プーチン論説集の低アクセスにがっかり、それとマクロン

数日前に、プーチンの大統領就任からウクライナ侵略までの各種重要な演説や論説、記者会見の公式記録を集めで訳したものを作って、大統領任期毎に分析もいれたんだけれど、反応がなんか鈍いなと思ったところ、ページのアクセス数が三日ほどで2000件。

……アクセスだけで2000しかないということは、まあ実際にダウンロードまでした人はその1割で200人、少しでも読んだ人は二桁がいいところか。いやあ、ここまでみんな興味がないとはびっくり/がっかり。多少は皆様のお役にたつと思っておりましたが……

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まあ仕方ない。

で、マクロンが習近平に懐柔されたとのニュースでここ数日は持ちきりだけれど、やっぱヨーロッパ (特に独仏英) 首脳というのは、まずアメリカと決別した独自路線というのに弱くて、そこを突かれると結構弱いみたい。そして結構打たれよわい。

上のプーチン論説集でも、その一端は紹介した。そして、プーチンもそこのところを突いてくる。pp.52-3より:


2007年7月のハイリゲンダムでのG7会合で、彼は新任のフランス大統領ニコラ・サルコジと会っている。だがプーチンと会って記者会見に臨んだサルコジは、YouTubeの映像を見てもわかるとおり、明らかにろれつがまわらず、異様にヘラヘラしていて、冒頭で会談のまとめすらせずに質疑に突入し、酔っ払っているという疑いさえかけられた。

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だが、彼は酔っていたのではなかった (そもそも彼は酒が飲めない)。その舞台裏が、臨席していただれかによって後に明らかにされている。

フランス側の出席者は3人と通訳だけだった。口火を切ったのはニコラ・サルコジだ。彼はまだ自分の理念に自信を持っており、対等な立場の相手との率直な対話が可能だと信じていた。「私はジャック・シラクとはちがう。私が相手だから、アンナ・ポリトコフスカヤ (訳注:プーチンに暗殺されたと言われるジャーナリスト) の話もしてもらう [通訳に身ぶりで警告されて、彼はこの名前をごまかした]」。そのままサルコジは数分間にわたり話し続け、プーチンはずっと黙って聞いていた。やっとサルコジが口を止めて、間を取った。

するとプーチンがその沈黙に冷ややかに割り込んだ。「おい、おまえが言いたいことはそれだけか?」サルコジは戸惑った。プーチンは続けた。「じゃあ説明してやろう。おまえの国はこんなだ (と手振りで小ささを示した)。おれのは——このくらいだ (と腕を大きく広げた)。おれにそういう口の利き方をしてると、ぶっつぶすぞ。だが態度を改めるなら、お前をヨーロッパのお山の大将にしてやるよ」。

プーチンは発言に、罵倒語や侮蔑語を混ぜ (そして丁寧な「Vy (あなた)」ではなく、気安い「Ty (きみ、おまえ)」という外交儀礼に反した表現をして) その発言の効果を高めた。サルコジはショックを受けた。そして怒りに震えながら席を立った。精神的にノックアウトされていた 。(Nicolas Henin, La France russe. Fayard, 2016, pp.112-3)

この翌年、サルコジはEU議長国として、ジョージア戦争をめぐる交渉を任されている。自伝では、その際に話をきかないプーチン相手に決然と席を立って見せたり、エスプリの効いた皮肉で相手をうならせたりして、見事に立ち回ったと自慢している(Nicolas Sarkozy, Le Temps des Tempêtes, Vol. 1, Editions de l’Observatoire, Paris, 2020, pp. 470-82.)。だがこの証言が事実なら、プーチン相手にどこまで強気に出られたのかは怪しいものだ。さらにその後、サルコジは急に方向転換して、ヨーロッパでのプーチン擁護の急先鋒となる。ロシアのクリミア併合をEUでまっ先に認めたのもサルコジだ。彼はどこかで、「ヨーロッパのお山の大将」になる道を選んでしまったのではないか——そう勘ぐられても無理はない。


習近平はたぶん、こういう恫喝よりは、おだてに頼っただろうとは思うけれど、マクロンもヨーロッパ独自路線を突かれ、ヨーロッパのお山の大将で舞い上がってるんだねー、という感じはする。

メルケルも、アメリカと決別した独自路線でプーチンに懐柔され、さらに別のやり方で恫喝をくらっている、という話も上の引用部分のすぐ上に書いたので、ご興味ある人なんかがもしいれば、見てみるのも一興かも。

プーチンに恫喝されるメルケル