プーチン本その5−7:木村『プーチン』3巻セット:冗長な記述に埋没するが中身は悪くないし、最終巻は優秀。

Executive Summary

 木村汎プーチン』三部作 (藤原書店、2015-2018) は、書きぶりはあまりにひどい無内容な水増しぶり。だがその中身はかなりきちんとしている。プーチンの自伝的エピソードのごまかしも述べ、また変な柔道談義で舞い上がることもなく、北方領土返す気がないことも指摘。特に最終刊の「外交的省察」は、最初の二つのうんざりする書きぶりがかなり薄れ、北方領土に浮かれたりせず、変な親ロシアのイデオロギーに流されることもなく、きわめてポイントを押さえた冷静なよい記述になっていて、2022年のウクライナ侵攻に繋がる動きもまとめられている。最終刊だけは読むべき。前の二巻は……ウザい書きぶりに耐えられれば。


だいたい何かについて勉強したいときには、一番薄い本を見て大枠つかみ、一番分厚い本を見てそのテーマで出てくるネタを一通りおさえるのが通例。すると他の本については、各種情報がどう取捨選択されて、大きな枠組みとどう関連づけられているか、というのが見やすくなる。

プーチンがらみでは、大枠はまあニュースその他で大ざっぱにわかっていたので、分厚い本を見ましょうということで、かなり最初のほうで図書館にでかけて手にとったのが、この木村汎プーチン』三部作。

人間的考察、内省的考察、外交的考察の三部にわかれ、そのそれぞれが600-700ページの分厚さ。もともとはこれに加えてもう一冊加える予定だったとのこと。これだけあれば、豊かな情報、深い考察と分析がたっぷり提供されているものと思うでしょう。

ところが。

スカスカなんだ、これが。それぞれの巻の冒頭に、本の構成とそれぞれの章の概要をまとめた30ページほどの「はじめに」がある。基本的な話はそこで出尽くしている。あとは手当たり次第の記事だの発言だのや変な伝聞を並べ、そこに要領を得ないレトリックで同じことを5回も6回も繰り返した間延びした文をはさんで水増し。

惜しいなあ。というのも、書いてある中身は結構いいから、なのだ。

間延びした無内容なレトリックは最悪なんだが……

たとえば、こんな部分。

木村汎プーチン:外交的考察』pp.19-20

本論と各論を書き、そのそれぞれで5W1Hを書きます、というだけのことを言うのに、丸一ページ以上。あたりまえすぎて、むしろ全部削除すべき内容だ。ところが、木村はあらゆる部分でこれをやってくれる。

また実際の中に入ったときにも、仮にそれっぽいものを再構築してみると

ではここでプーチンは何を考えていたのであろうか。それを理解するためにはプーチンの頭の中で起きていたことを理解しなくてはならない。というのも頭の中で起きていたことこそがプーチンの考えを左右し、最終的には彼の行動を決めるからである。そしてそれを左右していたのは、様々な外部の圧力とともに彼の過去の蓄積であろうが、そうしたもののそれぞれについて慎重な考察を加える必要がある。

という感じの、言わずもがなの前置きがあらゆる部分にくっつく。(上は引用ではないので念のため)。

あるいはこんなの。

木村汎プーチン:内政的考察』p.68

途中の「保守主義とは」とかいう話はまったく無意味。最初のほうの無意味なetwasとかのドイツ語披露はなんですの? これもせいぜい3行ですませていいものを、一ページに引き伸ばす。

もちろん、これは書き方の趣味ではあり、これを雄大な含蓄ある文体と思って感動する人もいるのかもしれない。ぼくは要領を得ないダラダラした駄文だと思う。

とにかくすべてこの調子なんで、読みつつずっとイライラし続けていて、それが1500ページ続く。内容の書き方も、「だれはこう言った、誰の発言はこうだった、だれはこう評している、あそこの雑誌ではこう書かれていた、こういう見方もある云々」といった羅列が果てしなく続くばかり。で、結局何が言いたいの、というのが実に要領得ない。

……と、ここまでこの三冊の罵倒を書いてやろうと思って下書き準備していたのよ。でも、通読してその評価を変えざるを得なくなってしまった。

本当に、このレトリックのひどさ、書きぶりのひどさはあまりに残念なことではある。というのも、そういう全体の8割に及ぶ、どうでもいい詰め物やら尾ひれはひれやらをとっぱらうと、かなりきちんとしたことが書いてあるからだ。

実は中身的には決して悪くなく、政府見解にへつらうこともなくポイントは押さえている。

たとえば、プーチンKGBドレスデン勤務後に恩師に請われてサンクトペテルブルクの副市長になる。で、そのとき声をかけてくれた恩師に「でもぼくは真実を言わねばならない! 実はKGBなんです!」と言って、恩師が「それがどうした!」と受け容れてくれました、という猿芝居みたいなエピソードが『プーチン、自らを語る』では述べられている。それをそのまま鵜呑みにしている本も多い。

でもこれはデタラメで、プーチンKGBだなんてのは周知の事実だった。むしろKGBとのコネが欲しくて恩師はプーチンを引き入れたらしい。木村は、そういう話をしっかり書いて、プーチンの演出に注意を促している。

また、以下などででっかく採りあげられてきた、暴徒単独撃退エピソードも無視している模様。見識ですな。

cruel.hatenablog.com

さらに、同じくこの朝日本の話など、ヒキワケで二島返還、みたいな妄想を展開したがる日本の本が多いという話はした。

ところが木村は、そんなのただの日本を喜ばせるための口先の小細工でしかない、というのをきちんと指摘する。それに際して、ヒキワケが面積のことならどうで、島の数のことならどうで、とさんざん書き立ててページを水増ししているのは、本当にウザイ。うざいんだが、それが延々続いた後で結局は棄却される (なら延々と続けなくてもいいでショーにとは思うが、棄却したのはえらい)。そして日ロ平和条約に関して、通常は自分からあれこれ提案して相手に迫るのを常とするプーチンが、いつまでたっても外務省の提案待ちになっていることを彼は指摘する。結論は次の通り。

そもそも大統領自身は、日本との平和条約交渉を推進しようとする積極的な意図などまったく有していない。したがって、同交渉を推進しようとする日本側の要請を常にその場しのぎの口実を設けて何とか逃避し、先送りにしようと目論んでいる。(『人間的省察』p.129)

おお、そうだよな。普通そう思うよな。2015年の本でこれをきちんと書けたのはえらいじゃん。二島返還なんかなさそうだ、と言えるのは立派。ジャーナリストの黒井文太郎は、プーチンがもともと一島たりとも返す気なんかねえよ、というのを書いていたメディアも研究者もない、とこぼしているけれど、この部分での木村の記述はそれをはっきり述べていると言って良いんじゃないかと思う。

そして、最終巻の『外交的考察』。これだけ新宿区の図書館になくて、わざわざ買ったんだけど……

ヘタなレトリックがかなり薄れ、書き方にまとまりが出てくるし、クリミア併合までの動きやその後の軍事的野心に関する記述なんかもしっかりしている。三つの中でいちばん良い巻。ちゃんと読める!

さらにこの最終巻で日本の対ロ外交話にありがちな「北方領土返還のためには〜」みたいな話ばっかりになったらいやだなー、と思っていたんだけれど、その手の話はほとんどない。メドヴェージェフがどんなふうに利用されているかという話の事例として彼の北方領土上陸が登場するのがいちばん多いくらい。東方の重視についての見方も非常に冷静で、プーチンの場当たり主義と機会主義を指摘して、変な期待を煽るようなものにはなっていない。

NATOが約束破って東に拡大しててけしからん、みたいな書きぶりもない。国際法の秩序が踏みにじられている点についての指摘も明確。ウクライナの位置づけ、プーチンのこだわりについても、標準的ながらしっかりした書かれ方で、クリミア併合についても住民投票なんかインチキでそれ以前から侵攻/併合は決まっていた話も出し、同時に目先の戦術でクリミアを盗って、結果的にウクライナを失ったという戦略的な近視眼ぶりもちゃんと書いている。まとも。最初の頃のウダウダが信じられないくらい。買ってよかった!(高いけど)

まとめ:中身的には決して悪くないが、このすごい水増し文体を我慢する価値があるかは、あなた次第。

ということで、この間延びした水増しの文体さえなければ、決して悪い本ではない。ホント、最初はこの書きぶりのひどさとそれに伴う内容的な希釈ぶりに頭にきて、悪口言うためだけに最後まで読んだんだけれど、いやはや、見限らないでよかった。最終巻のできのよさで、一通り読んで意外なくらい評価が変わったのには自分でも驚いた。

プーチンについて、まったくだれも知らなかった新しい話が出てくるわけではない。が、限られた情報源の中で、それは期待するほうが無理だ。一応、論点はきちんとカバーし(まったく整理されていないが)、さらには変な外務省/政府公式見解への忖度はなく、冷静ではある。それぞれの本の冒頭には、内容についてまとめた概要のようなものもあり、またあらゆるものを何度も繰り返すので、各章の冒頭にも要約っぽいものがついているので、そこだけ読むという手はあるし、またしばらくするうちに、どうでもいいくだらないレトリックを目と脳がスルーできるようになってくる部分はある。そして最終の「外交的省察」では、それも必要ない。

ということで、最終巻はきちんと読む価値あり。他の二巻はいらないとは思う。

それにしてももっと編集者が叱りつけて、余計な部分を全部刈り込んで、この三冊を1巻にまとめさせていたら、ものすごくいい本になったんじゃないか。まあそれは言ってもしかたない。たぶんこれをまとめて新書で〜みたいな企画があったと思うし、それが実現していたらよかったのにね。