ネットハラスメントにはパスワード変更を奨めよう!

ツイッターフェイスブックも、あれもこれも、ネットコミュニティが同じ意見の連中が集まるエコーチェンバーと化し、その連中がお互いをブートストラップしあって勝手に舞い上がり、威勢良くなって、するとますます引っ込みがつかなくなって中にははた迷惑な実力行使にまで及ぶバカがたくさん沸いてくる、というのはもちろん周知のこと。

で、これを抑えるにはどうしたらいいのかってことで、みんなで注意しましょうとか、理性的に説得しましょうとかいうのは正論ながら無力なのももちろんご存じの通り。すると、「運営に言って取り締まらせろ」なんてことをみんな言うわけだが、これまたむずかしい。いきなりアカウント停止にすべきなの?ゼロトレランスとか言ってそういうのをやるところもあるけど、結局何を許すか赦さないかは、かなり恣意的にならざるを得ない。やられたほうは、なんで自分だけが、と不満に思い、またどっちサイドでもかなりの人は「あれがいいのになぜこっちは取り締まられる」「あれがダメなのになぜこっちは野放しだ」と文句タラタラになり、あげくの果てに「ツイッター思想統制してる」とか「運営はトランプシンパ」とか、単にプラットホーム提供してるだけのところが、あれやこれやと痛くもない腹を探られる。

一方でゲンロンの自由なんてものもある。バカな人たちは「ヘイトスピーチだ」と言えばなんでも弾圧してかまわないと思っているようだけれど、そんな安易なものではない。ちなみに、スペインではヘイトスピーチ取締の規制が成立しているけれど、カタロニア独立運動の各種発言がスペインに対するヘイトスピーチだとして、この規制のおかげでガシガシ取り締まられたりしているヘイトスピーチは常に、自分の好きなものは健全な批判でゲンロンの自由にされ、自分の嫌いなモノはすぐにヘイトスピーチだ。アメリカでもカナダでもイギリスでも、進歩派がなんでもかんでもイスラモフォビアだLGBT差別だ、排外主義者だレイシストだ、他者を受け入れる寛容性のない偏狭なミーイズムの田舎者め、とレッテル貼りをして悦にいっていたら、逆にそれこそまさに社会の分断を煽る不寛容でしかなく、言われたほうはさらに態度を硬化させて、おかげでトランプが出てきてしまったりあれやこれや。

でもネットの場合、各種のろくでもない発言に対する対処のやり方があるんだそうな。運営がそいつに対して「おまえの発言はダメ~」と言うと、言われた側は態度を硬化させて悪化したりする。でもそこで「あなたのアカウントがクラックされて、なんか変な発言がいっぱい投稿されてるみたいだけど~。パスワード変えたら?」と連絡してあげると、そいつはその手の発言を止めるんだって。

Building successful online communities: Evidence-based social design - AcaWiki

要するに、相手に逃げ場を与えてあげること。「おまえがやった」と正面切って糾弾したら、相手はメンツをつぶされてしまう。逃げ場がないから、強情張る以外に手がない。でもそこで「変な発言出てるけど、これはきみじゃないよねえ?」と言ってあげることで、相手はもちろん自分の発言が婉曲にたしなめられているのを知りつつ、でもメンツを保てる逃げ場が少しはできる。自分のまちがいを認める必要はない。つっこまれても、そいつも「アカウントがクラックされちゃってぇ」と言えばいい。見え透いたウソではあるけれど、でもそれを言うなら、小さなウソは社会の潤滑油だ。ネットで勇ましい発言をしている連中のある程度の部分は、それがあまり感心される発言でないのを知っている。というか、まさにそうだからこそ、それを敢えていうことにスリルがあって楽しい。そういう人に対しては、これはもう一つ「おまえ、バレてるよ」というメッセージになり、だから引っ込まざるを得ない。

この上の中でも特にすばらしいところを少し抽出。

ここが重要な点だ。[パスワード変えたら、と言われた]受け手は、自分に罪があると一切認めたりはしないし、何の罰も受けないが、それでもやめる。[この仕組みは]私たち(管理運営側)と下手人どもとの間の、対決姿勢の論争を大幅に減らし、同時によくない行動の再発も減らした。下手人を正面から糾弾すると、その人たちはしばしば、自分のよくない行動は自分の権利の範囲内だと主張する(そしてそれはその通りかもしれない)。そしてその主張を改めて強調するために、そのよくない行動を敢えてくり返し、こちらの権威に挑んでみせるのだ。そのよくない行動をやったのが彼らではないというふりを(その当人に対してだけでも)してあげて、メンツを保たせてあげると、プライドを傷つけられずにすみ、もっと責任ある市民になる傾向が強い。

この引用で特に重要なのは「自分のよくない行動は自分の権利の範囲内だと主張する(そしてそれはその通りかもしれない)」という部分。言論の自由というものを認めるということは、いやがらせ、粘着、反社会的、差別的となる発言をする権利はある、というのを認めることだ。よく「ヘイトスピーチ!」とふりかざして糾弾する連中は、ヘイトスピーチをする権利そのものがない、ヘイトスピーチはそれ自体が違法だといいつのり、そしてそれを強制するための法律や規制を作らせようとする。

でもたぶんそれは非生産的で、運用面でさらに混乱を招くことになる(実際招いている)。そしてもう一つこうした発想の多くのまちがいは、世の中すべて法律でいいか悪いか決まる、と思い込んでいること。でもそういうものではない。レッシグを引き合いに出すまでもなく、世の中法律ですべて決まるのではない。そして、決めさせるべきでもない。会話――ネット上であろうとなかろうと――は通常は規範が律するもので、それを法律的に規制しようとするとかえってこじれる。ある意味で、ネット上の議論が極論化して過激になるのは、それを高圧的に法律や規制で取り締まろうとする反動なのだ、とさえ言える。

これは一般論としてだし、ケースによっては強い対応が必要ではある。そういうケースをあれもこれもと掲げることはできるし、それは個別に考えたほうがいいかもしれない。でも、それで上のような論点が否定されるものでもない。

ネットだともう一つありがちなのは、「匿名だからいい気になってみんな大言壮語する、だから実名登録を~」みたいな対応だ。実は照会した記事の中でも、匿名性を下げるのが有効なはず、という意見を出している。ネトウヨも現実生活ではおとなしい温厚な人だし、ネトサヨがみんなしばき隊でリンチしてるわけじゃない。だから実名出させれば発言もおさまる、というわけだ。でもいまの話を考えると、これも必ずしも効果的ではないかもしれない。これまた逃げ場をなくしてしまうから。前世紀の名掲示板だった黒木のなんでも掲示板では、実名を挙げる必要はないけれど、ヘマをしたときに恥をかくだけの一貫したアイデンティティを保つような形での投稿が推奨されていた。古い例ではあるけれど、やっぱ先駆的だったよな、とは思う。

黒木のなんでも掲示板

もちろん、これが万能ではないだろう。黒木掲示板でも、まあ有害で有毒な投稿者は定期的に出てきて人々を消耗させていた。引用先のコラムであがっているのは、MITでの例だ。それに2012年の本に出ている、一九九〇年代の報告の例で、いまはかなり変わっているのかもしれない。でも、対応の方針として一つのヒントにはなるはず。

それにしても、香山リカなどの芸能人が、ツイッターでバカな発言をしてつっこまれると、「アカウントが乗っ取られた」とヘタレた言い訳をしていっそう嘲笑される件が多々あるけれど、そういうときに「ああそうですかあ、乗っ取られたんですかあ。それにしてもずいぶんひどいこと言う乗っ取り犯ですねえ。パスワード変えたら?」と見え透いた返しをしておけば、ほどほどのところでみんな止まるのかもしれないね。

news.mikimedia.net

上のネタは、このツイートで知ったもの。役立たずのツイッターも、ときにおもしろいネタがあります。