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ケインズ「一般理論」間宮陽介訳(岩波文庫):古い、英語知らない、原文勝手に改ざん。

買った本 お勉強 ケインズ

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

見るまでもないと思っていたが、行きがけの駄賃。目を通し始めたが、ふ、古くさい! かたい! 「泥んでいる」(p.xiii) って、ぼくは読めなかったぞ(「なずんでいる」と読むんだって。原文は wedded)。あと第一章で「a limiting point of the possible positions of equilibrium.」となっているlimiting を、極限と訳すのは変じゃないかなあ (p.5)。

と、少し????マークが頭に浮かび始める。で、パラパラめくるうちに目についたもの。p.317 に対する訳注で

「原文は the power of disposal over an asset となっているが、over は of の誤りであろう。訂正の上、「資産の処分力」と訳した」(p.401)

とあるんだが、over で全然正しいっすけど? power over xxx というので xxx に対する力ってことですな。英語、ちゃんと読めてます? of にしても、まあいいけど、同じ文でofが重なって醜すぎるでしょう。

さらに間宮が原文を直したと言っている注があったのでチェック。p.307 に対する訳注として

「原文は less likelihood (可能性は乏しくなる) であるが、それでは理屈にあわない。よってここでは more likelihood と訂正して訳出した」(p.399)

とある。原文は流動性の罠っぽいものについて述べている部分なのだ。名目金利の下限はゼロだけれど、実際には融資手数料なんかもあるので、金利が0.1%とかにはならんだろう、長期融資だと2-2.5%くらいが下限なんじゃないの、と述べた後で、ケインズはこう続ける。

Moreover if the minimum level to which it is practicable to bring the rate of interest is appreciably above zero, there is less likelihood of the aggregate desire to accumulate wealth being satiated before the rate of interest has reached its minimum level. (Keynes General Theory Ch16, 強調引用者)

訳:
さらに、金利を現実的に引き下げられる下限がゼロパーセントよりかなり上ならば、金利がその下限に達する前に蓄財の総欲望が満たされる見込みは下がる

ここでの主張はこういうこと:

人は金利が高いと蓄財したがり、金利が下がると貯金したがらなくなる。そしてみんな貯蓄を増やすと金利が下がって、どっかでみんなそれ以上貯蓄したがらなくなる均衡状態になる。

でも、その均衡金利が1%だったらどうだろう。金利が2%以下に下がれないなら、みんな2%の金利目当てにどんどん貯金し続けてしまうのに、金利は一向に下がらない。みんな富を蓄積しようと欲望し続けてしまう。だから、「富を蓄積しようという欲望が、金利が下限に達する前に」満たされない状態になりやすい。この2%という下限が高ければ高いほど、その欲望が満たされる可能性は下がる

だからこれは原文 less likelihood が正しい。間宮はかんちがいしたうえ、勝手に原文を改ざんしてしまっている

昼休みに本を開いてこれだけ見つけるのにわずか 10 分。すでにぼくは、間宮陽介の英語力も、そしてケインズの主張に対する理解度も、まったく信用できなくなっている。この先も少し読んではみるけれど、当てにはできない。


コーヒーブレイクにちょっと見てみた。訳者注で間宮がケインズに因縁つけてる部分を拾ってみるが、ホントに怪しさ全開。p.38についた注にはこうある:

ケインズは企業者間の競争によって雇用が拡大し完全雇用水準に至ると考えているがこれはおかしい。常に D=Z なら N がいかなる水準にあっても、それを変化させる要因は存在しないからである。財市場ではN の任意の値についてZ=Dとなり、そうであればNを変化させる要因は存在しない。N完全雇用を下回っている場合には、雇用量の調整は労働市場で行われると考えるべきである。(p.369, 強調引用者)

Dは総需要で、Zは総供給で、Nは雇用ね。で、ケインズは、自分の体系では総需要関数と総供給関数の交点で有効需要が決まるよ、だけど新古典派だと供給が需要を作るので、常にD=ZになっちゃってNは関係ない、だから事業者は売れ残りを心配せずNを最大、つまり完全雇用まで増やせるんだよ、こんな理屈は変だ、と主張している。

間宮はこの最後の部分が変だと言っている。どこでもZ=Dなら、Nを増やそうなんて思わないはずだ、といって。でも、Nが増える要因はある。事業者の利潤動機だ。ケインズの体系では、雇用を増やせば総供給は増える。Z=\phi(N)と書くと、必ず\phi(N+1)>\phi(N)になる。古典派理論では供給が増えれば需要もついてくる。人を雇えば雇うほど儲かるんだ。だから事業者はN をどんどん増やして完全雇用にもっていくインセンティブがある。労働市場なんか全然関係ない(っつーかこの新古典派想定だと労働「市場」ってもんはあり得ない、というのがケインズの主張ではないか!!)

この程度のこともわからずにケインズ訳してるのか。そして脚注でまちがった説明を自信たっぷりに加えちゃうとは。ますます驚愕。

10個に1個くらい、こんなまちがいがあります、というんじゃないんだよ。偶然目についてチェックしたら、いままでサンプリング 3 件のうち 3 件ともまちがってる。ロシアの工場以下の、ちょっと信じがたい不良品率。あと2-3個こんなの出てきたら、もう読むのやめるからな。



p.71の注 (pp.370-371) でも原文を勝手に変えているが、これまた間宮のまちがい。生産者は前期の実績を見て将来見通しを形成し、それを元に材料の発注とかするけど、その発注を改訂したり在庫調整したりする判断調整の原因としていちばんありそう (most likely)なのは、実際に倉庫に積み上がった売れ残り在庫を見たり受注キャンセルくらったりしたときでしょ、というきわめて単純な話なのに、わけのわからん解釈をして「ここはmost unlikelyでなければならない」という勝手な改変。4戦4敗。ちなみにこのp.71の注の訳は読むに耐えない。一読して何を言っているかもわからない意味不明の化け物みたいな訳になっている。



9/4付記。その後あれこれ見ると、その前のナントカ親子の東洋経済訳に比べりゃネコでもありがたく見える、というのはかなりあるようです。で、普通のところは、現代の基準で見るとダメ訳だが、一応はまあ原文に忠実な訳といえないこともないし、以前に比べたら改訳、という……でも低い基準を設けてそれに安住するというのはなあ。

それと、間宮はジェイン・ジェイコブズをネタに、ジェイコブズと宇沢コーブンをヨイショするあられもない論文(ともいえないひどい雑文)を書いていて、その宇沢は「最適都市を考える」などでジェイコブズをほめる一方、この間宮訳ケインズにお墨付きをつけていて、『一般理論』講義の文庫あとがきでも間宮訳がいかにすばらしいかを力説したりしている。小島寛之は『容疑者ケインズ』のあとがきで、自分がいかに間宮訳に期待しているかを書き、あまり詳しいとは思えないのにワイアードでジェイコブズに触れてみたり……

なーんかここら、変な学会的な相互ヨイショのネットワークができているような印象を持ってしまうんだが、やっぱそういうのってあるのかな? うがちすぎ?

なお、間違い探しはさらに続きます。続きはこちら:cruel.hatenablog.com





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