- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 文庫
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ベトナムから戻ってきて、前回予想だけで書いたものをざあざあと読み流しているけれど、ほぼ予想した通り。したがってそれぞれを細かく解説したりはしないけれど、田中秀臣『デフレ不況』(朝日新聞出版)は、日銀の陰湿ないじめの例があれこれ出ていて、エグい内部のいじめ体質が浮き彫りになっているのは予想しなかったところ。そういうゴシップ的にも大変おもしろいので、是非一読を。
さて、なんだか多くの人が伊藤計画評を期待しているそうで、優先度をあげて読み終えましたよ、『虐殺器官』(ハヤカワ文庫)。大変に楽しめた――ヨハネ・パウロの動機づけと主人公の最後の行動以外は。そこで急に話がしりすぼみになるのが残念。そういうオチにしたいなら、前半で先進国のテロの話をもっと書き込まないと。あるいは主人公が出張先で、昔はアメリカでテロしていたやつに出くわして、「いまはそれどころじゃないんだ」と言わせるような話をいくつか伏線で張っておくとか。ついでに、虐殺器官が多少のプロパガンダで止まらなくなり、身内の殺しあいになってしまうなら、進化的にはあまりに不利でしょう。そのままでは説得力を欠く。いま書くなら主人公がヨハネ・パウロの使徒となってしばらく行動しつつ、不穏な三角関係を保つような展開にして、あそこはこう書き直してみよう、それと虐殺器官自体があまり前面に出てこないので不満だな、発動をもっと歴史的に描いて(冒頭のエピソードは大躍進時代の中国かなんかにするとか)、進化的な必然性に厚みを加えたうえで、主人公の目の前でそれが突然発動する場面かなんかを出して、ついでにその器官の停止条件を導入するといいな、すると主人公とママのうっとうしい思い出話もやめて、語り手はかつてどこかの大虐殺の生き残りにして、そのうえであれやこれや加筆すると、おおこれはなかなか……と考え出したところではっと気がついたんだが、そういえばこれってぼくが書いた小説じゃないんだよね。
でも、小説の盛り上げ方もディテールの構築も、なんだか……すごい既視感なのだ。ヨハネ・パウロのオープンソース資料の分析、CIAが現地語も読めないエージェントを派遣するというグチ。戦争のコスト高騰からくる採算性のなさ、そして何より、本書のテーマになる、言語が身体器官だというチョムスキー説の解説も。なんだかぼくのウェブサイトを切り貼りすると、この小説の元型ができちゃいそう。むろん、著者がぼくのウェブなどを読んでいたという証拠はないし、ぼくが考える程度のことは頭がいいやつなら思いつけることではある。それに英語のことわざに、Great minds think alike というのがある。かれも似たような関心を持って、似たようなネタを漁っていたんだろう。でも「こういうネタならあの話……」と思っているとそれがすかさず出てくるのを何度か読みながら体験し、なんだかこそばゆいような。それだけにこの最後は「オレならこのラストにするまでにもう一回ひねる!」という気がして、たいへんスプランジな感じ。でも、ぼくもどきの小説だけあって、その知見も世界観も、そこらのくだらん平和ボケした日本の小説よりはるかに上だ。ぼくのこんなコラムをずっと読んできたあなた、是非お読みあれ。楽しめることうけあい。
ちなみに巻末の解説で、解説者は伊藤が本書のために「集めた資料もおそらく膨大なものだろう」と述べるんだけれど、その例として挙がるのは、ピンカーにデネット、ガザニガなどの通俗書。ほとんどこの欄で紹介したような本ばかりで、これのどこが膨大なの、と鼻白む思いをするのだけれど、一方ではこの欄で紹介した本が、世間的にはかなり高度なものだということを示しているものでもある。だからぼくの言うことを信じて、ちゃんと紹介したものを読んで活用すれば、あなたも今頃は伊藤計画になれていたかもしれないのに。そうなれなかったのは、別にあなたに才能がないからではなく、ひたすらあなたの努力が足りなかったからなのよ、というのがぼくの最新訳書、マシュー・サイド『非才!』(柏書房)のテーマなので、興味ある方はご一読あれ。でも出版事情についてのグチはあちこちで聞かれるけれど、よい本はたくさん出ているし、この欄が始まってからも、『虐殺器官』などで参照されている行動経済学や脳科学や、その他多くの分野の書籍は以前とは比べものにならないくらい充実してきているのだ。ベストセラーのリストだけ見ていると、あるいは流行ばかり見ていると、腐ったタレント本やら扇情本、柳の下のドジョウ狙いの追随本、返品増加に倒産騒ぎ、そしてこんな有益なメルマガさえなくなる劣悪な財務状況、さらにはiPadだのなんだのと、本を取り巻く環境は悪化しているように見えるし、出版界のレベルは落ちているようにも見えるし、そしてその通りだという部分も多い。でも一方で、読める本のストックとして見ると、実は状況はそんなに悪くないのかも、とぼくは思っている。そしてちょっとそのためのガイドがあれば、みんなずっと有効にそうした本やら情報やらを使えるのに、とも思う。こんなコラムが、少しでもその役にたてたことを祈りたいけれど、どうだろうね。ではまたどこかで。