こないだ、一泊四日という強行軍で、日本の発展と教育についての話をクウェートでしてきたのだ。日本の教育は高い経済成長の原動力となりました、でもつめこみ教育やゆとり教育でなかなかうまくいかないし、問題も多発してますよ、というごく標準的な話だ。いや、標準的でもないな。ぼくは日本の教育が経済成長の原動力といえるかについて、ちょっと疑問を抱いているもので、なぜそれが疑問なのかについてもいろいろしゃべったのだ。この話はまたあとでしよう。
で、みんな結構おもしろがってきいてくれたんだけれど、クウェート側から出た質問で非常に意外だったものがある。「いや俺たちはクウェートの教育がだめで、日本の教育は完璧ですばらしい成果をあげていると思っていて、今日はいろんなサクセス・ストーリーが聞けると思っていたら、そんなにいろんな問題を抱えているとは知らなかったよ」というものだ。
えー、日本の教育ってそんなすごいものだと思われてるの? そうなんだって。「日本はすばらしい経済成長をとげたし、それは日本の教育がすばらしかったからだと言われているよ」とのこと。
うーむ。だが考えてみれば、これに似た話は以前にもきいたことがあった。マクヴェイという人の Japanese Higher Education as Myth という本を、半年ほど前にふと手にして読んだときのことだ。外国人の描く日本は、しばしばぼくたちの見落としていることを指摘してくれるし、日本の高等教育が神話=おとぎ話でしかないというんだから、ぼくたちにはまったく見えていない日本教育像が指摘されるのかと思ったら……書かれていたのはこんな話だった。
- 日本の英語教育は中学からやっても全然ダメでだれも英語がしゃべれない
- 中学高校は受験勉強の詰め込み教育ばかりで、それに乗れない連中がドロップアウトしてひどい状態だ
- 入試では暗記ばかりで創造性がまったく育まれない
- いったん入試が終われば、日本の大学生は四年間遊んでるだけでまったく勉強しない
- 不可をつけた教授は教務課におどされて救済措置を設けさせられる。とうていまともな教育なんか行われていない!
- 実は日本の企業も高校や大学で必要な技能が修得されているなんてまったく考えておらず、一から研修を自分でやりなおしている
この本を読んだとき、ぼくは最初こいつが何を言おうとしているのかわからなかった。えーと、その通りですが……何を騒いでいるの? 日本の高等教育は神話だという本なのに、なんでこんなどこにでもありそうな現状分析が続いているの? 気がついたのは、やっと 1/3 くらい読み進んだところだった。ひょっとして……あんたたち知らなかったの? 日本はすばらしい創造性教育が行われているとか、大学生は(宴会漬けのアメリカ人とちがって)がっつり勉強してるとか、そんなふうに思ってたのか!
どうもそのようだ。いやマクヴェイの本を読んだ時点では、日本で辛い目にあった外国人講師が胸のつかえをぶちまけているだけかと思ったんだけれど(ちなみに、そんなにおもしろい本じゃないから、読む必要はまったくないよ。日本人ならみんな知ってることだけしか書いていないので)、かれだけじゃないんだね。本当に世界の人は、日本の教育がそんなにすごいと思ってるんだね。いや驚いた。
さて……といつもならここから本題に入るところだけれど、少し小出しにする練習をしてみようか。教育の役割とか、なぜそれが必ずしも経済成長に貢献したとは思えないのか、という話はまた数日中に。
ただ、なぜ世界の人々がそう思うようになったか、というのは、教育そのものの話とは別になかなか興味深いところだ。だって、終戦直後ならいざ知らず、いまの日本の学生のできがどの程度のものかなんて、旅行や留学でいくらでも見る機会はありそうなものなのに。かつて高度成長期に日本脅威論のいろんな本が欧米で出回った頃、日本が一枚岩のエコノミックマシーンであるかのような記述はあれこれあった。それこそ、トヨタの工員はみんな統計学や標本抽出理論を修得しており、それが TQC のすばらしい成果につながっているのである! とか*1。地方の高校生が金の卵と呼ばれていた時代なら、すばらしく優秀な労働者を量産する伝説の日本高等教育といったイメージも説得力があったのかもしれないのだけれど。それが未だに生き残っているというのはなぜなんだろうか。一方で、この冬休みに外国に遊びにいく学生諸君は、せっかくそういうイメージがあるらしいので、なるべくそれを壊さないような行動を心がけていただければ幸いであることだよ。
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.
*1:この話は何度かきいたけれど、本当かどうか未だにアヤシイような気がする。あともう一つ、安田寿明が名著『マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる』で書いていた話だけれど (p.216)、かれが某電子メーカーの工場に見学にいったら、あの LSI のボンディング作業(というのは、シリコンのチップから LSI の足につながる配線を顕微鏡を見ながら行う作業だ。ごく最近まで、あの気の遠くなるような作業は手作業でやっていたのだ)に従事している女工たちが、休み時間になると一斉に(自腹で買った)『集積回路概論』という大学院レベルの教科書を読み始めた、というのだ。なんとすばらしい職能意識! と誉めるアメリカからの見学者の横で、安田寿明は、自分のやらされている非人間的な無機的作業になんとか意味を見いだそうとする女工たちの哀しさを見て取っていたんだけれど、なんかこの話もできすぎているような気はしなくもない。(← 読み直したら、安田ジュメイ自身が経験した話じゃなかった。だれかからきいた伝聞という書き方になっていた。)