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はじめに
このたび、ついについに難産の子、ピケティ『資本とイデオロギー』が出ました。
なんといってもあのベストセラー『21世紀の資本』の続編ですし、前作を読んだand/or 買った方は、手に取らずにはいられないでしょう。が、なんせ千ページを超える重さ。手に取った瞬間に腕の筋を痛める方もいるとかいないとか。
また前著は、邦訳が出る以前に英語版がベストセラーとなり、したがってその中身についても、よかれ悪しかれ情報がかなり出回っていて、r>g とか読む前からみんな口走っていた。それに対して今回は事前の情報が少ない。まったく白紙状態でこれだけの本にとりかかるというのは、ちょっとビビるものがあるというのは十分理解できるところ。
そこでざっと説明しておいたほうが親切だろう。
同時に本書は、なんせこの長さだ。通読しろというのは酷だ。みんな自分の関心に応じて適切に拾い読みできたほうがいい。では、どこが自分の関心に合うのだろうか? それが見極められるように、本書のおおまかな筋立てを理解しよう。
1. 『資本とイデオロギー』の概略
さて、『資本とイデオロギー』は、『21世紀の資本』の続編だ、というのは冒頭で著者自身が書いていることだ。が、『21世紀の資本』をお買い上げいただいたみなさん、あれがどんな本だったかご記憶でしょうか? ということで、まずはそのおさらいから始めましょう。
1.1 .『21世紀の資本』のあらすじ:
『21世紀の資本』は、大部ながら非常に明快なストーリーを持っていた。簡単にまとめると以下の通り。
- 産業革命後に急激に格差が拡大し20世紀前半に急激に下がり、いままた拡大している
- それは資本収益と労働収益の関係に左右された部分もある (r>gかr<gか?)
- かつて特に農業経済時代は土地という資本の収益 (r)が、労働の収益の伸び (g) よりでかかった(r>g) から資産持ちがどんどん豊かに
- その後、資本は工業資本に変わり、そしてさらに金融資本が主流になった。収益率4%ほど!
- ところが20世紀半ばに、インフレ、累進課税、工業成長で r<g (税引き後ね!) になり働くほうが有利になり、格差低下
- それが1980年代からr>gに戻り、また金持ち有利になって格差拡大!
- だから格差を縮小するため、資本を平等化する累進資本課税しよう。
その優れていたところはこんな感じだ。
- 格差の拡大を文句なしに示した (当時はこれ自体がまだ不明確だった)
- それが世界的に並行して起きているのも示した
- トップ1%が特にいろいろガメているのを示し、we are 99%を改めて示した
- 資産の果たす役割が大きいことを指摘、格差の議論に資本を復活させた
- それを r>g というきわめて単純な構図に落として見せた
特に最後の点は重要だと思う。『21世紀の資本』をめぐる多くの議論は、r>gが正しいかどうか、という点についてのいろいろ賢しらな議論ではあった。ピケティ自身は「いやまあそこだけに注目せず、本のほかの部分も見てよね」と言ってはいたが、やはり特に経済学者の多くはここぞとばかり微分積分ベクトル解析を持ち出してr>gの妥当性の議論に終始した。
さてその一方で、そのr>g談義以外に出てきた批判としては、なんとなくマクロな格差推移を見ているだけで、その原因をきちんと見てないよね、というものが多かった。そしてもう一つ、出てきた解決策が弱いよね、と言われた。金持ちに課税するだけでいいの? その金で何するの? 金持ちいじめて憂さ晴らししたいだけでは、とまで (一部では言われた)
『資本とイデオロギー』は、それに生真面目に答えようとした本となっている。
1.2. 『資本とイデオロギー』の全体的な話
では、それを受けた『資本とイデオロギー』はどうあるべきか? 当時ながら、まずマクロな格差推移にとどまらない、ミクロな話をもっときちんと見てやろうじゃないか、という話にはなる。そして、施策についてもう少し細かく見よう、という話になる。
でもミクロな話をいろいろ見るだけでは散漫だ。そしてそれをいまの施策につなげるためには?
そこで出てきたのが「イデオロギー」という概念。これは、「言説」と言い換えてもいい。格差は常に、それを正当化するイデオロギー/言説により支えられてきた。だから、その言説を見よう。そしてその言説が現在のイデオロギー構造=選挙における政党構造をどう変えているか見よう。それが格差にどう関係しているか考えよう。その上で、格差低減が実現する方策を考えようじゃないか! 課税するだけでなくその使い方も考えよう!
1.3. 『資本とイデオロギー』のあらすじ
第I~II部:歴史上の格差レジーム/奴隷社会&植民地
ここでは、ヨーロッパを中心とした聖職者/戦士/平民という三層社会、それがフランス革命などによる各種革命で壊れつつ、それを破壊する根拠の一つが、財産権の絶対視だったことを指摘する。そして様々な階級的特権が、かつての権利を財産権にすり替えることで特権と格差を温存拡大し、植民地や奴隷社会がそれを悪化させたことを示す。(そしてその過程でその様々な細かい歴史経路をあれこれ細かく示してくれる)
- 前近代社会→社会民主主義→新自由主義による格差拡大/縮小の各国別の歴史
- 格差は社会的な秩序と安定の名の下に正当化されてきた(身分絶対視から財産/所有権絶対視へ)。
- だがそれは大衆動員のイデオロギーさえあれば変わる
- その細かい経路を見ることで歴史上にあり得た可能性が見えてくる
- 資本は国際化したが左翼は国別にとどまり税制競争を阻止できずに累進課税や相続税/資本税の弱体化を見すごした。
- また資本の形が変化し、国境を越えるようになったのに、それを追うような国際的左派綱領もできなかった。
- 社会主義の崩壊で、自由主義に対抗するモデルがなくなり、左派は内にこもった
- 旧社会主義国は大きく逆に振れて、ロシアは最悪の格差国となった。
- 中国はロシアの失敗に学んで少しはマシながら、はやり格差は大きく拡大。
- かつてはエリート支配階層の保守系政党VS下層労働者階級の革新政党の構造が格差改善に大きく貢献
- それが急激にエリート商人右翼(=保守)VS エリート高学歴バラモン左翼 (革新) になり、政治がエリートだけのものに。
- エリートは能力主義や国際性といったお題目に踊り、累進課税や相続税/資本税の弱体化を見すごす(どころか後押し。さらに教育はエリート内で再生産したがる)
- 移民や環境など国際的な課題にも無策
- 下層階級を代弁する政党がなくなり、下層階級は排外主義に走って格差拡大を煽った
- まず20世紀にあれほど効いた累進課税はどんどん弱められている。これをまず強化しよう。
- それに伴う実効性あるベーシックインカムも考えよう。
- 税制の国際的な協調と情報共有を進め、いまの大企業しか得をしない税金引き下げ競争をやめさせよう。
- さらに資産課税をもっと強化しよう。いまは固定資産税だけ。それを金融資産にも広げよう。
- 資産課税逃れを許さないためにタックスヘイブンその他に圧力をかけ、世界共通の帳簿を作り世界一致の所得/資本課税を!
- 財産を絶対的なものにしてはならない。財産は個人ではなく社会が生み出したもの。だから資本課税を通じて数十年単位で資本がすべて社会に戻るようにする。そのお金で若者にベーシック資本給付を!
- 下層階級が環境政策や移民受け入れに反対するのは、金持ちがその費用を負担しないので不公平だと思っているから→累進課税や資産課税で金持ちから税金を取るべき
- インフレは金持ちはいくらでも逃げ道があり貧乏人の負担が大きいのでダメ、金持ち課税すべき
- 赤字財政支出は国債買える金持ちに金利支払う格差拡大なのでダメ、金持ち課税して財政赤字減らすべき
- 中央銀行金融緩和は非民主的で財政赤字増やして経済を借金づけにしてインフレ煽りかねずヤバい、真の問題解決に逆行する代物
- 株主がやたらに力を持つのはよくないので企業取締役会に労働者代表などの枠を設け大株主の議決権も制約すべき
- EUは国境を越える試みのはずが、エリート主義で反発を抱いている。国際化に向けた取り組みができるよう、その一部だけで共通税制セクトを作って、EU本体と別の意思決定制度を作り、そのセクトがEUの他の部分に対して関税をもうけて他のところにも参加を強制しよう!
- インドがやっているように、人種や所得別にアファーマティブアクションの化け物をあらゆる場面に導入し、ついでに以前の差別について賠償制度を設けよう。
- 選挙制度も現在は金持ち献金に支配されているので、政党支援バウチャーで各人が好きなところに支援できるようにしよう。
- 文化やマスコミ支援も、現在の寄付金減税制度は寄付できる金持ちの趣味に対する公的支援に等しいので、これも文化支援バウチャーでみんな投票できるようにしよう。
第III部:20世紀の大転換
20世紀に入って格差は大きく減ったが、それが1980年代から急増した。その原因は、左派が資本の国際化に対応した綱領を刷新できなかったことだ。そして社会主義の崩壊で格差はさらに拡大した。
第IV部(その1):政治的対立の次元再考——問題編
なぜ20世紀末に格差が急増したのか? それは世界的な政党構造の大変動のせいだ。かつて下層民の代弁者だった左派政党が、学歴エリートの政党となり、格差拡大に無関心になった。そして資本の国際化にも対応できなかった。それを改めねばならない。
第IV部(その2):政治的対立の次元再考——対策案 (第17章)
では、具体的にどんな対策をすればよいのか? それは何より、下層民の味方からエリート主義に走った左派が変わらねばならない。そして、資本の国際化に対応した刷新をとげねばならない! そして財産絶対主義に立ち向かう新しい資本概念を打ち立てねばならない!
第IV部(その3):政治的対立の次元再考——対策案 (その他随所)
その他、ピケティは本書でいろいろな施策の提案をしている。その説得力はかなりバラツキがあるが、とにかくいろいろ述べられている。
2. 通読する必要はないと思う
というわけで、『資本とイデオロギー』は、こういう話だ。では、それをどういうふうに読めば良いだろうか?
「はじめに」でピケティは、頭から通して読むように奨めている。結論だけ先に読んでも、何がなんだかわからないだろうから、と。
著者の懸念はわからないでもない。その一方で、訳者としては通読はおすすめしない。特に、精読しつつ通読するのはまったくお奨めできない。欧米の書評でもしょっちゅう指摘されていたことだが、本書は前半と後半がかなり明確に分かれている本だからだ。前半の歴史部分、そして最近の政治動向に各種施策をからめた部分だ。
この両者が関係ないか、といえばそんなことはない。ただ、その関係は必ずしも緊密ではないので、前半を精読せずに後半を読むことは十分に可能だ。むしろ、精読してしまうと細かいところに気を取られて、全体が見えにくくなってしまいかねない。
たとえば最初のほうで、昔は貴族が威張っていたとか、聖職者が幅をきかせていたという話がある。それが現代の格差にも影響しており、たとえばカトリックはの聖職者は妻帯できず、それがその後の格差の形成に重要な役割を果たした、あるいは身分制が廃止されたあともかつての使役義務が財産権概念を通じて強制労働に変換され云々、という話が出てくる。あるいは、イギリスがマヌ法典を利用してカースト制を固定化し、それがその後のインドの格差に大ききな役割を果たしたがそれがかなり恣意的な理解に基づくもので云々、という話もずーっと出てくる。
さて、これはそれ自体としてはなかなかおもしろい話。それ自体として「へえー」「へえー」と感心してほしい。が……
困ったことに、本ではその後、強制労働も聖職者の妻帯の影響もマヌ法典もまったく出てこないのだ。だから前の方で、それらの細かい運用についてあれこれ学んだのがまったく生きてこない。そうしたものが、現在の格差やその元になる権力関係にどう関係しているか? そういう話はほぼ出てこない。
そして、それは当然ではある。そういうのは、支配や権力関係、さらにそこから出てくる格差の源泉ではない。単なる口実でしかないからだ。貴族は別の口実を使って己の権力を財産的に確立できただろう。マヌ法典がなくても、イギリスは何か別の口実で支配を固めただろう。大事なのはそうした恣意的な言説を選ぶにあたり外部に働いた大きな力であって、そこで利用された恣意的な=つまり定義からしてどうでもいいストーリーを深掘りしたところで、大きな話の理解には貢献しないのだ。
正直、個別の国や地域のミクロな話にこだわり、それぞれの国での経路のちがいばかり強調したことで、本書は『21世紀の資本』の大きな指摘を見えにくくした面すらあると思う。もし各国の事情がそんなにちがうなら、どうして大まかな格差推移の歴史があちこちでそんなに共通なのか、ということだ。世界的な大きな流れや力学があり、各国の事情はその大きな力学への個別対応のあらわれなのでは?
また、第Ⅳ部前半の、商人右翼とバラモン左翼は、キャッチフレーズとしてはおもしろい。だがそれ自体としてはおもしろくても、学歴エリートに学歴エリートであるのをやめろ、とは言えない。それ自体としてはどうしようもない話だ。エリート支配はよくない、非エリートの貧乏人もいろいろ参加できるような仕組みを作らねばならない、と言う。でもどうやって? みんな我が身が可愛いし、自分の子はいい学校に入れたいと思ってしまう。累進課税して金持ちから税金とれ、というのはわかるが、そういうぼくだって確定申告のときには、できれば節税したいと思ってしまう。社会としてもっと貧乏人の気持も考えましょう、というのがピケティの主張となる。でも、かけ声だけでそれができるならそもそもこの問題は起きない。たぶんそこに、解決に向けたヒントはあるんだろうが、この話だけを深掘りしても壁にぶちあたるだけのようにも思う。むしろ、ピケティとして必要と考える施策をどう実現すべきか、というところを読者なりに考えたほうがいいのでは?
3. タイプ別読み方
すると本書は、読者タイプ別にどう読むべきだろうか?
『21世紀の資本』の続きとして読みたい人、つまり経済格差とその対応を知りたい人は……
最も多いのは、格差のあり方とその対応、というところに関心のある人だと思う。そういう人は、第3部で21世紀の各種動きをまず理解するのがよいと思う。そしてそれに続いて第17章を読むことで、ピケティの考える対策を理解しよう。
たぶんそこから、その背景となる20世紀の政治動向や、個別各国のおもしろい事例を知りたい人は、その他の部分を読んで得るところもあるだろう。でもそれは、その読者の興味次第ではないだろうか。
経済格差への対応を知りたい人は……
一方、第3部の格差拡大のパターンも、『21世紀の資本』とそんなにちがうことが書いてあるわけではない。だから『21世紀の資本』の話がわかっている人は、そこを飛ばしても大きな害はない。具体的な施策は、とせっかちに結論に飛びつくのを、ピケティ自身はいさめている。でも、まず17章の各種施策をざっと見るのは決して悪い手ではないと思う。ピケティがどういう問題意識を持っているかは、だいたいそれだけでわかる。
ある意味でそれは本書の議論の弱さでもある。格差はイデオロギー=言説によるものだ、とピケティは言う。ならば、格差解消にはイデオロギーを変えればいい、言説を変えればいいのだ、ということになりそうなものだ。ところが、出てくる施策は税制や給付の仕組みなど。いったいどういうイデオロギー的な変更が起こればこうした施策が実現するのか? みんながこの施策に賛成すればいい、というのはあまりに弱い。こうした施策をとっても社会は崩壊しないとわかれば、みんな賛成するとでも言いたげなんだが、そうなんだろうか? そこら辺を核に、本書の他の部分を読み進めるというのも一つのやり方だろう。
世界各地の格差の変動プロセスの比較に興味ある人は……
歴史に非常に興味ある人は、冒頭から読んでもいいと思う。特に、個別の地域や国に興味がある人は是非。第1部と第2部は、そうした興味に必ずや応えてくれるだろう。奴隷制や植民地主義の部分は非常に興味深い。南米のブラジルをめぐる話、イランの神権政治の話、中国の清朝における格差の話など、実に楽しい部分は多い。もちろん、日本はきわめて成功した例としてあがっているので、これまた是非みてほしい。
その一方で、その読み方をする人は、『21世紀の資本』を改めて読んで、歴史的な個別性と並行した、歴史的な共通性にも留意してほしいとは思う。また、やはり手を広げすぎたために個別の部分では突っ込む余地もあると思う*1。それが全体の論旨にどこまで影響しているかは、読者のみなさんが判断してほしい。
4. 最後に
『資本とイデオロギー』は、非常に野心的な本ではある。『21世紀の資本』の成功に気をよくして、かなり風呂敷を広げようとしている。ただし、そのためにやたらにボリュームが広がってしまい、もう少し絞られた関心を持った人=大半の人にとっては、なかなかポイントがつかみにくくなってしまっている面はある。
そんな人に、この小論が少しでもお役にたてば幸い。そして、みんなが自分の関心に応じて、この大作をつまみ食いや拾い読みでも、見てくれれば幸甚ではある。
なお、おそらく格差という面で関心がある人は、まず次の本にざっと目を通しておくといいかもしれない。
この本は講演録だけれど、この『資本とイデオロギー』の抜粋的な面もあり、ピケティの問題意識を理解する上では有用だと思う。ただ……もんのすごい薄くてスカスカ。そして、問題は挙がったいるけれど、じゃあどうすればという話がきわめて薄い。というか、ない。立ち読みでもすんでしまうほど。
以下のサポートページに図表が全部あるから、こちらを見ておくのも手だ。
本書の原著が出てから翻訳が出るまでに、ちょっと時間がたった。世界情勢はかなり変わった。コロナがあり、そしてウクライナ侵略が起きた。そうしたものが本書の議論を変えるか、あるいはむしろ裏付けるのかは人によって判断が変わる。また、格差拡大も停まり、もはやピケティの問題意識は時代遅れだといった記事が一部の経済誌に出たりもしている。そこらへん、どう判断すべきか? またピケティの施策はどこまで有効なのか? その実現への道は? 本書を手に取って、そうしたことを少しでも考えてくれる人が増えることを祈りたい。
*1:たとえば宮崎駿の『風立ちぬ』は、西欧の帝国主義レイシスト的な侮蔑に立ち向かう日本の技術者の話と言っていいものやら。さらに『ブラックパンサー』は、独占してきた価値の高い資源を世界で共有する話、というんだが、そうだっけ。しかも続編でいきなりその話はとりやめになっちまうし……