やさぐれるスタンリー・ジェヴォンズ

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ケインズの人物評伝の訳は続いていて、マルサスが終わってスタンリー・ジェヴォンズになっている。

マルサスはかなり温厚でまともな人だったらしいけれど(まあ牧師さんだから)、それでも結構面倒な人ではあったみたい。同時代の人の証言によると、

「だが彼 [マルサス] はよい性格の人物で、妊娠の様子さえ見られなければ、あらゆる女性に礼儀正しい。」

 ふーん、では妊娠の様子が見られた場合にはどんなふるまいをしたのでしょうか、というのは是非知りたいところ。さすが「人口論」の著者。この発言をした人は、パーティにマルサスがくるときには子供のいる女性をなるべく呼ばないようにする気遣いを見せたそうな。そのマルサスも後年になって、少しは態度を軟化させたそうではあるんだけれど。しかし、これで牧師が務まるのかよ! 実際は、教区は副牧師に任せていたそうなんだが。

 

で、スタンリー・ジェヴォンズなんだけれど、彼が二十五歳くらいで最初にいくつかパンフレットを自費出版して完全に無視されて、すごい落ち込んだとのこと。74冊しか売れなかったそうな。そこで彼が日記に書いた以下の下りが、ケインズに紹介されている。いやあ、わかるなあ。そういう気持になることって、あるよねえ。

さて、「黄金」についてのエッセイが出て、今のところだれもそれを誉めてくれる人がいないので、どん底に落ち込んでいるということになるんだろう。妹は別だが、もちろんそれは妹だから誉めてくれたというだけだ。やること、できることすべてがこんな風にしか受け入れられなかったらどうしよう? まずは、自分自身についての確信すべてが、単なる妄想でしかなかったのかと疑問を抱くことになるかもしれない。第二に、最高の産物ですら世間的な商人と賞賛の息に捕らえられることはないかもしれないというのを、ついに学ぶことになるのかもしれない。最近の自分の立場について考えたことをすべて書くには、無限の時間と場が必要になる。自分が多くの点でバカだとすら思ったので、これまで抱いたいろいろな考えがマヌケなものだったとわかっても、まるで驚きはしない。ついに、この世界でやっていく唯一の優れた方法は友人を得て、彼らに自分の賢さの印象を植えつけることだとおおむね認めることにいたった。その友人たちを、自分の賢さの宣伝のために送り出し、彼らの証言をたくさんのテコに使って、自分を望み通りのところに押し込むんだ。シェイクスピアは六十六番目のソネットを書いたとき、これをいかによく理解していたことか。

大量の手間、大金をかけ、ほとんどだれにも顧みられない作品を印刷し続けるのは無駄だというのはかなり自明に思える。人生をやり直して、別の方法で、できるときにどこかで自分をまとめなおさないと。長年のゆっくりした歩みの後でのみ、自分の考えを表明し、それを判断する能力のある人に観てもらえる可能性は出てこない。

実に多くの点で欠点だらけとはいえ、自分の最も奥底にある動機はまったく利己的なものではないと思う。そしてその利己性はどんどん減っていると信じる。ときには、自分の努力すべてが少しは役に立つと感じられさえすれば評判、富、安楽、あるいは生命そのものですらどうでもいいとさえ思う。すべて匿名で行えるなら、たぶんこれにも納得できるんだろう。でも友人たちからの糾弾と、出会うすべてが耐えがたいものばかりで、彼らの賞賛も崇拝も優しいものであるなら……別の方向に行くしかないのか。

「ちくしょう、友達を利用してのしあがるしかないのか!」あのジェヴォンズですら、こうなるのか……そしてこの人が次に書いた「別の方向」が、「このまま行くと石炭が枯渇するぞ!」という『成長の限界』を先取りした煽り文書『石炭問題』。意図的に煽り文書として書いたもの、なんだって。うーん。

(この部分はまだpdfには未反映。markdownからのフォーマット変換とかがまだ十分にできてないので)

その後、ジェヴォンズ完成。pdfにもepub形式にも反映済。またエッジワースも完成。あとはマーシャル夫妻のみ。

ケインズ『人物評伝』の政治家パート/科学者パート

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1933年のケインズ

急に忙しくなったので、余計なことに手を出し始めて、ケインズ『人物評伝』の訳をこの連休に始めた。政治家、経済学者、科学者のパートがある中で、政治家の部分が終わったので、まあご覧あれ。

ジョン・メイナード・ケインズ『人物評伝』(仕掛かり、政治家パートと科学者パート完了)pdf 993kB

 

ジョン・メイナード・ケインズ『人物評伝』(仕掛かり、政治家パートと科学者パート完了)epub 135kB

経済学者パートも、マルサスのやつは仕掛かりになっていて、やっとマルサスのお父さんの話 (主にルソーとの交流) が終わって、これから本人の話になる……と思ったらすぐに脱線してコールリッジの話ばっかりになってる。この人と、マーシャルの分が長いんだー。

もとが1933年の本だし、政治家部分は第一次世界大戦で活躍したイギリスの人ばかり。時代背景がわからないと、何を言っているかわからない部分も多いかとは思うが、仕方ありませんな。それを乗り越えられれば、とてもお気楽に読めるので、楽しめるひとは楽しんでください。

残りがいつ仕上がるかは、成り行き次第です。

あと、epub版を作ろうとしたら現状ではエラーになる。たぶんマルサスのファイルの中で、何かが悪さをしているのではと思う。全編終わったらきちんと調べます。マルサスが進んだら解消された。たぶん余計なバックスラッシュがどっかにあったんでしょう。

追記

科学者編もすぐ終わった。比較的短いのが三篇だから……

でもその中で、最後のアインシュタインについてのやつ、科学とはまったく関係ないところで、ちょっと壮絶じゃない?いまならすぐにハッシュタグケインズキャンセル運動が起きるレベル。

ebook版もっと追加。ソローとサイモン & 富岡日記

ロバート・ソローの「内生的成長理論死ね」本と、サイモンの合理性本、epub化した。

ロバート・ソロー『アロー『やってみて学習』から学習:経済成長に とっての教訓』epub版 (右クリックでダウンロード)

 

ハーバート・サイモン『人間活動における理性』epub版 (右クリックでダウンロード)

どちらも、その道の大御所が「まああんまり全部合理性とかモデルとかで割り切れると思っちゃいけないよ」己のやってきたモデル化の活動をふりかえってその限界を考える話、と言えないこともなくて、その意味では昨日のピケティ話と通じる部分もある。どっちも、大御所がそこそこ気軽に語っていて、それでいながらどっちもこんな短い本で、総合的な視点をきちんと出せているのは、大したものだと思うわー。いずれも、連続講義の記録だというのもあるんだろうね。

しばしばこの手のやつはずいぶん説教がましくなりがちで、特に日本のエライとされているけれど実は大して頭のない先生がたがこの手のやつをやると、すぐに「経済成長ばかりを追うのはいかがなものか」「お金より大事なものがあるのでは」なんてことを言い出す。森嶋通夫みたいに「教育勅語がすばらしい」と言い出したり。でもこの二つは、そういうのが全然なくてええわー。

あとは、一部の労働経済クラスター&フェミ屋に言われのない罵倒を受けている富岡日記もやりたいんだが、ルビが多いので、このままではできない。フィルタを書かなくてもなんとかタグの変換でごまかせないものか……

……と思ったら、html経由でできた!

和田英『富岡日記 / 富岡後記』epub版 (右クリックでダウンロード)

なんかlatexからやるよりこっちのほうがきれいな気もする。しばらくいろいろ実験続けよう……

付記:

ファイルはいいんだが、こちらはクリックしてもepubダウンロードせずに、ファイルをブラウザ内で開こうとするのはなぜ? これまでのやつはgenpaku.orgのサーバーで、こっちはcruel.orgのサーバーで、何かサーバーの設定がちがうということなのか? これもよくわからないなあ。

欲しい人は、右クリックでダウンロードしてくださいな。

ピケティ『21世紀の資本』: r>g は格差の必要 or 十分条件か?

21世紀の資本

21世紀の資本

新年仕事始め前の小ネタ。ツイッターでこんなのみかけたのよ。

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このツイ主は、浅田論文を読んでおくことでどういう知見を得るべきなのか、ここで採りあげているネット番組の問題提起に対してそれがどう関係してくるのかは明記していない。けれど、文脈から判断して、これは日本で r>g が顕著になってきたことなんか重視すべきじゃない、それで格差なんか増えない、こんなんで騒ぐやつは煽りだ、と言いたいのだろうとぼくは判断する。

さて、この人がツイートないで言及している論文はこれだ。

core.ac.uk

ちょっと待った、これ、COREか! ワタクシが座興で訳していたら「金払わないと訳しちゃダメ」と言ってそれを潰しやがった……まあいいや。勝手にやってたことだから仕方ないんだけど。が、閑話休題 (なんか別物らしい。とばっちり受けたCOREプロジェクトさん、ごめんなさい)

この論文は題名の通り「不等式 r>g は格差拡大の必要条件でも十分条件でもない──ピケティ命題の批判的検討」だ。ピケティ『21世紀の資本』は、格差が増大する要因として、資本収益率 r が経済成長率 g より高いことを挙げていて、それが歴史的にずっと成立していたことを指摘した。でも、r>g が格差をもたらしたというのは本当だろうか、とこの論文は疑問視する。

必要条件/十分条件

さて必要条件/十分条件というのはどういうことか、もちろんご存じだろうけれどちょっとおさらい。

AがBの必要条件だというのは、Bが成り立つためには、Aが絶対必要、ということだ。つまり、AがなければBは絶対起こらない、ということ。

AがBの十分条件だというのは、Aさえ成り立っていれば、Bは絶対に成り立つ、ということだ。つまり、Aが起こったら絶対にBになる、ということ。

つまりここで言うなら、r>g が格差拡大の必要条件だというのは、「r>g でなければ格差は絶対に拡大しない」ということだ。r>g が格差拡大の十分条件だというのは、「r>g だったら格差は絶対に拡大する」ということだ。

浅田論文は、これがどっちも成り立たないことを、いくつかのモデルを使って証明している。が……それで?

必要/十分条件の反証はとっても簡単!

 この論文は、ぼくごときが言うのもアレだけど、経済学の論文としてはきちんとしたものだし、おかしなことは何もない。経済学の練習問題としては、おもしろい業績ではある。とても勉強になって、ありがたい論文だったのは事実。

 その一方で、中高時代以来、「絶対」とか「必ず」とかいうのが出てくる命題に反証するのはそんなにむずかしくない、というのは多くの人が知っていることでもある。一つでもいいから反証を見つければいいのだ。だいたい、x がゼロの場合とか、x と y がたまたま等しい場合とかを見て、「ほーれダメじゃん!」とやればいい。

 言うなれば、r>g が格差増大の十分条件か、というのは「r>g なら絶対絶対逆立ちしてもゴジラが出てきても格差増えるのか」という難癖だし、r>g が格差増大の必要条件か、というのは「r>gでなければウンコ喰っても地球が二百万回回っても絶対格差増えないのか」と言った難癖でもあるわけだ。だから、「さかだちしてゴジラが出てきたら、r>g でも格差増えません」とか「ウンコ喰ったらr>g でなくても格差増えます」というのを示せば良い。

 だから屁理屈でもいいから、それが当てはまらない場合を考えればいい。経済学っぽ話でいえば、

  • r>g になっても、資本からの収益 r をみんな一斉にその場でパーッと使っちゃえば、r>g でも格差は増えない。よって r>g は格差増大の十分条件ではない。

  • r<g でも稼いだ人がみんなKLFみたいに儲けを燃やしちまえば、資本のわずかな収益が積み重なって格差が増えることもある。よって r>g でなくても格差は増えることがあるので、必要条件ではない。

en.wikipedia.org

よって、r>g は格差増大の必要条件でも十分条件でもない。おしまい。 

 これは、浅田論文の中で言及されている岩井克人の主張ではある(もちろん岩井はKLFなんか引き合いに出さないが)。でも、この浅田論文はもう少し先に行っているのだ。

資本家がいくら儲けても、賃金がいかに停滞しても格差は起きない??!!

 この浅田論文は、新古典派モデルと新ケインズ派モデルにおいては、r>g は格差を生み出さないことを示している。こうしたモデルにおいては、さすがにゴジラやウンコ喰う話はないだろうというのは考えられている。「資本の収益率ってだんだんだんだん下がるよね」とか「経済全体で見ると人はこのくらい稼いだら、このくらい貯金するよね」「社会の稼ぎは資本と労働でこんな具合に山分けされるよね」という仮定がある。その仮定に基づけば、r>g で格差は増えるだろうか、という検討をしているわけだ。

 新古典派モデルについては、r と g がどうであれ利潤分配率には全然関係しないから格差は増えない、とのこと。

浅田論文:新古典派モデルでは利潤分配率は r や g には依存しない!
新古典派モデルでは利潤分配率は r や g には依存しない!

 新ケインズ派のモデルでも、r>gでも所得の差も資産の差も拡大しない、つまり格差は増えないことが示されている。

浅田論文:新ケインズ派モデルでも、資産格差も所得格差も増えない!
ケインズ派モデルでも、資産格差も所得格差も増えない!

 つまりこの論文は基本的に、ピケティ全否定とも言うべきものだ。r>g は格差を生み出さない。資本家がどんなに大儲けしても関係ない。経済成長がどんなに低くても関係ない。格差はまったく増えない!

必要/十分条件でない:それで?

 さて、いまのを見て、普通の読者は「え???」と思うでしょう。それは変じゃない? そして、それは別に新古典派モデルの含意や資本労働代替比率の扱いについて疑問に思う、という話ではない。実際に格差は拡大しているよね。お金持ちって昔から有利だったよね。浅田論文は、それ自体は疑問視していない。

 でもそれなら……それをまがりなりにも示せない(それどころかそんなことはあり得ないと示してしまう)モデルのほうを疑問視するか、少なくともなんか一言あるのが普通じゃないの? どこが足りないのか、どこの仮定がおかしいのか考えるべきじゃないの? あるいは r や g はどうでもいいなら、そのモデルでは何が効けば格差が出てきそうなの? 構造計算の簡易シミュレーションで、このビルは中性子星の上でもブラックホールの中でもつぶれませんというのが出てきたら、このモデルちょっとやべーよ、となるか、せめていやこれはあくまでこのくらいの近傍で成立するだけの簡易モデルだから、中性子星で使うのはそもそも不適切だよね、とかいう弁明くらいはするでしょー。

 ところが、浅田論文にはそれはまったくない。唯一あるのは、新ケインズ派モデルには制度的なものを入れる余地があるから、こちらを使うといいかもね、というだけ。うーん。

 さっき「経済学の練習問題としては、おもしろい業績ではある。」と書いたのは、そういうことではある。学問内部の練習問題としては、こういうことを考える意味もある。でも本当は、こういう練習問題というのはそのモデルが現実世界に対して持つ説明力を考えるための材料としてのみ意味を持つのでは? それを考えないなら、練習問題以上の意味はないのでは?

 これは別に、数理モデルを使うな、という話ではない。モデルがぴったり現実のあらゆる面を完全に説明できなきゃいけませんよ、なんてこともまったく思わない。すべてのモデルは抽象化であり近似で、自分が何を検討したいのか、現実のどの部分を切り取るのか考えていれば、物体のすべての質量が凝縮されたブラックホールみたいな質点を仮定したって全然かまわん。でも数理モデルが現実にあわなかったら、モデルのどこがおかしいのか、あるいはモデルの適用範囲をどう考えるのか、という話はあらまほし。

 さて、r>g が格差拡大の必要条件でも十分条件でもない、と言われたらピケティ自身「それで?」と言うだろう。彼が『ピケティ以後』のコメントで述べていたのも、そういうものだった。実際に格差があるんだから、まずそっちを見るべきじゃないのか? 数式モデルはその分析や理解の一助にはつかえるけれど、そればっかり注目しないでくれよな、という。r>gでも、必要/十分条件ではない、というのは事実だけれど、でもそれが格差拡大にまったく貢献しないというのもおかしな話だ。だからこそ彼は、数理モデルに安住するのを嫌って、地道な格差データ集めから始めたわけだ。

 そして『21世紀の資本』が出て以降、こうした議論というのは格差の正当化に使われてきた。ピケティはまちがっている……よって資本収益がやたらにでかくなっているのは問題ない。r>gはモデルによれば格差に関係ない……よって累進課税で r を下げるなんてことは考えなくていい。経済学モデルによれば格差は起きない……よって格差は実際には生じていない!

 もちろん浅田統一郎は、そんなことを言ったつもりはないだろう。たぶん、格差分析モデル選びの留意点を指摘した、という意図なんだろうとは思う。好意的には、まあ新古典派モデルではそもそも格差が出てこない形になっているので、ピケティがそれを使って格差増大を説明したのは筋悪だ、と指摘して別のモデル化の方法を考えた、ということになる。でも、そういうふうには読めない。基本は、どちらのモデルでも r>g は格差にまったく関係ないのだ、という話しかしていない。だからピケティはまちがっている、というのが基本的な主張に見える。新ケインズモデルでは制度を入れる余地はある、という生産的な指摘は、確かにあるけれど、でも実はその部分は本論にはない 。補論に入れてあるだけ。だからこそ冒頭のツイート主は明らかに、r>g は重視しなくていいという理解をしてしまっているように見える。ぼくは、それはまずいだろうとは思う。

 実はピケティの次の本、「資本とイデオロギー」は、まさにそれをテーマにしている。昔から格差はあった。そしてその格差を延命させてきたのは、それが当然なのだとか正当なのだとか、あるいは金持ちがいくら懐にためこんでも、何も問題はないのだという弁明と正当化=イデオロギーなのだ、と。経済学の理論というのも、ときにそのイデオロギーの一部になってきたのだ、と。浅田論文も、スーパー好意的に解釈すれば、まさにこれまでの数理モデルの不備が、そもそも格差の十分な検討を困難にしているのだという、従来の経済学モデルにひそむイデオロギー性を示したもの、とはいえなくもない (かなり努力しないとそういう読みはしづらいけれど)。

Capital et idéologie

Capital et idéologie

  • 作者:Piketty, Thomas
  • 発売日: 2019/09/01
  • メディア: ペーパーバック

この本、基本テーマは「左翼が意識の高い金持ちのお遊び集団になったから格差増大したんだよ!」という主張で、まさに前著を支持した意識の高い左翼たちにウンコ投げつける本なので総スカンをくらっているけれど、でも大事なことを言っていると思う。今年中には何とか訳をあげますので!

付記:

このhatena記法だと、r<gと、それからいろいろ間に書いてみて r>g というのを書くと、この半角の不等号にはさまれた部分を何かタグだと思って消してくれることが判明。なんとかならんのかー。mathjax記法にしないとダメってこと?

付記2:

なんとか浅田論文をもう少し好意的に見ることはできないかといっしょうけんめい考えて、少し加筆してみた。が、ちょっと苦しいなあ。(1/5)

クレクレくんの要求と自分の実験を兼ねて、正月にいくつか電子ブック化

あけおめ(死語)。

 各種の翻訳の公開がpdfなのが気にくわねえとかいうケチがついて、なんでも若者はepub形式だそうで、pdfなんざ加齢臭で読んでいただけないそうですよ。悪うございましたね。epubは昔、少し検討したんだけれど、確か日本語だと注かルビが処理できないというので、これは使えないなあと思って放置したような記憶がある。が、進歩したとのことだし、久々に(正月早々)いくつか実験してみた。

 いちばん楽な道を、と思ってpdfからebookに変換してくれるソフトやサイトを試してみたけど、使い物にならないレベル。pdfの折り返しを全部文の終端扱いしてくれるし、ヘッダやフッタが全部途中に入り込む。

 次に latex ファイルをebook形式に変換できるはずのtext4ebookが、すでにtexliveのパッケージに入っていたので試してみたけれど、エラーが出て中断。細かく原因チェックしてもいいんだが、正月早々やるのは面倒過ぎ。luaで解釈するようにしたら少しはよくなったけれど、それでも何やらエラーが出るし、あとlualatex入れたときにおさらばしたはずのdviがまた登場するのが、いささか鼻についていやな感じ。たぶん、調べればいろいろ高度なこともできるんだろうけど。

github.com

 調べるうちに、なんだかここを見たら、epubにするならlatexなんか最初っから使うな的なことまで書いてあって、ちょっと落ち込んだ。

www2.slideshare.net

昔からこう、markdownですべて書いて、あとはもうあらゆる形式にバッチファイル一発で変換して公開というのにあこがれていたこともあったし、latex使い続けているのも、テキストに近くて他のフォーマットに変換しやすいかも、といった期待も多少あってのことだったし。それが無駄と言われるとねえ。epubにするならMSWordファイルからやれば、みたいな話が結構あって、そのほうが実際いろいろツールはあるみたいなんだが、これまた悔しい感じではある。html5ですべて解決、みたいなことにはならないんだろうか?

 ということで最後に、昔使った pandocにあまり期待せず戻ったんだが (なぜ期待しなかったんだっけ? html変換したときに手作業が必要だったからだっけな?)、やっぱこれがいちばんいいわ。あっけないくらいの簡単さ。

pandoc.org

完璧ではない。ケインズ『一般理論』は、脚注の中で数式組んだり表使ったり面倒なことをしているけれど、そういうのは苦悶してエラーを出すけれど、でもそれ以外はふつうにできる。表もまあまあ。さすがにセル内での折り返しみたいなことはできないけど。基本、以下の本はいずれも字ばっかりだし、図や変なレイアウト処理はまったくないので、そんなにソフトが迷う余地も少ないせいもあるんだろうとは思う。

ということで、以下にメジャーなものをepub化しておいておくので、せいぜい活用してくださいな。

アダム・スミス『国富論』(0-8章) epub版

ケインズ『一般理論』epub版

ケインズ『お金の改革論』epub版

ケインズ『平和の経済的帰結』epub版

ケインズ『平和条約改訂案』epub版

エンゲルス『イギリスにおける労働階級の状態』epub版

グチ的に言えば、ほぼすべてについてlatexのソースが同じディレクトリに入っていて、pdfの拡張子をtexに変えればダウンロードできるし、せっかくのクリエイティブコモンズライセンスなんだから、epub版があるといいなーと思ったら、自分で作ってどんどん作って公開すればいいのに、と思わないでもない。なんだってぼくに何でもやらせようとすんのよ。……って、言われてこうしてホイホイやっちゃうので、言えばやるだろうとなめられてるせいなのはわかってるんだけどさ。まあ仕方ないね。mobi にしろとかいうのは自分でやってよね。

何か不都合が見つかったら教えてくださいな。ちなみに、pandocくんはepsは扱えないのがわかったが、gif/jpgに変えたら問題なし。表をscaleboxで拡大縮小しているのもすっとばされている。あと、ルビが処理できていなくて、ルビがつかないどころかそのもとの文字も消えている。うーん。たぶんここにあるようなフィルタを書けばいいんだろうが…… これからの課題だな。

pandoc.org

お年玉にしてはショボいが:アダム・スミス『国富論』8章まで (その後9章まで)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/AdamSmith.jpg/440px-AdamSmith.jpg

 その昔、1999年にプロジェクト杉田玄白をたちあげたときに手をつけたはじめた、アダム・スミス国富論』、4章くらいまでやってその後ほとんど進んでいなかったが、この4日ほど気晴らしでがーっとやって、8章まで終わった。これで第一巻の半分くらいになる。10章と11章がやたらに長いんだよ。(その後9章も終わった)

アダム・スミス『国の豊かさの性質とその原因についての検討』 89章まで (pdf, 1.1MB)

アダム・スミス『国の豊かさの性質とその原因についての検討』 89章まで (epub, 0.2MB)

お年玉にしてはショボいが、まあ新年に暇なら、読んで罰はあたらないと思うぜ。しかしアダム・スミス、こうして見ると本当にいろんなこと考えていて、制度の影響とかインセンティブの影響とか、貧困削減の重要性とか労働争議問題とか、人口との関係とか、あれもこれもすでにここにあるというのはスゲえもんだ。経済成長はいらないとか言ってる連中は、スミス読めって感じ。

まだきちんと見直しとかしていないし、20年前の部分との整合とかも見ていないし、調べなきゃと思ってやっていない部分も多い。Stockというのを在庫とするのがちょっと違和感あるんだよねー。あと、wageは賃金と訳しているが、この頃は労働の対価は必ずしもお金では払われておらず、住み込みで養ってやるかわりに働く、というような労働対価も一般的だったので、賃「金」ではないんだけど、報酬とすべきかなあ、と迷ったり(付記:年明けて、報酬に変えた)。

そしてこれがあるから、現在ならreal/nominal で実質/名目と何も考えずに訳すところでも、そういう風に訳してはいけない。いまのreal/nominalはインフレを考慮するかどうか、という話だけれど、金本位制がマジで機能していた時代には、現在のようなインフレというのは存在しない。当時のイギリスで一ポンドといったら、マジで銀の重さが一ポンド、という意味だ。その意味ではインフレはない。良貨が悪貨を、というインフレはあるが、程度は限られる。が、その一方でその一ポンドの銀が買えるもの、という意味ではインフレがあったりするので、現代の常識で考えると話がとってもややこしいのだ。

そしてその話をおいても、ここでのreal/nominalは、インフレの話ではない。衣食住を提供する分も含めた形での、金銭以外の収入まで考慮するか、それとも金銭的な収入だけを考えるか、という話だ。だからまさに「本当のモノも含めた収入」「金銭的な収入」というちがいなのだ。そこらへん、現代的な考えで機械的に訳すと意味合いがかなりちがってきてしまう。でもそこまで厳密なものを求めないなら十分読めると思う。

この調子で、第一巻は今年度中には終えて、うまくいけば来年中に最後まで……は無理でも3巻の終わりくらいまではやっつけたいね。ひどい翻訳ばかりだった前世紀末に比べて、いまはマシな翻訳も増えてきたから、かつてほどの意義はなくなったけれど、ぼく自身の座興でもあるし。

来年まであと15分。よいお年をお迎えくださいませ。

付記。ところできみたち、「見えざる手」というのがまだ登場していないのに気がついてるかい?

まあXmasプレゼントみたいなもので、ケインズ「芸術と国家」(1938) 翻訳。

https://delong.typepad.com/.a/6a00e551f08003883401b8d0f69497970c-pi

 今年はろくな年ではなかったし、来年もどうなるやらという感じだが、まあそれでも欲しいやつにはクリスマスプレゼントみたいなものでもあげようか。耶蘇じゃないけど。都市景観保全系の論集にケインズが寄稿していたのを見つけたもので。

 全集のどれかの巻に入ったりしているのかな? 特に調べる気もないけれど、ケインズがスラムクリアランスや都市再開発を、不景気対策の公共事業として具体的に提案した文章って他にあるのかな?

ケインズ「芸術と国家」 (1938) https://genpaku.org/keynes/misc/KeynesArtandState.pdf

 そんなすごいことを言っている文章ではないけれど、ケチな財務省死ねの論調とか、提案とかはそれなりにおもしろい。それと、建築とか景観の話として依頼されたはずなのに、途中まで舞台芸術BBCの話ばっかりで、建築系は最初と最後にとってつけたような感じがしなくもないのは、まあご愛敬。

 クリスマスイブにこんなものを読む(まして訳す) のはかなりの酔狂というか、ヘタをすると哀しい感じかもしれないけれど、これよりひどい過ごし方はいくらもある。そういう人たちにもう少しマシなものをあげたかった気はないわけじゃないが、まあ今年はコロナでサンタもケチ、ということで許しなさい。ではまた。