ラヴジョイ、ちょろちょろ続いております。
で、第5章にやってきました。この章はライプニッツとスピノザという大物が登場するのでなんかすごい哲学的な大バトルが出て、存在の大いなる連鎖という思想そのものに関わる話になるんじゃないかなー、と期待していたら、意外につまんなくてちょっとがっかり。
(ライプニッツとスピノザ)
まあ、まずは訳を読んで下さい。もう章ごとに切るのは面倒だからやめた。全文あげておくから読んでね。
パワポも一応つくりました。
しかしこれは、パワポ見るまでもなく実はかなり中身はシンプルです。この章の基本的な話は次の通り。
ライプニッツは、充満の原理から、宇宙の万物は理由があって必然的存在するという「充分理由の原理」というのを編みだした。
理由があって必然ということは、偶然は存在しないということなので、これは宇宙決定論に等しい。
これはスピノザの決定論的宇宙とまったく同じ。
ライプニッツはそれを否定しようといろいろ屁理屈をこねたが、無駄。
最後の3分のは、その屁理屈をあれやこれやと解説しただけの話となっている。たとえばこんな具合:
実際に神が行った選択は最善のものである (そうでないと、神が二流のことをやったことになって、神は最高じゃないか、悪意あるかのどっちかってことになるから)
もちろん神はそうでない選択もできるし、それを心の中で考えることもできたので、その選択、ひいてはその総和である宇宙が必然だとはいえない。決定論じゃないぜ!
しかし神は最善の選択をするから、その選択が行われるのは確実だったのである
わっはっは。ラヴジョイも「ライプニッツさん、じぶんでも屁理屈だってわかってますよねえ」とツッコミを入れている。苦しい議論をニヤニヤして眺めるのは、おもしろいといえばおもしろいが、何のためにそんなことをするかと言われると……ぼくが嫌味なヤツだから、としか言えないねえ。
でも結局この手の話というのは、いまの自由意志の話とほとんど同じ。つい昨日、デネット他界の報が流れてきたけれど (合掌)、そのデネットの本では、「他の選択肢はあったのか」(たとえば、あのときアップル株を買っておけば……みたいな) という意味での自由意志の有無について、いやそれは頭の中でシミュレーションして、そのときの条件下で最善のものとして自ら選んだ結果なんだから、それ以外の選択肢はなかったのである、でも自由意志はそのシミュレーションとして存在したのだ、というような議論をしていて、苦しいなとおもったんだけれど、構造としてはまったく同じ。
ちなみに翻訳、というか翻訳協力したこの本は、その自由意志について非常におもしろい話をしている。
意志というか各種の判断力というのは、トップダウンの動きとボトムアップの動きとが一致しないときの調整役として生じるのだ、というのがこの結論。そしてその中で、その判断というのは決定論的カオスになっているので、決まっている=自由意志はないんだけれど、でもそれが何かを事前に知ることはできない、という結論になっている。
決まってるんだけれど、どう決まっているかはわからないので、自分の運命はよいほうに(=天国に行けるように) 決まっているかのようにふるまい最善をつくすべき、という話は、カルヴァン派の議論みたいで、まあ似たようなことを昔から考えてるのね、という感じはある。
あとこの章では、ライプニッツとスピノザの哲学についてざっとおさらいしてくれるのを期待していたんだが、もちろんそういうサービスはありませんですね。「当然知ってるよね!」で流されてしまう。昔の学生はちゃんと勉強してましたからね。
その付け焼き刃でウィキペディアのスピノザの項を見たんだが、要するに完全決定論的宇宙を説いたので、それは神の意志がまったくないという話で、無神論も同然じゃないか、ということで異端だとされて、ものすごく弾圧されたとのこと。で、そこではスピノザのお墓はないことになっている。「遺骨はその後廃棄され墓は失われてしまった。 」
これを読んで、ぼくは??? と思った。というのもぼくのいまいるところの近所に、そのスピノザのお墓があるからだ。場所はデン・ハーグのNieuwe Kerk (新教会)だ。
気になって説明を読んだところ、なんでも1回教会内の集団墓地に埋葬されたんだけれど、その後異端とされ、その墓が暴かれてしまい、遺骨は教会の庭にまかれた、とのこと。だから上の「お墓」は、厳密には教会の庭の祈念碑だけど、この教会の庭すべてがスピノザのお墓、という解釈をする人もいる。
スピノザに対する迫害はとにかくひどかったらしくて、お墓をあばかれるばかりか、擁護者の友人がオランダ人信徒のリンチにあって殺されたりするくらい壮絶だった。ライプニッツが、スピノザの思想と同じだと言われたがらなかったのは、学者としてあんなヤツといっしょにすんな、おいらのオリジナリティこそ偉大だ、という自負のせいなのか、それとも墓を掘り起こされるほど毛嫌いされた異端哲学者と同じだと思われたら我が身がヤバいという保身の産物なのかは、興味あるところ。まあ両方なんだろうね。
ちなみに、ライプニッツは1回スピノザに会いにきているのだけれど、ウマがあわなかったとのこと。
さて、この本もあと2章か。しかもうち第7章はえらく短いから、そのうち終わるでしょう。