ケインズ『平和の経済的帰結』:アメリカ版とイギリス版

しばらく前に、ケインズ『平和の経済的帰結』(1920) とその続編 (1922) を翻訳した。

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で、後者をやっていたときに、実はこの二冊とも、イギリス版とアメリカ版が微妙にちがっていることに気がついた。イギリス版はマクミラン社から出ていて、アメリカ版はハーコート・ブレース社から出ている。でも、後者では、イギリス版でお金が英ポンド表記になっている部分が、全部米ドルに換算されている。

さて当時は、固定為替レートだったから、これは別に大したことではない。当時の為替レートは、1ポンド=5ドル。だから数字を全部5倍すればおしまいだ。いまの日本の翻訳でも、フィート/マイル表記をメートル法に直したりするし、換算に何か問題があるわけではない。切りもいいので、計算もしやすいしズレもない。日本語訳だと、1フィート=30センチ、3フィート=1メートルで換算しちゃうことが多いけれど、校正で「ここは厳密に計算すると1メートルではなく91.44センチですが直しますか」とか言われることがあって、いやそういう精度を求められる文脈じゃないですから、と却下する場合が多々ある。が、このくらいきりがいいと、そういう問題は一切起こらない。

唯一あるのは、大ざっぱな表現として「5、6万ポンドくらいの〜」といった表現が、アメリカ版では機械的に翻訳されているので「25,30万ドルくらいの」といった表現になること。なんで数字がこんないきなり飛ぶのか、言われて見ればちょっと不自然かな、という部分が出てこないわけではない。本当に翻訳としてやるなら「20万ドル台後半」とかにすればいいのかもしれないけれど、さすがにそこまで細かく手を入れるのは面倒だと思ったんでしょー (というかケインズが特に気にしなかったんだと思う)。

ということで、いずれの本も、やっぱ当然ながらイギリス版がベースであり、アメリカ版はその翻訳版、ということになる。ネット上にある原文のテキスト版やスキャン版は、どっちのバージョンを使ったものもあって、当初はまったく気にせずにプロジェクトグーテンベルクにあったアメリカ版を元に翻訳していたのだけれど、一応イギリス版をベースにしておくのがよろしかろうと思って、改訂しておいた。

ケインズ「平和の経済的帰結 (イギリス版)」(pdf 1.2 Mb) https://genpaku.org/keynes/peace/keynespeacej.pdf

物好きに、なんとしてもドル表記で読みたい、という方のために、アメリカ版も一応残してある。ただし、上のやつを作る時にいくつか誤変換をなおしたりしたので、上のよりはまちがいが多い。

ケインズ「平和の経済的帰結(アメリカ版)」(pdf 1.2 Mb) https://genpaku.org/keynes/peace/keynespeacej_US.pdf

ただし、イギリス版はアメリカ版のドル表記の部分をポンド表記に戻しただけ。全文をきちんと見直したわけではない。ないと思うけれど、ケインズがイギリス版とアメリカ版で何か記述を大きく変えた部分があったとしても、それは反映されていないので、ご注意を。気にするやつもいるまいと思うけれど、まあちょっとした話のタネにでもどうぞ。

スターリン閣下はお怒りのようです:インタビューの読み方説明

付記:なんか多くの人が、これを2020年10月の学術会議がらみの一件に対する批評的な意図を持ったものだと読んでいるようなんだが、ぼくは実はまるでそんなことを考えていたわけではないのだよ。ホント、たまたま出てきただけなのよ。が、もちろんそういう解釈があり得ることはわからなくはない。そして、それが決して的外れな解釈ではないのも事実。でも、それだけですませてしまうにはもったいない。中身の理解と、その時事的な応用は分けないと。山形がある意味でのさばっているのも、一方であり得るほどはのさばっていないのも、実はある種の文書化された状況や力関係の解読は結構うまい一方、まさに以下で書いたような現実の場でのガンつけに異様に鈍感な部分があるからで、そういう時事的な話にヘタに乗れない/乗らないから、なのだ。そしていまの日本の環境ではそうした空気の読まなさ/読めなさが、すぐに寒いところ送りにはつながらないどころか、逆に根拠ある自信なのかもと誤解されて一目おかれたりする要素にもなるからではあるのだ、というのを今回の一件で改めて感じた次第。みんな、日本は平和でよかったねー。

https://stalinsocietygb.files.wordpress.com/2015/08/stalin_map.jpg?w=806&h=534

はじめに

昨日あげたスターリンのインタビュー、なんだかずいぶん評判で何より。この混迷した時代にあって、皆様が真の強力な指導者を求めていることがたいへんよくわかる事態でございます。

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が、反応を見てると、このインタビューの恐さをみなさん、あまりよくわかっておられないのでは、という印象がどうしても出てくる。あのインタビューを、何か礼儀正しい知的な対談のように普通に読んでいる人が多い。そしてぼくが説明で、ウェルズがおめでたい知識人のボケ役みたいなネタにしてしまったこともあり、ほほえましく受けとっている人もいる。(あと、スターリンに真面目に反論している人もいたけど、無駄だからやめるように。スターリン死んでるし)

でも実はあれ、とってもおっかない代物だ。「だってスターリンのその後を知ってりゃこわいに決まってる」みたいな意見もあったけれど、そういうことじゃない(それって、あらかじめ人にレッテルが貼ってないと評価できないってことだから、マズいよ)。あのやりとりだけを見て、おっかないと思わなくてはいけないということだ。

その意味で、付属の解説でウェルズをずいぶん呑気な人物に描いてしまったけれど、あれはぼくの戯画化で、ちょっとフェアじゃなかった。彼はとてもえらい知識人で、ある種の良心を体現する存在でもある。が、悪い意味でひねていない、あまりに素直な見通しを持ちすぎているのは明らか。そしてたぶん、その彼ですらあの場でかなり冷や汗をかいたはず。少なくとも、話が自分の思っていたのとなんだか違う方向に向かっているという、ものすごい違和感は感じたはずなのだ。その違和感の正体まではわからなかったにしても。

 

それがうかがえる点がいくつかある。訳していてウェルズの発言がずいぶん不自然に思えるところがあるのだ。途中でいきなり、インテリゲンツィアがどうした言い出すところ、脈絡なしに教育の役割だなんだ言い出すところ。彼は明らかに、もともとこのインタビューに臨むにあたって、ある種のシナリオを想定していた。インテリとか教育とかは、その大きな論点だったはず。ところが、実際の話がそのシナリオとかなり乖離して、必死で自分の主張に戻ろうとして、唐突でもはさむしかなかったのね。

そして途中で、自分の論点を箇条書きでまとめている部分。あれって、プレゼンとかで話が自分の想定通りにすすんでいないときに、何とか引き戻そうとするときの常套手段なので、相手が「えー、これまでの議論をまとめますと」「論点を整理しますと」とか言うときには警戒したほうがいい。ウェルズも、やべえな、とあのあたりで思い始めている。

そうしたことを考えると、ウェルズがこのインタビューに臨むに当たり、どんなシナリオを想定していたか、ぼくにはだいたいわかる気がする。それはこんなものだったはずだ。

想定シナリオ:大知識人ウェルズとスターリン対談:社会主義ビッグウェーブは今だ!

ウェルズ:スターリンさん、ルーズベルトニューディールとかいって、社会主義じみてきましたね!

スターリンいやぁ、連中も大恐慌でやっと目を覚ましたようですな。時代は確実に我らのものです。

ウェルズ:やっぱこのビッグウェーブに乗るためにも、ぼくたち意識の高いインテリが社会の意識改革には重要ですね!

スターリンおっしゃる通り、ソ連でもそうした高度なインテリたちは社会で重要な役割を果たしています。社会の大きな変革も、彼らがいればこそ可能になるのです!

ウェルズ:それとやはり、教育で人々の意識を高めるのも大事ですねー。

スターリンその通り、ソ連は人民の教育に大いに力を入れております! 知識、教養、技能こそ国家の基盤です!

ウェルズ:でも今の社会主義プロパガンダって暴力革命を強調しすぎて、意識高い人たちに敬遠されちゃってるんですよー。ぼくたちインテリもやりにくいんです。

スターリンうーん、そういう面はあるかもしれない。すでに我々が社会主義の実現性を証明した今となっては、オルグ方法を見直す余地もあるかもしれませんな。チャーティスト運動の先例もあるし。

ウェルズ:現状の秩序を活用して、無駄な破壊はやめないと。チャーティストは鳴かず飛ばずでしたからねー。

スターリンあなたの考える社会主義への道も、いちがいに否定するつもりはありませんよ、特にアメリカの変貌を見るとそう思われます。

ウェルズ:ルーズベルトとあなたの見解こそが世界を導くのです!

スターリン我が国の作家たちともそのあたりを議論なさっては?

ウェルズ:ゴーリキーとは議論しますが、もちろんそろそろ言論の自由は復活してますよね?

スターリン当然です! 自由な議論が発展の基礎です!

 

ところが実際のインタビューは、まったくウェルズのシナリオ通りに進まなかった。完全にスターリンの意図通りに乗っ取られた。ウェルズが言うことは同じでも、スターリンのほうが何枚も上手だった。その中身とは?

 

実際のインタビュー:スターリン独演会:甘えたこと言ってる知識人は収容所送り!

最近の「ジャーナリスト」の一部はとっても思い上がっていて、いろんなインタビューが対等な議論だとか思ってるふしがあるんだけれど、お読みのみなさんは、まさかそんなことは思ってないよねえ。あたりまえの話ではあるんだけれど、ここでもスターリンは別にウェルズと知的な会話を楽しみたくてこんな話に応じたわけじゃない。当然ながら、これはプロパガンダの一環だ。特に、ソ連共産圏ではそれが顕著だ。そこには明確なメッセージがあって、まずそれをきちんと理解しなくてはならない。そしてこのインタビューでのスターリン様のメッセージは:西側知識人はいい気になるな、というもの。だから読む時も、次のようなメッセージを端々から感じ取ってほしい。このインタビューは、その裏のメッセージがかなり表に出ているという点で非常にわかりやすいのだ。

 

ウェルズ:スターリンさん、ルーズベルトニューディールとかいって、社会主義じみてきましたね!

スターリン全然ちがうよバーカ。あんなの旧体制温存のままごと以下だろが! いっしょにすんな。

ウェルズ:やっぱこのビッグウェーブに乗るためにも、ぼくたち意識の高いインテリが社会の意識改革には重要ですね!

スターリン根本的にわかってねーな。基本は階級闘争でプロレタリアの政権奪取! インテリなんてただの道具、労働者の使用人で奴隷だ。大衆たる労働者が基本だろうが。いやあ、うちの革命でも頑固なインテリどもに言うこときかせるのには、えっらい苦労させられたぜ。くだらん勘違いしてんじゃねーぞ(おまえがロシア人ならこの時点で収容所送りだ)

ウェルズ:それとやはり、教育で人々の意識を高めるのも大事ですねー。

スターリン(無視)

ウェルズ:でも今の社会主義プロパガンダって暴力革命を強調しすぎて、意識高い人たちに敬遠されちゃってるんですよー。ぼくたちインテリもやりにくいんです。

スターリンいまの資本家階級が、暴力なしにおとなしく権力譲り渡すと思ってるのかよ。インテリ様は自分の地位を犠牲にしてまで社会変えてくれるの? おまえら現体制の寄生虫じゃん。いい気になるな。

ウェルズ:現状の秩序を活用して、無駄な破壊はやめないと。チャーティストは鳴かず飛ばずでしたからねー。

スターリン(怒) おまえなあ、口先インテリの分際で、チャーティスト運動なめんな。あいつらは頑張って社会を変えただろう。それに応じたおまえらの資本家たちって、結構柔軟で頭よかったよな。

ウェルズ:ルーズベルトとあなたの見解こそが世界を導くのです!

スターリン(そんな話がしたけりゃ、うちの傀儡作家どもとでもやってろ。)作家会議には行かないの?

ウェルズ:ゴーリキーとは議論します。もちろん、そろそろ反対意見も含め言論の自由は復活してますよね?

スターリンゴーリキー(ぷぷっ)。おう、自己批判」ならいっぱいやらせてるぜ(ニヤリ)

 

やっぱ最後にスターリンが「自己批判」って言い出したところ、いまの人々はその後の展開と、この言葉が果たした役割を知っているから冷や汗どころではないけれど、ウェルズはこの時点ではどこまでわかっていたんだろうか。

というわけで、せっかく読むなら、表面的なスターリンの発言を考えるのも必要だけれど(そしてそれもなかなか面白い)、礼儀正しい表現の裏でスターリンが飛ばしまくってるガンも、しっかり読み取ってほしい。ときどき、そういう能力ばかり発達させている人がいて、それはそれでいやなんだけれど、でもそれに鈍感すぎるのは、現代でもいろいろ不便なはず。

ちなみにこうしてガンつけられてわかんないやつは、ソ連ではすかさず寒いところに送られてしまったのです。(まあガンつけられた時点ですでにアウトだったそうだけれど)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/a/ae/Gulag_montage.jpg

偉大なる首領スターリン閣下のありがたきインタビューでも読み給え。

https://www.historycrunch.com/uploads/4/1/1/6/41169839/hcstalin1_orig.jpg

最近さまざまなメディアにおける人民諸君の発言を見るにつけ、であるな、多くの者が堕落し、あるべき革命精神を忘れ、軽視し、捨て去っているように見えるのだよ。特にへっぽこリベラルえせ知識人どもよ。そうした反革命分子どもにも、更正の機会を与えてやろうではないか。偉大なる首領、我らが指導者スターリン閣下のありがたきインタビューを読んで、あらためて社会における己の卑しき役割を再認識したまえ。

H・G・ウェルズによるスターリンのインタビュー、1934年7月

pdfが嫌な人は、この下に全文貼り付けてあるのでこのまま読み進めたまえ。

 

というわけで、H・G・ウェルズによるスターリンのインタビュー。大恐慌真っ最中の1934年にソ連を訪れたイギリスの大知識人たるウェルズは、もう資本主義は終わりだ、社会主義の時代がすぐにやってくると、当時の (そして今の) 軽薄なリベラル知識人ぶりを全開にしてスターリンにインタビューを行い、特に世界に革命を起こして社会主義化をすすめるための方策についてスターリンと語り合っております。

が、あらゆる面でウェルズは一瞬にしてひねりつぶされ、頭でっかちの口先知識人ぶりを見事に露呈。インテリ主導の善意の社会主義実現を訴えるウェルズをスターリンはせせら笑い、小さな改革によるのではない、大規模な武力闘争による体制転覆と権力奪取を、革命に不可欠なこととして主張。小さな改革の積み重ねや意識の高いインテリの善意による実質的な社会主義実現を訴えるウェルズ、いまから見ればおめでたさ全開なんだけれど(追記:これは意地悪すぎた。「本当に誠実で良心的ながら、今から見れば純真すぎるとしか思えないけど」とでもしたほうがよかったか。あまり変わらないかな)、当時はそうは思われなかったのかな。

これを読んで「議論がかみ合っていない」と言う人が結構いる。でも、議論はものすごくかみ合っている。スターリンは一度も話をそらしたりしていない。ウェルズの言うことをきちんと理解して、それに対する答を堂々と出している。いまの政治家インタビューって、何かPCな立場があって、聞く方も話す方もなんかそれっぽいことを言うだけのゲームだけれど、これはそういうのとは全然ちがう。

そのスターリンの回答は見事なまでの社会主義の公式見解そのまま。どこまでが本当の会話で、どこまでがゲラでの加筆なのかは不明だけれど、もしリアルタイムでこんな回答ができたのだとしたら、スターリンすげえ。ちなみにこの時点でスターリンは党内の粛清を着々と進めており、この数年後の1937年にはあの有名なモスクワ見世物裁判が開かれる。ウェルズはもちろん、そんなことはつゆほども知らない)。

その一方で、ウェルズはあらゆる点でやすやすと手玉に取られ、社会主義への道はおろか自国イギリスの歴史や状況についてすらあっさり論破され、教育がどうしたとか勝手な思いこみは一蹴され、フォードやロックフェラーについての評価ですらスターリンにその偏った思いこみをたしなめられるという情けなさを全開にしている。

特にウェルズは、アメリカのニューディール政策を見て、ホラ見ろ社会主義だと実に単細胞な喜び方をしているのに対し、スターリンはあれが既存体制の中での改良であって社会主義につながるものではない、と明確に述べている。スターリンのほうがきちんと見ていて、理解も正確だというのは驚くべきことだ。ちなみにケインズ『一般理論』が出て、ニューディール政策のような形で政府の役割が増えるのは社会主義ではなく、資本主義を温存するためのものだ、と明確に論じるのは1936年のこと。

ちなみに、ウェルズの言っていることと、いまの日本のヘナチョコ左翼の論調を比べると、まったく進歩が見られないどころか、むしろ退行していることに驚かされる……ことはなくて、むしろ納得感しかないのはとても残念な気がしなくもない。

(正直、自分でも何でこんなの翻訳しようと思ったのかは忘れたけど、ファイル整理してたら半分くらいやった仕掛かり品が出てきたので、仕上げました)

 

なお、社会主義系(にとどまらないが)の政治的発言のまともな読み方を理解していない人々のために、読み方指南書も書いたので、特に裏読みのやり方わからない人は、以下の解説を読んでおいても罰は当たらないかもしれない:

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H.G.ウェルズマルクス主義リベラリズムヨシフ・スターリン インタビュー」 (1934年7月23日) *1

訳:山形浩生

 

ウェルズ:スターリンさん、面会に同意していただいて、おおいに感謝しております。最近私はアメリカにおりました。そしてルーズベルト大統領と長い会話をして、彼の主要な考えがどのようなものかを見極めようとしました。さて今度、私はあなたのもとにやってきて、世界を変えるためにあなたが何を……

スターリン大したことはしておりません。

ウェルズ:私は一般人として世界をまわり、一般人として身の回りで何が起きているかを観察するのです。

スターリンあなたのような重要な公人は「一般人」なんかではありません。もちろん、あれやこれやの公人がどれほど重要だったかを示せるのは歴史だけです。が何はともあれ、あなたは「一般人」として世界を見ているのではありませんよ。

ウェルズ:謙遜を気取ったわけではありません。言いたいのは、私が世界を一般人の目を通して観ようとするのであって、政党政治家や特定の役職に就いた行政官として見るのではないということです。アメリカを訪問して心が騒ぎました。古き金融世界は崩壊しつつあります。同国の経済生活は、新しい路線で再編されつつあります。

 レーニンはこう言いました。「我々はビジネスを学ばねばならない、それは資本主義者たちから学ぼう」。今日、資本主義者たちはあなたから学び、社会主義の精神をつかまねばなりません。アメリカで起こっているのは深遠な再編であり、計画経済、つまり社会主義経済の創造に思えるのです。あなたとルーズベルトは、出発点がまったくちがう。でもモスクワとワシントンの間には、思想の関係性、思想の親和性があるのではないでしょうか。ワシントンで私は、ここで行われているのと同じことを目の当たりにして驚きました。部局を作り、各種の国家規制機関を作り、長きにわたり必要とされてきた公共サービスを組織しております。彼らが必要としているのは、あなたたちと同じく、社会を導く能力なのです。

スターリンアメリカは、我々がソヴィエト社会主義連邦で追及しているのとはちがうものを目指しています。

 アメリカ人たちが目指している狙いは、経済的なトラブル、経済危機から生じたものです。アメリカ人たちは、民間資本主義活動を基盤に危機を排除しようとしておりますが、経済基盤を変えようとはしておりません。既存経済システムが引き起こした荒廃、損失を最小限に減らそうとしておるのです。しかしここではご存じの通り、古い破壊された経済基盤の代わりに、まったくちがう新しい経済基盤が創り出されたのです。あなたのおっしゃるアメリカ人たちが、部分的にせよその狙いを達成したとしても、つまりそうした損失を最低限に減らしたとしても、既存の資本主義システムに内在するアナーキーの根っこは破壊できません。彼らが温存しようとしている経済システムは、不可避的に生産におけるアナーキーにつながり、それを避けることはできないのです。したがってそれはせいぜいが、社会の再編ではなく、アナーキーや危機を引き起こす古い社会システムの廃止でもなく、その過剰な部分を多少制限するような話にしかなりません。主観的には、そうしたアメリカ人たちは社会を再編しているつもりなのかもしれませんな。しかし客観的には、社会の現在の基盤を温存しておるのです。

 ですから、客観的に見れば社会再編は起こらないのです。また計画経済も起こりません。計画経済とは何か? その属性にはどんなものがあるのか? 計画経済は失業を廃止しようとします。資本主義体制を温存したまま、失業をある最低限の水準に減らせることが可能だとしましょう。

 しかしまちがいなく、どんな資本家も失業の完全な廃止には同意しますまい。失業者の予備軍を廃止したりはしないでしょう。その予備軍の目的は労働市場に圧力をかけ、安い労働力の供給を確保することなのですから。ここにブルジョワ社会における「計画経済」のレントの一つがあります。さらに、計画経済は大量の人々がことさら必要とする財を生産する産業部門において、産出が増えると想定しています。しかし資本主義の下での生産拡大はまったくちがった動機で生じ、資本は利潤率が高い経済部門に流れ込むことは、あなたもご存じでしょう。資本家に、人々のニーズを満たすため損をして低い利潤率に合意させることはできません。資本家を始末し、生産手段における私有財産の原理を廃止しない限り、計画経済を創り出すのは不可能なのです。

ウェルズ: いまおっしゃったことにほぼ同意します。

 しかし、もし国全体が計画経済の原理を採用したら、もし政府が徐々に、一歩ずつ、一貫してこの原理を適用しはじめたら、金融寡頭支配はいずれ廃止され、アングロサクソン的な意味での社会主義がもたらされるという点は強調しておきたい。ルーズベルトの「ニューディール」の発想の影響はきわめて強いものであり、私の意見では社会主義的なアイデアです。この二つの世界の対立を強調するかわりに、現状では建設的な勢力すべてについて共通の表現を確立するよう努力すべきではないかと思えるのです。

スターリン計画経済の原理を、資本主義の経済基盤を温存した状態で実現するのは不可能だという話において、ルーズベルトの傑出した個人的資質、その努力、勇気、決意をいささかも矮小化するつもりはありません。ルーズベルトはまちがいなく、現代資本主義社会における船長たちの中で、最も力強い人物として抜きん出ております。だからこそ私は改めて、計画経済は資本主義の条件下では不可能だという私の主張が、ルーズベルト大統領の個人的な能力や才能や勇気を、何ら疑問視するものではないことを強調しておきたい。しかし不利な状況下では、最も才能ある船長ですら、あなたのおっしゃる目標には到達できないのです。

 もちろん理論的には、資本主義の条件下で次第に一歩ずつ、アングロサクソン的な意味合いでの社会主義とおっしゃるものという目標に向かって行進する可能性は、排除されるわけではありません。

 しかしその「社会主義」とはどんなものになるのでしょうか? せいぜいが、最も放埒な資本主義利潤の個人的な代表をある程度押さえ、国の経済における統制の原理適用を多少増やす程度でしょう。それはそれで大変結構です。しかしルーズベルトや、その他現代ブルジョワ世界のどんな船長であれ、資本主義の基盤に対して何か深刻な変化を加えようとしたら、まちがいなく全面的な敗北を喫するでしょう。銀行、産業、大企業、大農家はルーズベルトの手中にはありません。これらすべては私有財産です。鉄道、商船艦隊、すべて民間所有者のものです。そして高技能労働者の群れ、エンジニアたち、技術者たち、そうした人々もルーズベルトの命令に従うものではなく、民間所有者のために働いています。ブルジョワ世界における国家の機能を忘れてはいけませんぞ。

 国家は、国防をまとめ、「秩序」の維持を組織する機関です。徴税の道具です。資本主義国家は、厳密な意味で経済とはあまり関わりません。経済は国家の手中にはないのです。それどころか、国家のほうが資本主義経済の手中にあるのです。だからこそ、あれだけのエネルギーや能力を持ってはいても、ルーズベルトはあなたのおっしゃる目標を実現できないのではと恐れるのです。それがそもそも彼の目標であればの話ですがね。ひょっとすると、何世代かたつうちに、この目標に多少は近づけるかもしれませんな。しかし個人的には、それすらあまり可能性が高いとは思いません。

ウェルズ: おそらく私は、あなたよりは政治の経済的解釈をもっと強く信じているのでそうね。発明と現代科学を通じ、よりよい組織に向かって、社会のよりよい機能、つまりは社会主義に向かう強い力がもたらされました。個人行動の組織化と統制は、社会理論はどうあれ機械的に不可欠なものとなっています。もし銀行の国家統制から始め、続いて輸送の統制、重工業の統制、産業一般の統制、商業の統制等々を行えば、そうしたすべてを包括する統制は、国の経済のあらゆる部門を国有化するのと同じ事になります。これが社会主義化のプロセスとなります。社会主義個人主義は、白と黒のように相反するものではないのです。両者の間には多くの中間的な段階があるのです。

 山賊行為寸前の個人主義もあるし、社会主義と等価な規律や組織化もあります。計画経済の導入は相当部分まで、経済をまとめる人々、技能ある専門インテリゲンツィアによります。その人々は一歩ずつ、社会主義的な組織化原理へと転向させられるのです。そしてこれこそ最も重要な点です。組織化は社会主義に先立つものです。これがもっと重要な事実です。組織化なくして、社会主義思想は単なる思想でしかありません。

スターリン個人と集合体との間には、埋められない対立などありませんし、またあるべきでもありません。個人の利益と集合体の利益との間も同じです。そうした対立があってはならないのは、集産主義、社会主義は個人の利益を否定するのではなく、個人の利益を組み合わせることで集合体の利益にするからです。社会主義は、個人の利益から己を捨象することはできません。社会主義社会だけが、そうした個人的利益を最も十全に満たせるのです。さらに社会主義社会だけが、個人の利益をしっかり保護できるのです。この意味で、「個人主義」と社会主義との間に埋められない対立などありません。しかし階級間の対立、財産を持つ階級、資本家階級と、苦闘する階級、プロレタリア階級との間の対立を否定できますかな?

 一方では、財産を持つ階級が銀行、工場、鉱山、運輸、植民地のプランテーションを所有しています。こうした人々は自分の利益しか目に入らず、利潤ばかり必死で追いかけます。

 彼らは集合体の意思に屈しません。あらゆる集合体を自分の意志に従属させようと苦闘します。一方では、貧困者の階級、収奪された階級があり、工場も仕事も銀行も所有しておらず、自分の労働力を資本家に売って暮らすしかなく、自分の最も基本的な要件すら満足させる機会を欠いております。こうした正反対の利益と苦闘で、折り合いをつけられるはずがあるでしょうか? 私の知る限り、ルーズベルトはこうした利害の間で折り合いをつける道の発見に成功しておりません。そして、経験が示すようにそれは不可能です。

 ちなみに、あなたはアメリカの状況を私よりよくご存じですな。私は彼の地に行ったことがないし、アメリカの状況については文献で主に見ているもので。しかし私は社会主義のために戦う体験を多少は持っており、この体験の語るところでは、ルーズベルトが資本家階級を犠牲にしてプロレタリア階級の利益を満たそうという本当の試みを行えば、資本家階級は大統領の首をすげ替えるはずです。資本家たちはこう言うでしょう。大統領はいくらでも変わるが、我々は永遠に続くのだ。もしあの大統領やこの大統領が我々の利益を守らないなら、別の大統領を探すまでだ、とね。大統領は資本家階級の意思に逆らうことなど、何ができるというのですか?

ウェルズ: 私は、人類を貧乏人と金持ちに分けるというその単純化した分類には反対です。もちろん利潤だけのために活動する人々の区分もあります。しかし、そうした人々はここでと同じくらい、西側でも迷惑な存在と見なされているのではありませんか? 西側にだって、利潤が目的ではなく、ある程度の富を所有し、投資をしてその投資から利潤を得たいとは思っていても、それを主要な目的と考えない人だってたくさんいるのではありませんか? 彼らは投資を、不都合な必要物と見なしています。利潤以外のものに行動を刺激されている、有能で献身的なエンジニア、経済の組織家たちはたくさんいるのではありませんか?

 私見では、現在の仕組みが不満足なものだと認め、未来の社会主義社会で大いなる役割を果たすよう運命づけられた有能な人々の無数の階級があるのです。過去数年にわたり、私はエンジニアや航空士、軍の技術関係者などの広範な集団の間に、社会主義コスモポリタン主義を支持するプロパガンダを行う必要性に、大きく関わりその必要性を考えてきました。こうした人々に、二分された階級闘争プロパガンダを持って近づいても無駄です。こうした人々は世界の条件を理解している。それがろくでもない混乱状態だとは理解していても、あなたの単純な階級戦争対立はナンセンスだと考えるでしょう。

スターリン 人類を金持ちと貧乏人にわける単純化した分類に反対なさる。もちろん中間はありますよ、あなたのおっしゃった専門インテリゲンツィアで、中にはとても善良でとても正直な人々もおります。中にはまた、不正直で邪悪な人々もおり、いろいろな連中がおります。だがまず人類は金持ちと貧乏人に、財産保有者と収奪されている者に分けられます。そしてこの根本的な分割から自分を捨象し、貧乏人と金持ちの対立から己を捨象するのは、根本的な事実から己を捨象するということです。中間的な中間層の存在は否定しませんし、それはこの対立する階級のどちらかの立場を取れるか、あるいはこの闘争において中立的または準中立的な立場も採れます。しかし繰り返しますが、この根本的な社会の分割と、この二つの主要階級間の根本的な闘争から己を捨象するのは、事実を無視するということです。この闘争は現在もこれからも続きます。結果はプロレタリア階級、労働者階級により決まるのです。

ウェルズ: しかし貧乏ではないが、働くし生産的に働く人々はたくさんいますよ?

スターリンもちろん、小地主、工芸家、小規模商人はおりますが、国の運命を決するのはそうした人々ではなく、辛苦する大衆であり、社会が必要とするあらゆるものを生産する人々なのです。

ウェルズ: しかし、まったくちがった種類の資本主義がいろいろあります。利潤のことしか考えず、金持ちになることしか考えない資本家もおります。しかし、犠牲を払おうとする者もおります。老モルガンを例にとりましょう。あの御仁は利潤のことしか考えませんでした。社会の寄生虫で、単純に富を蓄積しただけです。しかしロックフェラーはどうでしょう。見事な組織家です。石油の配送をどう組織すべきかについてのお手本を構築し、それは真似る価値があるものです。あるいはフォードはどうでしょう。もちろんフォードは利己的です。しかし彼は、あなたもお手本にしている合理化された生産の見事な組織家ではありませんか?

 最近になって、英語圏ではソ連に対する見解に重要な変化が見られたことを強調しておきたい。まずその理由は、日本の立場とドイツでの出来事です。しかし、国際政治から生じるもの以外にも理由はあります。もっと深遠な理由があるのです。具体的には、多くの人々が私的利潤に基づく仕組みが崩壊しつつあるという事実を認識するようになったということです。こうした状況では、両世界の対立を前面に押し出してはならず、あらゆる建設的な運動、建設的な力をすべて組み合わせ、一つの線上にできるだけ載せるよう頑張るべきだと思えるのです。どうも私には、私のほうがあなたよりも左派にいるように思えるのですよ、スターリンさん。私はあなたよりも、旧体制が終わりに近いと思っているのです。

スターリン利潤だけを追求し、ひたすら金持ちになろうとする資本家の話をするときには、別に彼らが他に何もできない、無価値きわまる連中だなどと言うつもりはありません。その多くの人々は偉大な組織化の才能を持っており、それを否定しようとは夢にも思いません。我々ソヴィエトの人々も、資本家たちからは大いに学びます。そしてあなたがずいぶん否定的に述べたモルガンは、まちがいなく優れた有能な組織家でした。しかし世界を再建する覚悟のある人々の話をしているなら、利潤という大義に忠実に奉仕する人々の中からそうした人々を見つけるのは無理です。我々と連中は対極を成しています。フォードとおっしゃいましたね。もちろん、彼は有能な生産の組織家です。しかし彼が労働者階級に対してどんな態度かご存じないのですか? 彼がどれほどの労働者を道端に放り出したかご存じないのですか?

 資本家は利潤に釘付けとなっております。そして地上のどんな力であっても、資本家を利潤からは切り離せません。資本主義を廃止するのは、生産の「組織者」ではなく、専門インテリゲンツィアでもなく、労働者階級です。なぜならさきほど述べた階層は独立の役割を果たさないからなのです。エンジニア、生産の組織者は自分の好きなように働くのではなく、命じられた通りに働き、雇用者の利益に奉仕する形で動くのです。もちろん例外はあります。この階層でも資本主義の中毒から覚醒した人はいます。専門インテリゲンツィアたちは、ある条件の下では奇跡を起こし、人類に大きく貢献できます。しかし大きな被害も引き起こせます。我々ソヴィエトの人民も、専門インテリゲンツィアについては少なからぬ経験を持っています。

 十月革命以後、専門インテリゲンツィアの一部は新社会建設の仕事への参加を拒みました。この建設作業に反対して妨害したのです。

 専門インテリゲンツィアをこの建設作業に引き出そうと、我々は本当に手を尽くしました。あれもやり、これも試しましたよ。我々の専門インテリゲンツィアたちが、活発に新体勢を支援すると合意するまでには、少なからぬ時間がかかりました。今日では、この専門インテリゲンツィアの裁量の部分は、社会主義社会構築の最前線の一部です。この経験があるので、我々は専門インテリゲンツィアのよい面も悪い面も、見くびるにはほど遠いところにおり、一方で彼らが被害を起こせることも、そして一方では「奇跡」を起こせるのも知っております。もちろん、何か一撃で専門インテリゲンツィアたちを資本家の世界から精神的に引き離せたら事態は変わってくるでしょう。が、それはユートピアです。

 ブルジョワ世界と敢えて決別して、社会再構築に取り組もうとする専門インテリゲンツィアがどれほどおりますかな? たとえばイギリスやフランスで、そうした人々がそんなにたくさんいるとお考えですかな? いいえ、自分の雇い主と決別して世界の再建に取りかかる人など、いないも同然です。

 それに、世界を作り替えるためには、政治権力が必要だという点を無視できるでしょうか? ウェルズさん、私の見たところ、あなたは政治権力の問題を見くびりすぎているので、それがすっぽり頭から抜け落ちているのです。

 そうした人々は、この世で最高の善意を持っていたとしても、権力奪取の問題を提起できないなら、そして実際に権力を持てないなら、何ができるというのですか? せいぜいが、権力を握った階級を助けるくらいですが、世界そのものを変えることはできません。それは資本家階級に取って代わり、以前の資本家のように主権支配者となるはずの、偉大な階級のみがなし得ることです。その階級とは労働者階級です。もちろん専門インテリゲンツィアの支援は受け入れねばなりません。そして専門インテリゲンツィアのそのお返しに支援はされます。しかし専門インテリゲンツィアが独立の歴史的役割を果たせるなどとは思いなさるな。世界の改変は偉大で複雑で痛々しいプロセスなのです。その任のためには偉大な階級が必要です。大型船が長い航海に出るのです。

ウェルズ: しかしながら、長い航海には船長と航海士が必要です。

スターリンそれはその通り。しかし長い航海でまず必要なのは大きな船です。船なしの航海士など何の意味がありますか? 無為の人にしかなりません。

ウェルズ: その大きな船は人類であって、ある階級ではありません。

スターリンウェルズさん、あなたはですな、明らかにあらゆる人間は善良だという前提から出発されていますな。しかし私は、邪悪な人間も多いことを忘れはしません。私はブルジョワジーの善良さを信じない。

ウェルズ: 専門インテリゲンツィアたちについて数十年前の状況が思い出されます。当時専門インテリゲンツィアたちは明らかに賢かったのですが、やることが多すぎたし、あらゆるエンジニア、技師、知識人は自分の機会を見つけました。だからこそ専門インテリゲンツィアたちは、最も革命的でない階級だったのです。しかし現在では、専門知識人はあふれるほどおり、その意識は激変しました。かつては革命の話などに耳を貸さなかった技能者は、いまや大いに興味を示しています。最近私は、我が偉大なイギリスの科学協会、王立科学協会と夕食をとっておりました。会長の演説は、社会計画と科学的統制についてのものでしたよ。30年前なら、私がいま彼らに語るような話には耳を貸さなかったでしょう。今日では、王立科学協会の長が革命的な見方をしており、人間社会の科学的再編に固執しています。考え方は変わるのです。あなたの階級闘争プロパガンダは、こうした事実に後れを取っています。

スターリン はい、それは知っています。そしてそれは、資本主義社会がいまや袋小路に入っているという事実で説明がつきます。資本家たちはこの袋小路からの脱出方法の中でこの階級の尊厳や、この階級の利益に相反しないものを探しておるのですが、それが見つからないのです。ある程度は、この危機から四つん這いになって這いだしてくることはできるでしょう。しかし頭を高く掲げて歩み出てくる出口は見つけられず、資本主義の利益を根本的に乱さないような出口が見つからない。これはもちろん、専門インテリゲンツィアたちの実に広い範囲に認識されておりますよ。その相当部分は、自分の利益の集まりを、この袋小路からの出口を示せる階級の利益と一致させようとしております。

ウェルズ: 他ならぬあなたこそ、実務面から見た革命についていろいろご存じでしょう、スターリンさん。大衆が蜂起したりすることはあるのでしょうか? すべての革命は少数派が行うのだというのは、確立された真実ではありませんか?

スターリン革命をもたらすには、主導的な革命的少数派が必要です。しかし最も才能あり、献身的でエネルギッシュな少数派であっても、何百万人もの少なくとも受動的な支援をあてにしないと、身動きが取れません。

ウェルズ: 少なくとも受動的、ですか? あるいは無意識的な?

スターリン部分的には半ば直感低位で半ば無意識なものもありますが、何百万人もの支援なくしては、最高の少数派も無力です。

ウェルズ: 西側での共産主義プロパガンダを見ておりますと、現代の条件下でそうしたプロパガンダはえらく古くさく聞こえます。というのもそれは蜂起をうながすプロパガンダだからです。社会の仕組みの暴力的な転覆を支持するプロパガンダは、圧政に対して向けられているときには結構なものです。しかし現代の条件下では、どのみち仕組みが崩壊しつつあるので、力点は効率性、能力、生産性に置かれるべきで、蜂起に置くべきではありません。蜂起的な物言いは陳腐です。西側での共産主義プロパガンダは、建設的な心を持つ人々にとってうっとうしいだけです。

スターリン もちろん旧体制は崩壊しつつあり、衰退しています。それは事実です。しかしこの死にゆく仕組みを保護し、救うために他の手段による新しい試みが行われているのも事実です。

 あなたは正しい前提からまちがった結論を引き出している。旧世界が崩壊しつつあるとおっしゃったのは正しい。しかし、それが自主的に崩壊していると考えるのはまちがっている。いいや、ある社会の仕組みが別のものに変わるのは、複雑で長い革命的なプロセスなのです。単純な自発的プロセスではなく、闘争です。階級の衝突とつながるプロセスなのです。資本主義は衰退していますが、勝手に倒れるしかないほど腐敗した木と単純に比べてはいけません。いいえ、革命、つまりある社会の仕組みが別物と置き換わるのは、常に闘争であり、痛々しく残酷な闘争で、生死をかけた闘争なのです。そして新世界の人々が権力を握る度に、彼らは旧世界が旧権力を武力で再興させようとする試みに対して自衛しなければなりませんでした。新しい世界の人々は常に警戒を緩めず、常に新たな仕組みに対する旧世界の攻撃を追い払う準備をしておかねばならないのです。

 ですから、古い社会の仕組みが崩壊しつつあるとおっしゃったのは正しい。しかしひとりでに崩壊しているのではありません。たとえばファシズムを考えましょう。

 ファシズムは、旧体制を暴力で温存しようとしている反動勢力です。ファシストをどうするつもりです? 連中と議論してみますか? 説得してみますか? でもそんなのは何の効果もありません。共産主義者は暴力の手法をこれっぽっちも理想化するつもりはありません。しかし彼ら、共産主義者たちは不意をつかれたくはない。旧世界が自発的に舞台から退くのをあてにはできない。彼らは旧体制が暴力的に自衛しているのを見て、だからこそ共産主義者たちは労働者階級に対し、暴力には暴力で答えよ、古い死にゆく秩序に押し潰されないよう手を尽くせ、そいつらが君たちに手錠をかけるのを許すな、旧体制の転覆に使う手を縛らせるな、と告げるのです。ご覧のとおり、共産主義者たちはある社会体制を別のもので置きかえるのを、単に自発的で平和的なプロセスとしては見て折らず、複雑で長く暴力的なプロセスとみております。共産主義者たちは、事実を無視はできないのです。

ウェルズ: しかし現在の資本主義社会で起きていることをご覧なさい。崩壊は単純なものではありません。暴漢主義へと対抗しているのは反動的暴力の勃発です。そして反動的で知的でない暴力との紛争となると、社会主義は法に訴え、警察を敵と見なすよりも、反動主義者に対する戦いの中で警察を支援すべきです。古い蜂起型社会主義の手法で動くのは無益だと思いますね。

スターリン共産主義者は、旧弊な階級が自発的に歴史の舞台を放棄したりはしないと教える豊かな歴史的経験を基盤としています。

 17世紀イギリスの歴史を思い出しましょう。多くの人が、古い社会の仕組みが衰退したと言っていたのではありませんか? しかしそれでも、それを潰すにはクロムウェルが武力を使うしかなかったのでは?

ウェルズ: クロムウェル憲法に基づいて行動し、憲法秩序の名において行動したのです。

スターリン憲法の名において彼は暴力に頼り、王の首をはね、議会を解散させ、一部を逮捕しまた一部の首をはねたではありませんか!!

 あるいは我が国の歴史の例を見ましょう。長きにわたり、ロシア帝政が衰退し、崩壊しつつあったのは明らかだったではありませんか? でもそれを打倒するためにはどれほどの血が流されねばならなかったでしょうか?

 そして十月革命はどうでしょう? 我々だけが、ボリシェヴィキだけが唯一の正しい道を示していると知っていた人はたくさんいたのではなかったですかな? ロシア資本主義が衰退したのは明らかではありませんでしたかな? しかし抵抗がいかに強かったかはご存じでしょう。十月革命を、内外問わずあらゆる敵から守るためにどれほどの血が流されねばならなかったかもご存じでしょう。

 あるいは18世紀末のフランスをご覧なさい。1789年のはるか以前から、多くの人々は王権と封建主義体制がいかに腐っているかをはっきり知っておりました。しかし民衆蜂起、階級の衝突は避けられませんでした。なぜか? 歴史の舞台を明け渡さねばならない階級は、自分たちの役割が終わったことを最後まで納得しないからです。彼らにそれを納得させるのは不可能です。旧秩序の衰退する表面に現れた亀裂は、修理して救えると考えるのです。だからこそ、死にゆく階級は武器を取り、支配階級としての自分の存在を守るために手を尽くすのです。

ウェルズ: しかしフランス大革命の指導者たちの中には、弁護士が少なからずおりました。

スターリン 革命運動におけるインテリゲンツィアの役割を否定なさるのですか? フランス大革命は、弁護士の革命でしたかな? むしろ人民の革命であり、大量の人々を封建主義に反対させ、平民の利益を掲げることで蜂起させ、勝利をおさめたのではなかったでしょうか? そしてフランス大革命の指導者に名を連ねていた弁護士たちは、旧秩序の法に基づいて行動したのですかな? 新しいブルジョワ革命法を導入したのではありませんでしたか?

 歴史の豊かな体験によれば、いままで別の階級のために道を譲った階級など一つたりともないことがわかります。世界史上、そんな先例はないのです。共産主義者たちは歴史のこの教訓を学んでいます。共産主義者たちは、ブルジョワジーが自発的に退いてくれれば大歓迎です。しかしそんな事態の展開はありそうにないのです。それが経験の教えるところです。だからこそ共産主義者たちは、最悪の事態に備えて、労働者階級に警戒を怠らず、戦いの用意を調えておくよう求めるのです。自軍の戦いぶりを抑えようとする指揮官などだれが求めましょうか。敵が降伏しないのをわかっておらず、叩き潰すしかないことがわからない指揮官など役立たずです。そうした指揮官になるのは、労働者階級をだまし、裏切ることになります。だからこそ、あなたにとっては古くさく思えるものが、実は労働者にとっては革命的な必要性の手段なのだと私は考えるわけです。

ウェルズ: 武力を使わざるを得ないのは否定しませんが、闘争の形態は、既存の法律が提示する機会にできる限りうまくあてはまるものになるべきだと考えます。これは反動的な攻撃から防御されねばなりません。旧体制を解体する必要はありません。というのもそれは、現状でも自分で十分に崩壊しつつあるからです。だからこそ、旧体制に対する違法な蜂起は、私には古くさく、旧弊に思えます。ちなみに、私は真実をもっとはっきり述べるために意図的に誇張しています。自分の視点は以下のようにまとめられます :

 まず、私は秩序を支持する。次に、私は現在の仕組みを、秩序を確保できない限りにおいて攻撃する。第三に、階級闘争プロパガンダはまさに社会主義が必要としている、教育を受けた人々を社会主義から遠ざけかねないと思う。

スターリン大きな狙い、重要な社会目標を達成するには主力、橋頭堡、革命階級が必要です。次にこの主力のための補助的な軍の支援を組織する必要があります。この場合、この補助的な力は党であり、インテリゲンツィアの最善の勢力がここに所属します。たったいま、「教育を受けた人々」の話をされましたな。が、お考えになっていたのは、どんな教育を受けた人々でしょうか? 17世紀のイギリスでも、18世紀末のフランスでも十月革命前夜のロシアでも、旧体制側に教育を受けた人々はたくさんいませんでしたかな? 旧体制には、多くの高等教育を受けた人々が仕えていて、彼らは旧秩序を擁護し、新秩序に反対しました。教育は武器ですが、その効果はそれを使う人々の手で決まり、だれが打倒されることになるかで決まるのです。

 もちろんプロレタリア、社会主義は、高等教育を受けた人々を必要とします。明らかに、バカ者はプロレタリアが社会主義のために戦い、新社会を作るのに役立ちません。私はインテリゲンツィアの役割を過小評価はしていない。それどころか、その役割を強調します。しかし問題は、ここで話しているのはどのインテリゲンツィアなのでしょうか? というのも、インテリゲンツィアにもいろいろあるからです。

ウェルズ: 教育システムに激変がなければ革命はあり得ません。二つの例を挙げれば十分でしょう。古い教育システムに手をつけず、したがって決して共和国になれなかったドイツ共和国の例と、教育システムの過激な改変にこだわるだけの決意を欠いているイギリス労働党の例です。

スターリン その指摘は正しいものです。あなたの三つの点について回答するのをお許しください。

 まず、革命にとって重要なほは社会的な橋頭堡の存在です。この革命の橋頭堡は労働者階級です。

 次に、補助的な力が必要です。共産主義者が党と呼ぶものです。知的労働者や、労働者階級と密接に繋がった専門インテリゲンツィアの要素は党に所属します。インテリゲンツィアが強力になれるのは、労働者階級と組み合わさったときだけです。労働者階級に反対するようならそれは役立たずとなります。

 第三に、変化のテコとして政治権力が必要です。新しい政治権力は新しい法律、新しい秩序、つまり革命的秩序を作り出します。

 私はどんな秩序も支持しているわけではない。労働者階級の利益にかなう秩序を支持している。しかし旧秩序の法律のどれかが、新秩序のための闘争に有益な形で利用できるなら、その旧法は利用されるべきです。現在の仕組みは、人民にとって必要な秩序を確保できない限りにおいて攻撃されるべきだというあなたの主張には、反対しようがありませんな。

 そして最後に、共産党が暴力まみれだとお考えなら、それはまちがっている。支配階級が労働者階級に道を譲ることに同意するなら、みんな暴力的な手段を喜んで放棄するでしょう。しかし歴史の経験はそんな想定を否定するものとなっています。

ウェルズ: しかしイギリスの歴史には、ある階級が自発的に権力を別の階級に渡した例があります。1830年から1870年にかけて、18世紀末にはまだかなりの影響力を持っていた貴族が、激しい闘争なしに、権力をブルジョワジーに譲り渡して、それが王室の感情的な支持につながりました。結果的に、この権力移譲は金融寡頭支配の確立をもたらしたのです。

スターリンしかしあなたはこっそりと、革命の問題から改革の問題に話をすりかえている。これは同じことではない。チャーティスト運動が、19世紀イギリスの改革において大きな役割を果たしたとは考えないのですか?

ウェルズ: チャーティストたちは大したことをせず、何の痕跡も残さずに消え去りました。

スターリン同意できませんな。チャーティストたちと、かれらが組織したストライキ運動は大きな役割を果たしました。選挙権拡大に対する多くの譲歩や、通称「腐敗選挙区」の廃止や、「チャーター(憲章)」の一部の要求について、支配階級を説得したのです。

 チャーティスト運動が果たした歴史的な役割は決してつまらないものではないし、支配階級の一部に大きなショックを避けるため、ある種の譲歩、改革を行うよう強制したのです。一般的に言って、あらゆる支配階級のうち、イングランドの支配階級は、貴族もブルジョワジーも、彼らの階級的利益の観点から、彼らの権力を維持するという観点から、最も賢明で最も柔軟でした。たとえば現代史で言えば、1926年のイギリスゼネストを例にとりましょう。他のブルジョワジーなら、あんな事態が起きたときに、つまり労働組合一般評議会がストライキを呼びかけたときに、まっ先にやるのは労働組合指導者を逮捕することだったでしょう。イギリスのブルジョワジーはそれをやらなかった。つまり自分の利益の観点から賢明に行動したわけです。

 あんな柔軟な戦略を、アメリカやドイツ、フランスのブルジョワジーが採用するとはとても思えません。自分たちの支配を維持するため、イギリスの支配階級は小さい譲歩や改革をためらったりはしませんでした。しかしそうした改革が革命的なものだと思うのはまちがいです。

ウェルズ: あなたは我が国の支配階級について、私よりも高い評価を下しておられる。しかし小さな革命と大きな改革とは大差ないのではありませんか? 改革は小さな革命ではないでしょうか?

スターリン 下からの圧力、つまり大衆からの圧力により、ブルジョワジーはときに、既存の社会経済体制の基盤を維持しつつ、ある種の部分的な改革を譲歩することもあります。

 こうした行動により、ブルジョワジーは自分の階級支配を温存するためにこうした譲歩が必要だと計算しているのです。これが改革の本質です。しかし革命というのは、ある階級から別の階級への権力移譲です。だからこそ、どんな改革も革命とは呼べないのです。だからこそ、改革という手段を通じ、支配階級が譲歩を行うことによって、知らぬ間にあるシステムから別のものへと移行するような社会システム変化はあてにできないのです。

ウェルズ: この対談については大いに感謝しております。私にとって大きな意味合いを持つものでした。いろいろ私に説明する中で、おそらく革命以前の非合法サークルで社会主義の基本を説明しなければならなかったときのことを思い出されたことでしょう。現在では、何百万人もがその意見、一言一句に耳をかたむけている人物は二人しかおりません。あなたとルーズベルトです。他の連中は好きなだけ説教しても、その発言は印刷もされず聞かれもしません。

 私は未だに、貴方の国で何が実践されたか十分に理解できておりません。昨日到着したばかりなので。しかし、すでに健康な男女の幸せな顔は見ており、何かきわめて重要なことがここで行われているのはわかります。1920年との対照ぶりは驚くべきものです。

スターリン我々ボリシェヴィキがもっと賢ければ、もっとずっと多くのことができたのですが。

ウェルズ: いや、人間がもっと賢ければ、です。人間の脳を再構築する五カ年計画を考案するとよいでしょう。脳は明らかに、完璧な社会秩序に必要な多くのものを欠いておりますから。(笑)

スターリンソヴィエト作家連合会議まで滞在するおつもりではないのですか?

ウェルズ: 残念ながら、他にいろいろ約束がありまして、ソ連には一週間しか滞在できないのです。

 あなたに会いに来て、この話し合いにとても満足しております。しかしできる限りのソヴィエト作家と会って、PENクラブへの参加の可能性について議論するつもりです。これはギャルズワージーが創立した国際作家組織です。彼の死後、私が会長となりました。この組織はまだ弱々しいものですが、多くの国に支部を持ち、もっと重要な点として、会員たちの演説はマスコミで広く報道されます。このクラブは意見の自由な表現を重視します——反対意見ですらね。

 この点をゴーリキーと議論したいと思っております。あなたたちがこの国で、それほどの自由の準備ができているかはわかりませんが。

スターリン我々ボリシェヴィキはそれを「自己批判」と呼びます。ソ連では広く使われておりますよ。お役にたてることがあれば、喜んでいたしましょう。

ウェルズ: (謝意を述べる)

スターリン(訪問に感謝する)

ノーベル経済学賞2020 トトカルチョ

最近、ニコ動のノーベル経済学賞予想がなくなってしまって、真面目なトトカルチョをしなくなったのであれだが、FBで聞かれたのでちょっと考えて見た。

が、どうだろう。まずノーベル賞そのものは、科学系以外のものはどんどんおかしくなってきていると思う。ノーベル平和賞を何もしてないオバマにやるとか、あまりにひどかったし、文学賞ボブ・ディランだの一回休みだの、ありゃなんですか。次におかしくなるのは、絶対経済学賞だと思うんだ。

だから平和賞をWFPにやったりしたみたいに、世界銀行に! とかIMFに! とか言い出したらいやだなー、とは思っている。が、そこはスウェーデン中央銀行が選んでるはずなので、そこまでバカなことはするまい、と信じている面もある。

で、去年のデュフロ&バナジーで、「そろそろ歳寄りの在庫処理で受賞者決めるのやめるからねー」というメッセージが出たと思う。その一方で、まあ歳寄り全部ハブるのもどうよ、という配慮もあるはず。するとどんなあたりだろうか。

自分で言うのもなんだけど、2017年の予想はいまでも結構いいと思っている。

cruel.hatenablog.com

具体的には、この表ですな。

f:id:wlj-Friday:20171003104115p:plain

上の方は死んだ、ローマーは取った、ノードハウス取った、ワイツマン死んだ。環境やゲーム理論や契約理論とか、ぼくの知らないあたりはしばらく前に終わってる。すると、マジで生産性のジョルゲンスン/ゴードン、新ケインズ派に花を持たせる感じでブランシャール/サマーズ/フィッシャー、金融組でバーナンキやテイラーあたりがくるんじゃないかなー。あと、アン・クルーガーとかあってもいい。ジャネット・イェレンも忘れてたか。

分野で言うと、そろそろ経済地理とか地域経済学みたいなのが来てもいいと思う。クルーグマンが取ったからないんじゃないか、みたいな説もあったけれど、もう少し明示的に持ち上げていいはず。藤田昌久とかベナブルスとか……どうかなあ。単独では弱いかなあ。でも、こういう方面がそろそろ光あたってもいいんじゃないか。都市研究でも、いきなりマイケル・バティとかきたらひっくり返るが、まあそれはないか。

 

歳寄りの在庫処理はやめる、という観点からすると、2020年代のどこかでピケティはくるでしょう。新新貿易理論のメリッツは、もらえないわけがないと、自分も他人も思っているでしょう。アセモグルは、もらえないはずがない。ヤバイ経済学のレヴィットも、もう少しで当確ライン……いや色ものすぎるかもしれない。あとはだれだろうか。統計分析を発展させたとかで、Rやgretlの開発チームがもらったりしないかな。まあそういうほうには行かないか。少なくともこの人たちは、若手は去年やったからということで、今年はないと思う。選定委員会がよほど強い若手重視メッセージを出したいのでない限り。

 

もう一つ、分野とかちょっといろんなバランス配慮から言うと、そろそろ中国系の経済学者はだれか取っておかしくないはず。が、あんまり知らないので、誰というのがなかなか……

誰かがデヴィッド・カードと言っていて、うーん。労働系かあ。するとゴールディンとかカッツとかも入ってくる? うーん。こういう労働系って地域性が出すぎてつらいと思うんだよなー。デヴィッド・オーター……うーん。ノーベル賞あげたい感じではないなあ。

また、いつかビッグデータっぽい話も含める形でハリ・ヴァリアンとかも考えないと。機械/AIと経済みたいなあたりで、さすがにぶにょぶにょそんはないだろうけど、2030年代にはだれかくるなあ。アントン・コリネックとか、うまーく立ち回れば何かのまちがいで井上智洋……(もう三段くらいいまの考察を深めれば、まったくあり得ないわけではないと思わなくもない日もないわけではないくらいの感じだけど)。でもこないだ見た「AIと経済」みたいな論文集がクズのかたまりだったので、ホントなにかうまく展開できれば、いろいろあると思うのだ。

あと、神経経済学とかピコ経済学とか、経済行動の脳活動的な基盤を探るような話も、どっかで何かしら誉めておいてあげないと。エインズリーとか、脳の報酬系を調べてるような人、さらに文化的な価値観の差みたいなのをつついている人。こういうのはもうちょっとメジャーになるべきだと思うし、なんかブレークスルーが出てくればすぐ取れるんじゃないか。が、具体的に思いつかない。これを含め大きめの体系化みたいなことを考えてるらしき、ボウルズとかギンタスとか、もっとほめてあげたい感じだけど、ノーベル賞ほどではないかなあ。

 

ということで、2020年の山形予想は

  • 本命:ジョルゲンスン/ゴードンの生産性研究

  • 次点:バーナンキとテイラーで金融系のバランスを取る

  • 穴馬:経済地理のだれか

てな感じ。(と書いたところで、そういやジョルゲンスン生きてたっけ、とあわててチェックしたら存命中。でも90近いのか……) さて当たりますかどうか。結果は月曜日、10/12に!

 

あと、ぼくほど軽薄ではない予測として田中秀臣のものも、いまだに有益。そうですねえ、ディキシットとか忘れてたなあ。バロー……そうだなあ。そうすると、サラ・イ・マーチンなんてのも視野に入ってくるとか? どうでしょう。

tanakahidetomi.hatenablog.com

追記:(10/11 17:00)

日経がノーベル賞予想を日本の経済学者にきいて、なんか実証的な話になるんじゃないかみたいなことを言っている。

www.nikkei.com

今後の経済学が、実証っぽいほうに移行するだろう、でかいモデル構築みたいな話はもうおしまいだろう、というネタは以前はクルーグマンも言っていたし、まあその通りなんだろうとは思う。たぶん、日経の質問に答えた人々は専門の経済学者だから、そういう流行に乗っかって返事をしたんだろうし、たぶんそういう考え方もある。

ただその一方で、素人的には必ずしもおもしろい方向性ではない。この日経の記事に上がっているような研究者でも、巧妙に自然実験的な状況をみつけておもしろい知見を出しましたとか、国勢調査の個票分析しましたとか、重要な話ではあるんだけれど、器用で目の付け所は巧みというレベルであって、限られた世界の限られた知見に空いていた穴を埋めましたというものにとどまる印象がある。『エコノミスト』の最近の経済学の話題、みたいな記事で十分。トンチ一つでは一休さんにはなれないのよー、というところ。

たとえば、ロバート・ソローでもドーンブッシュでも、ジョージ・アカロフでもジャネット・イェレンでも、いま60歳以上の人々は、その個別分野を超えて経済全体についての何らかの知見を持っているだろう、という感じはする。もっと若手でも、上で挙げたバナジー&デュフロでもそれはある。ピケティたちも。少なくとも世界の状況について何か考えてるな、という気はする。でも、こう言うと悪いけどゲーム理論系の人々の半分くらいとか、細かい実証系の人々とか、あまりそういうでかい視点を持っていなさそう。特定の分野、たとえばアメリカの最低賃金、統計分析技法、あるいは最近のベイツ=クラーク賞の人だと、ちょっとしたインフラが貿易に与えた影響の調査とか、確かにパズル的にはおもしろいんだけれど、この人にたとえばCEAの議長やらせて安心だろうか、とかIMFでも世銀でも主任エコノミストやらせて大丈夫か、とか考えると……不安、というより無理だろう、という感じの人が多い。

自分の狭い専門領域を出た瞬間、まったくとんちんかんな素人以下のことをZ省に操られてペラペラ口走る人が日本では結構いた/いるけれど、それと同じ。経済学者だからって、経済のことがわかるとはまったく信じてはいけない人々が増えている。ぼくは、スウェーデン中央銀行の知見をある程度は信じているので、実証方面の重要性と同時に、それを捕らえる理論的なフレームまで含めた何か、あるいはその実証そのものが理論的な枠組みまで変えるようなものがある学者が重視されるとは思う。バナジー&デュフロはまさにそうだ。ピケティは格差データの収集でまさにそれをやったから、絶対来る。でも日経の候補で挙がっている人たちは、なんかそういう方面は薄い印象がある。ラジ・チェティとか、おもしろいんだけどねー。

じゃあそういうのでだれがいるの、と言われると、田中秀臣がどこかのツイートで指摘していたように、ぼくもちゃんと押さえていないよなー。エレーヌ・レイとか? ちょっといまからネタを仕込まないと。でも、なんだかんだ言いつつ、それはぼくの怠慢という以前に、全体にみんな小粒な印象はあるのだ。

という点で、明日はぼくはそんなに実証系がくるような気はしないんだが、どうだろうねー。後出しジャンケンになるとずるいので、この件はこれで加筆終わり。もういじりません。

追記:(10/11 19:30)

書かないといったが、一つだけ。頼むから今年、大番狂わせのピケティってのはやめてくれー。『イデオロギーと資本』急がされたら死ぬー。来年なら余裕ですから。

追記:(10/12 18:50)

結果はミルグロムとウィルソンかー。あまり知らない分野なので挙げなかったけれど、ぼくでも名前くらいは知ってるし、まあ順当なところですな。田中予想にも日経予想にも入っていたし。でもウィルソンあまり知らないや。

ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』アンチョコ

はじめに

数日前に、サイモン『人間活動における理性』の海賊訳を公開したら結構みんな喜んでくれて幸甚。

cruel.hatenablog.com

が、これを実際に読んでくれた人でも、結構苦労しているらしい。

note.com

でてくる用語として、馴染みのないものが結構ある、というのがつまづく原因となっているみたいだ。扱っている範囲が野放図に広くて、経済学の効用理論の話が認知心理学みたいな話に逸れつつ、そこから進化論の話に入って、それが制度論だのメディア論だのに飛び火して、という代物だから仕方ないといえば仕方ない。

が、実際にでている話はそんな面倒なことではない。馴染みのない用語の大半は、無視していいものばかり。ゲーデルとか、アリストテレスとかね。

そういうのはただの、インテリの符牒だから気にしなくていい。「アリストテレス云々」というのは、古来の正統派学問の伝統でずっと、という意味でしかない。これ読んでフンフンうなずいている人で、実際にアリストテレスを読んだ人なんか0.03%もいない。ゲーデルだって、みんな「ああ、合理性は自分の中だけでは完結できないって話ね」(ここで「完結」ってのがどういう意味かはモゴモゴした感じ) 程度の雰囲気だけわかってればいい。あと、「ゲーデルで近代科学は崩壊した、客観性などない、すべては幻想なのだ」とかいうトンデモに走ってないかだけ警戒すればいい。

そういう本質でないところに囚われて、全体が理解できなくなると、とてももったいない。ということで、アンチョコ作りました。これ読むと、たぶん「あたりまえじゃん、くだらねー」と思う人がでてくると思うんだけど、でもそれをきちんとまとめられているのが手柄ではあるのだ。

ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』アンチョコ (pdf, 360kb)

pdfだと「あとで読む」にするだけで読まない人が多いので、以下にはりつけておきます。

ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』アンチョコ

2020/09/28

山形浩生

全体の主張

世界のすべてを律する、最高で最適な、至高の合理性なんてものはあり得ない! 合理性は、限られた範囲で、限られた情報に基づき、なるべくよい選択や意思決定を行うためのツール。でもそれで話が全部すむと思ってはいけないよ。

第1章:合理性のいろいろな見方(すべてが合理的に迫るスーパー合理世界みたいなのはあり得るのか?)

1.1 理性の限界

論理というのは、何か入力があって、それを出力に変換するためのツールだ。でも人が何か行動を決めるには、そこにどうしても何か前提がいる。どうあるべきか、という話がいる。あるいは、論理の支えとなるべき支点と言ってもいい(哲学的な話はこれをむずかしく言ってるだけなので無視してよし)。それなしに、完全無欠な合理的な意思決定の体系みたいなのはあり得ない。

1.2 価値観

いまいった、必要となる前提というものの一つが価値観というヤツだ。ヒトラー『わが闘争』は、別に論理展開がまちがっている=不合理だからダメなのではない。前提となっている価値観や事実認識が、変な結論を引き出している。だから合理的であっても変な結論や意思決定はでてくる。そして価値観も一枚岩の絶対ではない。他の価値観とのかねあいで変わる。

1.3 主観的期待効用 (SEU)

 いろんな価値観を統一的に考えようという学問的枠組みがある。それが主観的期待効用 (SEU)。いろんな将来の可能性に確率分布を割り振って、様々な価値観の間でその人にとっての効用を最大化する決定を選び出す手段。すごい理論体系なんだけれど、すごく非現実的。こんな前提が必要になる。

「意志決定者が一回包括的に見るだけで、自分の眼前にあるすべてを考慮するものと想定します。自分に対して開かれている、各種の選択肢の総体を理解しています。しかもいまその時点で存在する選択肢だけでなく、将来のパノラマすべてにわたり登場する選択肢も全部理解しているのです。そして考えられる選択戦略それぞれの結果も理解しています。少なくとも世界の将来状態について、共同確率分布を割り当てられるくらいの理解はしています。自分自身の中で対立する部分的な価値観ですべて折り合いをつけるかバランスを取らせて、それを単一の効用関数へと総合し、その関数が将来のそうしたあらゆる世界状態をすべて、その人の選好にしたがって並べてくれることになります。」

 現実にはこんなの、絶対にあり得ない。自分も工場での意思決定にこのSEU理論を応用したりしているけれど、きわめて限られた状況でのきわめて限られた意思決定の話。実際の工場に当てはめられるものじゃない。

1.4 行動主義的な代替案

 では、そういう限られた範囲の限られた合理性は? つまり、たいがいの意思決定のときには、なんか大ざっぱな相場観みたいなものがあって、将来についても細かいことはわからないけど、根拠の有無にかかわらずだいたいの「こんなもんかなー」みたいな目安があって、それを前提になるべく合理的な決めごとをする、というのは、だいたい実情に合ってるだろうか?

 これはだいたい合っている模様。これが可能なのは、いろんな決定事項はかなり独立しているから。こっちの意思決定であっちが影響を受けて変わってしまい、みたいな話はあまりない。個別の部分で限られた合理性を通せばまあよい結果になる。

 一方、そういう理詰めで考えて意思決定をするようなやり方以外に、天才が直感でズバッと決めるような意思決定がある。脳の左右半球のちがいをこういう話と結びつける軽薄な議論も多い。でもそういう直感は、1万時間くらい経験を積むことで、すばやいパターン認識ができるようになった結果らしいよ。

 ちなみに、この限定合理性のためには、その限定された部分に意識を集中させることが必要。感情というのはこのために仕組みらしいね。でも、感情はまちがった方向にも発揮できてしまうので、あんまり感情的な判断を重視するのは考え物だ。

第2章 合理性と目的論 (進化で合理性は実現できるか)

2.1 合理的適応としての進化

 合理性の一つのあらわれは、進化。進化では、不合理だと生き残れない。ただ一方で、進化に任せれば自然に合理性が勝つよ、というものでもない。そもそも、人間の文明は若すぎて、進化が遺伝的に作用するほどの世代はたっていない。だからあまり安易に進化を持ち出すのは慎重になったほうがいい。

2.2 ダーウィンモデル

 ダーウィン進化論的な合理性の発達は、環境は固定されてそこにどう適応するか=子孫を残しやすいか、という話になる。でも実際には、動物は自分たちが広まるにつれて環境を変えてしまい、暮らしていたニッチをどんどん深める。たとえば、植物が出てきて環境変えたから、酸素を呼吸する動物の活躍する余地ができた。これは、安易な「適者生存、弱者死ね」みたいな通俗的な進化論とはかなりちがう。

2.3 社会と文化の進化

 人間社会の場合、進化も遺伝的に作用しなくても、文化の伝搬で作用する可能性はある(ミーム論ですな)。でも、文化伝搬は何を最大化するのか、わかりにくい部分がある。遺伝的進化論との相互作用なんてのもあるだろう。

2.4 進化過程における利他主義

 利他性は、社会の進化において重要だけれど、これは開明的な利己主義として考えれば結構うまく説明できる。仕組みとしては血縁淘汰や構造化デームなんてのがあるけれど、社会全体としての最適化を進める仕組みだ。

2.5 進化の近視眼性

 ただし進化は徐々にしか動かないから、ローカルなピークには登れても、大域的なピークに登れる保証はない。だから安定した生態系が外来種に蹂躙されたりする。そして、進化そのものが環境も変えてしまうと、大域的なピークも変化する。植物が発達すれば、酸素を使い植物を食べる動物の適応度はあがり、ピークは変化する。だから、何かきまった最高の合理性を向けて進化が競争する、というようなイメージはあまりに単純すぎる。

進化のローカルピークとグローバルピーク
進化のローカルピークとグローバルピーク

2.6まとめ

 こうした進化論の働きを見ても、局所的で、決して万能ではないというあたりを見ると、前章の最後で見た限定合理性のモデルと同じだ。  

第3章 社会活動における合理的プロセス (社会制度も人間の制約をひきずる)

 人は社会の中で、完全に独立したビリヤードの球みたいに存在しているわけではない。また、自分の行為のすべてについて完全に罰を食らったりごほうびを受けとったりするわけでもない。外部性というのがあるからね。だから、そもそも完全に合理的に行動はできない。各種の社会制度は、そういった中で人々の受けとる情報をなるべく減らして、合理的な選択ができるようにしてくれるもの。

3.1 制度的合理性の限界

 その制度も、人間のやることだから人間の限界をひきずっている。みんな、そんなにあれこれ同時にはできないので、その時に流行っているテーマにばかり集中する(インフレとか)。でも他の問題との関係は十分に考えられない。一方、一つの問題だけにこだわるNGOみたいな連中がすぐに議論を乗っ取ってしまう。価値観の相違へのまともな対応方法はないし、不確実性も社会の判断をむずかしくする。これはゲーム理論囚人のジレンマからもわかるし、アローの社会厚生定理でも示されていること。 ただし救いはある。「最適」とか「最高」とか目指すから議論が膠着する。「そこそこいい」「まあ我慢できる」といった水準を目指すなら、合理性を持って問題を解決できる余地はずっと広くなる。

3.2 制度的合理性を強化する

 ではそれをどう強化すべきなのか? 制度の一つの役割は、処理能力の限られている人間のために、限られた情報で判断できるようにしてくれること。いろんな問題毎に独立の組織を作って個別に対応させるのは、限られた判断力を無駄遣いしない昔からの知恵。市場という制度は、価格にものすごく大量の情報を集約してくれるので、強力な情報処理手段。社会の中で、ある問題についていろいろな意見を募って判断するのも制度強化の知恵。最近では、コンピュータや人工知能が意思決定を大いに支援してくれている。

3.3 公的情報のバイアス

  でもそうしたプロセスに入れるべき情報の問題がある。マスコミは基本、センセーショナリズムのバカだ。きちんと本を読め。また専門家は有益ながら、どの専門家を選ぶべきかという点で同じ問題に陥る。そして専門家はみんな自分の専門がえらいと思ってしまうため、かえって各種情報にバイアスをかけるし、いろんな専門家がいるので結局素人がいろいろ判断するしかない。

 そして各種機関は、その設計のよしあしで効力がまったくちがってくる。その調整プロセスが「政治」なのに、最近はみんな政治を何やら悪いものだと思っているので手に負えない。その結果、みんな各種問題について個別に場当たり的に対応するので、政策をパッケージ化するはずの政党などが力を失っており、政治が機能不全に陥っている。

 また、みんなが知識をもっと得ればいいかというと、もちろん知識があるに越したことはないんだけれど、多くの問題についてはそもそも都合のいいデータはないので、知識バンザイというだけでは何も進まない。

3.4 まとめ

 そんなこんなで、スーパー合理的な世界とか完璧な制度とかは考えるだけ無駄。人間の能力には限界があるし、また人間活動で環境が変わってしまい、何をもって最適とするのか、という尺度も変わる。進化も時間がかかるし、せいぜいがローカルピークを目指すしか不可能。そして人間の制度は、人間の限界をひきずっている。 でも、そんな完成された世界なんかできちゃったらつまらない。最高だの最適だのを目指さず、そこそこの水準で目先の解決策を考えればいい。狭い範囲での限られた合理性を目指しつつ、その「狭い範囲」をなるべく広げることでだんだん合理性を高められるといいね!

おしまい。

レッシグ新刊で知ったアメリカ政治二極化の力学

久しぶりにレッシグの翻訳をしているんだけれど、なかなかおもしろい(部分もある)。

かつてのインターネット法や著作権法からレッシグの関心は大きく逸れて、ここしばらくのレッシグの本は、アメリカの選挙献金制度の改革がテーマになっていた。何度か、翻訳の打診もきたし相談も受けたんだけれど、話があまりにアメリカの選挙制度に偏りすぎで、翻訳しても日本人が関心持ちようがないと判断したので、申し訳ないんだがずっと見送りを奨めていた。

さらにその後、レッシグ自身が大統領選に出馬とかして、本人的には真面目なんだろうけれど、端から見るとスタンドプレーにしか思えないことをやったりしたため、言っては悪いんだが、キワモノ的な雰囲気が高まっていたこともあって、もう最近のやつは読んでもいなかった。

それが、まあいろいろあって最新作を訳すことになって手をつけ始めている。おおむね関心は変わっておらず、アメリカ政治の根本的な改革なんだけれど、献金制度だけの話からかなり間口を広げていて、相変わらずアメリカ固有の事情が中心ではあるんだけれど、日本的な文脈にもあてはまる議論も結構あるので、恐れていたよりかなり面白い。

その中で一つおもしろいのが、最近のアメリカ政治の両極化と、それに伴う政治の機能不全と呼ばれるもの。アメリカ議会で、民主党共和党の立場がますます乖離し、昔は様々な問題について両者が歩み寄って妥協点を見つけ、政治をまわそうとしてきた。それがいまや機能していない。両者はひたすら対立するばかりで、ろくに話もできず、数のゴリ押しでしか決めごとが進まない。

この状況自体は、みんながそれなりに指摘していることだ。そして、その原因はというと、クルーグマンの拙訳最新作だと、すべては共和党が悪い、ということになる。

民主党は常に正しく、民主主義と自由と正義のために活動していて、共和等は常に人種差別と大企業や金持ち優遇のためだけに動き、汚い手を平気で使い、詐術、ごまかしもアレで、最近になってそれがどんどん傍若無人で正義のポーズすらなくなり、しゃにむに自分のアジェンダを追求するようになってきて、民主党のやろうとすることはすべて邪魔して、理性的な話し合いにすら応じようとせず、それがこの両党の乖離と政治の極端化の原因なんだ、というのがクルーグマンの主張だ。

でもレッシグの今回の本は、これについてキチンとした背景説明や分析を提示してくれているのだ。

まずそうした二極化の一つの理由は、民主党共和党の性格そのものが変わってしまったこと。もともとこの両党は、いまほどイデオロギーに基づく政治集団ではなかった。昔はどっちも、ずっとごちゃごちゃした寄せ集めだった。人種問題についても、南部の民主党はかなり人種差別的な立場を採っていて、むしろ共和党のほうがリベラルに近い立場を採ることもあった。かつては、基本的にアメリカはどうあるべきかという考え方は国民的にも共有されていて、政党はそれを実務的にどう実現するか、追加的な改善をどう実施するのか、というところでしか争わなかった。だからこそ、妥協も歩み寄りの余地もあったわけだ。

それが変わっていったのは、共和党よりは民主党のせいなんだって。それは決して悪い意味ではない。公民権法や投票権法を1960年代半ばに可決させたことで、民主党は明確にイデオロギー重視の立場を採ることになり、党内の南部民主党を明確に切り捨てる動きにでた。そしてこちらがイデオロギー化すれば、共和党もだんだんイデオロギー重視になるのは必然だった。そして……イデオロギー中心になれば、歩み寄りの余地は当然減るわな。ノンポリの実務なら妥協も握手も合従連衡もあるけれど、イデオロギーはそうはいかないもの。もちろん、公民権法や投票権法はとても重要だ。それを実現するためであれば、イデオロギー上等、ということは言える。でも、それには副作用もあって、それが最近になってジワジワ効いてきていることは認識する必要もある。

そしてそれに、アメリカの変な選挙制が拍車をかけた。アメリカの選挙は、予備選があって本選があるんだけれど、その予備選は投票率が低い。そこにわざわざ足を運ぶのは、どちらの党内でも本当に政治マニアか極端な特定イデオロギーキチガイばかりとなる。そこで勝とうとすれば、議員としても主張を極端にする必要が出てきてしまう。これはインターネット献金の比率が増えてきた最近はなおさらだ。

そして、どちらの党もお互いの手口を学んでいる。ティーパーティー運動とか、共和党極右勢力が意外な人気をはくした結果だけれど、民主党のリベラル派はその手口をしっかり学び、グリーンニューディールとかはまさにティーパーティー運動の手法を学んで、極端な主張で耳目を集めて支持を固める手法になっている。アレクサンドリア・オカシオ・コルテズに萌えている人々は、彼女が民主党版のサラ・ペイリンなんだと言われると、カッとなるだろう。(あと、彼女がそれを自覚的にやっているのか、というのはまた全然別の話だ)。でも政治的なやり方から言えば、まさにそういうものなのだ。

ペイリンとAOC:実は結構似たもの同士?
ペイリンとAOC:実は結構似たもの同士?

意識の高いリベラル政策の支持者たち的には、そういう極左的な一派こそ進歩的で信念を貫く正義の味方で、それを支持しない民主党中道の連中は、既得権益に流されている堕落した連中だ、と思ってしまいがちだ。クルーグマンの主張はまさにそういうものだ。でも、そういう立場を強力に打ち出すこと自体が、共和党との妥協や歩み寄りを困難にして、政治の二極化に貢献してしまうのはまちがいない。こういうのを支持しつつ、政治の二極化を嘆くということ自体がそもそも変だ。進歩的なアジェンダをドーンと打ち出せば国民は支持するはずだ、というのは希望的観測でしかない。アメリカの相当部分の人は、そういうのになびかない。レッシグもこれには軽くしか触れていないけど、それはトランプ当選のときに、本当は民主党シンパも思い知るべきだったことだし、大統領選直後にはかなり真面目に反省の機運もあった。でもトランプのおバカツイートに気を取られて、それを罵倒していい気になっているうちに、いまやそういう反省が消えてしまっているように見える。少なくとも外野の日本からはそんな感じがする。

もちろん、この両者のうち、外部の何か基準に照らして、だれが正しいとかどっちを支持すべきだとか言うことはできる。そして、すべて共和党が悪いとか民主党が悪いとかは言える。が、実際には少なくとも行動パターンとしてはどっちもどっちで、しかもそれはアメリカ(だけではない)の政治制度がつくり出す、極端な連中ばかり真面目に投票するから極端な主張と行動をしたほうが当選しやすいという力学が大きな影響を与えているんだ、と。

もちろんレッシグはそのうえで、民主主義の本質に照らせば、共和党がしばしばやらかすことのほうがおかしいよね、という話をする。だから、インチキな「どっちもどっち、ケンカ両成敗」みたいな話ではまったくない。でも、クルーグマンのように、共和党だけがすべて悪い、という非常に単純な見方では足りないことは十分教えてくれる。クルーグマンの話からすると、とにかく共和党をぶっつぶせ、という解決策しかなさそうに思えるけれど、両党の乖離を引き起こしている、予備選の仕組みとかいった制度的な面でも完全も結構効きそうだし、いろいろ対応もありそうだ——実現性はともかく原理的にはね。まあまだ本の前半なので、今後どんな感じになるかはお楽しみ。でも、アメリカ人にしか意味のない本ではなさそうで、ホッと安心しているところ。

ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』(1982) 改訳終わった。

はい、コロナ戒厳令開始前に、サイモン『意思決定と合理性』の改訳を始めました。

cruel.hatenablog.com

で、終わった。まあ読みなさい。

ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』(1982)

読者のみんなは、ぼくに深く感謝するがよいのだ。これはそれだけの価値がある、すごい本だからだ。

この短い本に収められた叡智のすごさは、ちょっと比類がない。第1章は、彼の限定合理性理論のまとめであると同時に、自分でその限界をバシバシ指摘したおっかない部分。2章は、進化論について一般人の知るべき事を、とんでもなく高度な話まで含めて網羅している。第3章では、1982年の時点で地球温暖化の話にすでに目配りしてあるのに驚くし、また最後に出てくる各種経済学派のちがいは唯一、期待形成のあり方でしかないのだ、と断言するあたり、すごすぎ。そして政治プロセスでも、すでに各種「活動家」政治の危険性を指摘し、さらにポピュリズムの隆盛とそれに伴う政治の不安定性 (いまの政治の危うさは、みんなが政党を無視した意思決定をしたがるせいで生じている!) を指摘したあたりは、もう慧眼というしかない。メディア の話も、専門家の話も、すべてまったく問題なく今に通用する。一瞬出てくる人工知能への期待とか、たぶん執筆時点の1982年から一周か二周まわって、いまのほうがリアリティ高いかもしれん。

結論は、わからんことはわからんし、スーパー合理的な論理も世界運営も期待してはいけない、というあたりまえの話ではある。でも、それをどういうふうに導くか、というのがポイントでもある。SEU理論をきちんと詰め、その限界を見たうえでの発言は、やっぱ重い。

というわけで、きちんと読みなさいな。ぼくは訳してすごく勉強になったし、みなさんも少しはお裾分けされてほしい。

わかんないという人のために、アンチョコも作っておいてあげたぞ!

cruel.hatenablog.com