- 作者: トマ・ピケティ,山形浩生,守岡桜,森本正史
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2014/12/09
- メディア: 単行本
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ピケティがらみの話で、そろそろデータを見た人が反論を始めている。そして、日本の状況はちがう、日本はまれに見る平等社会、日本は格差が開いていないどころかかえって狭まっている、よってピケティなんかダメ、という議論をしている。
さて、ピケティを盲信して格差、格差、この世の終わりだ資本主義の宿痾だ革命だマルクス様の復活だついでにアベノミクス許さんとさわぐのはたいへん愚かで恥ずかしいことなので、やめていただきたいところ。金持ち儲かるんだろ、知ってたぜ、常識だフン、どうせオレたち貧乏人はいくら頑張ってもダメなのよ、ついでにアベノミクス許さん、とかいった間抜けな発言は、ツイッターくらいにとどめておいてほしい。
その意味でデータを見て批判が出てくるのはとてもよいことだ。そして日本には日本の独自性があるので、それをちゃんと見る必要があるのは事実。見方次第ではいろんなことが言える。でも……格差というのは、とっても多面的な現象だ。だからある一面だけ(たとえば一つのグラフ)を見るだけだと、いろいろ誤解が生じ兼ねない。そしてそれを利用して実態を歪めようとする人も出てくる。それには気をつけなくてはならない。
たとえば、ウォールストリートジャーナルが、日本ではピケティの格差議論があてはまらないと述べている。その根拠はこんなグラフだ。
ピケティの本は、上位1%層にGDPの相当部分が集中しているということに注目し、特にアメリカでそれが悪化していることを述べる。でも日本はそうなっていないようだね。横ばいだ。格差は開いてない。いや待て、最近だとむしろちょっと下がってる。じゃあピケティの話は日本ではあてはまらないのか。お父さん、日本では格差拡大なんて起こってないんですね! だからピケティをありたがってる連中はアホだね。六千円近く払って山形を儲けさせてるだけのカモってことですか。格差がどうのと騒いでる連中は、頭の悪いアカだけってことですな。
が、ちょっと待った。
実は、ピケティ本の読書会が東京財団で行われていて、そこでえらい学者たちがいろいろ検討をしている。ぼくもお呼ばれしているんだけれど、そこでいまのと同じグラフが出てきた。
ふん、確かに上位1%では日本も(ヨーロッパも)全然ちがいますな。でも…… 学者(の中でも立派な人)はえらいもんだ(ちなみにこのえらい学者は矢野浩一先生なり)。これだけでモノを言ったりはしない。もう一つ出してきた。それが次のグラフだ。
上位1%ではなく、上位10%の取り分をみると、ここ数十年で激増しているのがわかる。その比率はアメリカに肉薄している。
確かに、日本の所得格差はアメリカとはちがう。でも上位1%だけを見ることが、実はとってもミスリーディングだということもわかるだろう。日本は、確かにアメリカみたいな超大金持ちはいない(いても増えていない)。でも、中金持ちくらいがずーんと取り分を増やしている。
さて、これはいいことだろうか、悪いことだろうか? どっちとも言えるよね。そして日本の格差は上がっているのか、下がっているのか? それはあなたの問題にしている「格差」が何かによってまったく変わってくる。超大金持ちがウハウハしてなければ、格差問題はないと言えるんだろうか? 上位10%というと、一部上場企業の勤め人とか結構入ってくる感じだ。そんな大金持ちという感じでない人も多い。そこが富むのは、人によっては中流層が豊かになってるということだと解釈するかもしれない。人によってはもちろん、上位10%なんて金持ちだし、これは明らかに格差上昇のしるし、と言うだろう*1。
さらに、書こうと思って忘れてたのをコメントで指摘されたけれど(ありがとう!!)、これは上のほうがもっと取るようになったわけではないかもしれない。むしろ、それ以下(というか底辺層)の取り分が減ったので、相対的に上が増えて見えるだけという面もある。すると、話は金持ちけしからんではなくなる可能性もある。そんなこんなで、いろいろ解釈もあり、政策的な対応も無数に考えられる。
どういう立場を採るかはあなた次第。ただ、ピケティは『21世紀の資本』の最後でこう述べている。
でも私は(中略)特にあらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、真剣な興味を抱くべきだと思うのだ。お金を大量に持つ人々は、必ず自分の利益をしっかり守ろうとする。数字との取り組みを拒絶したところで、それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ。
WSJがやっているのは、自分の利益をしっかり守ろうとして、格差なんかないよ、問題にしちゃいけないよ、とみんなに刷り込もうとすることだ。それは、日本とアメリカだけ比べていることから見ても明らかだ。フランスを挙げたら「日本だけ例外」というWSJの主張は通らなくなる。ちなみにぼくはWSJに、このブログのちょっとした記述を針小棒大にとりあげられ、日本の翻訳者がピケティを罵倒している、という記事に仕立てられたので、WSJには恨みを持っている。だからこの見方には多少の悪意が入っている。でもはずれてはいないはずだ。
ついでに2/11の日経の経済教室で、ピケティやサエズらと協力して日本のデータ収集に尽力した森口教授の発言も、ツイッターなどではお先棒をかつぐような話と思われているようだけど、森口教授はもちろん、そんな意図はないだろう。ここでそれを丸っきり請け売りしている内藤忍という人は、なんかピケティねたで気の利いたことを言ってみたかっただけだろうけれど、かなりWSJ的な金持ちにゴマをする(またはご当人が十分お金持ちなのかもね)主張だとは思う。
ちなみに、竹中正治は、自分でちゃんとデータを見て上と同じことを言っている。この人は消費税あげろ論者なのでぼくはちょっと白い目で見てはいるけれど、でもきちんとデータを見てその含意も読み取って、たいへん立派だ。他のデータもあわせて検討して、きわめて総合的に納得のいく話を述べている。ピケティをめぐって、こうしたきちんとした議論が出てくれば、日本の格差議論も本当に有意義なものとなるはず。