「おお、シモンズの記録を初めて見ようとするこの私の心の高鳴りが〜」とか、くだらない道中記や感想文にページをたくさん費やして、いつものナオミ・ウルフにも増して自意識過剰で鬱陶しいからだ。

だが本書の一つの売りは、その背景となった19世紀当時のイギリスにおける同性愛への法的な糾弾の熾烈さについて調べていることだ。イギリスで同性愛は、昔は犯罪だった。だから同性愛だとわかると死刑になった。従来これは、1830年を最後に実施されなくなってきて、やがて同性愛を犯罪とする法律は19世紀半ばに廃止されました、ということになっていた (それが1885年にまた改訂されて違法とされたために、チューリングは20世紀に入ってからもいじめられることになった)。

でもナオミ・ウルフは、裁判の記録をひっくり返して、当時でも同性愛でいろいろ処罰を受けている人を見つけてきた。特に彼女的に手柄だと思ったのが、ある裁判で同性愛に対して「Death Recorded」という判決が出た、というもの。彼女はそれを見つけて、ホラ見ろ、death recordedだから、死が記録された、つまり実際に死刑になったってことでしょう、これまで知られていたよりずっと後の1850年代までイギリスでは同性愛が死刑にすらなっていたのだ、実は同性愛への迫害は一般に言われているよりずっと遅くまで続いており、それがシモンズなどが隠れねばならなかった背景になっているのだ、と主張した。これが本当なら、イギリスの同性愛迫害の歴史を書き換える大発見だ。博士号も文句なし!

ところが……

この新著についてPRも兼ねたBBCのインタビューで、インタビューアーが「あんたはdeath recordedで騒いでいるが、これがなんだか知ってるのか」と突っ込んだ。自分の著書の山場を説明しろと言われたのだと思ったナオミ・ウルフは、ここぞとばかりに声を張り上げた……のをインタビューアーに遮られた。

Death recordedというのは、実は紙の上では処刑したと書いておくけど何もしません、という慣習。つまりこれは、死刑になったということではなく、何もされなかったという証拠なのだ。これは多少なりともイギリスの刑法史を知っているひとなら常識なんだという。

なんでそんなものがあるのか? 法律というのは、いらなくなってだれも使わなくなると、わざわざ廃止する手間をかけるのも面倒なので、放置されてしまうことがままある。日本ではかつて、戦後の配給時代に使われた米穀通帳の規定がずっと残っていて、米を買うときは本当はその米穀通帳がないといけなかった。もちろんやがて米が余って減反政策すら進むようになる時代には、そんな規定は有名無実化した。でも法律自体は70年代だか80年代だかまでずっと残っていた。永六輔がそれを知って、米穀通帳なしで米を買ったから逮捕してくれ、なんていうパフォーマンスを一時やっていた。

あるいは、イギリスでは昔、警官は馬にのっていたので、自動車の時代になっても長いこと、パトカーにはまぐさを積んでおかねばならないという規定が残っていた。それもしばしば揶揄の対象にはなった。これも、廃止するのも面倒で放置されていただけの話だ。

ただときどき、その遺物の法律が持ち出されてしまうことがある。裁判所としては、そんなのどうでもいいよ、と本当は言いたいけれど現実にある法律を無視することはできない。そこで登場したのがこのdeath recordedみたいなもので、形だけなんかしたことにはするけれど、実際はお咎めなし、あるいは減刑推奨というものだったそうだ。

つまりdeath recordedというのは、この頃には同性愛処罰規定が形骸化していたという証拠なのであって、ナオミ・ウルフが思っていたような、身体処罰が続いていたという話とは真逆なのだ。

自著を得意げに宣伝するはずの番組で、一番のセールスポイントだったはずのものが完全に崩されておたつくナオミ・ウルフの様子はそのまま放送されてしまい、彼女の本は大きな嘲笑を受けた。彼女は「いやそんなのは大した話ではない、ちょっとなおせばすむ」と固執したんだけれど、当時の同性愛をめぐる社会状況を完全にまちがえていた以上、本の基本的な話が成り立たない。おかげで、この本のアメリカ版の出版はキャンセルされた。

さらに彼女が取り上げた他の事例も、同性愛で実刑を受けた人物というのが実は児童性愛者だった例も頻発。同性愛の迫害じゃないんじゃね? というのが出てきて、主張はがた崩れ。

ナオミ・ウルフは、「個別の事例を云々したいのではない、当時の同性愛に対する迫害の様子を示したかっただけだ、だから事例がまちがっていても主張はかわらない」と強弁している。でも、その主張の背景となった事例が壊滅状態となると、いったい何を根拠にそういうことが言えるのか? 同性愛を公言できる状況ではなかったのは事実だけれど、それだけならそもそも何も目新しい話ではない。しかも単なる著書ならば、裏付けなしでいろいろポエムを書き連ねても、別にいいだろう。でもこれは、博士論文だったんでしょう? これでなんで博士号なんか取れるんだ、ちゃんと審査されてるのか、という声まであがってしまっていた。

が、これはまあ、あーあ、やっちゃった、という本人および指導教官だけの話だ。明らかにただのちょんぼであって、笑われるのは仕方ないが受けいれて挽回する (か、ほとぼりさめてから、平気で出てくるか) しかない代物ではあり、みんな忘れかけていた。

が……その2019年が明けた頃、コロナが流行り始めて……ナオミ・ウルフがどんどんおかしくなっているのがあらわになってきたのだった。

5Gがないからコロナフリー??!!

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コロナが拡大を始めたとき、無知蒙昧なバルバロイたちのスクツたるヨーロッパでは、携帯電話の5Gの基地局が実はコロナを広げているのだというものすごいデマが広がり、みんなが笑っている間に、なんと実際に5G基地局が次々に焼き討ちにあうという、いまは石器時代でしたっけ、みたいなすさまじい話がヨーロッパでは広がった。

でもリベラルな知識人たちはみんな、デマにまどわされずおうちにいましょうねーとか、マスクちゃんとしましょうとか、文明のあり方を見直す好機だとか言っていたところへ、ナオミ・ウルフがこんなツイートをしてみせた。

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なんと彼女は5Gがまだない (と思っていた) ベルファストにいっていた。5Gがない=コロナがない=マスクしなくていい、いやあ空気と自然がおいしいなあ、というツイート。

(追記:terahide氏に指摘を受けたが、これは2019年半ばの日付から考えて、それ以前の5G陰謀説だな。なんか人間の思考コントロールするとかそんな陰謀説が出回っていたのだった。失敬。ご指摘TNX! とはいえその後、ナオミ・ウルフはコロナがらみでも5G陰謀をふりまいていたし、またこれはつまり、彼女がコロナ以前から陰謀説に深入りしていたことを示すものになってしまっている)

だがアイルランドベルファストには2019年半ばの時点ですでに5Gは入っていた。もちろんながらこれはみんなに突っ込みをくらいまくった (実はぼくもこのときこれがおもしろくて、この原稿もそのときに書きかけていたのだった)。が、その話はそれで消えた。みんなもしばらく忘れていた。ぼくも、書くにあたって一応上のOutrages!を読んでおこうと思って寝かしてあったら、届いて目を通したころにはもうタイミングを逸した感じで、そのまま放置してあった。

ところが……

サバイバリストに反ワクチン陰謀論

彼女はますます悪化していた。

まず、彼女はいつの間にか、なにやらサバイバリストまがいになっていたらしい。

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だんだん銃撃の腕が上がってきたわ♥って、あんた何やってるんですか?

(付記:これってシューティングゲームでは? サバイバリストではないのでは? との指摘があったが、ちがうと思う。シューティングゲームでempowering に感じたとか、どんどん腕が上がって安全に感じるようになりましたとか言うと思う?)

そしてコロナ方面でも、ますます異常な方向に流れていった模様。まずは、コロナは陰謀だった (たぶん中国研究所起源の話とかでしょう) のだからワクチンだって陰謀じゃないと言い切れるのか、という頭痛もののツイート。

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そして最後に、mRNAワクチンは何があるかわからない、尿や排泄物を通じて悪影響が出るかもしれないからワクチン接種者のウンコは早急に隔離すべきだ……

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さらには、ワクチン接種所への反対。

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すごい。サバイバリスト……はまあ趣味だからとやかく言わないにしても、5Gに陰謀説に反ワクチン、さらにワクチン接種者からの汚染説と、もうコロナがらみの醜態を一身に抱え込むロイヤルストレートフラッシュ状態。よくまあここまで見事に揃えたもんです。

ここらへんでさすがにツイッター当局も検閲に乗り出したということらしい。もう各種メディアでも、フェミニストの面汚しとか、いろいろ言われ、みんなに完全に見放されていて、いや可哀想と言うべきか自業自得というべきか。

凋落か、元からそうなのか……

で、あちこちで、彼女はかつては優秀だったのがどこかで変になったのか、それとも元からダメな人でだんだん馬脚があらわれただけなのか、といった議論が展開されているんだが、ぼくは後者だと思っている。もともと彼女はちゃんと勉強してないし、裏取りや調査もできないで、目先のスローガンと勢いだけでの人ではあった。

そして、death recordedのちょんぼとこの陰謀論転落が関係しているのか、という点もある。独立の事象だという見方もできる。でもぼくは、これも関連していると思っている。彼女は、裏付けや細部なんかどうでもいいのだ、と思い込む形でちやほやされてきてしまった。たぶんdeath recordedも、人の話をきかなかった結果だろう。コロナがらみも、自分の思いこみと直感 (その筋で「しなやかな感性」とかいわれるもの) だけに頼っていいと思った結果だ。

それと、冒頭でも述べたけれど、『美の陰謀』なんていう本を出している一方で彼女の人気の大きな原因がそのビジュアル的な優位性にあったのはまちがいないことで、それで無用にメディアに持ち上げられたのも、彼女が舞い上がる原因にはなった。博士号を取るために勉強してる、と聞いたときには見直したんだけれど、特に改心したわけではなかったようだ。

ここから、他の類似論者に話を一般化したい誘惑はないわけではないけれど、ここまですごい転落ぶりはあまり……いや日本でもネトウヨ系の論者が、単なる愛国小説書いている分にはお笑いだったのが、それを真に受けた読者に持ち上げられて、架空戦記を独自の歴史的考察と思い込んで転落し、トランプが選挙不正を暴いてアメリカ大統領に返り咲くのだ、という陰謀論を大真面目にツイートしているような例はあるな。まあ個人の資質ということなんだろうか。それでも、そういう馬脚が目の前でみるみる現れていくのをリアルタイム近くで見られるというのは、ツイッターのようなSNSの、ある意味でおもしろい部分ではあるのだけれど。

追記

他にも、ワクチン接種者と同じ部屋にいるだけで〜とか、妊娠中みたいな症状が出る〜mRNAでホルモン異常〜みたいなツイートもあった模様 (集めた記事にリンクを貼っていたが明らかにあっちの世界系のサイトだったので削除)。いやはや、なんかこの6月4日に爆発的に狂ったツイートを重ねているのは、なんなんでしょうねー。

またこのネタに触れている日本語ツイートの大半は、「勇敢にも政府の大本営発表に疑問を呈したナオミ・ウルフ博士のような偉大な知識人が言論弾圧をくらった! これぞコロナ陰謀の証拠!」という頭痛ものばかり。英語ツイートもそうだ。彼女はたぶん、今後はこういう陰謀論や反ワクチン論者にどんどん祭り上げられ、あっちの世界にいってしまうんだろうね。

*1:これ、実物見ていなかったのでさっき図書館で確認したけど、累計の話だと思ったら、なんと「毎年15万人死んでいる」との主張をそのまま書いている。ちょっと規模感のなさ、ひどすぎるだろう!

Wear "Solved!” 査読

Andrew Wear Solved! How other countries have cracked the world’s biggest problems and we can too (2020, Black) 査読

2020.02.01 山形浩生

まとめ

化石燃料削減(温暖化対策)、教育改善、犯罪抑止、ジェンダーギャップ解消、移民受け入れ、格差削減、民主主義拡大、地元製造業の振興、スマートシティ、寿命延長という大きな問題について、すでに解決している国や地域の事例を見つけ、それを報告すると共に、得られる教訓とその実践方法提案をまとめた本。 平易であり、事例の説明はわかりやすい。一方で、その事例の持つ一般性には疑問が残る。各章の末にまとめられた、教訓といまできることの一覧は便利ながら、本当にその事例からこの方策が導かれるのかクビをひねるものも多い。そして最後の、どうやって先進事例に近づくかという方策は、「経済成長しろ」「人口増やせ」「格差をなくせ」といった、それ自体があまりに大きすぎる課題の集まりに成りはて、そして個人レベルでは投票にいけ、というだけの提案で、竜頭蛇尾の印象はまぬがれない。 地域発展事例集のような本として多少は需要があるかもしれず、あっても悪い本ではないが、一方で是非とも紹介すべき本でもない。

著者について

不詳。

概要

はじめに

 アメリカは現在、様々な問題に対応できずにいるようで、新しい課題に背を向けようとばかりしている。だがそうした問題をすでに解決した他の事例がある。イデオロギー的な立場や理論をあれこれ述べるより、そうした実例を見ることで希望が持てるようになるし、また実際に何ができるか理解できる。

第1章:風と共に去りぬ——化石燃料よさらば

デンマークのサムソ島は、世界最先端のグリーンエネルギーコミュニティとなっている。電力需要は風力発電でまかない、暖房はバイオマスボイラーで藁を燃やしている。

もともとデンマークオイルショックの頃から石油依存を減らそうとしていた。そして京都議定書を批准して、排出削減のモデル地域をデンマーク政府が探していた。そのコンペに応募したのが発端。風力発電はコミュニティ所有にして費用を引き下げている。政府の努力と地域住民のやる気のおかげで、デンマークGDP成長しつつエネルギー消費や排出を減らす、デカップリングも実現している。電力以外の部分では成果は限られるが、よい政策とやる気があれば化石燃料は減らせる。

得られる教訓は、地域から始めること、長期的な成長戦略を持つこと、持続可能な都市や村の奨励、リーダーシップの重要性。アメリカができることは、炭素税、エネルギー効率を高める、化石燃料補助をやめる、再生可能エネルギーの補助、交通輸送の低インパクト化。

第2章:教育の国——若者の教育を改善

シンガポールは50年前は場末だったのに、いまや世界最先端。これは教育のおかげ。国際的な比較でも高い成績をあげている。これは政府ががんばっているおかげ。特に先生は、継続的に能力改善を奨励され、毎年パフォーマンス評価が行われる。また世界中の教育システムを研究し、よいところを採り入れようとする。生徒も能力重視の環境でがんばる。ただし、これは受験競争を招く。また幼児教育がまだうまくできていない。

得られる教訓は、まず先生とその仕事を大事にすること。公共学校だって十分な力を発揮できること。能力評価は、よく考えてやること。学校重視の社会文化。継続的な改善。アメリカが学ぶことは、幼児教育への投資、教師の学習と発展を奨励、よい先生に報酬、成績調査はやりすぎるな、よい事例を学べ。

第3章:犯罪防止の同士

イギリスのヨークシャーはかつて暴力が絶えない地域だったが、学者/医師のイニシアチブで暴力を減らす取り組みを開始。CCTVによるハイリスク地域の監視、DV削減のための支援充実などのカーディフモデルが生まれた。暴力は世界的に逓減しているが、その推進力は、処罰から抑止への重点切り替え。スポーツイベント時に酒の販売を禁止して泥酔による暴力を避けるなどの細かい対応も効く。

得られる教訓は抑止の重要性、地域社会の信頼の重要性、データの賢い利用、若者を巻き込む。アメリカは、銃規制、データ収集改善、各種組織の協力、重点警備、酒類販売の規制強化。

第4章:ジェンダー平等

アイスランドは育児に父親も母親も参加。父親も育児休暇がもらえる。雇用平等法、給与格差削減の法制化、行政への女性参加義務づけなどにより、ジェンダーギャップはほぼない。男性優位とされるSTEM職も女性のほうが多い。

教訓は、法制の重要性、各方面の連帯、父親の育児参加。アメリカは、賃金格差解消、育児休暇制度改善、保育園を手の届くものに、労働時間短縮、アファーマティブアクション法制化。

第5章:移民との共存

オーストラリアは大量の移民を受け入れて共存してきた。1960年代に白豪主義が妥当され、移民が入ってきた。高技能移民を積極的に受け入れる政策が奏功している。移民のための定住サービスなどが充実。短期労働制度などで、試しにきてみる移民が増え、ハードルが下がっている。

教訓は、高技能移民の促進、国へのメリットを宣伝する、包摂的なコミュニティづくり、人口増加の準備、ちがいを歓迎。アメリカができるのは、必要な技能の移民を集める、一時移民の仕組みを活用、違法難民を避けるために正規ルートを充実させる、支援サービスの充実。

第6章:格差を下げつつ生活水準を上げる

ノルウェーはきわめて低格差だが生活水準は高く、労働生産性は高い。低賃金職でも労組が強くて交渉力がある。また労働時間も短い。累進課税による再分配も効いている。

教訓は、参加支援、教育投資、高税でも成長できること、賢い投資の重要性。アメリカにできるのは、累進課税、リソース再分配、労働時間短縮、将来基金の創設、就業支援。

第7章:独裁から民主主義へ

インドネシアではスハルトが準独裁を強いていたが、国民の大規模デモにより民主化が実現した。

教訓は、民主主義への移行はできるし、危機を活用できること、いったん実現したら継続性があること。アメリカが学べるのは、反汚職手法の導入、民主的なチェック&バランスの導入、分権化、平和デモの支援、他国の民主化支援。

第8章:グローバリゼーションに対抗

ドイツでは製造業が伸びている。労働者を大事にして経営参加させ、研究開発を重視すること。

 教訓は、目先の利潤より計画重視、労働者の技能投資、イノベーションを自分のニッチで。アメリカが学べるのはニッチ生産の奨励、中小企業支援、従業員の意志決定参加、見習いへの投資、研究開発への障壁をなくす。

第9章:都市再生:スマートシティ

アメリカのフェニックス市は、2008年にはいい状況ではなかった。自動車中心で市街地が拡散していた。そこで高密で歩行者中心の地区を作りイノベーション地区を作ろうと地元の行政と開発行政が考えた。その他のところでも、スタートアップ重視のイノベーション地区を作ろうという試みは多い。政府支援もそこで大きな役割を果たす。

教訓は、政府がイノベーションを主導すること。各種プレーヤーの調整が必要、技能に基づく学習が重要。トップ以外の都市も重要。いまできるのは公的研究重視、民間研究開発支援、スタートアップ支援、政府調達の活用、イノベーション地区の創設。

第10章:戦場から健康な国へ

韓国は朝鮮戦争から世界有数の発展を遂げた。衛生改善と都市化、国民医療皆保険、先進医療と健康な食生活。

教訓は、経済成長が寿命を延ばすこと、国民医療皆保険、食生活改善。アメリカができるのは母子健康への投資、国民医療皆保険の強化、酒と煙草の抑制、肥満改善、精神病への対処。

第11章:実現方法は?

経済発展を頑張ろう。人口を増やそう。労働参加率と生産性を上げよう。格差も抑えよう。税金を上げよう。教育を頑張ろう。民主化を進めよう。都市化を進めよう。分権化を進めよう。

第12章:将来のためのツール

地域毎に課題はある。その課題に取り組むべく、選挙で投票しよう。

評価

 世界は改善できることをノルベリ『進歩』などから引きつつ、それを実際に実現した事例をそこそこ集めているのはおもしろい。ただし、かなり通り一遍な事例ばかりで、必ずしも目新しいものは多くない。さらに、最後の実現方法は、それが簡単にできるならだれも苦労しないというものばかり。そして読者としてできることが、投票に行くというだけなのは、現実的にはそうなのかもしれないが拍子抜けではある。

 また、デンマークの排出削減事例は本当に世界に適用できるものなのか、インドネシアは現在、本当にそんな理想的な民主主義国なのか、アイスランドジェンダー平等というのは、なんでもかんでも法律で無理矢理女性参加を図っているがそれは本当にいいのか等、いろいろ妥当性も疑問が生じる。スマートシティというのは、通常は本書が述べているイノベーション地区などの話ではない。その意味で、中身の妥当性にはかなり疑問が残る。

 事例自体の一部はおもしろく、そうした需要はあるかもしれない。ただし、事例としての粒度もちがう。国レベルのものもあれば、かなり狭い話もある。そして大きな問題は、得られる教訓もかなりジェネリックなものとなっており、実務的な参考にもなりづらい。

 決してダメな本ではないが、さりとて是非とも紹介すべき本とも言えない。全体に迫力不足でいささか惜しい本ではある。

M. Mazzucato, Mission Economy: A Moonshot Guide to Changing Capitalism 査読

2020年10月に依頼された、マリアナ・マッツカートの新著の査読。冒頭のコロナでの話とかでもわかるとおり、いまにして思えば (半年しかたっていないのに!) ずいぶん拙速で妥当性のない話になっているように思う。ベトナムなどは社会封鎖は成功したけれど、ワクチンとかは欧米のほうが対応がうまかった、ということになると、そもそものこの本の前提がいまや変だ。

読んだ時点でもピンとこなかったけど、まあ政府主導ででかいプロジェクトやってもいいんじゃね、とは思ったので、ぬるくはほめてある。彼女の強みは、ある意味でそのぬるさでもある。が、積極的にはすすめていない。

結局、出版社は見送りを決めたようで、正しい判断だったと思う。

Executive Summary

コロナ対応の(欧米の) 混乱ぶりからわかるように、政府が弱体化して自分で何もできなくなっている状況は大きな混乱を招き、資本主義そのものの持続性にも関わる。民間は短期の目先の利潤にしか注目できず、長期の高い目標設定は不可能。公共の役割を再び強力にして、アポロ計画と同じように、経済や社会の目標を設定して民間の動きに方向性を与えねばならない!

 この発想を元に、グリーンニューディールデジタルデバイド解消など、政府が挙げるべき大きな目標をいくつか挙げし、その具体的な対応策を指摘する。

 主張はきわめて単純明解であり、著者の前著での主張、つまりインターネットなども政府の投資の果実の結果であって民間はその尻馬に乗っただけ、というものを一歩進めたもの。まったく目からウロコではなく、80年代からの市場と民間盲信の振り子が逆にふれはじめた先鞭のような凡庸な議論だが、逆に世間的には理解されやすい。リベラル派政治家のブレーンとして活動しているのも理解できる。

著者について

マリアナ・マッツカートは、「企業家としての国家」で国が経済に果たす役割の重要性を指摘し、公共的なR&Dや投資が重要であることを指摘して有名となった。現在、ロンドンカレッジ大学で、イノベーションと公共価値についての経済学教授を務め、またイノベーションと公共目的研究所の創設所長。イギリス政府やアメリカの民主党リベラル派議員などのブレーンを務めている。

概要

第1章 本書のねらい

 コロナ危機でも判るとおり、政府が主導権を取って対応したベトナムなどは押さえ込みに成功しているのに、なんでも民間に任せたがったイギリスや米国はひどいことになっている。民間や市場盲信をやめ、政府の役割を強化して新しい目標設定と市場の創造を行う必要がある。

第2章 資本主義の危機

民間と市場盲信がここ40年続いてきたが、民間は近視眼的で目先の利潤しか見ない。一方、政府は常にtoo little too lateで、不十分なことを手遅れになってからしかできなくなっている。

第3章 ダメな理論とダメな実践:進歩を阻む五つの幻想

こうしたダメな状況は、民間が効率的で賢く、公共は常に鈍重で無能という通俗的な理論から逃れる必要がある。

第4章 アポロ計画の教訓

アポロ計画は、国がミッションを定めて主導権を取り、民間のイノベーションも主導した好例。それを振り返ることで今後の示唆を得る。

第5章 地上でのミッション志向政策

すでにSDGで、ミッションを定めて民間を動かすという活動は行われており、一定の成果を挙げている。もっと具体性の高い、グリーンニューディールデジタルデバイド解消、万人にヘルスケアといったミッションは今後のミッションとして有望。

第6章 よい理論、よい実践:新しい政治経済学

 民間と市場盲信、公共の蔑視から脱出。集合的な価値観のもと、役割分担をダイナミックに行い、長期的な資金提供と、多様な人々を包摂する新しい政治経済を構築する必要がある。

結論

 政府と民間が力をあわせて新しいものをつくりあげる資本主義の新しい形が必要。

評価

主張はきわめて単純であり、また決して目新しいわけではない。特に中国の台頭もあって、政府がある程度の主導権を持って経済をリードすべきだ、という議論は比較的よく見かけるものとなっている。マッツカートもその一種ではある。80年代の市場と民間の過度の重視がいささか行きすぎた、という認識は特にリーマンショック/世界金融危機以来、ごく普通のものとなってきており、本書はそうした振り子の揺り戻しの一貫と言える。

本書の価値は、それがさほど過激でもなく、現在の社会的な認識の中でまあまあ受け入れられる程度の穏健なものとなっているところと、具体的に政府が定める目標/ミッションを描いて見せて、そのビジョンをある程度具体化しているところにあると考えられる。本書で挙げられたミッションが本当に著者の言うほど名案かどうかはわからない(検証もされておらず、思いつきの域を出ない)ものの、明解でわかりやすい。適度に政治的に正しいお題目も散りばめて世間的にも受け入れられ易く、英米政治家のブレーンとして重宝されているのもうなずける。

ハーマン・カーン『紀元2000年』の技術予想はそんなに悪いか?

先日訳したクルーグマンの未来予測記事では、ハーマン・カーン『紀元2000年』がボケ役に使われていた。全然当たっていない、といって。

cruel.org

いや、必ずしもそういうわけではない。正直いって、このクルーグマンの文章はかなり支離滅裂感のある書き殴りだ。カーンは経済学者じゃない。そして実際、このカーンの本の予測はかなり当たっている。それはクルーグマンも認めているのだ。

そして実は、かなりいい成績を挙げている。きわめて可能性が高い中には、実際に起きた多くの技術的な大変化が含まれている。(中略)1967年以来の重要な技術的発展で、この一覧に入っていないものは一つとして思いつかない。

 彼のまちがいはすべて反対方向のものだった。彼が予測した多くの技術的な発展は、革新的な新エネルギー源、劇的に安い建設技術、海底都市などは実現しなかった。実のところ、ぼくが数えたところでは「きわめて可能性が高い」としたイノベーションのうち、実現したのは主に情報処理分野での1/3でしかない。残り2/3は実現していない。

33年後の重要な技術発展のほぼすべてを当てたなら、大したものじゃないの?「予想はほぼまちがっているのか」なんて言われる筋合いはあるのか?

そして文中で、お掃除ロボットはできていないと書かれているけれど、2002年にはRoombaが登場とか、数年後にはできたようなものもある。

だからこれを根拠に、技術は全然発展していないよ、停滞しているよ、と言う文章は、ぼくは納得がいかない。そこで、わざわざ図書館でこのカーンの本を借りてきて、いったい彼が何を予測したのかを書き出してみました。

docs.google.com

困ったことに、翻訳は技術的な素養がまったくない人物がやっていて、かなり怪しげな部分はある。また書き方が漠然としていて、何を想定していたのか全然わからないものもある。

それでもざっと見た限り、「実現したのは主に情報処理分野での1/3でしかない」という書き方は、ぼくはかなり不当だと思う。特に、期間をのばして現在で見れば成績はずっとよくなる。大型航空機や大型コンテナ船、後にはドローンも含めた輸送革命、品種改良やGMO、店舗の自動化その他、ITにとどまらないかなりの部分をそれなりに当てていると思う。

そして当たっていない部分はどんな傾向が言えるか?

まず人間の薬物や遺伝子による改変みたいな部分はかなり期待されていたようだけれど、あまり成功していない。睡眠化以前、疲労回復、教育や学習の新方式や速習のようなものがあまり大きく伸びなかった。冬眠というのが二度も出てくるんだけれど、そんなに夢があると思われていたんだろうか?

原子力や核利用の夢も大きかったけれど、破綻した。宇宙開発、海洋開発もあまり進まなかった。ホントならうちの子は今頃はシーガム噛んでホワイティと遊んでいたはずだが、そうはいかなかった。

www.youtube.com

あとは軍事っぽい話は……×にしたけれど、どうなんだろうねえ。ただ戦争の形態が変わり、何かあればICBM撃つぞ、という話ではなくなって、技術の方向性もまったく変わってきている。ドラッグの話とか暴動鎮圧は、60年代はみんな気にしていたんだねえ。

すると言うなら、巨大技術系は全体にいまひとつ、というところだろうか。社会工学も含めた部分は、社会の道筋が変わってしまったために、追求されなくなったところが大きい。あと、人間改造系 (身体および精神をいじる各種の技術) は予想通りにはいかなかった。これは、技術的に思ったより複雑だったせいと、あとは変なポリコレの結果も大きいかな。

でも一方で、エネルギーも建設技術も輸送技術も、地道な改良の積み重ねでかなりきている。するとぼくは全体に、あたらなかった理由の相当部分は社会の変化が読み切れなかっただけではという気がする。

本の前のほうには、この技術予測の考え方が書かれている。大きな分野として上がっているのが

  1. 原子力
  2. 核戦争
  3. エレクトロニクス、ITとオートメーション
  4. レーザー
  5. ホログラフィ
  6. 人間の生物学的操作

ホログラフィはなぜあんなに期待されたんだっけ。情報の高密保存とか3Dディスプレイの可能性とかだったっけ。この大きな分類の中で、純粋に技術的に思ったほどのびなかったのはこれだけか。大きくはじけたのが真ん中の二つ。だから全体の1/3なんだね。あとは上に書いた通り、社会環境変化で進歩の方向性がちがってきたという感じ。

そしてそれを考えたとき、この本の楽観的な経済予測が当たらなかった原因は技術見通しがダメだったから、というクルーグマンの主張は、ぼくは不当だと思うな。オイルショックソ連崩壊、冷戦体制の終わり、アジアの急成長、人口増大の激減、そういったその後とうてい予想できないような事象からくる社会の変化こそが、予想があたらなかった最大の原因ではある。それをすべて見通せなかったといって責めても、あまり意味はない。

ちなみにこの本では、日本は2000年まで年7%成長を続けて世界の覇権国になるのが確実、とされている。うーん、そういう時代もあったんだね。

が、いろんな予想の仕方とか、結構おもしろいよ。シナリオの作り方とか、いまでも充分に通用するものだ (というかこれに近いこと、各種のシンクタンクの未来予測でやってるよね)。そうそう捨てたものではないと思うな。

が、ホントにこんなことしてないで、また『マヌ法典』読まないと……

フィッシャー・ブラック『ノイズ』とファイナンスの教え

いま訳している分厚い本がもう、話があっちとびコッチ飛びして、結局どこに行こうとしているのか、そもそも何の本なのかもときどきわからなくなっきて、いまは一生懸命『マヌ法典』なんか読んでおりますが、うーん。

分厚いから本当なら集中して片づけたいんだが、ついつい意識もあっちとびコッチ飛びしてしまいまして、しばらく前に目移りした先が、フィッシャー・ブラック「ノイズ」。ものすごくおもしろいので、全訳しちゃったよ。

cruel.org

フィッシャー・ブラック「ノイズ」(1986) pdf版

論文として専門誌に掲載はされているけれど、実際にはこれ、当時ブラックがファイナンス学会の会長講演として行った講演。だからですます調で訳してある。そして講演だから、むずかしい数式とかはぜんぜんないので、すらすら読めます。

ところで、フィッシャー・ブラックってだれ?

MBAもどきのファイナンスの勉強をした人なら、オプション価格のブラック=ショールズ方程式を (名前は) ご存じのはず。CAPM、MM仮説とならんで金融工学の三大基盤で、特にデリバティブとかの話だとこれがすべての本家本元といっていいもの。それを考案した人だ。文句なしの大天才。

この人の最高の伝記も、ちゃんと翻訳がある。

金融工学者フィッシャー・ブラック

金融工学者フィッシャー・ブラック

この人は金融工学そのものにとどまらず、その考えを経済学も含むあらゆる部分にまで拡張してしまった、とてもおっかない人だ。そして拡張してしまった結果として彼が到達した一つの知見について、ある意味で軽くまとめたのが、この「ノイズ」となる。その知見というのは……

完全に合理的な世界というのは、何も起きない世界だ、というもの。あるいは、市場における不確定性原理みたいなものだ。

簡単に言うと:

  • 市場は、正しい情報なんか無視するバカ=ノイズがたくさんいないと成立しない (きちんとした情報に基づいたトレードが成立するのは、その相手側にきちんとした情報を無視するバカがいてくれるからだもの)

  • でもバカが多いと情報が歪むので、市場が成立すると正しい情報が得られない

  • でも市場がないと情報がそもそもできない (ふりだしに戻る)

経済活動においても同じだ。人が完全に合理的なら、お金もインフレも各種政策も全然関係ない異様な世界が生まれてくる。というか、そうなっているはずだ。その一方でそれがそうなっているかどうかは、そもそもの合理性を判断するためのデータが取れないことでまったく判断がつかない。ぼくたちはそのノイズが生み出したあいまいで不確定な領域の中で、手探りで漂うしかない……

彼がもとにしているのは、市場は効率的だという考え方ではある。でもこの論文の中で彼曰く

効率市場というのを、価格が価値の倍数2以内、つまり価値の半分よりは大きく2倍よりは小さい状態と定義してみましょう。この定義からすると、たぶんほとんどの市場は、ほとんどの場合に効率的だと思います。「ほとんど」というのは少なくとも90%ということです。

このすさまじい幅の採り方。いまだれかが、日経平均の正しい値は15000円から6万円の間です (しかもこれですら確率90%)、と言ったら、たいがいの人はおまえはバカか、と思うだろう。ブラックは天才だったけれど一方で実務家だったから、実は市場が大して効率的ではないのを知っていた。けど理論家でもあったし、CAPMのすさまじい魅力も熟知していた。そこらへんの迷いなのか自虐なのかが露骨にこういうところに出ているのがすごい。

そしてこれは、ファイナンスのいちばんの根っこのところを疑問視する話でもある。ファイナンスの講義を受けると、最初の数時間というのは、市場がいかにエライかを叩き込むのに費やされる。だいたいの議論はこんな感じだ。

  • 市場価格がおかしくても、きみにはそれはわからないよね? わかったら逆張りして儲けられるよね?→ まあそうだねえ。
  • つまり、きみの乏しい知識よりは市場の価格のほうが正しいということだよね? →いや正しいかどうかはわからないでしょ、バブルとか……
  • でもみんながバブルだと思ったら価格は自動的に調整されるはずだよね?→ いやまあ理屈はそうだけどさあ
  • そして他のみんなもいろいろ自分の情報を使って判断してるし、市場価格はその取引の結果だよね? → まあそれはそうだけどさぁ
  • つまりは、市場の価格は世の中のあらゆる情報を濃縮した結果だよね? → まあそういう言い方もできるだろうけど……
  • つまりはきみなんかのケチな情報よりはるかにリッチな情報の結果だよね? → いやそうだけどさぁ……
  • ちがうっていうなら、きみは市場に逆張りして儲けられるの? → いやそうは言わないけどさあ……
  • じゃあ市場価格はきみや、その他どんな個人より圧倒的にえらいよね? → えー、まあそうかな……
  • そして万が一おかしいとしても、それを判断する方法はないよね? あればみんなそれを使うからね? → まあそうだけど……
  • つまり市場価格は、あり得る中で最大の情報に基づくもっともよい価値推計だよね? → うーん、そこまで言うかどうか……
  • だからいろんなモデルとか理論においても、一応市場価格が正しい価値の最も優れた指標だということにしていいよね? →まあ理屈の上では……
  • じゃあ市場価格=正しい価値とおくね? いやなら他にどうしたらいい?→いやそれはわからんけど……
  • じゃあ市場価格=正しい価値ね。はいおしまい。

でもブラックのこの講演は、この基本のところにまず突っ込みを入れる。この考え方の総本山の会長でありながら。

ということで、非常に含蓄の深い講演。

ちなみにさっきの伝記を書いたメーリングは変な人だ。伝記の解説だと何かブラックの支持者のように書かれているけれど、全然そんなことはない。彼はブラックに入れ込んだのは、自分の基本的な考え方とある意味で正反対の考え方の人だからだ、と明言している。この「ノイズ」からもわかる通り、ブラックの描く世界はマネーストック公開市場操作も何の役にもたたない世界、つまり中央銀行も、ヘタをすればお金がいらない世界だ。メーリングは、そういう考え方の全貌を知りたいと考えてフィッシャー・ブラックに入れ込んで、そしてその議論の変なところを考える中で、バジョット以来の中央銀行理論であるマネービューの復活を図るんだけど……

この話はまた、こんど出る彼の主著で解説しましょう。

21世紀のロンバード街

21世紀のロンバード街

が、その前に『マヌ法典』読んでこの手持ちのヤツを片づけてしまわないと……

クルーグマンのはずれた「未来予測」

ちょうどリドレー『人妻とイノベーション』を読んでいるところで、なかなかおもしろい。

これについては、またきちんと書く機会もあるだろうけれど、ピンカー、ロンボルグ、ファクトフルネスの人、その他、自由と理性と進歩の可能性を重視する論者としてだんだん勢力を増しつつある一群の一人として、基本的にぼくのものの見方とほぼいっしょではある。

さてそのリドレーがときどきネタに持ち出すのが、だれあろう、ポール・クルーグマン。インターネットなんか大したことないよ、という話を彼がしたのをしょっちゅう持ち出して、経済学者に先のことなんかわからない、と言われている。でも具体的に何を言っているんだろうと思って、例によってまた掘り出してきて訳してしまいました。

cruel.org

うーん。まあこれは……揶揄されても仕方ない面はある。やりたかったことはわかる。当時のWIRED的な、うわっついたインターネット翼賛論への反対という点では、当時は意義があったはず。そして「ITは経済統計に全然出てこない」というのはかなり大きな謎で、生産性が本当に上がってきたのはちょうどこの頃ではあった。そしていまだに、ITがかつての蒸気機関や電気に比べて本当にすごいのか、自動車やボーイング747や鉄骨造高層ビルや新幹線に比べてどこまでインパクトがあるものなのかについては、ロバート・ゴードンみたいに疑問視する声もあって、決してバカにしたものではない。

アメリカ経済 成長の終焉 上

アメリカ経済 成長の終焉 上

実際問題として、スマホ使ってもぼくたちの生活水準が目に見えた上がったわけじゃない。インダストリー4.0も製造業をそんなに大きく変えただろうか? ただそうした正当な疑問から調子にのって、すぐにメッキがはげる、進歩は止まる、停滞する、とまで言ってしまったのは、今にして思えば痛い。技術進歩の部分についてはまだいろいろ議論があったにしても、本丸の経済方面のインフレ率にしても生産性にしても資源価格にしても大きくはずしたのはさらに痛い感じ。

そしてこの一年半後に、彼はしばらく前に紹介したこんな文を書いている。

cruel.org

アメリカは万事快調、生産性もあがり自由市場体制はイノベーションをもたらし……うーん。ここまで手のひら返しをしてしまうというのは、少しアレな感じはする。

そのしばらく前に彼が書いた技術関連の文章というのは、もっとずっと当たっているんだよね。たとえば次のやつ。

cruel.org

あるいは「良い経済学、悪い経済学」所収の、「技術の復讐」もそうだ。

ここらへんの堅実さ、しっかりしたビジョンに比べて……うーん。

ちなみにこの文、「なぜ経済学者の予想はほぼまちがっているのか」という題名だけれど、中に経済学者の話はぜんぜん出てこない。これもちょっと不思議。どうしてこんな題名でこんな文章になったのか……

ラジオトークの存在意義などについて

なんかこんど、ラジオのレギュラーコメンテーターやることになったのよ。

www.joqr.co.jp

サイトには出ていないけれど、ツイッターに出たからすでに解禁なんだと思う。番組全体が少し時間が遅れて長くなるとのこと。そしてその情報によると、山形は火曜の7:45あたりから、とのこと。ちなみにぼくの前が田中秀臣で、続いて山形になるらしい。

コメンテーターといってもニュースにいろいろつっこみ入れるだけなんだけど、2月末にゲストに呼ばれたとき、ミャンマーへのODA停止とテキサスの電力問題が主なニュースで、なんだかぼくの守備範囲ピンポイントであれこれしゃべれたので、使ってみようということになったんだと思う。だってミャンマーODA再開したときの一号案件の一つだった、ヤンゴン配電網整備やってたし、その関係で電力の話はネタがいろいろあるのだ。その意味で、あれはたまたまあの日のネタがラッキーだった、というのが大きいんだよねー。これからそんなにうまいこといくかどうか……

 

さらに田中秀臣-山形浩生って、火曜日はうっとうしい朝になりそうだなあ。大丈夫かなあ。

 

というのも、昔ラジオのおしゃべりについては少し想い出があって……

 

その昔、まだ前世紀で山形がほっぺの赤い新人だった頃、上司と客先に向かうときに駅からタクシーのったら、そいつが道をまちがえて、戻ろうとしたら渋滞にはまったのだった。で、約束時間に遅れそうだし渋滞はジリジリ (それが定義だから) だしで、タクシーの中では何かラジオがかかっていて何やら脳天気なことを駄弁っていて、そしたら突然、その上司が怒り出した。

なんでこのラジオは、こんなどうでもいいくだらないことばっかりずっと話してるんだ!

するとタクシーの運転手がこう言ったのだった。

お客さん、それはわざとそういうふうにやってるんですよ。ラジオって工場や飲食店で流したりするじゃないですか。そこで本当におもしろいことを言ってみんなが聞き入ったら、手がとまっちゃうでしょう? だから、まったく頭にひっかからずに素通りする、どうでもいいことしか話しちゃいけないんですよ。

上司はそれを聞いて「ほほーぉ、なるほどねえ、確かに」とうなずいてニコニコしていたんだが、ぼくは「てめー、何をえらそうに解説してやがる! あんたが道をまちがえたりしなきゃ、そもそもこんな渋滞にははまらなかっただろうが! 上司も何を丸め込まれてニコニコしてるんだ!」とさらに苛立ちをつのらせていたのだった。

で、客先についたら(当然遅刻) その上司がろくに謝りもしないうちに「吉田さん、ご存じでしたか、ラジオというのはですねえ〜」とさっきタクシーの運転手さんに聞いた話をそのまま受け売りはじめて、ワタクシはかなりいたたまれない気分になったんだが、まあ担当者レベルのうちあわせだったから、向こうも別に怒っているわけでもなく、ほほう、そうですかあ、という前振りになって無事うちあわせもすんだ。

 

ちなみにこの上司は、いい人だったんだけれど、その日の朝の日経で読んだことを、さも百年前から知っていたように客先で得意げに語る癖があって、向こうだって日経くらい読んでるからやめなさいよー、とぼくは毎回穴があったら入りたい感じだったが、お客さんは人によっては「ああ、今朝の日経にありましたねえ」とはっきり言うし (ニヤニヤ、という感じで言う人もいれば、おまえなあ、と呆れた感じで言う人もいた)、人によっては一応調子をあわせて「おおそうですかあ」と感心してくれる人もいて、うーん、ああいうのもグルーミングとしては少しは効いていたのかねえ。ちなみに、いまの新入社員とかは、日経を必ず読めとか言われるのかな?

 

が、閑話休題。この一件で、このラジオの意義みたいなものはずっと頭にひっかかっているのだった。だから、なるべく鬱陶しくない、みんなの手を止めないどうでもいい話に終始しないと〜。ちょうど出る時間が始業準備たけなわの頃だし……あと、多少は昔の上司みたいな人が受け売れるネタを入れる感じですかね。