新年仕事始め前の小ネタ。ツイッターでこんなのみかけたのよ。
このツイ主は、浅田論文を読んでおくことでどういう知見を得るべきなのか、ここで採りあげているネット番組の問題提起に対してそれがどう関係してくるのかは明記していない。けれど、文脈から判断して、これは日本で r>g が顕著になってきたことなんか重視すべきじゃない、それで格差なんか増えない、こんなんで騒ぐやつは煽りだ、と言いたいのだろうとぼくは判断する。
さて、この人がツイートないで言及している論文はこれだ。
ちょっと待った、これ、COREか! ワタクシが座興で訳していたら「金払わないと訳しちゃダメ」と言ってそれを潰しやがった……まあいいや。勝手にやってたことだから仕方ないんだけど。が、閑話休題。
(なんか別物らしい。とばっちり受けたCOREプロジェクトさん、ごめんなさい)
この論文は題名の通り「不等式 r>g は格差拡大の必要条件でも十分条件でもない──ピケティ命題の批判的検討」だ。ピケティ『21世紀の資本』は、格差が増大する要因として、資本収益率 r が経済成長率 g より高いことを挙げていて、それが歴史的にずっと成立していたことを指摘した。でも、r>g が格差をもたらしたというのは本当だろうか、とこの論文は疑問視する。
必要条件/十分条件
さて必要条件/十分条件というのはどういうことか、もちろんご存じだろうけれどちょっとおさらい。
AがBの必要条件だというのは、Bが成り立つためには、Aが絶対必要、ということだ。つまり、AがなければBは絶対起こらない、ということ。
AがBの十分条件だというのは、Aさえ成り立っていれば、Bは絶対に成り立つ、ということだ。つまり、Aが起こったら絶対にBになる、ということ。
つまりここで言うなら、r>g が格差拡大の必要条件だというのは、「r>g でなければ格差は絶対に拡大しない」ということだ。r>g が格差拡大の十分条件だというのは、「r>g だったら格差は絶対に拡大する」ということだ。
浅田論文は、これがどっちも成り立たないことを、いくつかのモデルを使って証明している。が……それで?
必要/十分条件の反証はとっても簡単!
この論文は、ぼくごときが言うのもアレだけど、経済学の論文としてはきちんとしたものだし、おかしなことは何もない。経済学の練習問題としては、おもしろい業績ではある。とても勉強になって、ありがたい論文だったのは事実。
その一方で、中高時代以来、「絶対」とか「必ず」とかいうのが出てくる命題に反証するのはそんなにむずかしくない、というのは多くの人が知っていることでもある。一つでもいいから反証を見つければいいのだ。だいたい、x がゼロの場合とか、x と y がたまたま等しい場合とかを見て、「ほーれダメじゃん!」とやればいい。
言うなれば、r>g が格差増大の十分条件か、というのは「r>g なら絶対絶対逆立ちしてもゴジラが出てきても格差増えるのか」という難癖だし、r>g が格差増大の必要条件か、というのは「r>gでなければウンコ喰っても地球が二百万回回っても絶対格差増えないのか」と言った難癖でもあるわけだ。だから、「さかだちしてゴジラが出てきたら、r>g でも格差増えません」とか「ウンコ喰ったらr>g でなくても格差増えます」というのを示せば良い。
だから屁理屈でもいいから、それが当てはまらない場合を考えればいい。経済学っぽ話でいえば、
r>g になっても、資本からの収益 r をみんな一斉にその場でパーッと使っちゃえば、r>g でも格差は増えない。よって r>g は格差増大の十分条件ではない。
r<g でも稼いだ人がみんなKLFみたいに儲けを燃やしちまえば、資本のわずかな収益が積み重なって格差が増えることもある。よって r>g でなくても格差は増えることがあるので、必要条件ではない。
よって、r>g は格差増大の必要条件でも十分条件でもない。おしまい。
これは、浅田論文の中で言及されている岩井克人の主張ではある(もちろん岩井はKLFなんか引き合いに出さないが)。でも、この浅田論文はもう少し先に行っているのだ。
資本家がいくら儲けても、賃金がいかに停滞しても格差は起きない??!!
この浅田論文は、新古典派モデルと新ケインズ派モデルにおいては、r>g は格差を生み出さないことを示している。こうしたモデルにおいては、さすがにゴジラやウンコ喰う話はないだろうというのは考えられている。「資本の収益率ってだんだんだんだん下がるよね」とか「経済全体で見ると人はこのくらい稼いだら、このくらい貯金するよね」「社会の稼ぎは資本と労働でこんな具合に山分けされるよね」という仮定がある。その仮定に基づけば、r>g で格差は増えるだろうか、という検討をしているわけだ。
新古典派モデルについては、r と g がどうであれ利潤分配率には全然関係しないから格差は増えない、とのこと。
新ケインズ派のモデルでも、r>gでも所得の差も資産の差も拡大しない、つまり格差は増えないことが示されている。
つまりこの論文は基本的に、ピケティ全否定とも言うべきものだ。r>g は格差を生み出さない。資本家がどんなに大儲けしても関係ない。経済成長がどんなに低くても関係ない。格差はまったく増えない!
必要/十分条件でない:それで?
さて、いまのを見て、普通の読者は「え???」と思うでしょう。それは変じゃない? そして、それは別に新古典派モデルの含意や資本労働代替比率の扱いについて疑問に思う、という話ではない。実際に格差は拡大しているよね。お金持ちって昔から有利だったよね。浅田論文は、それ自体は疑問視していない。
でもそれなら……それをまがりなりにも示せない(それどころかそんなことはあり得ないと示してしまう)モデルのほうを疑問視するか、少なくともなんか一言あるのが普通じゃないの? どこが足りないのか、どこの仮定がおかしいのか考えるべきじゃないの? あるいは r や g はどうでもいいなら、そのモデルでは何が効けば格差が出てきそうなの? 構造計算の簡易シミュレーションで、このビルは中性子星の上でもブラックホールの中でもつぶれませんというのが出てきたら、このモデルちょっとやべーよ、となるか、せめていやこれはあくまでこのくらいの近傍で成立するだけの簡易モデルだから、中性子星で使うのはそもそも不適切だよね、とかいう弁明くらいはするでしょー。
ところが、浅田論文にはそれはまったくない。唯一あるのは、新ケインズ派モデルには制度的なものを入れる余地があるから、こちらを使うといいかもね、というだけ。うーん。
さっき「経済学の練習問題としては、おもしろい業績ではある。」と書いたのは、そういうことではある。学問内部の練習問題としては、こういうことを考える意味もある。でも本当は、こういう練習問題というのはそのモデルが現実世界に対して持つ説明力を考えるための材料としてのみ意味を持つのでは? それを考えないなら、練習問題以上の意味はないのでは?
これは別に、数理モデルを使うな、という話ではない。モデルがぴったり現実のあらゆる面を完全に説明できなきゃいけませんよ、なんてこともまったく思わない。すべてのモデルは抽象化であり近似で、自分が何を検討したいのか、現実のどの部分を切り取るのか考えていれば、物体のすべての質量が凝縮されたブラックホールみたいな質点を仮定したって全然かまわん。でも数理モデルが現実にあわなかったら、モデルのどこがおかしいのか、あるいはモデルの適用範囲をどう考えるのか、という話はあらまほし。
さて、r>g が格差拡大の必要条件でも十分条件でもない、と言われたらピケティ自身「それで?」と言うだろう。彼が『ピケティ以後』のコメントで述べていたのも、そういうものだった。実際に格差があるんだから、まずそっちを見るべきじゃないのか? 数式モデルはその分析や理解の一助にはつかえるけれど、そればっかり注目しないでくれよな、という。r>gでも、必要/十分条件ではない、というのは事実だけれど、でもそれが格差拡大にまったく貢献しないというのもおかしな話だ。だからこそ彼は、数理モデルに安住するのを嫌って、地道な格差データ集めから始めたわけだ。
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そして『21世紀の資本』が出て以降、こうした議論というのは格差の正当化に使われてきた。ピケティはまちがっている……よって資本収益がやたらにでかくなっているのは問題ない。r>gはモデルによれば格差に関係ない……よって累進課税で r を下げるなんてことは考えなくていい。経済学モデルによれば格差は起きない……よって格差は実際には生じていない!
もちろん浅田統一郎は、そんなことを言ったつもりはないだろう。たぶん、格差分析モデル選びの留意点を指摘した、という意図なんだろうとは思う。好意的には、まあ新古典派モデルではそもそも格差が出てこない形になっているので、ピケティがそれを使って格差増大を説明したのは筋悪だ、と指摘して別のモデル化の方法を考えた、ということになる。でも、そういうふうには読めない。基本は、どちらのモデルでも r>g は格差にまったく関係ないのだ、という話しかしていない。だからピケティはまちがっている、というのが基本的な主張に見える。新ケインズモデルでは制度を入れる余地はある、という生産的な指摘は、確かにあるけれど、でも実はその部分は本論にはない 。補論に入れてあるだけ。だからこそ冒頭のツイート主は明らかに、r>g は重視しなくていいという理解をしてしまっているように見える。ぼくは、それはまずいだろうとは思う。
実はピケティの次の本、「資本とイデオロギー」は、まさにそれをテーマにしている。昔から格差はあった。そしてその格差を延命させてきたのは、それが当然なのだとか正当なのだとか、あるいは金持ちがいくら懐にためこんでも、何も問題はないのだという弁明と正当化=イデオロギーなのだ、と。経済学の理論というのも、ときにそのイデオロギーの一部になってきたのだ、と。浅田論文も、スーパー好意的に解釈すれば、まさにこれまでの数理モデルの不備が、そもそも格差の十分な検討を困難にしているのだという、従来の経済学モデルにひそむイデオロギー性を示したもの、とはいえなくもない (かなり努力しないとそういう読みはしづらいけれど)。
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この本、基本テーマは「左翼が意識の高い金持ちのお遊び集団になったから格差増大したんだよ!」という主張で、まさに前著を支持した意識の高い左翼たちにウンコ投げつける本なので総スカンをくらっているけれど、でも大事なことを言っていると思う。今年中には何とか訳をあげますので!
付記:
このhatena記法だと、r<gと、それからいろいろ間に書いてみて r>g というのを書くと、この半角の不等号にはさまれた部分を何かタグだと思って消してくれることが判明。なんとかならんのかー。mathjax記法にしないとダメってこと?
付記2:
なんとか浅田論文をもう少し好意的に見ることはできないかといっしょうけんめい考えて、少し加筆してみた。が、ちょっと苦しいなあ。(1/5)