ラジオトークの存在意義などについて

なんかこんど、ラジオのレギュラーコメンテーターやることになったのよ。

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サイトには出ていないけれど、ツイッターに出たからすでに解禁なんだと思う。番組全体が少し時間が遅れて長くなるとのこと。そしてその情報によると、山形は火曜の7:45あたりから、とのこと。ちなみにぼくの前が田中秀臣で、続いて山形になるらしい。

コメンテーターといってもニュースにいろいろつっこみ入れるだけなんだけど、2月末にゲストに呼ばれたとき、ミャンマーへのODA停止とテキサスの電力問題が主なニュースで、なんだかぼくの守備範囲ピンポイントであれこれしゃべれたので、使ってみようということになったんだと思う。だってミャンマーODA再開したときの一号案件の一つだった、ヤンゴン配電網整備やってたし、その関係で電力の話はネタがいろいろあるのだ。その意味で、あれはたまたまあの日のネタがラッキーだった、というのが大きいんだよねー。これからそんなにうまいこといくかどうか……

 

さらに田中秀臣-山形浩生って、火曜日はうっとうしい朝になりそうだなあ。大丈夫かなあ。

 

というのも、昔ラジオのおしゃべりについては少し想い出があって……

 

その昔、まだ前世紀で山形がほっぺの赤い新人だった頃、上司と客先に向かうときに駅からタクシーのったら、そいつが道をまちがえて、戻ろうとしたら渋滞にはまったのだった。で、約束時間に遅れそうだし渋滞はジリジリ (それが定義だから) だしで、タクシーの中では何かラジオがかかっていて何やら脳天気なことを駄弁っていて、そしたら突然、その上司が怒り出した。

なんでこのラジオは、こんなどうでもいいくだらないことばっかりずっと話してるんだ!

するとタクシーの運転手がこう言ったのだった。

お客さん、それはわざとそういうふうにやってるんですよ。ラジオって工場や飲食店で流したりするじゃないですか。そこで本当におもしろいことを言ってみんなが聞き入ったら、手がとまっちゃうでしょう? だから、まったく頭にひっかからずに素通りする、どうでもいいことしか話しちゃいけないんですよ。

上司はそれを聞いて「ほほーぉ、なるほどねえ、確かに」とうなずいてニコニコしていたんだが、ぼくは「てめー、何をえらそうに解説してやがる! あんたが道をまちがえたりしなきゃ、そもそもこんな渋滞にははまらなかっただろうが! 上司も何を丸め込まれてニコニコしてるんだ!」とさらに苛立ちをつのらせていたのだった。

で、客先についたら(当然遅刻) その上司がろくに謝りもしないうちに「吉田さん、ご存じでしたか、ラジオというのはですねえ〜」とさっきタクシーの運転手さんに聞いた話をそのまま受け売りはじめて、ワタクシはかなりいたたまれない気分になったんだが、まあ担当者レベルのうちあわせだったから、向こうも別に怒っているわけでもなく、ほほう、そうですかあ、という前振りになって無事うちあわせもすんだ。

 

ちなみにこの上司は、いい人だったんだけれど、その日の朝の日経で読んだことを、さも百年前から知っていたように客先で得意げに語る癖があって、向こうだって日経くらい読んでるからやめなさいよー、とぼくは毎回穴があったら入りたい感じだったが、お客さんは人によっては「ああ、今朝の日経にありましたねえ」とはっきり言うし (ニヤニヤ、という感じで言う人もいれば、おまえなあ、と呆れた感じで言う人もいた)、人によっては一応調子をあわせて「おおそうですかあ」と感心してくれる人もいて、うーん、ああいうのもグルーミングとしては少しは効いていたのかねえ。ちなみに、いまの新入社員とかは、日経を必ず読めとか言われるのかな?

 

が、閑話休題。この一件で、このラジオの意義みたいなものはずっと頭にひっかかっているのだった。だから、なるべく鬱陶しくない、みんなの手を止めないどうでもいい話に終始しないと〜。ちょうど出る時間が始業準備たけなわの頃だし……あと、多少は昔の上司みたいな人が受け売れるネタを入れる感じですかね。