はい、ひまつぶしにラヴジョイの続きですよ。前は天文学だったけれど、今回は生物学です。個人的にはオリバー君の話につながるのが楽しかったが、もうオリバー君なんて知らないよな、みんな。
今回の話はとても簡単。18世紀になって、博物学ができていろんな人間や動物が観察されるようになると、生物種とかいうかっちりした分類ってウソじゃね? 細かく探せば間のもの、つまりミッシングリンクがたくさんが出てくるだろ、という話が有力に思えてきた。さらに顕微鏡ができると、これまで何もないと思っていたところにも微生物がウヨウヨしてるよねー、あらゆるところに生命が充満してるじゃないの、ほら充満の原理は正しいんじゃない? という話が出てきた、ということです。
翻訳は以下にあります。
そしてものぐさな読者のみなさんのために、パワポも作っておきました。
バーナムの話とかのネタっぽいところとか (「アリストテレスが現代にやってきたら、いそいそと駆けつけちゃうよねー」)、あと顕微鏡で微生物がウヨウヨしているのを知って、充満の原理バンザーイ、と言いつつも (でもなんかキモチワルイ) と正直に言ってしまう詩人の話とかは、とっても楽しい。(たぶん以前の翻訳ではそういう楽しさは完全に死んでると思う)
たぶん、ここいらは三中信宏の本とか読むと、その後の前後の展開とかについてもいろいろわかるはず。なぜか読もうと思って、読んでないんだよね。
あとこの章でもう一つ、個人的におもしろかったのが、顕微鏡のところ。やっぱ顕微鏡が出てくると、大流行した模様。そして「Microscopes Made Easy」なんて本が書かれている。いまなら「だれでもわかる顕微鏡入門」ですな。そういう本に対する需要があったということは、たぶん顕微鏡ホビイストコミュニティみたいなのができていたんだろうね。もちろん当時の学者なんて手すさびのアマチュアと大差ないとはいえ、この頃のこういうコミュニティの話となると知識人の知の共有が〜、というような高尚な話になっちゃうけど、実際はそれよりも軽い、ホビイスト集団の楽しいやりとりがあったんだと思う。
この本文で引用されているやつでも「顕微鏡すごいぜ。なんか原子論とかいって細かい物に限界あるとか言ってる連中がいるけど見下げ果てたバカね」 [ホントにそう言ってます] とか、書きぶりがほとんどファンジンの派閥抗争の罵倒合戦なみ。
最近、パソコン史で、ホームブリューコンピュータクラブとかを採りあげつつけなすような本をいくつか訳したんだけど、その著者たちはこうしたクラブのそもそもの原動力がわかってなくて、女性差別だとか白人だけのレイシストだとか富裕層の階級ナントカとか、それがハイテク資本主義の搾取論理に奉仕するものでしかなく云々とケチつけるばかりでちょっとうんざりしたのね。結果的に見ると、なんかそういう切り取り方はできるんだけど、でもそれが本質ではないのだ。こうした動きの根底にある好奇心やわくわく感みたいなものこそが本質なのだ。それが形を取りやすい社会経済的な環境や文脈はあるけど、それは結果論でしかない。ついでになんかそうした活動をベンチャー資本による経済的インセンティブで釣れるような見方というのは、かなり歪曲しているとは思う。
が、それはさておき、この18世紀の顕微鏡でも、そのようなホビイスト的なコミュニティの片鱗が登場していることが、ぼくはこの章で実はいちばんおもしろかった、というお話でした。
次は……ライプニッツの話にいこうか、これの続きの章にいこうか、ロマン主義の話を見てみようか。ま、まだ読んでいる人がいれば気長にお待ちを。