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Voice 2013年6月号:コラムがちょっとおもしろい。

書評

Voice は、ありがたい雑誌ではあって、この10年くらいにわたり、曲がりなりにもリフレ派の主張をずっと掲載し続けてくれた。ほかの媒体だと、何か他のネタでこじつけてリフレネタに持っていったりとか、いろいろ苦労もあったけれど、ここでは少なくともストレートなリフレ紹介もできたし、またぼく以外にもいろんなリフレ派がそれなりに強い主張を長い論考で掲載できた。

むろん、そうでない記事もたくさんある。大前研一の、読まないほうがいい各種の論説とか、日下公人のくだらない論説とか、無内容な曾野綾子の日記連載とかお気楽の限りを尽くした山折哲夫の巻末コラムとか。でも、世の総合誌というものの性格上、そういうのがあるのは仕方ない。そんな中に多少なりともまともな記事が出ていること自体が評価されるべきだと思う。

で、今号はアベノミクスをネタにお金の流れが変わるという特集なんだが、まああまり中味はない。楽天三木谷と田原総一郎の対談は、古くさいシバキ主義礼賛。もっと企業がつぶれればいいんだってさ。また大前研一が相変わらず金融とかまったく理解しない愚かな放言をしたりしているのも苦笑するしかない。竹中平蔵のは、まあ少し読めるけれど、規制緩和成長戦略が大事、ですか。ぼくはこの二つ、できるならやればいいけれど決定的だとは思っていないので、小泉シバキ主義復活待望論みたいに読めてしまう。そして武者陵司なる人物が、アベノミクス絶賛の記事を書いているけれど、目新しい話は何もなし。

おもしろいのはコラムのほうで、飯田泰之のコラムが、なぜ黒田日銀のインフレ目標政策が、かなり成果を挙げているのにしつこく叩かれるか、ということについて興味深い指摘。「作為の契機」、つまり何かを意図的にやること自体がよくなくて、自然に任せるのがいいのだ、という発想があるんじゃないか、というもの。「無理に」インフレにするのはよくない、という話は、確かによく聞くなあ。

これはたとえば、安楽死はダメで自然死はいい、みたいなところでも顔を出す発想で、うなずけるものがある……がその一方で、不自然に延命させるのは容認されるので、この発想が適用される条件みたいなのがあるんじゃないかとは思う。

あと最相葉月がコラムで、三宅『行って見て聞いた 精神科病院の保護室』を絶賛。これは彼女が書いている通り、本当にすばらしい本で、映画やテレビの精神病院のイメージにとらわれすぎている(ぼくも含めた)人々は是非ご一読を。

行って見て聞いた 精神科病院の保護室

行って見て聞いた 精神科病院の保護室

これはCakes連載でぼくも紹介した本で、非常におもしろい。目のある人はちゃんと注目しております。Great minds think alike という言葉通り。最相さんはぼくみたいなお気楽な読者よりはきっちりした読み方。コラムと言いつつ本の中味をなぞるだけになっているのは、ぼくの書評のスタイルではないけれど、きちんとポイントを抑えているので、それだけでも十分に書評になっているのはさすが。
思えば、朝日新聞でぼくが書評委員をやっていた第一期は、この最相さんや宮崎哲弥青木昌彦や、本当に豪華な布陣であったなあ、と懐かしく思い出されることですよ。

立ち読みでもすませられる量ではあるんだが、そうそう、あとお便り欄にリフレすばらしいお便りが出ていてちょっとニヤニヤ。お便り欄は、これまでは「インフレになったらわしら歳寄りは困る」みたいな手紙が多くて、ええいくたばれ老害どもめ、と思っていたんだけれど、今回は 24 歳の若者がリフレ万歳の手紙を書いている。そうそう、リフレは若者の味方です!(そして歳寄りも恩恵を受けます!)

なお、同じコラムでも山形は相変わらずくだらんことしか書いておりません。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.