群像としての丹下研究室―戦後日本建築・都市史のメインストリーム―
- 作者: 豊川斎赫
- 出版社/メーカー: オーム社
- 発売日: 2012/05/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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建築家を語る本は通常、造形デザイン話に社会文明観や哲学談義を接ぎ木する程度だ。本書はそれを遥かに超える。本書のテーマたる丹下健三が、通常を遥かに超える建築家だったせいもある。彼は個別建築に留まらず、都市、地域、国土設計にまで大きな足跡を残した。だがなぜそれが可能だったのか?
通常はこれを「壮大な構想力」という一言ですませてしまう。本書の手柄は、その「構想力」の中身を詳細に示したことだ。丹下の構想力の背後には地域経済の数理統計分析や産業予測があり、それを造形に変換するための方法論の開発があったのだ。
それを支えたのは、東大の丹下研究室に集った人々だった。本書はこのチームに着目することで、丹下健三の核心に迫る。彼らが丹下の各種設計の裏付け研究を大量に生産したからこそ、その造形が実現できたのだ。
特にポストモダン以降、建築デザインの一部は空疎で無意味な形態のお遊びに堕している。だが丹下研は形態のすべてに意味と裏付けを持たせようとした。それが彼の構想力の力強さを生んでいる。それを支えるべくあらゆる分野の最先端をカバーするチームの総合力もすごい。本書にはぼくの直接の先生も数名登場するが、その活躍ぶりを読むと自分の大学院時代の不勉強ぶりが今さらながらに恥ずかしい。
疑問は残る。なぜ丹下研にそれができたのか。この実質的な個人設計事務所を国立大学の研究室として(つまり多大な国庫補助で)運営する異様な体制がなぜ許され、なぜ実際の国土や都市設計に大きく関与できたのか? ともあれ本書を読むと、いまの建築家や各種プランナーたちの構想力欠如は改めて痛感せざるを得ないが、それが才能の問題ではなく、総合への努力と積み重ねを怠った結果にすぎないことも、本書は示唆している。あの丹下健三にしてこれだけのチームが必要だったのだから……(掲載2012/07/01, 朝日新聞サイト)
コメント
非常におもしろかった。ぼくの直接の恩師である渡辺先生と故山田学先生については、少し辛口目の評価なのはちょっとアレだが、まあ仕方ない。しかし、上に書いたとおり、各種のデザインについては裏付けとなる地域経済分析もあり、デザイン共通言語としてのモジュロールもあり、それを実現するためのコンピュータ利用もあり、手法も分析も全部きっちり土台があったというのはすごい。いまの多くの建築家では、地域の構造がとか、軸がどうしたとか、ほとんど思いつきのイメージどまりになっていることも多いし、また先端的なコンピュータ利用というのも、ザハ・ハディドみたいにCGっぽさを逆手に取ったりしたのはあっても(そろそろ飽きられているけど)、むしろフランク・ゲーリーみたいに野放図さを丸め込むのに使われたり。意匠が本当に意匠としてのみ独立してしまい、それが建築としての意味あいも制限してしまって……
あと、最後の段落で書いた、丹下研究室のいろんなあり方について。ぼくが学生の頃になんとなく言われていたのは、むしろこうした産官学共同的なあり方を進めるために、「丹下に研究室を持たせろ」という要請が外部からあって、それを実現するために急いで丹下健三をドクターにさせたのだ、という話。これが本当かは知らない。そしてその「外部」というのがどんなあたりなのかも、学生時代のぼくはきちんと聞いておらず、今にして思えば残念。でも、豊川が丹下研究室をめぐる外部の思惑みたいなのも今後探ってくれるとおもしろいなとは思うのだ。
ついでに、まえがきで著者は、丹下健三がこれまで評価されてこなくて、コールハースの最近のぶあつい本をきっかけに初めて評価されたのだと言うんだけど……それってどう考えても嘘じゃない? なぜそんな書き方になっているのかは疑問。
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