チェ・ゲバラ広島行きの謎、および三好徹『ゲバラ伝』

いま訳しているゲバラ本、詳細なだけあって、とにかくおもしろいエピソード満載ではある。その一つが、1959年ゲバラの来日および広島訪問のエピソードだ。

簡単に背景を。1959年1月、世界の驚きをよそにキューバ革命が成功してハバナは制圧されてしまい、新政権が樹立した。カストロは、表向きは自分が共産主義者じゃないと言い張りつつ、軍と政権内の粛清とキューバ共産党 (=人民社会党) メンバーの浸透を着々と進める。

そんな中、カストロは今後のアメリカとの関係悪化を予想し、アメリカ以外への輸出市場拡大および外交関係の強化を狙って、特にバンドン会議の「非同盟国」(米ソどちらにも肩入れしない国々、エジプトやインド、セイロン、インドネシアなど) および新興工業国 (当時の日本は、いまのような「先進国」などではなく、あくまで妙にがんばってる後進国もどきだった) である日本やユーゴに使節団を送りだし、その親玉にチェ・ゲバラを据えた。そして彼らは1959年7月15日に来日した。

その日本でのスケジュールの中、彼らはわざわざ広島の原爆慰霊碑に献花しにくる。

献花するキューバ使節団。左からフェルディナンド大尉、チェ・ゲバラ、キューバ大使アルソガイラ、県のアテンド役見口、1959 (中国新聞)

ゲバラの広島行きの経緯とは?

この広島訪問の経緯は、一般にはとてもストレートに説明されている。ゲバラが広島行きを決めたのは、あちこち視察しているうちに7/24 (金)に大阪にいて、「あ、広島近いじゃん」と気がついたからだ。そこで外務省に要請が出されて手配が行われ、彼は翌日7/25 (土) の午後に広島に飛行機で (岩国空港経由で) 向かったことになっている。県とその担当者の記録および証言では、岩国空港についたのは午後1時、県の担当者はそれを空港で迎えて車も出し、新広島ホテルに向かって、それから原爆慰霊碑に献花している。そしてホテルで一泊の後、7/26午前に山陽本線の特急で大阪に戻り、その後東京に向かったとのこと。特に何の変哲もない、ふつうの視察と表敬訪問だ。

が、いま訳している本に、これをめぐるちょっとおもしろいエピソードが出ている。

アルフレード・メネンデスは、東京のキューバ大使から翌日には千鳥ヶ淵戦没者墓苑に献花に行く予定だと聞かされたときのチェの反応を覚えている。ここは第二次世界大戦で戦死した兵士を悼む記念碑だ。チェは激しく反発した。「そんなところに行くもんか! あれは何百万人ものアジア人を殺した帝国主義の軍隊だ (中略) 行くのは広島、アメリカ人が日本人10万人を殺したところだ」。外交官は顔色を失い、それは不可能で、すでに日本首相とも手配が済んでいる、と告げた。チェは断固として譲らなかった。「オレの知ったことじゃない、お前がどうにかしろ。こっちの承認なしに勝手に手配したんだから、さっさと取り消してこい!」

こわー。ちなみにこれ、千鳥ヶ淵ではなく靖国だった可能性もある。

メネンデスは、キューバ使節団の砂糖専門家。ゲバラの使節団の最大の目的は砂糖の売り込みだったので、彼は使節団の中では重要人物の一人となる。もし彼のこの話が本当なら、話はもう少しややこしかったことになる。この千鳥ヶ淵云々の話はおそらく着いてすぐ、東京にいた頃の話だと思われる (到着は7/15)。その時点で広島行きの希望はあって、この真っ青になった大使が慌てて要請を出したはずだ。それがやっと7/25になって実現したというわけ。大阪で、ふと思いついてでかけた、という話ではない。むしろすでに要請から10日、「あれはどうなってる、行かせないつもりなら自分たちだけでも行くぞ」という話となる。一般に言われている話のような、平穏な広島行きではない。

そして確かにそれを裏付ける話がある。三好徹『増補版ゲバラ伝』に出ている話だ。

とはいえ、その話はいささか奇妙に聞こえる話とセットになっている。それを語っているのは、使節団のフェルナンデス大尉だ。

わたしたちは日本に着いた日のはじめから、広島へ行きたいと儀典課に申し入れた。しかし、日本がわがいやがっているような印象をうけたので、三人で夜行の切符を買ってこっそり行った広島へ着いたのは、夜の明ける頃で、これははっきり覚えている。飛行機では絶対にない。駅からタクシーでホテルへ行った。そこで部屋を取り、顔を洗ったりしたけれど、泊まりはしなかった。 (pp.427-8、強調引用者)

そんなバカな。ゲバラとその護衛と、2月に着任したばかりの在日キューバ大使という三人が、思いつきでいきなり大阪のホテルを抜けだし、お忍びで夜行列車という話はあまりに無理がある。カリブ海の変な途上国 (当時はその程度の認識だ) とはいえ、一応はその国トップクラスのおえらいさんに、着任したばかりの在日本キューバ大使。一応だれかアテンドしてなかったの? そしてそれがお忍びで夜行列車に乗って……窓口で切符買えたんだろうか? キューバ大使、日本語できたの? さらにこっそりきたにしては、県はすでに対応準備も整え、アテンド担当者も用意しているというのは話が変だ。その担当者は、中国新聞の記事の写真にも映っている。どこで落ち合ったんだろう?

普通なら、まあ見た瞬間にヨタではある。wikipedia の執筆者も、なんか記憶違いだろうと一蹴している。が……困ったことに三好によれば、新広島ホテルの記録 (7月25日早朝到着で午後には出発のデイユース、宿泊なし)、および当時の中国新聞の記事 (上り特急かもめで25日午後に出発) は、むしろこのフェルナンデス説を裏付けているという。

さて、もしこの話を信じるなら、日本到着日、つまり7/15から広島行きを要望した、ということになる。その日に、千鳥ヶ淵をドタキャンという事件が起きたということであれば、スケジュール的にはつじつまはあう。

しかしそうなると、広島県が25日の午後に空港で出迎え、車も用意し、新広島ホテルでは一泊し、出発は26日朝という記録を残し、そのときのアテンド担当者もその旨証言しているのとまったく不整合となる。

そして広島県とその担当者が、苦労して記録を捏造して口裏をあわせる理由もない (はず)。

どういうことだろう?

このため三好徹も、一応は県側の記録を信じてそれに基づいた記述をしている。ただしフェルナンデス説にも未練があって、それを注に残して本文にも注を必ず読めと大きく書いている (p.252)

うーん。

実際に何があったのかはわからない。ただ全体として、やはり広島行きは「いまふと思いついたが明日広島行きたい」「はいそうですか、ではどうぞ」というほど単純なものではなかったのはまちがいないようだ。メネンデスの証言にある、千鳥ヶ淵をドタキャンという事件が本当にあったのかはわからないが、大使がどなりつけられて完全に面子を潰されるというとんでもない話が完全な捏造とは考えにくい。何かその手の話があって広島行きが急に争点となったのはおそらく事実なんだろう。そして外務省もそんなことをされたら (特に本当に岸信介首相のスケジュールまで調整したのを反古にされたら)、ふざけんなと思うだろうしあまりいい対応はしないだろうとは思う。

で、外務省としては行かせたくなかったのか、あるいはせっかくの調整を潰されて怒っていたのか、うやむやにしていたらゲバラ側はむかついて「なんだあいつら、広島行かせないつもりかよ、ふざけんな、勝手に行っちまおうか」くらいのことは言っていただろう。そして大阪で「あ、近いから他の予定潰してでも行く」と言われたので、外務省も仕方なく対応したのでは、という印象はある。フェルナンデス大尉はそういうやりとりを脳内でふくらませたのかもしれない。

ただそれでも、三好の指摘する、新広島ホテルや岩国新聞の記事との不整合は、まったく説明がつかない。謎。その全日空の大阪=岩国便の乗客名簿でも確認できればいいんだけれど。

三好徹『増補版ゲバラ伝』は、訪日の事実関係は参考になる

さて、ここで引用した三好徹『増補版ゲバラ伝』について、ぼくはこれまでまったく評価していなかった。以前の書評では「しょせんは信者の信仰告白」と一蹴した。

cruel.hatenablog.com

この評価自体は今も変わらない。読むと、とにかくカストロとゲバラに関する限り、あらゆる公式発表やその場しのぎのデタラメを平気で鵜呑みにし、チェ・ゲバラとカストロは常に正しく、無謬で、正義のために戦う気高い存在であり、その意に沿わぬ連中はみんなそいつらが悪く云々。

ただし、この訪日時をめぐる三好本の調査ぶりは、ちょっとすごい。

といっても、それは日本側についての調査に限った話だ。キューバ側の話は随行したフェルナンデス大尉に話を聞いただけで、それをまったく裏取りなしにそのまま右から左に流している。このため、調査団員の名前をやたらにまちがえているうえ、それぞれの団員の役割についても何もわからない。というのもフェルナンデスはカストロの護衛としてついてきただけで、明らかにこの使節団の使命については何も知らないしまったく関与していないのだ。

ところが、三好への話でフェルナンデスは自分を、副団長だと盛っている。

それは考えにくい。この時点でのフェルナンデスは、若造のゲバラよりさらに若造でしかない。さらにこれは砂糖の商談ミッションなので、実務面で最も重要だったのは、上の千鳥ヶ淵の話を語ったメネンデスだ。だが三好本は彼の名前をまちがえているし、それが何者かも触れない。

また三好はその直前の部分で、カストロは共産主義者じゃない、米帝もソ連も嫌いだと言っている、キューバ共産党(=人民社会党) はむしろ軽蔑対象だ、というのをしつこく述べている。だがメンバーの一人として名前が挙がっているフランシスコ・ガルシアという人物は、何も肩書きも役割も書かれていないが、実は「パンチョ」ガルシア・バルスという名前で、まさに人民社会党から送りこまれた共産党のお目付役だ。共産党がしっかり浸透してるのに、三好は調べられていない。

またもう一人、ハバナ大学の元数学教授で農業開発銀行の役員サルバドル・ビラセカ博士がきている。これも三好本は名前をまちがえている。この人は最年長で、しかも各種レセプションで出席人数が限られるときには、ゲバラと共に出席するのは彼だ (とメネンデスが語っている)。きちんと定義されていたかはわからないが、もし副団長がいるとすれば、キャリアも経歴も年齢もこのビラセカ博士だ。

このため、キューバ側の話についてはあまり信用できないというのが正直なところ。しかし、日本側の様々な裏取りという点では、三好本はすごい。ゲバラが面談した商工会議所の人間にもヒアリング、広島でのアテンド担当にも話をきき、さらに役所との面談については日本側の面談録をそのまま載せてくれているので、きわめて参考になる。新広島ホテルの宿帳まで見て、ゲバラ一行の入りと出の時間を抑えているのは驚く。そんなこと、よくできたなあ。

さらにはチェ・ゲバラ一行が献花した花輪のお値段まで出ている。1500円だって。各種のレセプションの会費その他の細部もくわしい。

そしてそれは、きちんと調べられているようだ。いま訳している本にはこんな下りがある。

日本は世界市場で砂糖を百万トン買っており、その三分の一はキューバからだった。チェは、その割合を増やせないかと思っていた。彼の発想は、日本は現在の割り当て量以上の部分についてはすべて円払いにできる、というものだった。そのお金は日本に残り、キューバが日本製品を買うのに使う。チェは、日本の通産大臣に会いたいと述べた。メネンデスによれば「チェはその提案をしたが、大臣は同意できないと述べた。自分たちの経済はオープンなのだ、と。砂糖は買い続けるが、余計な条件はつけられない、と。「あの髪の色の薄い北の連中から圧力を受けていますね」とチェ。これに対して日本人は「確かに」と答え、それを受けてチェは、問題ない、理解したと答えた」

さて、本当かね、という感じはした。特に「北の連中」=アメリカからの圧力なんていう下りは、お役人が言うわけないじゃん。そう思ったので、ぼくは最初は半信半疑だった。

が、三好本を見ると、確かにこれに類するやりとりがあるのだ。

チェ:日本は百万トンの砂糖の買付け量のうち、なお二十万トンを残している。もし三十万トン買付けの約束をしてくれるならば、うち十五万トン分の代金を円貨で受取る用意がある。

牛場:それはキューバ政府の提案か。

チェ:そのとおり。

牛場:これは大事な問題なので、いますぐには回答できない。

チェ:すぐに返事のできない事情はよくわかるので、検討してもらいたい。もし決定したら、キューバ砂糖決定委員会に連絡してほしい。これは国家機関で、政府代表、資本家代表、労働者代表が参加しており、会長は経済相であるが、一行中のメネンデスが事務局長をしている。 (p.254).

相手は通産大臣 (当時は池田勇人) ではなく外務省ではある。が、おおむね発言に対応関係があるのはわかる。「アメリカの圧力だろう」なんて下りはないので、これはメネンデスが盛ったようだ。が「事情は理解した」という発言はちゃんとある。

ここでも三好は、ゲバラは自分の一存でこの案を提案した、革命政府内の地位を暗示している、という見当違いのおべんちゃらを述べているが、当然ながら提示できるメニューくらい事前に考えていただろう。同行者のビラセカ博士は農業開発銀行だし、メネンデスも砂糖取引はよく知っているし、そんな騒ぐことかね。たぶんこの議事録に出ていない「円建て部分の代金は日本に保留」というのは、提示できるメニューとしてメネンデスたちとの相談のうえであらかじめ用意されていたものだったんだろう。ちなみに、その後のソ連との通商条約でも、最初の4年は現物支給という条件になっている。

それでも、解釈はさておき発言の裏は取れる。三好本は、そのくらいの精度はある。信仰告白を延々読まされるのは、うんざりはする。が、情報源としては (この部分だけとはいえ) よく書けている。その意味で、以前よりも評価を星半分くらい引き上げてもいいとは思う。

 

あと、通産大臣の池田勇人との、15分と時間を切られての対談は実に濃密だが、これまたおもしろい。三好は日本が上から目線でゲバラの言うことを聞いてあげなかったとおかんむりだが、その状況は多くの人が思うようなものではない。

まず当時、日本はキューバからの輸入超過になっていた。というのもキューバは日本製品に関税をかけてあまり輸入してくれなかったから。そして1950年代の日本は、だんだん工業ものびてはきたけれど、輸出のかなりの部分は軽工業の繊維産業だった。新興工業国で繊維産業の輸出が中心——つまりいまのバングラデシュ……というと物言いがついて確かにもっともだが、極端にいえばそういう存在だ。いまの経済大国日本とはまったくちがう。

だから池田勇人は、砂糖輸入増やせって言うけどさ、今だって買ってるのにあんた売りつける一方でずるいだろう、関税なくして日本製品買ってよ、というのを言い続ける。「バランス」というのが池田の二言目には登場する。ゲバラはそれに対し、日本の繊維製品が入ってきたらキューバの産業つぶれちゃうよ、堪忍してよ、それより砂糖買って、と言って話は振り出しに戻る。これを三回ほど繰り返して面談はおしまい。

そういう当時の日本の状況を理解せずに、もっと日本がゲバラの要求きいてやれ、と言ってもそれは無理筋だ。いま、キューバがバングラに、砂糖買ってと迫ったら、バングラは何て言うと思う? あんたもウチの製品買ってよ、と答えたとして、それが不当な上から目線の物言いだと思う? すでに輸入超過になってるところがもっと買えって言ってきて、しかもそいつは自分は関税で自国産業保護までしてるんだよ?

アメリカだって1980年代に日本にあれ買えこれ買えと言ってきた、という文句もあった。でもそれは、日本がものすごい貿易黒字を出していたので、あんた輸出ばかりじゃん、輸入もしてよ、という話だ。ここでの状況とはまったくちがう (むしろ正反対)。

実際の発言を再録してくれているので、こういう状況も (想像力を働かせれば) 理解できる。三好のコメントは彼が何もわかってないことを示すだけだが、それは読み飛ばせば良い。その意味でいろいろ有益。