「女性の論理」でエイズの話は変わるか?

前回の記述に対して、以下で批判が行われている。


http://d.hatena.ne.jp/nabeso/20061125


全般に議論が混乱していて、特に「オスターの議論はコンドームの着用が男性の問題であるという視点から逃れられていない。」とか「もしかしてアフリカの女性は HIV に感染しないと思ってはいないだろうか」とかいうのがどこから出てくるのかぼくにはイマイチわからないのだけれど、言いたい論点を整理すると以下のようになるようだ:

  1. 確かに貧乏な男は、10 年先(ちなみにこれは単に例示の数字であって、別に深い意味があるわけじゃありませんからね)に自分が死んでそうだと思って生でやるかもしれない。
  2. でも貧乏な女は、本来であれば 10 年先に自分が死ぬかもしれなくても、その間に生まれる子供への感染が心配だと思うはず。それを心配して、生でやらせないはずだ。性病持ちの男は拒絶するはずだ。
  3. つまり貧困層でも女性はいわば母性愛のおかげで、やばそうな相手と生でセックスしたりすることは本来であればないはずである。
  4. それが起こらないのは、女性が低い地位にいてエイズに関するきちんとした情報を得ていないからである。
  5. よってエミリー・オスター(およびその提灯持ちたる山形)の議論は、こういった女の側の事情を考慮していないからまちがっている。そしてそれは、女性に正しい情報を伝えるという対策を後手にまわらせかねない危険なものである。


なるほどなるほど。援助の世界でもジェンダー談義をするとたいへんに受けがいい。その意味で、この人はなかなかよい素質を持っている。オスター(や山形)はジェンダーの視点を欠いていると言えば、ジェンダー大好きな世銀の予算もとりやすくなるだろう。


が……この議論は、いくつかの点でまちがっている。

男だって子供の心配はするでしょうに。

まず、小さい方から。この議論は、女は母子感染があるから子供のことを心配するけど、男は自分の子供のことは心配しない、という仮定をもとにしている。でもそんなのウソでしょ。父親だって明らかに子供のことは心配するでしょう。したがって子供やを考慮したことで何か議論が変わるわけじゃないのだ。男の行動の差だって、子供を(少なくともある程度は)考慮にいれた上で生じているはずだ。女だけが子供への感染を心配すると思うのは、女性を産む性に押し込めようとする悪しき男性至上主義の偏見にとらわれているのかもしれませんぞ。ついでに言えば、子供がエイズで死にやすいと思ったとき(そして自分がエイズかどうかわからん場合)、多産をよしとする文化圏の人々は子作りを控えるだろうか、それとも増やすだろうか?

そして、この人の議論の同じく変なところは、男から女への性病感染&エイズについては考えてるのに、女から男への感染は無視してることだ。「子供を持てなくなるのに、寿命が短いとき、合理的に妙な発疹のあるペニスを生で受け入れてしまうのだろうか?」と疑問をのべるけど、男だってパッと見てわかるほどの性病マXコに入れるのはいやでしょ。ぼくならその場で萎えちゃう。でも性病ってのはそんな明確な自覚・他覚症状が出る以前から影響する。外見ではまったくわからず、何度か出し入れしてみたところで「アレ、今日はこの人、ちょっとかたさがイマイチのような……」「あれ、おまえちょっとゆるいような感触がちがうような……」、と思って、でもその場で忘れてしまう程度だったりすることも多いだろう。そしてそれを避けようとする行動があるにしても、それは男のほうにだってあらわれるはずだ。男性側のマッチョな論理にだってすでに織り込み済みだろう。それでも性病やエイズは広がっているわけだ。


さらにその避ける行動も、だれかがコメント欄で指摘しているように、現実問題としてむずかしい。セックスは夜にすることが多いし、電気もきてないから照明もないので、相手の性器の状態をみきわめるわけにもいかない。それにもともと各種ムシや性病でない病気も多いから、何が性病による傷かも見極めにくいだろう。ホーケーの方も多いんだよ。ちなみに電化すると娯楽が増えるので(テレビと、場所によってはカラオケは無敵です)、セックス――そして子供――は減る傾向に向かう。とするとエイズも減りそうなもんだなあ。ぼくは地方電化の仕事が多いので、こんどからこれも電化の便益に入れることにしようかな。


統計的・確率的な議論であることを見逃さないこと。

でも、そんなことより重要なことがある。それはこうした問題を見るときの基本的な視点がこの人の議論では忘れられているということだ。その視点とは:こうした大きな社会地域レベルでの分析はほとんどすべてが統計的・確率的なものだということだ。

もしアフリカのすべての女性が、(広報宣伝さえ徹底すれば)母子感染を考えて性病持ちの男を拒絶するなら、確かにこの批判はなりたつだろう。でもそんなことがあるわけがない。貧困層だろうと所得の高い層だろうと、ラジオを持っていようといまいと、アフリカの男性も女性も、感染にまったく無頓着な人物から、ときどき気をつける人、たまにガードが下がってしまう人、そして常時がちがちにガードがかたい人までいろいろいる。これは当然のことだ。

そしてエミリー・オスターの研究は、別に所得が高い(=寿命の長い)アフリカ人がすべてエイズ予防に気を遣うなんて言ってるんじゃない。老い先短い貧乏人がすべて生でやるなんて話でもない。寿命の長い/短いだって連続的な分布の中での相対的な話でしかないんだし。ただ、上記のような人の分布が、統計的に見ると貧困や寿命の短さにともなって気をつかわない無頓着なほうに偏っている、ということだ。でもその偏りは、国レベルやサハラ以南のアフリカというレベルで見ると大きなちがいを生む。彼女が言っているのはそういうことだ。

セックスは男女両性が関わる営みだというのはその通り。そして無数のアフリカ人カップルの中には、性病/エイズに対する意識の高低で様々な組みあわせがある。その中で片方だけ――男性側だけ――でも無頓着側に偏れば、HIV 感染率はいやでも上がってしまう。女(だけ)は母子感染を心配する? でもその偏りは、ミクロなレベルでは検出できないほどのものかもしれない。男がコンドームを 10 回に 1 回着け忘れるか、11 回に 1 回着け忘れるか(あるいは女がそれを要求し忘れるか)、そのくらいの差なのかもしれない(この 10 回ってのもただの例示で意味のある数字ではありませんからね)。それでも、マクロで見れば何百万人ものエイズ患者として影響が出てくる。


情報環境か寿命/豊かさか

唯一あの批判に見られる意味がなくもなさそうな論点は、女性がどうしたとかいう話とはあまり関係ない。寿命に伴う性行動の偏りが、実は寿命を考慮した合理性によるのではなく、所得に伴う情報環境の差に起因するんじゃないか、という論点は確かに指摘できるだろう。ただ……あの記事でははっきり書いてはいなかったけれど、そのくらいのだれにでも思いつく条件については、コントロールした上で相関をとってると思うよ。が、まあこれは断言はできない。それに、情報環境も豊かさのサブ変数だという議論もできるし。豊かになれば、いやでも情報環境は改善されるものね。そのうち調べて報告しよう*1。でも、同じ情報の元でも、自分の将来見通しに応じて何が合理的かは変わってくるというのは厳然たる事実だし、それが数字にあらわれても不思議はないと思うな。


まとめ:広報教育以上の成果をあげるためには

そんなわけで、母子感染等の「女の事情」を考慮しても話は変わらないし、貧困(に伴う余命の差)がエイズ予防行動に差をもたらすという結論にも特におかしなところはない(そして豊かさの影響は認めておいでのようだし)。それが統計的な差だというのを明記しておかなかったことで、誤解を招いたとすれば申し訳ない。が……そのくらい言われなくてもわかりなさいな。そしてコメント欄では「オスター的な議論によって、根本的な解決策が後回しになることを私は憂慮しているのです」というのだけれど、根本的な解決策なんてものがあればねえ。

この子は広報宣伝教育が根本的な解決だと思ってるらしい。もちろんそれも、やらないよりはやったほうがいいとは思う。それで上に述べた分布がちょっと変わってくれれば、完全に無駄ではないだろうし。ただ、それが日本でもあまり成果を挙げていないことを考えると、それがどこまで「根本的」かは悲観的にならざるを得ないのだ。というとまた被害妄想でかんちがいする人が出てくるんだけど、ダメだとかやめちまえってんじゃないよ。ただ、それだけでエイズが根絶どころか抑制すらできると思うのは甘いんじゃないかってことだ。他の手もちゃんとうたないとだめでしょ。オスターの分析は「他の手」のとっかかりを提供してくれる。たとえば性感染症対策が有効だってことはこの批判者も認めている通り。それをちゃんと裏付けをもってエイズ対策の一環として(あるいはそれとあわせて)できるようになれば、願ったりかなったりだ。そこに彼女の分析の価値があるんだ。


おまけ:広報や教育の有効性だって高まるよ。

そしてその一方で、これまでエミリー・オスターがちゃんと指摘するまでは、性病予防がエイズ予防にもつながりそうだという点は明確には認識されてこなかったわけだ。広報宣伝の際にも、そうした点をきちんとふまえた PR や啓蒙教育活動を行えば、広報を通じたエイズ防止の有効性だって(根本的かどうかはいざ知らず)高まるだろう。だからオスター的な議論で「根本的な解決策が後回しになる」どころか、それがかえって効果を高める可能性のほうが高いだろう。エイズで死ぬぞといわれてもピンとこない、淋病やクラミジアくらいならちょっと不快でも生の気持ちよさに勝てないと思ってる人でも、その合わせ技で脅せばもっと気をつけようという気になるかもしれないでしょ。だから教育やPRが重要だと思っている人も、この議論をこわがる必要なんかないんだよ。それは結局、きみたちにだって役にたつ議論なんだから。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.

*1:付記:批判記事についたコメントによれば、ちゃんとコントロールしてるそうな。教育その他の影響を除いても、貧困が有意に効いてくるんだって。