ポランニー『ダホメと奴隷取引』:18世紀ダホメ経済と社会主義はまったく同じ!

Executive Summary

 ポランニー『ダホメ王国奴隷貿易』に描かれている17-19世紀ダホメ王国は、市場システムを持たない。国内ではすべての作物を王様が召し上げ、一大宴会でそれを民草に配り、それ以外のわずかな部分を、王が配るタカラガイで、市場で定額で売買させる。そして外国との取引と、そのための産物生産 (奴隷狩りの戦争) は王様が独占し、民には外国製品は贈り物としてわたすだけ。これは、政府がすべて召し上げ、配給し、それで対応仕切れない部分の調整を市場での取引で行い、外貨取引は政府が全部仕切るという、キューバなどの社会主義経済とほぼ同じ。結局、ある生産力=生産技術の水準により、合理性を持つ経済システム=分配方式は決まってしまうということではないのか? 社会主義とか部族社会とか、イデオロギー関係ないのでは? するとこんどこそ資本主義が変わるとかいう主張もかなり怪しいのではないか。


プーチン本にちょっと疲れて、全然別の本を読んでおります。

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これはかの、カール・ポランニーの遺作。ポランニーと言えばあの『大転換』で有名なハンガリー出身の経済学者で、その基本的な思想というのは、市場経済というのは最近出てきた特殊な経済形態だ、というもの。市場経済とはぜんぜんちがう経済システムがあり、西洋は特に植民地主義を通じて、市場経済システムとそれに伴う金融システムを押しつけてきた、と彼は主張する。

で、その主張の最大の裏付けが、この遺作で彼が分析した、17−19世紀のダホメ王国だ。ちなみにこの本は、かの栗本慎一郎による翻訳があるが、あまり評判はよくないので、英語で読んでおります。

ダホメ:市場経済ではない別の経済システム

で、この本はむちゃくちゃおもしろい。

それによると、ダホメでは……って、君たちまずダホメがどこかもわかってないだろー。

ダホメは西アフリカの海岸部、いまのガーナとナイジェリアにはさまれた、ベナンのあたり。
ダホメは西アフリカの海岸部、いまのガーナとナイジェリアにはさまれた、ベナンのあたり。

このダホメ、18世紀の奴隷販売でものすごく栄えた国だ。ヨーロッパ相手に丁々発止の大取引をやっていたんだが、その国内は市場経済がほとんどなかった。市場はあったけれど、これは「いちば」と読む物理的ないちばのこと。でも、あらゆるモノの市場が相互に関連しあって一般均衡を創り出すような、市場システムは存在しなかった。

市場システムがないと、そこで決まる「価格」はない。では、取引とかはどうやっていたの? 王様が、いろんなものの交換比率を決めていた。その意味で、「値段」はあった。でも価格はない。ポランニーはだから「価格」というのを嫌がって「等価関係」とか述べている。(なんか異様なので、「相場」として訳している。だってそういう意味だから)

そして土地と労働力は、取引対象にはならなかった。市場化されていなかった。

では市場がなくてどうやって経済システムは動いていたのか? 国内の経済は、基本的には互恵と家事だ。そして、各種作物その他はまず王様が召し上げて、それを国民に贈り物としてあげる、という贈与システムで動いていた。もちろんその中で、多少のお金を使った取引はあった。そこでのお金は、子安貝だった。これも、王様が国民にふるまうのだ。

具体的にはどんな仕組みだったのか? 村の中では、血族を中心とした完全な部族社会になっている。やることは農業。その中で金銭取引はほとんどなく、助け合いと家事を共同でやるというのが日常生活の基本的な経済だ。血族と宗教の縁故社会で関係がガチガチに決まっており、また農業として作るモノは、王宮に決められている。それを実現するための労働力や土地など各種の分配や流通はその力関係で決まっていた、ということだ。一部の工芸品は、職人ギルドがあって、労働力の配分や生産量調整はそいつらが決める。

でももちろん、自分では創れないものがある。これは、子安貝を使い、決まった値段で買う。

で、毎年王様が、でっかい宴会を開く。そこへみんな、ドワワっと貢ぎ物を持ち寄って、それを積み上げる。この宴会は毎年、戦争の後で行われて、捕虜もいっぱいつれてこられる。みんな、王様はまた戦争勝ったぜすごいぜー、イェーイ、お祝いにこんな贈り物や貢ぎ物を捧げますゼー、となる。すると王様は、その贈り物をでっかい壇上に積み上げる。そしてまず捕まえた捕虜の相当部分を、ご先祖様への生け贄としてぶち殺し、その血を先祖の墓に撒く。で、ハイになって何週間にもわたる宴会が行われ、その中で積み上がったものの中から出席者にどんどん贈り物として、奴隷だの布だの作物だのが配られる。財の動きは、このでっかい贈答宴会で行われる再分配が相当部分を占めることになる。ちなみにその贈り物の中には子安貝もある。国内経済向けのマネーサプライがここで調整されるわけだ。

さて、これが国内経済なんだが、もうひとつ国際貿易がある。これはダホメの場合 (この対象となっている時期では) 奴隷を売って、銃を手に入れて、それで戦争に出て近隣国から奴隷を狩ってくる、というサイクルだ。

これは、国内経済とは完全に切り離されている。それを仕切るのはすべて王宮だ。そしてこの部分ではもちろん外貨の取引があるわけだが、外国人との文化的接触、外貨による外国商品の国内流入は徹底的に禁止されている。そうしたものに国内社会を汚染させないためだ。こうした外国との取引は、ウィダの貿易港で行われた。チャトウィンウィダの総督 (シリーズ精神とランドスケープ)という本がある。これはこの奴隷取引港を中心としたお話だ。この映画化版の「コブラヴェルデ」は、この奴隷貿易の様子やダホメ首長のイカレタ様子がなかなか面白い。

外国との接触禁止は白人だけではない。隣のアシャンティ族 (ガーナ) は、砂金を通貨として使っていたけれど、ダホメはその砂金の国内流通を禁止し、アシャンティ子安貝の流通を禁止し、隣国の経済すら入り込まないようにしていた。そしてその外国との取引の部分では、為替レートの操作や金融取引、先物、その他きわめて高度な金融経済が発達していた。

でも、そのダホメは無文字文化だった。文字もなかったのに簿記や計算はどうやっていたのか? それは、そろばんと同じような、小石を使った計算システムや記数法があり、それを使っていた。そろばんは、指である決まった動きをすると、なんだか人間の頭をバイパスして答が出る。それを壮大に発達させたのがダホメの仕組み、だったんだって。

もう読みながらひたすら「へえ〜〜!!」「へえ〜〜!!」と言いまくるしかない本。楽しいね。

市場経済はすばらしい、か?

さてポランニーは、市場経済批判の人ではある。本書でも冒頭で、西洋はなんでもかんでも市場化して、自由とか平等とか権利とかいう概念も完全に市場に基づいて作り上げてしまってけしからんのよ、それが格差を生み非人間性を生んでいるのよ、と指摘しており、非常に刺戟的ではある。

で、ポランニーが好きな多くの人たちは、実は単に反資本主義のバカだったりする。だから資本主義が批判されていれば、何でもかまわない。ポランニーすげー、そうですよねー、なんでも市場化して西洋はけしからんですねー、人間の労働力を商品化するなんて非人間的ですよねー。ダホメで見られたような非市場経済でも高度な文明は生まれる、そこでは人々が村の濃密な人間関係の中で、人間らしく助け合って暮らし〜 みたいな妄想に平気でふけってしまう。

が。

上の説明読んで、そんなに結構なものと思えるだろうか?

基本は閉鎖的な血縁農村社会。労働は市場では取引されないが、コミュニティの中であれやれ、これやれ、と勝手に決められる。移住は禁止。毎年の大量の人身御供の虐殺。成人男子の四分の一が駆り出される、年次の奴隷狩り戦争。ちなみに、白人の奴隷商人は自分では奴隷狩りはできなかった。ダホメを中心とする、奴隷狩り国があって、それが白人どもと手を組んで奴隷供給を行っていた。もちろん、白人が買ってくれたからそれが成立した、というのは事実。でもそれに喜んで応じたのは、アフリカの人々だ。

そして価格のない限られた仕組みが成立するのは、そもそもあんまりモノがなかったから、ではある。これはスケールする仕組みではない。もちろん、システムとして安定はしていた。それはいっぱい死んで、人口があまり増えなかったから、ではある。でも、本当にこれが人間性豊かで人を大切にし、云々の社会かといえば、必ずしもそうではないと思う。

ブラックパンサー』というレベルの低い映画は、変な黒人優位主義のイデオロギーに染まって、上に述べたダホメその他の仕組みのいいとこ取りをしようとして (王様を警護する最強アマゾン女性兵士部隊、というのはダホメの習俗だ。ダホメではゾウ狩り軍団!)、結局優しい独裁者モデルしか出せず……が、閑話休題

そしてもう一つ、これを読んでいて気がついてしまったことがある。

この仕組みって、しばらく前のキューバの(そして他のところの) 社会主義経済とまったく同じなんだよ。

市場経済社会主義経済?

社会主義経済を知らない人のほうが多いので、なかなか説明はむずかしいんだけれど、これを見てほしい。

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特に重要なのは、この図。

社会主義は、基本は市場経済ではない。で、ベースにあるのは、生産→国が召し上げ→配給として再分配、というモノの流通だ。上の図では底辺に相当する。

これは、ダホメの場合、生産物のすべて (または相当部分) を王様に上納し、それを年次宴会で贈り物として再分配する、という仕組みの部分だ。

そして、それを生産するための労働や土地は、基本は国に属しており、それは地域の中での様々な関係であちこちで使われる。家事や助け合いの部分となる。これは、上のピラミッドには登場しない。そのさらに下の部分になるはず。

でも、それを補うちょっとした「いちば」は? はい。それはキューバなら、CUPという国内だけの非兌換通貨だ。ダホメなら子安貝。それが国の決めたお値段でものを売買するのに使われる。でもこのお金は外貨と交換できない。これで完全に国内経済は切り離される。

では貿易は? これは別のCUCというお金が使われる。これはダホメの場合はウィダで行われていた国際奴隷取引で、国内では生産できない資本財(ダホメの場合は銃)を得るために使用されるわけだ。

つまり、両者の構造はほぼ同じだ。

もちろん、イデオロギー的な背景はちがうんだけれど、でもそれがほぼ同じ経済システムに帰着している。

さらにダホメの場合も社会主義の場合も、ある意味でこのてっぺんの外貨の部分がやたらにでかくて、国内経済をだんだん揺るがしていったのが崩壊の一つの原因のようではある。その弱点もなんとなく同じ、ではあるのね。

資本主義ではない非市場経済として挙げられることの多いまったく別の仕組み、つまりダホメや西アフリカの経済システムと、社会主義の経済システムが、実はほとんど同じだというのは、ぼくは決して偶然だとは思わない。こんなにイデオロギー的な背景も地理的な場もちがう政治体制もちがうところの経済システムだけがまったく同じ、というのはまちがいなく何かしら意味がある。

つまり……ある程度以上の規模の経済を大きく組織する方法というのは、かなり限られているんだと思う。市場を使った資本主義と、社会主義/ダホメ的な非市場的再分配と市場の併存システムと……他にあるんだろうか?

ポランニーなどを持ち上げる人の多くは、実はものすごく多種多様な非資本主義的な経済システムというのがかつてはあって、それがやがて資本主義の猛攻の前に敗れ去った、というような印象を持っていると思う。たとえばミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』というのは、まさにそれを含意した題名だ。あれ? ブランコヴィッチ? ミラノヴィッチ? まあいい。とにかくいろんな仕組みがあって、それがハイランダーのように闘って最後に一人残ったのが資本主義、と。でも、実はそうではないのかもしれない。

すると……新しい資本主義を超えるシステムとか資本主義のアップグレードとか、資本主義にかわる新しい仕組みとか言っている人は、ちょっとここのところに何かヒントというか障害のようなものが感じられるような気はする。

ポランニーは、市場システムが経済社会のすべてに貫徹したのは、産業革命による機械とその生産にあわせるためだった、と述べる。そして、このダホメの仕組みとか社会主義の仕組みは、完全な農村統制社会を前提とした仕組み、ということになるんじゃないか。するとある生産システムに対して使える経済システムはほぼ一つに決まっており、生産の技術ベースが変わらない限り、そもそも経済が変わることはあり得ない、とすら言えるかもしれない。そこで「インダストリー4.0でインターネット経済が〜」というような浮かれ方は、不可能ではないと思うけれど、どうだろうね。

 

おそらく、この程度のことはすでに気がついた人はいるんだろうし、またぼくの理解が足りていなくて、誤解している部分もあるのかもしれないね。でも、一応思いつきとして書いておこう。それにしても、栗本慎一郎はこの本を訳しているはずなのにこういう知見はまったくなく、穴の開いた貨幣はチンポの輪切りだとか、くだらん話しかしてなかったなあ。

翻訳がそんなにダメなら、こんな面白い本を放置しておく手はないだろ、ということで、勝手に訳し始めました。なんか2日で1/3終わったわ。うまくいけば月内に全訳あげるね。