クルーグマン「ミレニアムを解き放つ」:この道はいつか来た道

先日、「資本主義の行き詰まりがあちこちで見られる中で新たな経済思想は〜」みたいな話をきかれて、ぼくはちょっと言葉に詰まった。というのも、資本主義がそんなに行き詰まっているとはぼくは思っていないから、なのだ。

それで、ちょっと以前読んで気になっていたクルーグマンの2000年の文章を掘り出して訳してみました。

cruel.org

たぶんいまのクルーグマンは、掘り出されたくない文章じゃないかな。一読すればわかるけれど、資本主義と市場原理の勝利を明確にうたい、それ以外の経済体制はほぼ否定されたと断言する文章だ。もちろんぼくたちはこの後で、2007-9年のリーマンショック/世界金融危機に直面している。この文章にあるほどの楽観論をいま抱くのはむずかしい。たぶんクルーグマン自身もそう思うはず。

たぶん現在なら、やっぱこれを書いた時期でも歪みはたまりつつあって、格差は急激に拡大していて、環境が云々で、こんな話は甘すぎて話にならん、と言われるんだろうね。

でも……前半部分で言われている話。アジアの、日本とかいう国でやっていた政府主導型の経済の優位の話とか、最近中国について言われているような話とかなり似ている。それ以外の部分でも、いま「資本主義の行き詰まり」として言われていることの多くは、かつても似たようなことが言われていたんだというのがよくわかると思う。

そしてぼくは、ここで言われているような話がまた起こるとは思っている。いまの「行き詰まり」とか「オルタナティブ」とか言われている話がことごとく自滅的につぶれ、完全な自由放任ではないにしても、市場っぽい話がいまよりずっと説得力を持つ時期はくると思っている——少なくともそう見える時期はくる。

もちろんそのときには、もう少し警戒心は出回っているはず。この文章でも、別に何でも自由放任がいいとは言っていない。また、リーマンショックの原因となった金融分野の課題について、すでに目をつけていたのは慧眼ではある。ここでマイクロソフト独禁法裁判について論じられているような話が、GAFA対応で出てくるかどうかは見物だ。

でも、もしこういうのにある程度の周期性があるなら——変なナントカ波動とかは信じていないけれど——あと10年くらいで、こういう楽観論がまた復活する余地はあるとは思う。コロナからのリバウンド景気みたいなのを期待する雰囲気がそろそろ出てきていて、そんなのがきっかけに……はならないかな。でもいまくらいから、そうした次の市場拡大の元になる何かがでまわり始めるはず。次のタネに目を光らせておいても罰はあたらないんじゃないかな。

しかし久々にcruel.orgのほうで、html のモヒカン打ちしたけれど、昔のクルーグマン訳のページとかを見ると iso-2022-jp/JIS なんだねー。当時はユニコードutf-8が、日本文化破壊の米帝の陰謀とか石を投げられたからなあ。あと、この頃は日本のガラケーがすごくイケてると思われていたんだね。いろいろ変わったもんだ。それもいいほうに。

あと、pdf版はこちらにおいておきます。つーか、例によって同じディレクトリの拡張子だけ変えてくださいな。