セックス妖精、なぜ殺したがるの?

いま見ているすっげえ分厚いファンタジー本があって、そこで万能の主人公がセックス妖精と出会う場面がある。いやホント。セックス妖精。

そのセックス妖精、千年も前からどんな男でもそのあまりのよさに、身も心も虜になってしまい、彼女のもとから帰ってきた少数の男も鬱になって気が狂って数ヶ月で死ぬという伝説の存在で、それに出会った主人公、ウハウハでついていくわけだ。

で、この主人公くんは童貞だったので、そのセックス妖精に筆おろしまでしてもらって、もう心身ともに奪われそうよー、あー二発目したくなっちゃったー、我を忘れそう、というところでなんだか急に自制心を発揮して、なんか自分のつらい過去を思い出しているうちに、いきなり「自分は自分だ」と悟りを拓いてしまい、それにより突然風の真の名を操れる力が覚醒する!

そしてその覚醒した力で何をするかというと……

いきなり怒りが沸き起こって、そのセックス妖精を殺そうとするのだ。

えーと……

なんで殺そうとするの? 何を怒ってんの?

ぼくは、自分が何か見落としたのかと思って、そのセックス妖精の章をまた読み返した。彼女が主人公を殺そうとしたとか、なにか悪辣なことをしたような部分があったっけ? 何もなし。

しばらく考えているうちに、ここで何が起きているのかわかった。このセックス妖精に心身ともに奪われる=こいつは自分という人間の理性を失わせようとした=自分に対する攻撃である、よって怒って、殺してやる、という発想なわけか!

でもさあ、まずそういう相手だって知ったうえで、自分から進んでついてったんだろ?何を文句言ってるの?心身ともに奪われるって、別にセックス妖精があんたの心を懐に入れたわけじゃないだろ?テメーが自分の性欲に負けてサル状態になっただけでしょ?悟り開いたんなら、己のそれまでの意志の弱さを恥じるべきだろー。まして筆おろしまでしてくれたセックス妖精ちゃんに、怒ったり、殺そうとしたりなんて、なにこいつ?

……と思ったんだけど、考えて見れば、インドとかサウジとか、あるいは欧米でも(かつてだけでなく、いまでも!)、女は男を誘惑するから邪悪だとか、強姦は女が悪いとかいうのは、まさにこの発想なわけだ。でも、そういう発想と価値観をここまで当然のこととしてむき出しにするというのは、かなりすごいなあ、とかなり呆れてしまった。それも、殺そうとする!

ファンタジーだから、ちょっと中世ヨーロッパじみた世界を舞台にしているから、価値観もそれにあわせているだけと思いたいところだけれど、他の各種側面では開明的で、そういう古い価値観を出すときには、それなりに説明があったり言い訳じみた記述が伴ったりしているけれど、ここはホント、何の説明もない。作者はこれが当然、だれでもすぐに理解できるあたりまえの反応だと本当に思っているわけだ。

このIncelどもの議論とかも、日本のネラーみたいに「しょせんイケメンしかもてない、おれたちダメだ」という主張まではわかるんだけれど、そこからなんで女を殺してやるとかいう話になるのかさっぱりわからないんだけど、たぶんなんかそういう飛躍って関係あるはず。

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でもって殺されそうになったセックス妖精は、怖がって泣いちゃうんだけど、主人公はいったん覚醒した自分の力がすぐに消えてしまったことで涙を流して、相手の涙を見ても申し訳ないとか後ろめたい気分は一切なく、自分の力の喪失だけのことしか考えない。これまでも、小賢しい主人公ではあるんだけど、ここまでゲスになってくるとさらに萎えるよなー。

ちなみに、結局殺すのは思いとどまって、またその後も何発もやって、その後主人公はうまいことヤリ逃げします。


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