
「私の文学観」というから、スタニスワフ・レムがどういう文学をよいと考えるか、文学に何を求めるかという作品論の話かと思ったら、まったくちがった。むしろ創作環境についての論説というべきか。
もともと1981年、まだポーランドが社会主義だった時代にPolityka に書いた論説に、ポーランドが市場経済化した1990年にコメント(もとの文と同じくらいの長さ)をつけてTeksty Drugieに再掲されたもの。ポーランドの時事的な状況が説明なしで参照されるので、わかりにくい部分はあるが、同じテーマで社会主義時代と資本主義時代の両方の状況を考察しているので、レムの本心がよくわかるという意味ではなかなかおもしろい。
論点
1977年、1980年の部分では、文化の低俗化が指摘され、その一つの原因として検閲が挙げられている。ただしここで注意が必要なのは、レムは検閲そのものに反対しているのではない、ということ。正しい検閲が行われていない、というのがレムの問題意識だ。それが行き当たりばったりで、きちんとした世界観に基づく検閲になっていない、とレムは主張する。その結果として、レベルの高いものが検閲対象となり、それを埋めるために低俗な小説が大量に出回っていて嘆かわしい、とレムは言う。さらに検閲によって、公的に出せるものと地下出版に分断されるのがよくない、というのがレムの見方だ。レムは言論の自由なんてものは信じていないかどうでもいい。よい検閲により、ダメなものは排除して、統一的な世界観を推進せよ、というのがレムの主張なのだ
それでもこの1980年の論説では、検閲がどんどんダメになっているのが最大の問題ととらえられている。ここまでは検閲批判がメインであり、そこから境界なしに自由に書け、すべての本が平等に扱われる世界をレムは支持しているので、言論の自由を重視しているのかな、という読み方は可能だ。
しかし共産圏崩壊後の1990年に書いたものを見ると、その見方が必ずしも正しくないことがわかる。レムが真っ先に懸念するのは、文化の(政府による)パトロネージがなくなってしまった、ということだ。そして、それによりまともな作品が出なくなり、商業主義によって低俗文化が幅を利かせてしまうということだ。ポルノや扇情的な小説の洪水となり、まともな小説が埋もれてしまうという。
つまりレムは、言論の自由に耐えることができていない。
そしてその対策としてレムが主張するのは、低俗書籍への課税だ。それを使って高踏文化に補助金を出し、国が文化パトロンとなれという。彼は、言論の自由とか、すべての本が平等に扱われるとかいうのを実は信じてはいない。それどころか、それがよくないことだと思っている。1980年の論説を見ても、彼はダメな検閲に反対しているだけ、というのはすでに指摘した通り。むしろよい検閲は積極的に行えという立場なのだ。そしてそれは、ベルリンの壁崩壊後の市場経済でもむしろ強化される。つまり、かつてのソ連東欧におけるお抱え文芸アカデミーのようなものを是としているということだ。
ただし、その検閲を知的エリートがきちんとできるとは信じていない。彼はポーランド最後の10年ほどの文化的混乱、知識人の日和見主義などを恨みに思っている。そういう文化の裏切り者を糾弾して責任をとらせろと主張する。そして文化の基準は法律で細かく定めろ!
すげえ。
もちろん、公的な文化のパトロネージはどこにだってある。公共のオーケストラ、文楽への補助、伝統芸能や国宝など。でもレムが言っているのは、そういう国民の文化活動支援や絶滅危惧種の保護みたいな話ではない。文化のほぼすべてをカバーするパトロネージに、そこからはずれたもの(つまり低俗な扇情作品)すべてに対する課税だ。結局『対話』の解説で述べたように、レムの求めているのは「よい」社会主義であり、「よい」検閲なのだ。
レムがしばしば、ソ連やポーランド当局に一部の作品が検閲されたことを騒ぐので (『高い城』とか、『ソラリス』のロシア語訳とか)、しばしばレムは検閲反対であり、よって言論の自由の支持者だと思い込まれている (沼野充義はしばしば明らかにそう誘導するような解説を書く)。しかし、実際にはまったくちがう。それを示すものとして、なかなか興味深い文章ではある。
もちろんこれが、1990年というポーランド市場経済化直後に書かれたことには留意すべき。レムもまだ資本主義の仕組みについて十分に理解ができていないようだし、言論の自由とかすべての本を同じに扱うといったお題目についても理解が不十分ではある。が、その後彼が大きく考えを変えた様子はない。
要約 (AIにやらせてみたがダメなので全部書き直した)
文学の役割
文学は過去・現在・未来のすべてを扱う義務がある。 それは精神的生活の要石であり、民族的アイデンティティの保証であり、独自の認識の道具である。
1977年の診断:見識ない検閲が出版文化を破壊し低俗化に貢献!
文化状況は経済危機より深刻で、将来の見通しも悪い。インチキ文化と知的劣化が進むばかり。
- 紙不足・検閲強化・出版規制により、良質な書籍・雑誌が激減。
- 検閲が貧困化が「地下出版(samizdat)」を増やし、思想の分裂を招く。
- 検閲が世界観を失い、代わりに「無害な」低俗作や偽情報(占星術など)が氾濫。
1980年の診断:検閲による文学の分裂は危険で自由を高めろ
- 検閲下で文学は「公式」と「地下」に分裂した。これは文化全体の損失である。
- 地下出版は抵抗として必要だったが、作品は限定的な読者しか得られず、普遍性を失う。
- 正常な文学は作品そのもので評価されるべきで、作者の政治的勇気や犠牲で測られるべきではない。 そのための批評が重要だ。
1990年の追記(体制崩壊後):商業主義で愚作氾濫、正しい検閲と国の文化パトロン復活を!
- 過去7年にわたり文化糾弾のお先棒を担ぎ、いまや民主主義者のふりをしている日和見主義者どもはきっちり糾弾すべき。
- 社会主義の崩壊は文化に対する国家パトロン制を破壊した。
- 市場原理(Balcerowicz改革)の導入はクズ作品の氾濫で文化をさらに脅かす。
- 文化の基準を回復するため、仕組みが必要。ただし知的エリートは信用できないので評議会などはダメ。
- 法律で文化の基準を細かく定め、低俗作に課税し、良書とその作者にふりむける仕組みを作るべき!
わが文学観 (MÓJ POGLĄD NA LITERATURĘ)
スタニスワフ・レム
(初出 Polityka 1981 nr.4 / Teksty Drugie 1990年・第2号(pp. 131–147))
わが文学観は単純に言い表せる。文学がまったく関心を持たないような事柄は、国家的なものであれ世界的なものであれ、存在しない。文学の義務は、過去、現在、未来に向かうことである。もちろん、いかなる人間も、したがっていかなる作家も、それを自分一人ですべてやることはできない。しかし、この到達不可能な目標が作家の目指すべきものなのだ。文学は精神生活の要石であり、民族的同一性を保つ保証人であり、特別な認識の道具である。それゆえ、その発展への脅威は、芸術潮流の進化が損なわれるにとどまらない深刻さを持つ。この脅威は、戦後のわが歴史において何度か繰り返された。すでに拙著ではこれについて大量に書いてきた。しかし今は、1977年12月2日に書いた書簡の断片を引用するにとどめる。
1977年
「ポーランド2000」予測研究委員会を代表して、ボグダン・スホドルスキ教授が、人民ポーランドにおける現代人の教育をテーマとする準備中の会議に向けて発言を求めてきた。これに対する私の長い書簡から抜粋しよう。私はまず、増大する経済・政治危機を拙劣に覆い隠そうとする虚偽の宣伝によって形成された教育的背景を描いた。文化の状況については次のように書いた。
私の見解では、この状況は経済よりも悪く、将来への見通しもより暗い。その社会学的分析には手を出すまい。それだけで論文一本が必要になってしまうからだ。ここでは文化的低迷の鍵となる標語を示すにとどめる。
最近、文化の危機を条件づける次の要因が重なった。
A)紙の不足、相当数の批評家・文学者・ジャーナリストに対する刊行禁止、検閲の規律の大幅な強化、同時にその世界観的指針の喪失(これについては別に述べる)、現代世界における知識と方位を広げる正常な教育を不可能にするような著作・作品・教科書の不足悪化。
B)創作環境(文学者)でかなり前から起きていること自体は、ここでのテーマを超える。しかしその事態に対する危機現象の影響は十分にその範疇に収まる。[…]公式の文化生活に見られるこの枯渇状況と、もはや等閑視できない「地下」活動の繁殖との間に正の相関がある、という印象を私は受けている。有望な若い批評家や詩人の名が新聞の紙面から消えるのに伴い、彼らは低部数の「サミズダート」型印刷物 [地下出版物] に登場するのだ。ここには次のような法則性がうかがえる。公式情報が説得力を欠き、検閲の介入が進めば、批判的・創造的思考が「検閲外の地下」へ「滑り落ちる」確率はそれだけ高まる。[…]文化政策は存在しない。むしろたとえば出版分野ではレッセフェールがある。不足している紙が浪費されている[…]。東ドイツでは、本の価格を一定水準に保つ補助金制度がいまだに実施されている。この情報が検閲を通るかさえ、私にはわからない。
C)まだ1973年、文化大臣S・ヴロンスキの主導で、1990年までのポーランド文化発展予測が作成された。当時、この予測をどう思うかと問われたので、あの論は一言で、空想的にすぎると答えた。これは私が思っていた以上に正しかったが、それで心が慰められるわけでもない。この予測によれば、1980年代頃には経済発展のすべてのボトルネックがすでに解消され、おかげでそれに続く年月は、文化創造の集中的発展と、それに応じた社会最大規模の文化普及としての外延的発展の時期になると想定していた。だがこの予測は実現しなかったし、いまも実現していない[…]。食料品の不足は社会にとって安価で価値ある本の不足より痛烈だが、本の不足は長期的にはあらゆる点で破滅的な結果を生む、と私は考える。人民ポーランドでは誰も肉体的には飢えていないが、獲得される知識の欠如はほとんど取り返しがつかない。選んだ職業を果たすのにギリギリ十分な準備しかなく、現代文明のより広い内容についての見識を欠いた、日和見主義が世界観に取って代わった無知な世代、つまり無学者の世代が育ちかねないのだ。[…]その領域では取り返しのつかない損害が生じてしいかねず、まさにそのような損害が15〜20年以内に起こるきわめて深刻な危険性がある。[…]一流の代わりに四流のジャーナリストばかりとなることで生じる政治的損害は大きいが、状況が改善すればこの損害は取り返しがつく。[…]むしろ私が恐れるのは、社会的に必要な専門家の教育成果の悪化だ。私の懸念の正当性についての問いに答える。社会の発展ダイナミクスの基盤である教育の質を乱すのは、次のような問題である:
社会政治的風土によって引き起こされた教育学の基準と手段の損傷。
学問および文化創造における「一手」の、すなわち知的能力の標準を定めるような、十全な情報への、財政面も含めた困難なアクセス。そのような標準が社会的に存在せず、公表されるべきことより、絶対に公表されてはならないことが重要になると、偽文学、偽科学、偽発明などとしての偽文化が発展する機会が生じる。一言で言えば、一定の外見が、ある時期まで文化と学問における真正な事実に取って代わる状況が生じる。そのような変質的ダイナミクスを私は最も恐れる。
独創性よりも日和見主義が優遇されること。
世界観的情報のかわりに、目先で有効とされる情報がはびこること。[…]検閲の行動戦術は世界観の維持を後押しする性格のものではない。典型的な非合理的態度だらけの欺瞞的情報(占星術、空飛ぶ円盤)や全くのたわごとが、高部数の新聞で流通を許されている。ラジオとテレビの番組は小市民的趣味に媚びる。同時に、テレビの若い「プレゼンター」新チームが示す無知に対して、激しい異議申し立てが起こることもない。したがって、大衆文化に広がる二次的文盲はすでに起こりはじめている。
私はこの書簡を、これらは日常生活で見逃せない自明の理であり、「これを黙殺するなら、PAN幹部会付属研究予測委員会が課した教育過程の診断という試みはすべて見せかけになる」という指摘で閉じた。このテーマの学術会議はヤブロンナで開かれた。私は参加しなかったので、あくまで推測でしかないが、この発言は当然ながら公表されなかっただろう。だがこの発言は、その委員会で学術的に述べられたあらゆる主張よりも大きな時事性を保っている。
1980年
われわれの文化で進行しつつある変質についての私の懸念は、本来なら現実化していたはずだが、今年の労働者階級の蜂起 [訳注:グダニスクの造船所における大規模蜂起で、レフ・ワレサ(ヴァウェンサ)の「連帯」成立のきっかけとなったもの] のおかげでそれが中断した。しかしそれでも、三年前に書いたことは、1980年のポーランドの精神的現実に対応する診断として外していない。
だがいくつか補わねばならない。1960年代後半と1970年代の文学生活の病理は似ているが、これは偶然ではない。文学はまさに食料品店と同じだった。棚からまず高カロリーで中身の濃い商品が消え、それが悲しげなキュウリの瓶の列に取って代わられ、その後、不在の美食のための調味料と中身の疑わしい段ボール箱が空虚を埋めたのだ。文学を地図のようなものとして考えてほしい。叙事に傾く散文の諸州、それに付随する批評、詩で構成される地図で、外周に向かうほど視野の広い写実的な本が減り、社会の周縁のテーマ、歴史的テーマが現れ、内容の不定性を保ちつつ形式の技巧を維持する抽象絵画に似た文学が現れる。これを考えると、なぜ読者大衆の眼前からまずブランディスやコンヴィツキが消え、ブチコフスキやパルニツキは消えなかったのかが容易に理解できる。検閲の活動をこの地図上で見ると、中心の白い染みがますます大きくなり、外周部ではそれがあまり強く広がらないことになる。おかげでとうとう、ド・サドの創作についてはまだ書けたが、ポーランド人にとってもっと重要なミウォシュについては書けなくなってしまった。同時に、真空はすべて埋められるという原則に従い、「イデオロギー的に無害な」駄作の氾濫が生じ、そこに人工的な異国情緒、時に代用品の愛国主義が詰め込まれた。そのため読者大衆が驚愕したことだが、書店の平積みコーナーはゴモリツキやパルニツキといっしょにそういう駄作を勧めたのだ。そのような作家に何か要求を突きつけるのは無意味だろう。彼らが引き続き刊行できたことは、彼らの罪でも功績でもなかった。単に粛清が彼らに及ばなかっただけだ。しかしこれらの慣行の結果は、テーマ、事柄、芸術的方向の階層の漸進的な歪曲であり、結局、あらかじめわが世界の真実に文字通り密着しない自らの世界を創り上げていた者だけが生き残れた。脅かされない領域を求めようとしない、あるいは求めることができない者は、宮廷奉仕に行くか、検閲外で活動する出版社に行った。この分類はもちろん粗い。しかし私は、這い寄る麻痺という現象が繰り返されることを示したいのだ。その再発は細かく見ればちがうところもある。なぜなら一部の著者は、私が「潜水」と呼ぶものを決意したからだ。社会の圧倒的多数には見えないところで刊行するのだから。ポーランドの文学活動を、公然の部分と隠れた部分に引き裂くのは、われわれ全員にとって損害であり、文化にとっての損害だ。強調するが、ここで語っているのは主に文学活動についてであり、ジャーナリズムではない。ジャーナリズムはまた別の問題である。
この状況を中立的な高みから見る権利を私が僭称しているという印象を与えないために――そんな場所はない――言っておくと、私も「潜水」で、ペンネームを使った時評を発表した。それは臆病なやり方だと思う人もいるだろうが、私の名前が微塵の重みも持たないという具体的な証拠があった。私は「ポーランド2000」委員会の一員として覚書を書き、検閲で没収される資料に委員会がアクセスできるようにせよと要求した。そうすればそこに社会の病が見られるだろうという主張しだった。検閲の有害な作用を阻止できないなら、少なくとも社会に伝えられないとされる内容を調べなさい、ということだ。その後、私は自分の主張の妥当性を確信した。没収された内容の一覧自体が、増大する危険を、めくらでもなければ見落としようがないほど明確に示していた。私は委員会にもポーランド科学アカデミー総裁にもこれを求めて手紙を書いた。最悪でも、せいぜいそのアクセスを拒否されるだけで、そのような申し立てをしたからといってアカデミーを解散させるような者はいない、と確信していたのだ。石油(1973年)と石炭についても意見書を送ったが、政府は委員会の資料にまったく関心がないことがわかっただけだった。この仕事全体が見せかけなのだ。文化発展予測が見せかけだったのと同じだった。スホドルスキ教授からのように返事が来ないか、きても儀礼的な丁寧さしかないもので、私が求めたことに一言も触れないものだった。したがってこれは全く効果がなかった。私は実効性を求めていたのであって、シャツを引き裂いて抗議して見せたタデウシュ・レイタンのような抗議する自分の姿を後世に伝えたかったのではないのだ。
しかし、これらはすべて論説や警告、一時的な警戒信号に過ぎなかった。文学は、こうした信号だけで構成されるものではないし、構成することもできない。警告、虚構の成功というプロパガンダへの反論、改革の提案などは、数多く提示されるべきであった。そして、もしそれがなされていなかったならば、現状はもっとひどくなっていたはずだ。そう断言する根拠は、『対話』第2版(WL, クラクフ 1972年, 276-301頁)に掲載した、予測要素を含む我々の病理の診断が、恐ろしいほどに的中したということだ。したがって、もし「潜水」の中で結晶化した、権力や御用業者たちが協定を結びうる相手としての労働組合の新しい概念がなかったならば、われわれは社会的影響の予測不能な激震に見舞われていただろう。なぜなら、この国はもはや何ものによっても覆せない経済的破局へと不可避にに向かっていたからだ。ゆえに迫りくる崩壊に関連して、検閲の外で書かれたこれらすべての肯定的かつ建設的な役割をあまり過大評価してはいけない。だがこれは余談だ。文学は二分されてしまった。沈黙するよりも、検閲の外で出版することを選んだ人々の振る舞いがたとえ称賛に値するものであったとしても、その先にあるのはよくない不吉な状態なのだ。
いったいなぜか。検閲外の作品はどのみちいつかポーランド文学の主流に流れ込む、という主張も見かける。ノルヴィトがいるではないか、と。彼の作品の多くは死後かなり経ってから刊行されたじゃないか、という。この主張は、国民文学が何であり、どのように生まれるかを全く理解していない。ごく少数の受け手のために書くことは、選ばれた読者しか覗けない、開いた引き出しに書くようなものだ。それが作品を保管所に預けるという話ならまだましだ。しかし作品は、土に埋めて何年後に変わらぬ輝きで掘り出せるダイヤモンドではない。作品はむしろ血球のようなもので、循環し、有機体全体と互いに影響を及ぼす。著者や検閲官の引き出しに留められ、国内の三百人のために存在する優れた作品は、事実上存在しないに等しい。多数の精神にも多数の作品にも作用できず、世界を見る新しい提案を創りだすこともなく、知的循環の不可欠な一滴にならず、さらに当面の政治的配慮がそれにふさわしい評価を歪める。何年後にそれが世に出れば、啓示となるかもしれないが、それでもその昔の時代の遺児にもなってしまう。
本は後世のための価値の預金口座ではない。同時代に生まれる本は同時代人に仕えるべきである。刊行できないなら、何とか救わねばならないが、それはかなり絶望的で例外的な出口であり、完全な喪失よりましなだけだと理解せねばならない。これは普通の刊行を意図して書かれた本にあてはまる。検閲外の作品は、そもそもの前提として反抗的な立場にあるが、これは概して不健全なものになってしまう。なぜならそれらは、何らかの理由で自分より強い相手との闘争というのが主眼になってしあうからだ。その理由自体がまったく正しいものであっても、そのような作品の論争的性格が重要なのだという事実はまったく変わらない。その相手が、作品の舞台と規則を定めてしまうからだ。そのような状況から普遍的次元を獲得するものを生み出すのは難しい。文学にそのような抵抗形態が必要だとしても、それは病気の侵入に対する有機体の反応のようなものだ。そのような防御反応は生命を救うが、それ以上の意味はないのだ。その病気から回復し、健康になっても、不屈の自分についての満足に限定されない有益なことをせねばならない。私が編集していた、スタニスワフ・バランチァクが訳した本が、訳者が問題視されたために刊行できなくなったとき、私は抗議して文学出版社への協力を打ち切った。二年続いた私の「不屈のストライキ」の結果は何だっただろうか? 私の本も出ず、バランチァクの訳書も出なかった、ということだ。自尊心は失わずにすんだが、読者を失った。それは当時の典型的な状況だった。異なる種類の損失の間でしか選べなかったからだ。
声を大にして言わせてもらうと、われわれの状況は異常であり、そのような意味で望ましくない。社会的な条件は、創造性を促進するか、あるいは少なくとも(西洋のように)それに対して中立であるべきだ。「作家」とは、個人の勇気や、自らの信念への忠誠のために犠牲を払う覚悟によってではなく、その著作そのものによって評価されるべきなのだ。作家が人格的・道徳的な模範となるのは、殉教的な人生や破滅的な姿勢によってではなく、自らの著作を通じてだ。それが実現したら、正常な条件下で働いているということになる。 まさにこのようなタイプの作家が我々の伝統に深く根ざしているのは、何世紀にもわたって我々が経験してきた、国民的な忍耐という歴史的な試練の結果である。このような人物を擁していることを誇りに思ってよいが、歴史に栄光をもたらし、作品を防壁として投じる石とするような行為において、彼らが不要となるようあらゆる可能な手を尽くすべきである。つまり、もはや防壁など存在せず、本がそのような石の役割を果たす必要がないようにすることである。 しかし、我々は在庫というあらゆる重荷を抱えた、この異常な状況を受け入れなければならない。「公式な」文学はゲットーのような状況に陥った。検閲の外へと踏み出すことで得られる自由の代替物は、世界中から見える、普遍的な文学、すなわちいかなる境界も持たない文学の息吹である、あの完全で高き自由ではない。もし社会の構成員の間に真実がなく、もし彼らが含み合いの体系で意思疎通することを学び、身近な人々の希望や思考は知っていても、社会のそれ以外のすべてが、不確かさは認識されつつも不透明なままの偽りに覆われ、彼らにとって未知であるならば、文学はこの歪曲と欺瞞の状態から事態を正すことはできても、それ自体で状況をより良い方向へ変えることはできない。 禁止の撤廃は扉を開くことである。だが、扉を開いたからといって、そこから傑作が世に出るとは限らない。言い換えれば、多くの具体的な条件を満たさなければならないが、それらは文学の急速な台頭を保証する十分な保証にはならない。当局に疎まれる作家たちに加えて、文学界からも疎まれる作家たちが存在することによる混乱や極端な姿勢、そして対立を私は危惧している。あらゆる作家の本は、等しく扱われるべきだ。
行政的な圧力が、環境的な圧力に取って代わるべきではない。現在、我々に最も必要なのは、文学における価値の階層の再生と正常化を実現するための、裁判所における実質的で公正かつ独立した批判である。執筆業績の価値を検証できるのは、それだけである。1977年に私が記したように、我々に必要なのは知的・芸術的な基準であり、それらは一朝一夕に作り上げられるものではない。もちろん、ゼロから始めるわけではない。そんな発想はナンセンスだ。 歴史学や文学理論の道に進み、見せかけのゲームに参加することを拒んだ批評家たちを、現代の舞台に呼び戻さなければならない。新人に課される要求水準を引き上げ、価値のない粗悪な作品――物語的に欺瞞に満ち、言語的にもずさんな、知的娯楽の文化的な地位を占めた作品――の制作をより困難にする必要がある。このアウギアスの厩舎は撤去されるべきである。それは我々に恥をもたらし、思慮なき無知を広めることが美徳とされていた時代の遺産だからだ。 文芸誌の編集者の選定において、ZLPの支部に発言権を与えるべきである。若手に注力すべきだ。才能を創り出すことはできないが、読書資料や手本を提供することで、その成熟を促すことはできる。書店には安売りされた印刷用紙が山積みになっており、現在はそれが非常に困難な状況にある。だからこそ、単に適切に書かれた本(H・ディトフルトのようなポピュラーサイエンス本など)が驚異的な人気を博しており、国民的な古典に辿り着くことは、もはや叶わぬ夢となっていることが多い。 この浪費的な混乱は、解消することができ、また解消されなければならない。出版社に対し、著作権切れで支払いが不要であるために刊行されているエキゾチックな香辛料や外国の古書の復刻版の代わりに、我々の文学界が提示できる価値ある書籍群を早急に市場に投入するよう、強く働きかけるべきである。こうした作品が豊富に存在すること自体が、社会的な視野から消え去ったそれらの作品の復権を後押しすることになるだろう。
われわれは、作家よりも本に対して厳しくあるべきだ。それは、すべてを忘却すべきだということではない。特定の人々の過去を記憶しておくべきなのは、復讐のためでも、ましてや彼らを糾弾するためでもなく、文学の未来の利益のためである。通常の状況下では、批評家も社会も、人格的な特性によって創作者を区別すべきではない。才能ある卑劣漢というのは稀な現象である。概して、惨めな魂は惨めな本しか書けない。不幸なことに、黄金の正義感に囚われた凡庸な才能の方がずっと多いのだ。時代が正常であれば、文学においては、作家の人間的な欠点を指摘せず、個人の正義感も尊重しない基準が適用される。なぜなら、重要なのは業績、すなわち作品だけだからである。しかしわれわれは、本の価値よりも人格の質を重視することを学んでしまった。この関係が決定的に逆転したとき、私たちは普通の社会の普通の文学を手にすることになるだろう。それが一日も早く実現することを願う。
1990年
『Teksti』編集部は、ほぼ十年前に『Polityka』に発表した上記の論文に、再録にあたってコメントをつけてほしいと要求した。わが文学の問題について、今はどう見ているかについての記述を期待しているのは間違いない。これを承諾したのは軽率だった。コメントなら簡潔なものであるべきだが、まともに述べるためには丸ごと1本の論文が必要となるからだ。しかし約束は約束だ。
1.
必要であれば、電報的じみた断定的な文体で表現することも厭わない。だがお求めのような簡潔な助言は無理だろう。というのも、私はかつての論説を執筆した世界とは異なる世界で書いているからだ。すなわち、政治的な刷新にとどまらず、政治的な激震が起きた世界である。その激震の後、「現実の社会主義」に残ったのは、すべてを解体しきれなかった残りかすや「体制」、その他多くの遺物のみであり、その筆頭として挙げるべきなのは、自らはもはや存在しないと宣言した政党――すなわち、かつての敵である社会民主主義へと変貌した政党だ。この政党のやり口は真正なものではあり得なかった。むしろ自衛的で保身のためのもので、いわば上辺を変えたに過ぎなかった。それはすぐにわかることだし、国の政治生活において無視できない意味を持つことだろう。とはいえ、簡潔に書くと約束した以上、この話はここで止めておく。
2.
20世紀において、我々は歴史の成り行きによって与えられた社会体制を、あらかじめ設計して変革しようとする、史上初の二つの巨大な実験を経験した。それらはヨーロッパ諸国の、そして世界のものでもあった。第一の実験は、ドイツの、ヒトラー的なものであり、「支配人種」に他の「劣等な」人種に対する権力を与えようとし、彼らをその文化ごと根絶するか、あるいは「ただ」奴隷状態に組み込むものであった。この企図は、力の不均衡(第三帝国とわずかな追随者対地球の残りのすべて)のために、そもそも実行不可能なものであったが、結果として数千万の死者を生み、ヨーロッパとアジアの一部を破壊し、ソ連に強いた努力によってこの国家を超大国へと変え、大陸をやがて敵対する二つのブロックに分割するに至った。
第二の実験は、それ以前の1917年に始められたもので、搾取から解放された諸民族の自由な連合を形成することによって、マルクスの仮説を実現しようとするものだ。我々は現在、その最終段階を観察している。出発点の仮説の原始性——そしてそれゆえの完全な不十分さは、共産主義の「建材」として、存在しないような特性を持つ人間を想定したことに還元される——が明らかになったのは、数十年を経てからのことであった。技術文明の停滞の時代であれば、マルクスの夢想が実現された全奴隷化の超大国が、いつまでも存続できたかもしれない。しかし、東西の競争と対抗の状況においては、全体主義モデルの崩壊は不可避であった。なぜなら、全体主義は、合法的にも非合法的にも、西側の加速する技術文明には追いつけず、西側は軍事分野においても革新を生み出し、奴隷化体制はそれに追随できなかったからである。この点はよく理解しておく必要がある。
数多くの欠点を抱えながらも、西側の体制は単にこの競争においてより効率的であることが証明された。一方、東側の体制は敗北する前に、自らの生活環境と人間生活の質を荒廃させ、あらゆる原料の巨大な備蓄を消耗し、海を砂漠へと変えてしまった。こうした集団的な破局に、「ペレストロイカ」はその成立を負っている。道徳的な抵抗による全体主義の反対者たちによるものではない。本論の主題に鑑み、ここではこれ以上述べるのは控える。
3.
『わが文学観』で列挙した私の懸念の多くが実現してしまった。「社会主義建設」の失敗が明らかになるにつれて、個々の社会の次元では、収縮と拡張、厳冬と雪解け、権力の苛酷な圧力と、多かれ少なかれ本物の自由化の時期とが交互に訪れる段階が繰り返された。その過程で、個々の人間や集団が全体主義の側から離脱していった。
そうした抗議や党からの脱退の年表は、それ自体が重要である。なぜなら、ポーランドにおける権力中枢での体制の最終的な清算が、ほとんどあらゆる「全体主義者」、その擁護者や同盟者を「真の民主主義者」へと変えてしまったからである。このような年表が存在することによって、民主主義的理想への真の徳と誠実さを測る尺度として、我々が持ち得るものは——ごく単純に——具体的な日付以外にはない。すなわち、誰がいつ、ついに破綻した体制に反対の立場を取ったのか、という日付である。
この破綻が公表され、PZPR(ポーランド統一労働者党)の自己清算をもって頂点に達した後になって、初めて民主主義の旗を振り始めた人間は多い。そのような「突然の転向者」はまったく信用できないと言わざるを得ない。
4.
こうして——ここからやっと本題だ——監獄は崩壊した。しかし、われわれ全員にとって致命的な驚きとなったのは、この廃墟とともに、文化に奉仕する物質的・財政的な力が破壊されてしまったことだ。
全体主義体制は、文化のパトロンだった。かなり残酷で、プロクルステス的であり、多くを要求し、その見返りに与えたものは、それほど途方もない栄光や富ではなかった。とはいえ、それと妥協を結ぶことは可能であった。より口語的な言い方をすれば、あまりに汚れることなく、「宮廷の創作者」たちとの追従競争に加わることなく、パトロンの恩恵を受けることさえできた。そのパトロンやその権力者たちを称賛せず、また特別に媚びへつらわなくとも、である。
この現象には、西側に一定の類似例がある。そこにはパトロン——たとえば出版社——が存在し、彼らは自らの懐から、まさに自分たちのような富裕なパトロンたちの清算を唱えるマニフェストの出版費用を負担している。しかもそれは、必ずしも階級としてだけでなく、特定個人に対する「吊るせ」という提案を適用するような形のものさえあるのだ! これが(自由主義の)広告のために容認されているのか、それとも他の理由によるのか——ここではそれを調べることはできない。
5.
ポーランドでは、このかなり絶望的な状況を「パトロン」しているのは、(例外を認めない経済改革において)「残酷な」バルツェロヴィチと、(この例外のなさに直面して)むしろ無力な文化大臣チヴィンスカ夫人である。
状況を深刻に悪化させているのは、作家・ジャーナリスト・芸術家の環境の一部、一言で言えば、国の知的エリートの一部——教育者、指導者、道徳的・知的権威の候補者たちを含めて——が、「ゼロ時」、すなわち1981年12月13日の戒厳令導入の時点で、われわれを裏切ったことだ。
この行為は、連帯(あの団体のことではなく一般的な連帯の話だ——編集部、出版社、学校、大学、クラブ、そして文化に関わるあらゆる機関一般において)を引き裂いた。戒厳令の崇拝者や宣伝者たちは、この行為に対して「裏切り」よりもはるかに高貴な多くの表現を見出した。しかし聖書が言うように、「その実によって彼らを知るであろう」。
作家たちからはその著作が奪われ、追放者リストが作成され、「反裏切り者」で監獄や収容所が埋め尽くされた。そして、広く知られている——ただしカタログ化されておらず、損失の範囲において実質的に収支が取られていない——諸現象を列挙することに、意味はないだろう。
しかしながら、我々は殉教と殉教史を偶像化しているため、この分野で会計に取り組むことは、ポーランド人の国民性にあまり合わないのである。
6.
はっきり言っておきたいが、戒厳令の導入と、数千人の即時隔離(収容)によって文化が被った損害は、最悪のものではなかった。最悪だったのは、文化と教育のあらゆる領域が進行的に荒廃し続けた七年の歳月であり、それはPRON、SRaKiその他といったポチョムキン村的な虚構の機関を創設することによってカモフラージュされていた。これらの機関は、文化において進行する荒廃を隠すものとなり、宣伝的機能を果たした——すなわち、実際の状況を偽っていたのである。
このゲッベルス流宣伝の達人たちには事欠かなかった。ウルバン、パッセント、ルリニスキその他といった面々である。
同時に私は確信している。もし中央において、体制の決定的危機が、近い時間的地平に浮かび上がる(しかも不可逆的な)敗北——軍拡競争と、敗北に転じつつあった政治的攻勢における敗北——として認識されていなかったならば、ポーランドで党の「改革者」たちによって始められた変化は起こらなかったであろう。ソ連でそれが起こらなかったのは、ソ連がごまかしようもなくMAD(相互確証破壊)の潜在力を持つ真の超大国であるか、あるいはそうでないか、のどちらかであり、第三の立場はあり得ないからだ。一方、ポーランドのような国家は、世界に対して同様の権力の真正性を示す必要はまったくない。
したがって、「ペレストロイカ」がなければ、ポーランドでは何も良いことは起こらなかった。勇気、名誉、祖国愛、自由などといったわれわれの徳が勝利したのだという幻想に浸っている余裕など、いまのわれわれにはまったくないのだ。
以上のことから、私は戒厳令の扇動者たちに、後に円卓会議で与えられたような善意がもともと用意されていたとは考えていない。それは予期せぬ贈り物であり、歴史によって「戦争」側に開かれた、凱旋的撤退の門であった。稀ではあるが、歴史がそのような贈り物をもたらすことは、時としてある。
7.
戒厳令の後、そして奴隷制の建物の崩壊の後、我々が受け継いだのは、破壊された創作者の団体、七年にわたる秘密警察・警察の支配によって、もともと息も絶え絶えだった経済がさらに弱体化したもの、そして最後に、バルツェロヴィチ改革の枠内での市場化療法だった。私個人の見解では、この改革は文化にとって、致命的であると同時にまったく無用の脅威をもたらしている。
悪い状況に拍車をかけているのは、キリスト教倫理によって動機づけられているとされる、マゾヴィエツキ政権を照らす一般的な規則——寛容、被害の責任追及をしないこと、報復を求めないこと、一言で言えば「汝の敵を愛せよ」という至上の命令との同意——である。まことに結構だ。
しかしながら、すべての政府の口々にある「魔女狩り」を行わないというスローガンは、ごく普通の虚偽であり、それを証明するのは非常に容易である。
罪の赦し——「我らが我らの負債者を赦すごとく」——やりたければどうぞ。しかしながら、ゲレメク教授のような中世史家である必要はなくとも、知っていることがある。「魔女」を告発し、拷問し、焼き、溺死させるのは、きわめて恥ずべき集団的な逸脱だった。なぜなら、実際に魔女とされただれ一人として、実際の魔術を行ってはいなかったのだから。魂を地獄に売り、悪魔と交わり、ハゲ山でのサバトの無数の描写には、一滴たりとも真実はなかった。つい最近、私はドイツの人類学者の著作を読んだ。彼は文献を掘り起こし、魔女のサバトの痕跡を一つでもいいから見つけようとしたが、何もなかった! 魔女狩りは悪魔の悪を狂信的に追及するという仮面を被った、集団的なサディズムの爆発にすぎなかった。
一方で、私はまだ、バチカン国家を含めて、普通の犯罪が追及されず、矯正機関の対象とならないキリスト教国について聞いたことがない!
あれやこれやは、ある種の「イデオロギー的狂信」によって「言い訳」できるかもしれない。たとえば、功績あるクラクフの作家たちから、彼らが創設した定期刊行物『ピスモ』を取り上げ、無能だが追従的に献身的な素人たちの一団に与えた者たちである。
しかしながら、「新しい」『ピスモ』の第二号は、ポルノグラフィックなテキストのアンソロジーであった。こうして、以前我々に「君たちは自分が生きている時代を理解していない」と言った党の高官の言葉が実現したのである。さて、この『ピスモ』を読んで、私は時代を理解し、家族とともに国を去り、「ゴルバチョフのもとで」戻ることになった。[訳注: レムは1989年頃にポーランドを離れて、オーストリアのフランツ・ロッテンシュタイナーの元に2年ほど身を寄せている。]
8.
上記の例は、「後期現実社会主義」の状態の優れた例証である。その時すでにポーランドには「本気で信じる」共産主義者は一人もおらず、コンクリートのように硬直した狡猾者、出世主義者、そしてあらゆる社会に存在する、名誉も信仰もない最悪の人間材料だけがいて、彼らが群れをなしてWRONの旗の下に駆け込んだのである。
私が文学についての見解の文脈でこれについて語るのは、次の理由による。我々はもはや、パトロン的機能を果たし得る出版社も、補助金も、あらゆる定期・不定期の印刷物の生産・流通・宣伝の領域における特別な税優遇措置も持っていない。すなわち、我々は何も持たず、(イメージを助けるための若干の誇張をもって言えば)裸で裸足である。しかし、国民文化が依拠する至上の価値の体系についての見解は、以前とまったく変わっていない。すなわち、10年、20年、30年、それ以上前と同じなのだ。
意見形成・文化形成の環境が決定的に分裂し、分断されたことを考えれば、文化の領域において「魔女狩りはしない」という規則(私が証明したように、実在しない魔女の糾弾に例えるというのは100%虚偽である)を適用することは、単に自殺的な行為であると私は考える。至上の価値には、真正に奉仕するか、あるいはまったく奉仕しないか、のどちらかである。第三の道は存在しない。
これは次のことを意味する。戒厳令の利点を『クルトゥーラ』誌で称賛し、今ではそれを忘れてしまった者、投獄された人々や暴力的に解体された組織に「帝国主義」や「外国諜報機関」、あるいは「シオニズム」などとの結びつきを帰属させた者が、当時打倒され、収容され、倒れていた者たち——彼が罵り、蹴りつけた者たち——と肩を並べて、バルツェロヴィチによって改良された共和国の、明るく市場化された彼方へと同じ歩調で進むことはできない。それは単にできないのである。
これは決して「狩り」や「嫌がらせ」への呼びかけを意味するものではない。ただ、持続的な境界設定と区分を求めるものである。なぜなら、彼らを吸収し、「三月」の助教授たちを真の科学者たちと同等の顕著な地位に置くことによって、我々はポーランド文化の破壊の仕事を継続しているにすぎないからである。それだけである。
9.
重度に障害を負った文化に対し、「連帯」からの支援を期待できるだろうか。直接的には、できない。「連帯」は、奴隷化された社会のあらゆる志向の結晶化と組織化の中心となった。それらの志向は、それ以外では表現を見出せなかったのだ。「連帯」が持つ力は、その統一性の中に、そして何よりも、それによって生じ、立ち、戦時を生き延びた象徴の統一性の中にある。そして「連帯」に起こり得る最悪のことは、せいぜいが希薄化や、敵意・野心・要求によって分断された諸集団への分裂でしかない。
近隣諸国は、この自己組織化の高揚を羨んだ。しかしポーランドとしては、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリーでの動向を注意深く観察すべきである。ポーランドにとって特に重要な事例は東ドイツだ。なぜなら、西ドイツのすべての有力な金融家、銀行家、経済学者、政治家が、東ドイツを危機的な没落から引き上げるための戦術の検討に全注意を集中させたからである。
私のようにドイツの報道やメディアでそれらの協議、相談、提案を追っている者からすると、まず第一に、ドイツの大資本が東ドイツを「飛び入り」で助けようとしているのが目につく。そこではエルベ川の向こうの「兄弟姉妹」の利益よりも、自らの利益が重視されているのだ。そして第二に、最も冷静な西ドイツ(および東ドイツ)の政治家たち——有権者の票よりもドイツの利益を懸念する者たち——が、あらゆる卸売・小売の取引網を支配する強力な企業連合の群れを鎖から解き放つことに対して警告しているのを見る。なぜなら、西側企業が広い戦線で東ドイツに侵入すれば、東ドイツでやっと再生の芽を出しつつある中間層、地元の商業、新聞・書籍の出版社を粉砕するからである。これはすでに予備的な規模で起こっている。
なぜなら、近代的で、市場競争で鍛えられ、態度は丁寧だが行動は容赦ない資本が、すでに東ドイツに入り込み、補助金で維持されていた商業集積の活動を完全に廃止し、部分的には新聞や出版社の活動も廃止してしまったからである。それらは東ドイツで、指令・分配システムの中で依然として高い水準に維持された補助金によって強く支えられていた。
私はこれを自分自身の経験から知っている。私の同じ作品が両ドイツ国家で類似した装丁で刊行されたが、価格は1対12、さらには1対16の比率で東ドイツに有利に異なっていたからである。もちろん理解しなければならないのは、これらが全体主義の機能の、いわば肯定的な副作用だったということだ。全体主義は社会からすべてを奪い、あらゆる私的財産の形成を妨げながら、パトロン活動においては時として多くを許すことができる(同様に優遇されたもう一つの領域はスポーツであり、それによって小さな東ドイツは国際大会で金色のメダルをたくさん収穫した)。
ポーランドについて明確に言おう。東ドイツに待ち受けているような規模の外国資本の侵攻は、ポーランドにとっては脅威とならない。したがって、この点に関する(「国民財産の売却」についての)一部の同胞の希望も、他の同胞の懸念も、主として根拠がない。
一方で、間接的な脅威——文化的なものも含めて——がある。関税障壁、わずかな輸入力に対して支配者たちがまったく関心を示さないため、ポーランドは世界の先端を駆動する情報・産業の源泉から切り離されてしまうということだ。なぜなら、あまりに高価なトラクターの代わりに農村が馬力牽引に逆戻りするというのは、警告的な兆候だからだ。あまりに精緻な市場化構想が成功してしまうと、われわれはほぼ文字通り戦前のポーランドにひきもどされかねない。それは望ましくない!
なぜなら、今日ではかつてのポーランドをやたらに理想化したがる傾向があるが、実際のところそれは非常に後進的で弱いポーランドだったからだ。そしてそれは、国民性の欠陥——たとえばユゼフ・ピウスツキが苛立ったような、地方議会主義の伝統や自己中心的な細分化に由来するもの——だけのせいではなく、有力な(すなわち豊かな)世界において、ポーランドが半ファシスト国家だという評判を持っていたからでもある(部分的にはピウスツキのせいだ)。また部分的には、(いやむしろ特に)反ユダヤ主義的形態の民族主義的排外主義に汚染されているという評判をポーランドは持っており、それに燃料を供給したのは、西方での最初の特異な政治的発言以来のドモフスキだった。
したがって、イェジ・ギエドロイツが、ピウスツキとドモフスキの棺が依然として支配するポーランドに対して警告したのは、至極当然であった。しかしながら、これを徹底的に理解し、この診断から結論を引き出すためには、過去に対して反ノスタルジックに向き合う、冷静な理性が少しは必要である。そして理性はポーランドではほとんど常に、思慮や勇気よりも得難かったのである。
10.
我々は主権を回復した。その回復度合いが35%か70%かという論争には介入しない。また、文化芸術省の地下で、文化を救うための何らかの保護的措置が講じられたかどうかも、私は知らない。
生産性、効率性、社会への影響力で見た場合、戦間期の二十年間に戻ることは、精神的な文句なしの大惨事となるだろう。なぜなら『ヴィアドモシチ・リテラツキエ』級の雑誌が最盛期でも1万2千部にしかならず、数千部の書籍がポーランドのベストセラーだったのだから!
さまざまな形の救済が可能だった。書籍の分野では、たとえば私が数年前に西ドイツで提唱した構想の実現である——それは西側に向けたものであった——すなわち、読みやすく売れ行きの良いが文化的に貧弱または無価値なタイトル(ポルノ、センセーショナリズム)に課税し、それを私は「無価値税」と呼んだ。そうして得られた余剰を、さまざまな範囲で価値のある作品の刊行に充てる、というものである。
もちろん、この構想は冗談と見なされた。なぜなら、商業化が西側のあらゆる生産のあらゆる分野を覆い尽くしているからだ。しかし、ポーランドの未来への希望として、そんなものに本気で心酔してはならない。
ここでは芸術と科学の分野におけるさまざまな集団的・組織的救済の形態を提案する余地はない。私が指摘できるのは、大統領、首席司祭、王宮、あるいはさらに壮大な何かのミューズの神殿に評議会を設置しても、それは見せかけの活動の継続、すなわち救済の偽装でしかない、ということだけだ。なぜなら「ソロモンでも空から注ぐことはできない」からであり、いかに美しく編成されたポーランドの知的エリートたちであっても、文化が生成することも、連続性を得ることも、社会全体への拡張性を得ることもできないものを、生み出すことはできないからである。
すなわち必要とされるのは、専門化され、鋭く対象を定めた立法であり、それが知的・芸術的・科学的産物を、当該産物が具体的にそれに値する比例的な尺度で保護することである。生産、流通、配本、そしてそのような訓練と人材育成(たとえば書店員の)の組織化が必要であり、それは精神の領域(より控えめに言えば、情報領域)における、今日我々のもとであらゆる経済的苦痛への治療法として称賛されているもの——マネジメント——に相当するものだ。
そして最後に、資本、すなわち単に金が必要である。私はこれをはっきり述べる。なぜなら、私はここで論じられている全分野の客観的で公平な観察者であり得るからである。私の生活維持の財源は、国から流れてくるものではない。したがってこの提案が、私自身の懐の利益を代弁しているという疑念は成り立たない。
11.
まとめよう。すべてが失われたわけではないが、多くが脅かされている。萌芽を見せている自然発生的な市場は、文化にとって危険だ。小さな出版社たちの力——無から生じたかのように、ほとんど価値のない魅力的な一握りの書籍を、一般的で劣った読者の嗜好を狙って出版し、利益を持って逃げる——は、生産的持続性の萌芽ではなく、我々の商人・観光客たちと姻戚関係にある領域なのだ!
声を大にして言うが、国民は文化によって興隆し、没落する。それ以外のものは、人々が知的成果をどのように利用するかの総和にすぎない。
これはおそらく、決して最も独創的な指摘ではないだろう。しかし、ほぼ十年前のテキストへのこのコメントを、まさにそのような指摘で締めくくりたい。ホモ・サピエンス・サピエンスとは、リンネの分類表による我々の名称である。種としての理性を理性的に活用することこそ、現代世界における唯一の機会であり、文化なき理性は、翼なき鷲に等しいのである。
クラクフ、1990年3月10日

















