川上他『ヒトはなぜほほえむのか』:まとまりが悪すぎる。次回はもっとがんばれ。

 ヒトはなぜほほえむのか、という本だけれど、ヒトがなぜほほえむのかは、結局仮説としても軽く紹介されるだけ。特に、著者たちが研究対象としている、自発的微笑というやつは、なぜ存在するのか結局わからない。なーんだ、だったらこの本の題名って、不当表示に近いじゃん。

 微笑と笑いはちがう、という話からはじめて、赤ん坊や胎児やサルも自発的微笑をする、という。本書は、いまの一行を延々本一冊分にひきのばした本だ。しかもその引き延ばし方は、英語で論文を書いた方が注目されるとか、研究者から手紙をもらったとか、本筋に関係ない些末な話がやたらにあれこれちりばめられていて、お世辞にも読みやすいとはいえないし、読み終えたあとも結局何を言いたかったのか印象が非常に希薄。

 自発的微笑というものがあるというのはわかりました。さて、それを研究することにはどういう意義があるのか? まずそれがわからない。もちろん、研究者としてはそうした現象があるということを同定し、その性質を記述することも重要だ。が、一般読者は研究者ではないので、研究のための研究につきあう義理はない。でも、それがわかると、なぜほほえむのか、という問題に何らかの洞察が得られるのかな、と思って読み進むわけだ。

 ところが本書は、散漫な書きぶりでいろんなほほえみに関する説や研究を紹介し、自分たちの研究をあれこれ説明するんだけれど、結局は題名になっている問題にも特に洞察はなく、なぜ自発的微笑が注目すべき現象なのかもわからない。

 その失敗の原因は、まあ著者たちが一般向けの文を書き慣れていないというのと、構成のまずさの合わせ技。第一部、第二部はこれまでの研究の紹介で、副題にある進化や発達からほほえみを捕らえるというのはこの部分で行われている。が、そこのところも個別論文の紹介になってしまい、部外者には全体像があまりに見えにくい。そして第三部が著者たちの研究の紹介の部分で、そこがハイライトか……と思ったらそうじゃない。自発的微笑というのがサルにも赤ん坊にもあります、というだけ。

 そして、本人たちもそれではまずいと思ったのか、第四部「まとめ――微笑とコミュニケーション」というのが最後にくるんだが、これがちっともまとめじゃない。本のそれまでの内容とは全然別の話になる。クレーン行動とか、ほほえみと全然関係ないじゃないですか。そして最後のマザーテレサの引用のとってつけぶりは、ちょっと目を覆いたいほど。

 結局、ほほえみと笑いを区別しなくてはいけない理由もよくわからない。区別するとどんないいことがあるかもわからない。進化的に見て、ほほえみというのは、お猿の子みたいに常時しがみついている状態から直立歩行ではやめに母親から離れるようになったために成立したコミュニケーション形態という仮説も、ホント半ページほど紹介されているだけ。それと自発的微笑はどう関係しているのかもわからない。自発的微笑がどんな意味を持っているかもわからない。社会的微笑との関連性も不明。

 さらに、笑う/微笑というのは、ある情動と確実に結びついているといえるのか? 泣くとかは、必ずしも自然な感情の表現ではなく、ある時点までは「どうも泣きわめくとかまって世話をしてもらえるようだ」というので、単に後天的な学習の成果らしいという説もある。微笑もそうじゃないの? ところが本書は、胎児でもほほえむ能力を持っていて、それが情動の発端と言える、と断言してしまう。あまりに不用意じゃない?

 ちょっと新聞で紹介すべき水準ではない。自分の分野に真面目に没頭してきた研究者が、生まれて初めて自分の業界外の人に自分の研究内容を説明しようとして、いろいろすべった感じで残念。ただ、こういう努力自体は続けてほしい。それとここらへんはもう少し編集者がいろいろアドバイスすべきだと思うなあ。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.

山内『ウィルスと地球生命』:おもしろいネタ豊富、まとまりもよく、もう少し書き込んでくれれば文句なし。

 ウィルスというものが、みんなの思っているよりずっと多才な役割を果たしているという本。進化にも役立ち、作物の品種改良にも貢献、二酸化炭素固定にも一役買って、人間の胎児も守るという八面六臂の活躍ぶり。

 ウィルスとは何か(あと、ウィルスじゃなくてウイルスと書くのが正式なんだって。キャノンはキヤノンが正しいとかみたいな話ね)、それがどういう研究史をたどってきたかをざっとまとめ、それが生物かどうか、細菌とどうちがうのか等々、素人なら疑問に思うこともさくっとまとめてくれる。それを背景として、あとはもう意外なところで活躍するウィルスのあれこれを次々に繰り出す。

 非常にまとまりもいいし、言いたいことが明快。後半に繰り出される各種の例も、「へえ〜」度が高く、飽きない。下の「ほほえみ」本は、こういう書き方を少しみならってほしい。一般読者は研究そのものではなく結果が知りたいんだから。

 難点は、本が短いこと。まあ、それが売りのシリーズだから仕方ないんだけど、後半のウィルスの意外な活躍は、それぞれ五倍くらいにして詳しく描いてもらってもいいくらいで、今の分量だと食い足りない。ないものねだりではあるんだが……

 朝日の書評は少し大きめのをつい狙いたくなってしまうので、もう少し発狂してないとこういったシリーズのチマい本はとりあげにくいんだが、うーん、それも惜しい気はする。むしろ一般の人に読んでもらうには、こういうのを積極的に押していったほうがいいのかも。どうだろう。

 ところで、目次や章代の「ウイルス」というのが変な疑似太字みたいな汚いフォントで強調されてるのは、やめたほうがいいんじゃないかなあ。あるいはもっときれいな強調の仕方を考えた方が……



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