コンドルセ『人間精神進歩史』なかなかおもろい。

ピケティの新著、翻訳鋭意進めております。その中で古い本がたくさん引用されてて、中にあったのが、コンドルセ

人間精神進歩史 第1部 (岩波文庫 青 702-2)

人間精神進歩史 第1部 (岩波文庫 青 702-2)

引用ヶ所の邦訳ページを調べなくてはならないので、古い本だけど入手して (古本で買って)、あまり期待せずにざっと読んだけど、おもしろいなあ。人間の精神がだんだん発展してきて開明的になってくるよー、という話で、とても明解。人が進歩すれば環境が変わり、その価値観もかわって、戦争とか迷信的な宗教とかに囚われることもなくなり、理性的な取引に基づいて公正な取引が主流になる、という話。

で、ピケティの本では、コンドルセはちょっとボケ役になっている。コンドルセの議論は、人間の理性が進歩すれば、バカみたいな財産への固執もなくなるから、格差は自然に解消されるよ、というもの。それについて、ピケティは次のように語る。

たとえば、「急進派」コンドルセ『人間精神進歩史』の、次の楽観的な一節を見よう。「もしも民法が財産を固定化し、それを併合するような不自然な手段を定めないならば、もしもあらゆる禁令や租税権が既得財産に対して興えていた利益が商業や工業の自由のために、消滅するならば (中略)、財産は自然に平等へと向かい、その過度な不均衡はあるいは存在することができなくなり、あるいは急速になくならなければならぬということを、證明することは容易である」 。言い換えると、特権や科料を廃止して、各種職業や財産権へのアクセス平等を確立するだけで、既存の格差はすぐに消えるというわけだ。「特権」廃止から1世紀以上もたった第一次世界大戦前夜に、フランスの富の集中は革命期よりも激しかったという事実は、この楽観的な見方が残念ながらまちがっていたことを証明している。(強調引用者)

うん、この引用部分だけを見ると、確かにそんな感じはする。民法の変な規制や財産保護廃止とアクセス平等、つまりは規制緩和ってことね。それですべてが解決ってわけはないよね。昔の人はおめでたいなあ。が……

ピケティがここで「確立するだけで」と言うのは、かなりずるい。というのも、この引用の中に「(中略)」という部分があるのに注目。実は、ここのところに他にもものすごくたくさんの条件が書かれているのだ。それを挙げると:

 

  • 契約の自由が制限されないこと
  • 契約に伴う形式やその遵守その他のための費用が貧乏人にとって過大でないこと
  • 国家の政治が、資源を一部の人だけに独占させないこと
  • 歳寄りの偏見と貧困な精神が結婚を支配しないこと
  • 人の意識が高まって、富が虚栄や野心の手段でなくなること
  • 蓄財がそれ自体楽しみでなくなり、貯め込みをよしとする風潮がなくなること

 

これだけそろって、やっと富の格差は均等化するのだ、とコンドルセは言っている (コンドルセ『人間精神進歩史』第一部 岩波文庫 pp.256-7)。全然「だけ」じゃないじゃん! これを抜かして、コンドルセ規制緩和だけで格差解消すると言ったのだ、と論じたら、コンドルセの立場がないわな。彼もそこまで単純ではなかった。ある意味で、ここに書かれている国の政治による一部の独占とか、富が虚栄や野心の手段とか、ピケティ自身が展開する議論のかなりの部分をコンドルセは先取りしているとさえいえる。

もちろんピケティは、コンドルセ累進課税的な再分配のアイデアを出していることも含め、先駆的な論者としてコンドルセを充分評価しているけど、もうちょっとフェアな紹介の仕方をしてもいいんじゃないかなー。フランス語ではもちろん、文の構造から「財産は自然に平等へと〜」という後半の部分が先頭にくるので、この中略の部分が省略されていることすらわからない。せめて引用部分の最後に(後略)とつけるのが礼儀じゃないかなー。

そしてそれも含めて、コンドルセって結構おもしろいわ。確かに、人間の精神的な進歩で世界が改善するという希望を、非常にストレートに述べた本で、お目々キラキラな感じはしなくもない。この本を見ると、格差もなく偏見もなく平等と理性の理想郷があと10年もしたら実現するような雰囲気ではある。が、別に10年で実現するとは書いていない。上に述べたところでも分かるとおり、かなりきちんと考えてはいる。彼が予想したほどいろんな条件がすばやくはそろわなかったのは事実だけれど、それで責めてはかわいそうだ。

そしてその後、さんざんニヒリズム流行りの中、変な悲観論と絶望と革命待望論みたいなのが蔓延する中で、この楽観論は一周回って新鮮ですらある。そしてこれはもちろん、ピンカーやロンボルグ等の進歩と啓蒙主義重視と重なるものでもある。

トランプごときがしゃしゃり出てきた程度で、ポピュリズムだ民主主義の敗北だ反知性主義(まちがった意味の)だとか騒いで絶望するなんて、オメーらおめでたすぎるし腰がすわらなすぎだよ。揺り戻しはあっても、長い超長期のトレンドを信用しようぜ、という話。コンドルセのこの本は、文明草創期からずっとふりかえって、その精神がだんだん進歩してきた話を描いている。そんな単純なものじゃないぜ、とケチをつけるのは簡単ではあるけれど、でも大枠はまちがってはいない。その発展が必然だったかはわからないけれど、でも偶然だったにせよ、こういう発展を遂げたことには感謝するべきだし、それを今後発展させるにはどうすればいいかについて、可能性は把握すべき。

進歩

進歩

ちなみにこの『進歩』を見ると、1950年代や60年代に蔓延していた、人権や平等や民主主義への絶望と懐疑論みたいなのが書かれていておもしろい。バカな独裁国ばっかり増えて民主主義もうダメだー、みたいな話がずーっとあったんだって。でもそれがあるとき突然、一気に情勢が変わった。なんかこう、断続的平衡というか、レーザーのコヒーレント光みたいなというか、いろんなところの条件が揃ってきたところで、せーのでみんな一気に変わることが、昔もあったしこれからもあるのでは? 今後も、お手軽な絶望よりは、その可能性を考えた方がいいんじゃないかな。

と、そんなことを考えさせてくれる本ではある。まあ、無理して読むべき本かといえば、そんなことはない。でも、ついでがあったら、読んで損する本では決してないよ。第二部では、教育の役割とかについてもいろいろ語られていて、いい感じ。

内容のまとめは、ここがとてもよい。背景説明もとても詳しくてありがたい。

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