朝日新聞書評委員が任期終了、最後っ屁でいまぼくがやるとしたらリフレ政策翼賛をやらずにどうするってことで、吉川洋『デフレ』なんてどうかな、と思ったんだが……
なんだ、これってデフレはけしからんからさっさと何とかせい、インフレデフレは金融的な現象だっってケインズもフリードマンも言ってるし、日銀さん、あんたの出番だよ、という本かと思って読み始めたら、全然ちがうのね。
本書は、デフレには金融政策は効かない、という本だ。そして、デフレは実体経済に悪い影響をもたらすといいつつ、でもデフレは不景気の原因ではなく、実体経済が不景気なのでデフレという結果が出たにすぎない、という。そして、デフレをなくすには日本が不景気を脱しなくてはいけないので、そのためには日本がもっとイノベーションしなくてはならない、と主張する(ただしどうすればイノベーションが増えるのかは案すら出さない)。
いまのまとめを見ただけで、普通の人は???となると思う。デフレが実体経済を悪化させることを認めつつ、でもデフレは実体経済の悪化の結果であって原因ではない?? なんですの、それは? でも、本書はそう主張してるんだもの。
さて、ぼくはもちろんリフレ派だから、リフレ支持の議論はとってもありがたいんだが、そうでないからダメというわけじゃない。マクロ経済や金融以外に重要なことはあるので、それを指摘するのは重要。ただそこから、「だから金融緩和は必要ない」とか「リフレの主張はまちがっている」となれば、ぼくだって人間なのでちょっと厳しい見方になってしまう。だいたい、そういう主張の多くはちょっと変だったりするし。そして、本の中の主張が混乱していたり矛盾していたりすれば、それはやっぱダメでしょう。
で、本書は非常に混乱しているうえ、仮定自体の裏面が結論になってしまっているという点で、理論的にもかなり残念な代物だと思う。そして吉川洋は日本のケインジアンの代表格だというんだが、本書などを見ると、ケインズの最大の功績の一つを彼はなぜか捨て去ってしまい、彼が批判しているRBCをはじめとする有害無益(いや吉川自身がそう言ってるのよ)な最近のマクロ経済学と実は野合しているようにすら見えるのだ。
それを理解していただくために、まずは本書の概要を。
本書の概要(カッコ内は読者山形の内心の声)
まえがき:
デフレはどうしようもないから、消費税の税率アップしろ。(!!!!???!!マジすか??!! ちなみに本書にはこれを支持する議論まったくなし。)
第1章:デフレ論争――デフレの何が問題か
「何が問題か」とあるけど、何が問題かはあまり説明されない。害がないわけではない、というのがもうしわけ程度に述べられ、その後は過去20年の政策論争の中で、デフレというのがしょっちゅう出てきました、というののおさらい。
第2章:デフレ20年の記録
過去20年にわたり、デフレが続いてきました、という日本経済史のおさらい。(経済状況あっての政策なんだし、第1章とまとめたほうが見通しよかったのでは?)」
第3章:大不況1873-96
デフレの話をするなら、1930年代の話をするのかと思ったら、別の時期の話をもってきて、マネーサプライと物価とが必ずしも連動しなかったという話をする。
第4章:貨幣数量説は正しいか
前章のまとめですでに見当つくと思うけれど、貨幣数量説は正しくないとのこと。よって、それに依拠しているクルーグマンの「復活だぁぁぁぁっ!」モデルをはじめリフレ派ども氏ね、とのこと。
(ちなみにここでいろいろ数式が出てくるので、クルーグマンのモデルを解析的に批判しているのかと思う人も多いが、それはちゃんと読んでいない人。基本的には、「復活だぁぁぁっ!」の式をたどりなおして解説しているだけで、批判は結局、貨幣数量説を使っている、という一点のみ。)
第5章:価格の決定
価格は原価で決まるのだ!(……え……マ、マルクスですか……市場とか需要とか供給とかは……それにその原価っつーのもどう決まるんだと……)マネーサプライもちょっとは影響するけど、利子率を下げて景気に影響するからだよ!
第6章:デフレの鍵は賃金――「なぜ日本だけが?」の答え
日本は他の国とちがって、賃金にデフレ期待が組み込まれているから。デフレなのは日本経済がデフレ体質だからなんだ!(……え……なぜデフレかという質問に、デフレ体質だからでは答えになってないのでは……)
(ちなみに、ここの分析自体はまちがっていない。物の値段の相当部分は人件費だ(特に経済があまり機械化しづらいサービス業になればその傾向は強まる)。でも賃金が下がるのからデフレになるんだ、と言ったら、次は当然なんで賃金下がるんですか、と聞かれるだけで、説明としては不十分でしょう。)
第7章:結論
デフレは人口構造のせいとかいうのは妄言。あと、リフレ派みんなダメすぎでマネタリストの手先。金融政策なんかやってもデフレはどうにもなりません。実は、デフレが不景気を引き起こすんじゃない。不景気だからデフレになるの! だから不景気退治を考えるべき。日本の不景気の原因は、イノベーションが止まったこと。これまではコストダウン型のプロセスイノベーションばかりやってきた。必要なのは、需要創造型の「プロダクトイノベーション」なり!(!!!出たな妖怪「需要創造型!」)
それにつけても、最近のRBCとかDGSEだかDSGEだかいうのもダメすぎ。リフレ派の依拠するマネタリズムなんて、ルーカスとかのやってた新しいマクロ経済学と賞するゴミクズの手先じゃん。古いマクロ経済学がいいんだよ!
感想
いろいろ味わいぶかいと思う。「はじめに」で唐突に出てくる、消費税増税しろという主張とか、なんでやねん。結論で重要視している古いマクロ経済学のどこに増税すると景気がよくなるような話があるんでしょうか? また結論でのイノベーション議論の、とってつけたような唐突な出現というのはびっくり。いやあ、何かそれまでに読み落としたのかと思ってあわてて前のほうに戻って確認してしまったよ。そして、第7章の結論がやたらに長いことに注目。ここで突然、それまでまったく出てこなかった重要な主張が次々に登場する。これは本書全体の構成の混乱ぶりを反映したものだ。
さて、本書の主張の中心は以下の三つだ。
- 貨幣数量説はまちがっているので、それをもとにした理論はすべてダメ
- お金は実体経済に影響しない(してもわずか)だからリフレとかダメ
- 日本では賃金の下方硬直性が低い。だからデフレになるのだ。
でも、貨幣数量説がまちがっているといっても、どのくらい? あらゆる時点で厳密には成立しないにしても、長期で見ればだいたい成立している、というのが主流経済学のコンセンサスではないの? ぼくはそう思っていたし、ウィキペディアの英語版にもそう書いてある。相関係数ゼロならば、それはもちろんモデルには使えない。でも十年スパンで見てr2が0.8くらいあれば、それを元にしたモデルを全否定する必要はない。近似として十分に使えるだろう。でも、本書は貨幣数量説があまり成立していない昔の時期と、理論的にケインズとかがそれを否定していることを立てに、貨幣数量説がすべてダメ、それを元にした理論一切ダメ、となってしまう。
それは変じゃないだろうか。
そして、それをやってしまったために、この本は基本的にお金(マネーサプライ)の役割もほぼ完全に否定することになる。もちろん、利子率経由で少しは効いてくるんだ、という逃げはうつ。でもゼロ金利だということを盾に取り、リフレ論者みたいにそれが大きいということは認めないし、またそれが期待に作用する経路も考えず、インフレやデフレに作用する可能性も見ない。
ゼロ金利下ではマネーサプライを増やしてもダメ、というのを彼はしつこく述べる。だから金融緩和は効かない、と。でもクルーグマンの最初の論文ですら、それについては明記している。ゼロ金利下では、今のお金を増やしてもダメだ、と。それを今更得意げに言われても、「それで?」というだけだ。だからこそ、将来のインフレへのコミットが重要だ、期待を経由してそれが効いてくるんだ、というのをクルーグマンは何度も指摘している。でも、吉川は、現時点での金融緩和が効かない、貨幣数量説はだめ、だから将来の金融緩和も効かない、よってこの手の話は全部ダメ、とやってしまう。
そしてその道をすべて否定したことで、デフレがもはや金融的な現象ですらなくなってしまい、実体経済の結果だ、とされてしまう。要するに、お金は実体経済に影響しない、という話だ。これってまさに、吉川が批判するRBCとかの立場そのものじゃないんですか?
ケインズの功績(の一つ)は、お金というものを明示的に経済の仕組みに採り入れたことだとぼくは理解している。でも、ケインジアンであるはずの吉川の議論では、いつの間にかそれが消えてしまう。そしてデフレは有害と言いつつ、デフレはどうしようもない、と主張する。あなたが最後に敬愛を表明しているトービンは、そんな受け身の成り行き任せを容認しただろうか?
そして、著者は第6章で、日本の賃金は下方硬直性が低いのだ、というのを主張する。賃金がすぐ下がるからデフレなんだ、と。さて、これ自体はまちがいではないだろう。が、それはリフレ論を否定する根拠になるだろうか? 実はおもしろいことに、クルーグマンはアメリカがデフレになっていない原因として、アメリカの賃金の下方硬直性が高い(つまりなかなか下がらない)ことを挙げている。つまり下方硬直性が弱ければ、デフレになりやすいというわけ。でも、クルーグマンがそれを普通に語っていることからもわかるとおり、これはリフレモデルに替わる説明ではなく、共存できるものでしかない。物価はなぜ下がっているんですか、というのに対して工賃が下がっているから、と答えたら、次はなぜ工賃が下がっているんですか、ということになる。そして工賃と物価は、ニワトリと卵の関係でしかないので、これだけでは説明にならないんじゃないか。
イノベーションってどうやるの?
ちなみに、本書の議論は(一部リフレ派にとっては黒歴史である)もう13年前の小野&吉川編『経済政策の正しい考え方』そのものだ。イノベーションが大事だ、というやつ。そして、それに対して生意気にもかみついたぼくの議論も、寸分変わりなく成立する。「需要創造型」っていうけど、何が需要を創造してくれるかわかれば苦労しませんから! どうやったら需要が創造されるんですか? どうしたらイノベーションが起きるんですか? 昔はここで「だから産業政策を! 有望な技術を国が支援!」というとんでもない議論が平然と出ていたんだけれど、さすがにそれはなくなった。でも、それにかわる提案が何一つないようでは、本書の吉川の「提案」なるものは絵にすら描けない餅でしかない。
吉川は、日本はこれまで需要創造型のプロダクトイノベーションはやってこなくて、コスト引き下げのためのプロセスイノベーションしかしなかった、という。でも……日本の高度成長とカイゼン運動の成果は、プロセスイノベーションというのが実は大きなプロダクトイノベーションにもなる、というものだったはず。
さらに、日本の製品がプロセスイノベーションで一円でも安くに腐心してきたというのは本当だろうか? 世界における日本製品の評判というのは、高品質だけれど高い、というものだ。日本製品がそんなにコストダウンに腐心してきたなら、日本製品はなぜ高いの?
ここらへんの彼の議論というのは、とにかく裏付けは何も書かれていない。別の本を見ろ、というのは書いてあるが、それが『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ―有効需要とイノベーションの経済学』ですからあまり説得力のある議論が出ているとは期待できない。
だいたい、吉川は何度も自分が現在の不景気を需要不足だと認識しているのだ、と述べる。だからサプライサイドの話をしてもダメ、と。でもイノベーションって供給サイドの話じゃないんですか?
デフレとイノベーションの循環論法
実は、イノベーション促進手段として自然に導かれる案がないわけじゃない。デフレになったからみんなコストダウン目指してプロセスイノベーションばかりやるようになりました、という主張はある。だったら、デフレが悪いんだから、当然出てくる案はデフレなくしましょうということになると思うんだけど……でも、本書の不思議なところは、それが一向に出てこないこと。
議論がどう進むか? 吉川はそこで、でもデフレは実体経済の不景気の結果でしかない、と言い出す。じゃあ結局はどうしようもないんですか? デフレは結果にすぎないにしても、それを緩和して「需要創造型」イノベーションとやらが少しでも起きるようにする方策はないんですか? イノベーションがコストダウンばかり目指すのがデフレのせいなら、何でもいいからデフレ解決できそうな手段をやるべきじゃないの? たとえば……金融緩和とか?
ところがデフレをなんとかしようというと、いやそれは実体経済の景気の反映でしかないから金融政策では無理で、景気を回復させろ、という。でもじゃあ、その実体経済の景気、ひいてはイノベーションが沈滞したのはなぜ、というとそれはデフレのせいだという。そして結局は何も明確な政策的提言が出てこない! ぼくはこれが、混乱した循環論法だと思うし、トービンもソローもケインズもこんな逃げ腰は軽蔑すると思う。
吉川洋と日銀理論
ちょっと、本書がこうなっている背景がわからないかと思って、吉川洋編著『金融政策と日本経済』も見てみたんだが、なるほどね。日銀理論の追認。
要するに、日銀にとっては金利が外生変数だから、マネーサプライはそれに応じて動くだけで変化させられない、というのが胸張って書かれている。いやだからその発想を変えれば、と思うんだけど、この本ではそれがまったく変えられない不動の原理であるかのごとくに扱われている。マネーサプライは変わらないんじゃなくて、日銀の判断により変えてないんでしょ。そうお書きになってるじゃないですか。そして、そういう政策判断を含んだ数値をもとに、マネーサプライではデフレは解消しないと論じるのは、ぼくは疑問だと思う。内生的に見えるように決められている数値を計量経済分析して、ほらごらん、内生的に決まってるんだ、だからマネーサプライでは実体経済は変わらない、などと論じられても……
結論:書評にはとりあげません。
むろん、ぼくがまだきちんと理解できていない部分もあるんだろう。だがいずれにしても、書評には採り上げるわけにはいかない。ちなみに、実は本書は別の人が候補としていったん持っていったが、その後なぜか断念したのをぼくが拾ったもの。したがって、ぼくがやらなければ誰か他の人が書評した、というものではない。
追記
本書の批判については高橋暗黒卿のエッセイも参照。
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