キューバの経済 Part3: 利益は「計画からのずれ」!社会主義会計と投資

前回、キューバ経済に見る「効率性」の考え方のちがいについて述べて、それをもたらす資本や投資の不足を指摘した。今回はその資本や投資の話を……

はじめに: モンゴルの財務諸表

開発援助がらみの仕事で、いろんなところでいろんな変なものを見てきたけど、いくつか後悔していることもある。その一つが、2000年にモンゴルで郵便局の改革案を作ったときに出てきた、社会主義会計の資料をなくしてしまったことだ。

その仕事では、モンゴルの郵便局の再建が仕事だった。モンゴルは昔は、GDPの一割にも相当する財政ミルク補給をソ連からもらっていて、しかも郵便局も扱う郵便のほとんどは、駐留ソ連兵さんたちが故国に書き送るお手紙によるものだった。それがソ連崩壊でみんな帰ってしまい、扱い量が激減し、確か五分の一くらいになったのかな。で、売上も激減して困ったモンゴル郵便は、郵便料金をいきなり十倍に上げる暴挙に出て、もちろんそれで郵便の需要はさらに暴落、どうしようもない状態になって……というわけ。そして折しもGSM携帯電話が一気に普及した時期、もう郵便なんか使う人はいなくなり……

モンゴルのどこかの県都
モンゴルのどこかの県都。2000年当時は、夜十時以降は電気が止まった

この仕事は、郵便がそもそも各戸配達でないなんてことがあるという点から驚きだった。遊牧民がいるからねえ、とは思っていたけれど、当時は都市部でもそうだった。みんなが(というか当時のぼくが)あたりまえと思っていた郵便配達という仕組みが、実はまずきちんとした住所表記の体系が整っているという、インフラ(とすら思ってなかったもの)に依存しているとか、驚きの連続だった。モンゴルとか、オマーンとかでは、そういう住所表記体系がないので、住所表記は「大通りのみずほ銀行の角を左に入ったトヨタショールーム隣のビルの三階」みたいなことに平気でなっているのだ。

同時に、遊牧民もいるから配達むずかしいと思っていたら、遊牧民にも直接配達することが可能だというのを知って、これまた驚いたのだけれど。

My driver with his wife
運転手さんのお宅、遊牧中

が、閑話休題。そしてその仕事では、その郵便公社の十年分の財務分析、というのが、ぼくの仕事の一部だった。

通常、そんなのは大した分析ではない。シンプルな事業で、商品やサービスの仕組みも売上も単純だ。変なデリバティブもないし、オフショア取引もない。そしてどこも、抱えてる問題は似たりよったり。だいたいは売上が減ると売上が減るうえに、客も手元不如意で売掛金がふくらみ、手持ちの現金がどんどん減って支払いが滞り、買掛金がやたらに積み上がって短期借り入れを繰り返し、首が回らなくなるのが通例だ。モンゴルの郵便公社とて、そんなもんだろうと思ったら……

出てきた財務諸表を見て、ぼくは倒れそうになった。モンゴルがFASBとまではいかなくても、ぼくたちの知っている会計方式を採用したのは、ぼくが仕事をした5年前。それ以前は、社会主義会計なるものが使われていたのだ。

そうはいっても、会計なんてしょせんは何を持ってるか(ストック)と、お金の出入りがどうなってるか(フロー)という話。つまりはバランスシートにP/Lだろ? How hard can it be? そう思って、ざっと翻訳してもらって見てみたが……

まったく何がなんだかわからない。そもそも、各費目が何を言ってるのかすらわからない。そこでその郵便公社の財務担当のおじさん(当時はぼくも、他人をおじさん呼ばわりできるくらいには若かった)に、それを教わろうと思ったんだけど、なんせ費目の意味すらわからない状態で、財務や会計に詳しいわけでもない通訳を介して質問しても、まったくらちがあかない。

仕方ないので、まず基本の基本で、そもそもこの表で、この年の利益や損失ってのは、どこに出てくるんですか、と尋ねた。

するとおじさんは、非常に困った顔をしてしばらく考えた挙げ句、こう答えた。

そんなものはない。強いていうなら、ここにある「計画からの逸脱」というのがそれに相当しなくもない。

……計画からの逸脱?!?!?!

しばらく考えて、ぼくはやっと、少し事態が飲み込めてきた。社会主義の会計は、どうやらぼくたちの知っている簿記や会計とは、まったくちがった考え方に基づいているらしい。というかその前提として、社会主義においては「企業」(というより公共事業体)の意味合いがちがう。それは利潤を追求するものではない。上から与えられる計画(あるいはノルマ)があって、それをきちんと実行するのが企業や公社だ。したがってそれに奉仕する会計は、まず「計画」があって、それに対してこの企業がどれだけのパフォーマンスを上げたか、という観点でまとめられているらしい。

じゃあその「計画」ってのが何で、どういう形で決まるのか、というのが問題となる。それについて尋ねると、それはわからん、という。それは上から降ってくるもので、下々は関知しないとのこと。

こんなの無理! そりゃあ、その「計画」をひっぺがして実際のお金とかの出入りだけ抽出することもできなくはなさそうだけど、すさまじい手間で、しかもそれをやったところでなんか有益なものが出てくるとは思えない。ぼくは泣きを入れて、財務分析はふつうのBSとPLのある五年分だけで堪忍してもらったんだけど、この変な会計は少し調べたいと思って、帰ってから社会主義会計の本を探したんだが……まったくない。英語でも皆無。そうこうするうちに、コンピュータを何度か引っ越す中で、モンゴル関係のファイルもどこかに消えてしまった。残念。あれをいまきちんと見直したら、たぶん社会主義の事業や経済運営のいろんなことが、もっとよくわかっただろうし、他に類のない資料になったと思うんだ。

Mongolian Hospitality
真ん中の人がその会計担当のおじさん。左の仕事中に馬乳酒飲んでる若造が山形

(この話が、剰余価値と利潤の関係についての話だというのがわかった人は、えらいというべきかマル経に染まりすぎというべきか。でもこれは、実務的にはあまり関係ない話なので割愛)

ちなみにその、西側式の普通の財務諸表になった期間を見ても、「あなたたち、なんで羊がバランスシートに乗ってるんですか」とかモンゴル唯一の自動販売機の話とかいろいろあったんだが、えーと何の話だっけ、そうそう、それで話はキューバ社会主義経済に戻ってくる。

1. 社会主義経済:計画と実施の分離

いまのモンゴルの話のキモは、まずここでの事業会社/公社(当然国営です)による事業運営は、何よりも「計画」と比べたパフォーマンスが重視されるということ。そして、そこからの逸脱は、「ずれ」であって、プラスでもマイナスでも歓迎されない。計画=予算ぴったりで、与えられたノルマをこなすのがポイントとなる。ある人はこれを見て「日本のお役所と同じですね」と言った。その通り。事業予算があって、それをきっちり消化するのが重要ということだ。予算を超過したら怒られる。でも予算を消化しきらないと、そのときは「鉄の男だ!」とか勲章もらえたりするけど、翌年にはその分だけ予算を減らされてしまうから、これまたよくない。だからお役所は、なかなかコスト低減のインセンティブが働きにくいと言われる。モンゴルでのかつての会計方式は、まさにその考え方を後押しするものだったということだ。

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そしてもう一つの要点は、事業省庁/公社は自分では計画を作らない、ということ。経済の各種活動、つまりは事業会社の事業は、お上が決める。だって、計画経済ですもの。経済全体のバランスがてっぺんで決まり、事業を行うライン省庁/会社はその中の、指定された部分について請け負う。それをこなすために必要な資源は、もちろん計画側が計画する。その計画を作る部分の細かいやり方は謎。もちろん、各ライン省庁からの要望は訊くが、その優先度をつけるのは計画官庁の管轄だ。

これはキューバでもまったく同じ。当然のことで、これがまさに計画経済の真骨頂だ。だれかが中央で、まとめて計画する。全体のバランスを考えて、そのための資源配分を決める。キューバではこれは、経済計画省というところになる。

脱線. 社会主義計画論争

中央計画式の計画経済は、いまはダメダメ、ということにはなっている。でもそのほうがよいのだ、という議論も成り立たなくはない。これは特にバブルについて言える。たとえば不動産バブル。何かを契機に「これは儲かる」と思って各種の企業がいっせいに建設に乗り出し、作りすぎて、市場がだぶつき、暴落を招く。中央計画官庁があって「おめーら住宅作りすぎ。この市は人口五千人しか増えないんだから、建て替え含めても新規では二千戸までね」と言えれば、バブルは発生しなくなる……かもしれない。フードロスとかいう、どうでもいいことを気にする人もいる。食べ物がいっぱい廃棄されてけしからん、というわけ。でももちろん、だれが何を食べるか計画し、それにあわせて食糧生産できたら、理屈の上ではフードロスはなくなるよね。それはつまり配給システムってやつだ。

もちろん、これに対しては現実が強い反論をつきつける。日本の1980年代不動産バブルのときは、その一つの原因は国土庁がやたらに強気なビル需要予測を出してたことだ。お上の調整能力どころか、お上が煽ってどうする! そして前回の「選択」の話と同じで、ロスが出ないようぴったりに作るということは、何かあったときのバッファがないということでもある。みんなが気まぐれで好きなものを食べる選択肢がなくなるということでもある。ついでに言うなら、食べ物無駄にしないと食文化は発達しないと思うんだけどねー。日本酒の吟醸とか、味をなくすために米を4割とか5割とかやたらに削りまくって、さらにその栄養価を微生物に喰わせてアルコールを……まあいいや。

で、このどっちがいいか、というのは価値観の問題かもしれない。さらにもちろん、このどっちがいいのかというのは、その計画の出来次第でもある。これが精緻にはずれなしにできるなら、もちろん計画するほうがいいだろう。「無駄」なバッファは必要なくなる。ただ、現実にはそこまで精緻な計画を立てられる人はどこにもいなかった。これがもちろん有名な「社会主義計算論争」というやつだ。

cruel.org

脱線ついでに言っておくと、ぼくは最近の「AIで産業が変わるぜー、経済が一変するぜー」という軽薄な議論の多くが、この社会主義計算論争の非常に粗雑な再演にしか見えない。その一方で、もしこの粗雑なAI論者の言い分が多少なりとも正しいのであれば、ひょっとしたらそれは、世の中のバランスを市場経済から社会主義計画経済みたいなものに少し傾けるような根拠にもなるのかもしれない。ここらへんの含意は、前回も出たチャールズ・ストロスや全盛期のギブスンみたいなSF作家が漠然と考えているだけで、きちんと考察した人は全然いないのが不思議なんだけど。

予測マシンの世紀: AIが駆動する新たな経済

予測マシンの世紀: AIが駆動する新たな経済

だがそれはさておき、ここで言いたいのは、計画経済は原理的にはありえるし、優れたものに成り得るということだ。ただし、今のところ実際の計画者の情報収集力や計算能力には限界がありすぎるから、その「原理的」な理想はまったく実現性がない。だから、原理だけにすがって「いや真のマルクス/レーニン様の教えが実現されれば〜」とかいうのは妄言なので、そんなやつらに耳を貸してはいけないけれど、市場のほうが絶対にいいのだ、という議論は、前提とか範囲とかをチェックしておくべきではある。限られた範囲でなら、計画経済も勝ち目……はないにしても、ダメな市場経済と並ぶくらいにはなれる可能性は、ないわけではない。現時点では誤差範囲とはいえ、宗教的な市場原理主義にも、すこーし警戒する必要はあるのかもしれない。

とはいえ、みんな漠然と「計画経済」というけれど、何をどこまで計画するんだろうか?

2. 社会主義経済:計画の範囲と投資

ほとんどの人は、計画経済の「計画」についてあまり具体的なイメージを持っていない。ぼくも持っていなかった。今年はきみの工場ではトラクター100台作りなさい、とか、ボルガ=ドン運河を3年で完成させなさい、とか鉄鋼の生産量を2割増やしなさい、といった程度の大ざっぱな指示が出て、そうだなあ、そのための予算でも与えられて、あとはその担当者に任されるのか、と思っていた。

でも、よく考えればそんなはずはない。トラクターに必要な部品や素材、あるいは運河の建設に必要な資材や労働、そういうものだって当然ながら計画されてないといけない。だって、その部分だけ勝手に市場経済が動いてて、担当者が好きに調達できるなんてはずがないもの。トラクターの生産量が決まっているなら、そのために必要となるタイヤやネジや鋼板の量も自動的に決まる。運河建設なら、必要なコンクリや鉄骨や建設労働者の量も決まる。そういうのも全部計画の対象となる。そしてもちろん、その鋼板に必要な鉄鉱石も、コークスも、コンクリに必要な石灰石も量が決まる。そしてさらには、労働者の衣食住まで全部決められる。

要するに、これは経済全体を一つの産業連関表としてみようということだ。ちなみに産業連関表そのものが、マルクスの発想をベースにしてレオンチェフが考案したものだそうなので、この見方はちゃんと歴史的な裏付けを持っておるわけです。

ja.wikipedia.org

そしてここでの公社は、基本的には計画省庁の決めた計画を、計画省庁の想定したやり方で実施し、計画省庁の決めた計画通りのノルマを生産するという、純粋な生産ラインとなるわけだ。そしてそこでの工夫の余地は、少ない投入で同じだけのものを生産する、というものとなる。なまじたくさん生産しても、全体の計画の中で余るだけですからね。

キューバでも、だいたいそうなる。たとえば各地に、トラックのバラ荷輸送公社というのがある(コンテナ輸送公社は別にある)。ここは、輸送計画(ノルマ)がある。今月は、この工場から鉄道貨物駅にXXXトン運ぶ、というわけ。そしてそのためのガソリンやオイルの割り当てがある。たぶん、各種実績に基づいた標準燃費計算があるんだろうね。そして、ガソリンやオイルを節約してその輸送ノルマを果たせば、それは誉められるわけだ。

そしてそのための手法は当然ながら、前回書いた通り。

  • でかい車で
  • 同じものをまとめて
  • 限られた箇所だけに

運ぶというやり方だ。

でもいったんこのルートと配車が決まれば、それ以外の改善の余地は? それを実現するためにこうした公社が気にするのは、戻りの空荷だ。トラックが荷物を運んで、駅で降ろして、空っぽのまま戻ってくるのはもったいない。いかにして戻りの荷物を確保するか、というのがこの公社の腐心するところで、そのために空荷禁止規定まである。でも、輸送には偏りがあるから仕方ないこともある。そのときは、空荷許可証をもらわないといけない。それなしで空荷で走っていると、検問で取締にあう。

これだけだと、そんなに変には思えない。でもこれはもちろん、そのためのトラックがちゃんと動けば、という話ではある。つまりいまの話は、変動費のところだけ見ていて、固定費のところはまったく考えていない。そしてそれは当然のことだ。だってこの事業会社は、別にそのトラックなど資本設備 (最初の憲法の話で出てきた「生産手段」) を保有はしているけれど、「所有」しているわけではないもの。だからそれを買ったりとか、更新したりとかいうのは、彼らの仕事ではない。当然ながら、それにかかる減価償却費はこの公社の負担ではない。そういう意味での固定費や投資的経費は、ない(給料とかどういう勘定になってるのか、まだ全然わからない)。

3. 社会主義経済:減価償却の (末端での) 不在と設備更新

そもそも社会主義会計は、減価償却の概念がなかったとよく言われている。これは必ずしも正しくはないようだ。こんな古代の論文を見ると、そういう考え方自体はあったらしい*1。少なくとも、設備の損耗を考慮してそれを置きかえるための基金を積む、という意味では。

森章「社会主義減価償却基金の理論について」(1977) m-repo.lib.meiji.ac.jp

ただし、この論文にもある通り、当初は基本的に、それはすべてお上(いや、人民の主体を体現する政府/アンカですねー)が吸い上げ、中央で有効活用するものだったようだ。末端で減価償却費を負担し、それを使って再投資に備えるという発想はなかった。その意味では「減価償却がない」という言い方も、実務的にはおおむね正しい。

でもそれがNEP(!!!あのNEPかよ!)のときに、末端の事業体の裁量を増やすときに、少しは末端でも投資っぽいこと考えてもらおうということで、概念的には導入されたらしい。減価償却は生産ナントカ基金として中央でまとめて仕切るのが本来のアレで、それに対してそれだと末端の裁量が〜みたいな反論もあった、という話(減価償却論争、ですか!!! すごいね)。結局はなんだか両方やる、という話になっているみたいで、なんだかんだいいつつ、たぶん大きな部分については、上で吸い上げて使う話になっていたらしいね。

この現実の運用がどうだったかはよくわからない。これがマル経の文献すべてに言えることで、「だから実際の帳簿とか見せてくれない?」というのが皆無なのだ。キューバでも修繕費用くらいは事業公社レベルでも負担している。そしてエンジンの積み替えとか、かなり投資的経費の資本になりそうなものもやっている。でも大規模なもの(車両の買い換え)は事業公社レベルではなく、どっかずっと上のところが見てる。

ある意味で、これは仕方ないともいえる。だって生産手段(つまりは機械設備その他)を所有しているのはその企業ではなく、人民(つまり国)ですからね。その公社とかは、それを使って事業をしているだけのオペレーターだ。彼らは資産を持ってはいない。だから彼らが減価償却費を負担したり、更新用の費用を積んだりする筋合いはない、ということになる。資産を正規に所有している国が、そういうのは全部面倒を見るのが筋、というわけだ。ぼくはレンタカーを使ってもその車の減価償却費なんか負担しないものね。それはレンタカー会社がやることだ。

(でもレンタカーの場合、車なり設備なりを借りているレンタル料は、その減価償却費を含む形でたぶん設定されているよね。同様に社会主義会計だと、それぞれの事業公社は、国に対してその車とか設備とかのレンタル料を支払ったりしてるんだろうか?そこらへんもよくわからない。が、閑話休題)

そして投資経費やそれに伴う減価償却を考えず変動費だけ見るとどうなるか? もし計画官庁側が豊かで、なんでもホイホイ買ってくれるなら、どんどんトラックをもらうのが最もお得だ。でももちろん、キューバは(そしてほとんどの社会主義国は)そんな状況ではない。するとまず、壊れたりぼろくなったりしたとき、新しいトラック(資本)を自分買おうということはできない。それを決めるのは、事業会社ではない。もちろん、要望は出すけれど、それが聞き入れられるかどうかはわからない。すると、とにかくどんなにオンボロになっても、手持ちの車両を使い倒すしかない。なんとか次の投資がまわってくるまで、それで保たせるしかない。

そして計画側からは、そうそうおいそれと資本を新規に導入するわけにはいかない。なぜかというと、外貨という問題があるからだ。自分で作れない車両や機械を買うには、外貨が必要だ。旧ソ連があった頃には、たぶんいろいろやりようもあったはず。でもいまや、経済制裁しているアメリカはもとより、ロシアや中国から入れるのも外貨がいる。これはどんな資本だろうと同じだ。それを割り振るのも計画官庁の重要な仕事となる。そして全体が不足していれば、いまあるトラックでまがりなりにもやりくりできているなら、まあしばらくそれで続けてくれ、ということに当然なってしまう。よく、減価償却があるから設備の更新が進む、といわれるけど、実はそこには、ホントは設備更新したほうがメンテ費とかも含めいろいろお得だから、という暗黙の想定がある。でも減価償却終わった、簿価ゼロの設備で事業がまわるんなら、それがいちばんお得だ。いま使ってるコンピュータ、2012年購入だし。

そしてだんだん車が物理的限界を超えて壊れるなかで、ノルマを果たすのは一層むずかしくなり、とにかくさっきの方法を貫徹するしかなくなる。

  • でかい車で
  • 同じものをまとめて
  • 限られた箇所だけに

運び、そして残ったトラックの稼働を最大化する、というわけ。でも、それでまわるんなら……ということで、ノルマを果たせば投資はあとまわしになり、さらに苦労するといった変な循環が起こってしまうらしい。

結果として、設備の更新はなかなか進まない。ぼくたちがキューバにでかけると、「うわー、こんなクラシックカーがいっぱい走ってる!」と結構感激する。でもそれは以前も書いた通り、決してクラシックカー愛好とかいう暢気な理由のせいではない。ここに書いたような話で、とにかく車を買うような資本投資ができないからだ。そしてその資本投資ができないおかげで、いまある資本は西洋的には簿価ゼロになっても、とにかく使い続けるしかない。建物とかも同じ話だ。

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ハバナで見かけたT形フォード。でも中身はさすがに入れ替えているらしい。

4. まとめ:社会主義の計画経済と会計システム

まとめよう。社会主義経済において、資本投資が進まない理由はいくつかある。

  • 計画経済。何をどれだけ、どのように作るかが計画官庁で決められている。このため現場からのカイゼンイノベーションが進まない。
  • 計画主体と実施主体の完全な分離。実施主体は自分では投資判断をせず、設備運用と設備投資の最適バランスが考えられない。
  • 会計システム。実施主体は手持ち資本での計画遵守を追及するので、設備更新を考えない。減価償却がない(または特に末端では不十分)なのでみんなが設備更新のためのお金を積んだりそれを後押ししたりするような仕組みもない。少なくとも、それを各現場で分散的に考えて実施する仕組みはない。
  • 計画サイドのリソース不足社会主義計算論争にあるように、計画サイドはここまで様々な部分での投資ニーズをきちんと把握し適切に分配するだけの、情報収集力や計算能力を持ち得ない。あるいはそれがあったとしても、彼らの直面している制約のために全体的な投資が(ほとんどの社会主義国では)不十分とならざるを得ない。

ただし…… これは確かに、ぼくたちから見ると「もうちょっとなんとかならないの?」という印象は受ける。でもその一方で、いま例えばキューバが受けている制約の中で、これをどう変えるとよくなるのか、というのは実はとってもむずかしい。完全に経済を開放してすべて自由化すると、すべてよくなるんですか? そういうお題目を信じたロシアや中南米諸国(かなりマシとはいえ一部東欧も)は、ずいぶん煮え湯を飲まされた。それを考えるとかなり考え込んでしまう。これはぼくの訳書もふくめ、いろんなところに出てくる。

クルーグマン国際経済学 理論と政策 〔原書第10版〕 ハードカバー版

クルーグマン国際経済学 理論と政策 〔原書第10版〕 ハードカバー版

てなことで、何をどうすればいいのやら。うーん。気が向けば、もう少し大きな経済状況の話なんかもできるかもしれないけど、期待しないで待っていてくださいな。

おまけ:社会主義経済って?

 日本はマル経が大好きなので、社会主義経済の教科書とかいっぱいありそうなものだ。でもマルクス様のお説法の話とか、哲学っぽい話はいろいろあっても「で、それが具体的にどういう仕組みでどうまわるの?」という話をしてくれる本はほとんどない。最初のモンゴルの話でも出た、社会主義会計ってどうなってるの、とかね。ぼくがそこまで本気で探さなかったせいもあるんだろうけれど。そしてそれなのに、前出の社会主義減価償却の論文みたいにいきなり冒頭で「周知の通り」とか、いきなりなんでも知ってるのが当然にされてしまう。

 多少なりとも具体性というか現実に沿った教科書で、ぼくたちにもある程度は理解できるものとしては、たぶんこんなあたり:

ペレストロイカの経済学 (上)

ペレストロイカの経済学 (上)

ペレストロイカの経済学〈下〉

ペレストロイカの経済学〈下〉

これもまあ、「この考え方はマルクス様がどこそこでこう言ったのに対応し〜」とか「レーニン様のなんたらの概念に基づく云々が〜」とかうざったくてアレなんだけど、それでも一応、全体的な見通しは得られそう(ぼくも当然ながら、こんなもの全部読んだりしてない)。上で出てきた、剰余価値と資本主義における利潤との関係とかも、これでまがりなりにもわかりました。他にもっとよい本があれば、教えてたもれ。


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 山形浩生 Hiroo Yamagata 作『キューバの経済 Part3: 利益は「計画からのずれ」!社会主義会計と投資』は Creative Commons 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

*1:しかしこの論文すごいねー。1969年の論文だから仕方ないとはいえ、p.219一番下の註の、金日成思想マンセーとか、クラクラする。