Executive Summary
8/23あたりに起きた、ワグネルグループのプリゴジン粛清不慮の死をめぐるプーチンコメント。思わせぶりな部分もあるが、現時点では単なる事実確認。ただ雰囲気としては、ウクライナ/悪の西側による殺害、ということにしたい感じが漂っている。あと、ワグネルグループに触れてはいるが、一方でプリゴジンを、むしろ資源系のビジネスマンにしたいような雰囲気は不思議。あまり深読みするのも意味はないだろうが。
ドネツク人民共和国 首長代行デニス・プーシリンとの会合
2023年8月24日 18:55 モスクワ クレムリン
デニス・プーシリン: (前略) アルチョモフスクの話が出たついでですが、昨日ここに向かう途中で、イフゲニー・プリゴジンの死に関する胸の痛むニュースを知りました。これは我々にとって繊細な問題です。というのもワグネルグループの彼の部下も命を落としたからです。アルチョモフスク解放に参加したのは彼らでした……もちろん状況は様々な懸念と同情を我々の間に引き起こしました。残念ながら現在起きていることは理解するし、敵にまわしているのがどんな連中かもしっています。また敵は何ら手加減などしないのも知っています。
ウラジーミル・プーチン: 飛行機の墜落について言えば、まず、被害者全員のご遺族には心からお悔やみ申し上げる。墜落はいつでも悲劇だ。実際、ワグネルの団員たちが搭乗していたなら、というのも速報から見てそうらしいからだが、そうした人々がウクライナのネオナチ政権と戦うという共通の大義に対して有意義な貢献をしてくれたと言わねばならないからだ。我々はこれを記憶しており、知っているし、決して忘れない。
プリゴジンは長いこと、1990年代初頭から知っている。困難な運命の持ち主で、人生でいくつか深刻なまちがいもしたが、己に必要な成果も挙げたし、また過去数ヶ月で起こったように、私が頼んだときには公共の善のためにも必要な結果を出してくれた。
才能ある人物で、天性のビジネスリーダーとして、アフリカを含め我が国の内外で働いてきたし、その面でかなり有能だった。石油、ガス、貴金属、宝石の仕事をしてきた。私の知る限り、たった昨日アフリカから戻ったばかりで、高官何人かと会合を開いた後だった。
確実に申し上げられるのは、調査委員会の委員長が今朝私に報告したように、この事件に関する暫定調査が始まったということだ。それは完全に実施される。それについては一切の疑念があってはならない。しばらく待って、調査委員たちが何を言うか見よう。
専門的な技能と遺伝子検査が現在行われている。これはしばらくかかる。
デニス・プーシリン: 専門家たちが事件の真相を解明すると確信しております。これは我々みんなにとって重要なことです。
大統領閣下、以前のご指示やご要望について手短にご報告したいと思います。(後略)
プリゴジンの乱を受けて、その解釈についてはいろいろ出てきた。そしてその首謀者について絶対に許さないみたいなことをプーチンが語っていて、ああこれはプリゴジンも友愛されるのは確実に思えた。
ところがそのプリゴジン、ベラルーシに逃げたと思ったら、やっぱ戻ったとの話で、なんだかよくわからなかった。さらに、彼に対する刑事訴追はすべて終了という報道が出て、え、逃がすの?!?!とかなり意外だった。ぼくは、この上の演説を見て、「ああ絶対許さないと思われちゃったねー、もう助からないねー」と思っていたので、すごく驚いた。8/22あたりにアフリカから (と称する) 本人のビデオが登場した。まさか表舞台に復帰できるとは思わなかったので、みんなびっくり。ぼくも自分が完全に読み違えたかな、と思っていた。
バカな親露派は、やっぱすべてプーチン様は計算してやってたのね、プリゴジンは正義の英雄で、西側の悪行をつぶすプーチンの偉大な活動を今後も支援し、チェ・ゲバラのようにアフリカを解放するのだ、という妄言に浸っていた。が、それは論外にしても、こうして公然と出てこれるということは、結局まだ使い出があると判断され、なんか許されて、まあ外国で活躍してなさいよってなあたりで手打ちになったのかと思った。
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— Kumi@🇮💟🇨🇺☭ (@Kumi_japonesa) 2023年8月22日
【お久しぶり、プリゴジンさん】
50℃のところで仕事中だ。
ここに来る道に我々は魅了された。
ワグネルグループは調査と探究の活動をしている。ロシアをすべての大陸で最も偉大な国にする。そして、アフリカをもっと自由にする。アフリカの人々に公正と幸福を! pic.twitter.com/cSoVuWiT5I
そうしたらその直後、8/23頃に、いきなり乗っていた飛行機がロシアで墜落。死亡という公式発表があった。多くの人は、マジかよホントかよ、というのが第一印象。特に、墜落はアフリカビデオの直後だったので、ぼくも含めかなり混乱して、そんな場所にいるはずがないのでは、ホントに死んだのかとか、どっちかが影武者ではとか諸説あった。
が、結局このプーチンの談話を見ると、ビデオを撮った直後にアフリカからロシアに戻った模様。そしてもちろん、許されてはいなかったのねー。やっぱぼくの読みはまちがっていなかったのねー。わっはっは。どんなもんだい。
全体の会議は、建前上はプリゴジンの話はついででしかなく、ドネツクの現状の話 (=悪辣な西側ネオナチのウクライナ政府の悪行+不屈のドネツク人民の自慢) がメインだが、実際には逆なのはみんなご存じのとおり。その本題のところだけ訳しました。