『中央公論』2013年5月号:まったく無内容なリフレ批判のオンパレード

中央公論という雑誌は、もうここ数年、ほとんど見る影もない状態になっている。昔、コラムや書評を一瞬だけ担当させてもらっていたせいか、いまでもずっと送られてくる。でも、本当に特集も無内容で定見もない。2010年に、茂木健一郎と池田大作との往復書簡をのせて、大作マンセーをやらかしていたのはひたすら情けないばかり。その前も後も、特に定見があるわけでもないあたりさわりのない話を、煮え切らない視点で掲げるばかり。無知なくせに、なんか世間で話題になっているネタに聞いた風なことをいうだけの雑誌となり、もはや存在意義もないと思う。

特集「保守とリベラル」なんだが何も中身がない!

で、その五月号は「保守とリベラル」なる特集なんだが……不思議なことに、全然保守とリベラル、という特集になっていない。その特集の中身はこんな具合:

山崎正和の駄文(談話を起こしたものらしい)は、まったく無内容な一般論。一億総中道化って、もう前世紀に使い古されている話でしょうに。細野談話は、民主党PRでしかない。次の小島寛之エッセイはただのアベノミクス叩きで、保守とリベラルまったく関係なし。竹内洋の駄文は本当に駄文で、昔は政治対立軸があったけれど、いまはメディア政治になっているという何の目新しさもない代物。会田宇野対談もまったく無内容で、世界あちこちでいろいろあって日本はよくわからんというだけ。そして吉田飯田対談は、飯田泰之にしては珍しくろくでもない代物で、吉田徹が反経済成長論に話を振りたがるのにひきずられて、対談としては散漫。「経済成長ですべての争点を糊塗したツケ」というのはつまり、経済成長することで政治的な問題点がごまかされてきたので、経済成長はよくない、という主張。たぶん飯田さんはこのタイトルまでは見なかったんだろうが、あまりにひどいまとめなので、中央公論に抗議すべきだと思う。

結局のところ、あまり対立軸がないと言いたいらしいんだけれど、民主党自民党とで対立軸がない割にはあまりに民主党がいまやあまりに劣勢すぎなのは明らかで、だったら対立軸がないのになぜこんなに差がついた、という問題にまったく答えられていない。そして民主党がダメなのは自明すぎるので中立を装うためには自民党のこともけなしておかないと、ということだったんだろうか(民主党だけがPRの場をもらえているのもそのあらわれなのか、それとも自民党に相手してもらえなかっただけなのか)、雑誌全体がアベノミクス/黒田金融緩和に対する変な批判のかたまりになってしまっている。

得体の知れないアベノミクス/黒田日銀緩和批判のオンパレード

細野「モナ男」豪志インタビュー:民主党量的緩和を予定してた? ウソつけ。

まず細野モナ男の民主党PRページもといインタビューでは、民主党量的緩和をやろうとしていたんだって!(p.47) でも日銀と話し合っているうちに政権交代になっちゃいました。とのこと。一読してまったく信用できないと言わざるを得ない。当時の(いや未だに!)野田首相(当時)は金融緩和反対ばかりで、民主党の基本は相変わらず黒田日銀否定路線だ。もちろん、民主党の議員の中には前からリフレ策を十分に理解してその実現に向けて努力してくれた人もいた。でも、それだからといって民主党が金融緩和の追加を考えていたというのは、話としてありえない。民主党のリフレ支持議員たちは自分たちの主張が聞き入れられずに、ツイッター等でも明らかに苛立ちを示していた。あれがすべて演技でしたというわけ? あり得ない。
さらにその舌の根も乾かぬ次のセクション (p.48) で、実は金融緩和は効かなくて、年末には自民党は需要不足を公共事業で需要を補わざるを得なくなる、というんだが、それではその民主党が日銀と詰めていたという金融緩和というのはそもそも意味がなかったということですな。経済政策というものについて、未だに民主党にはまったく定見がないことだけはわかりました。

そしてなかなか悲しいのが小島寛之の「「アベノミクス」をどう位置づける? リフレをめぐる「期待」という名のお化け」(pp.54-だ。

小島寛之と小野理論:その異様な損得勘定すら越えた貨幣愛なるものはどこから?

小島寛之の主張は、もういつもながらの小野義康理論の提灯持ち。基本的な認識は、いまお金が十分に使われない。消費や投資にまわらない、というものだ。これはその通り。そして、いま金融緩和をしても効果がない。この部分の認識には異論がない。

さてリフレ派の主張は、これが流動性の罠によるものだ、ということ。そして将来のインフレ期待を創り出せば、現在の投資や消費を促進することができる、というものだ。
これに対して小野理論は、金融緩和が効かないのは貨幣愛によるもの、と主張する。だから流動性の罠なんか関係ない。金利がどんな水準にあろうと、みんなお金が欲しい。だからお金を刷ったらお金が愛しい人々が貯め込むだけ。将来もたくさん刷ってあの手この手でインフレにすると宣言し、みんながそれを信じたところで、何も関係ない。とにかくお金が好きなだけだから、その価値がインフレで目減りしようが全然関係ない。だからリフレ派の主張はまちがっていて、リフレ政策などまったく効果はないことになる (p.56)。

この小島/小野理論は、理屈としては成り立つだろう。もしこの「貨幣愛」なるものが本当にそういう変態じみたフェティッシュで、それに憑かれた人はいくらお金が手元にあっても、未来永劫それを一銭も使いません、ということであるなら、小野理論=小島理論の通りに話は動くだろう。
しかしその一方で、その妥当性はいろんなレベルで検証可能だし、そして現時点でもこんな理屈を信用すべき理由はまったくないとぼくは考える。
まず、そんな形の貨幣愛が多少なりとも実証されたことはあるんだろうか。これって、合成の誤謬で生まれるものではないよね。そしてこれはマクロ経済の話なんだから、一人、二人(いや百人)の変な守銭奴がいるだけでは話にならない。世の中の相当部分を占める無数の個人が、ゼニクレージーかカネゴンみたいな行動をしていない限り起きないはずだ。そういう人がどこかで(たとえば行動経済学とかで)確認されたんだろうか? ぼくは聞いたことがない。それがないのに、どうして小野理論が正しいといえるのか?
そして、それがいまの不景気のもとだというなら、小島/小野説によればこの二十年の不景気というのはあるとき突然、日本人が一斉にその貨幣愛なるものにとらわれたから、ということになってしまう。そんな異様な心理的転換が本当に起きたという証拠は? これまた聞いたことがない。小島/小野の説明だと、それが起きたという証拠はまさに不景気の発生だ。貨幣愛のせいで不景気が起きたという証拠は、不景気が起きた、ということだという循環論法でしかない。

さらに、小野理論が正しければ――つまりそのゼニクレージーカネゴン的なお金フェティッシュの人が本当にたくさんいるなら、金融緩和が発表されたところで株価は上がったりしないはずだ。将来の企業の業績がどうあろうと、みんな目先の手元の現金に固執するはずだから。でも、実際に株価が上がったということは……人々は小野理論が前提とする無限の貨幣愛なんかにとらわれていない、ということだ。

そして、その貨幣愛なるものがあるとしても、そこで当然疑問が起こる。その人たちは、今日の現金と明日の現金との間でどういう選択をするの? 今日我慢すれば、明日もっと現金が手に入るかもしれないという状態になったら? それでもその人たちは目先のお金にこだわるの? 小野理論が成立するためには、その人は将来の可能性のために手元の愛しい現金を犠牲にするなんて死んでもやらないということでなくてはならない。でも……愛しいお金が来年まで待つだけで何割増にもなるんだよ? なぜ少しリスクを負っても投資しないの? あるいは逆に目先の現金がそんなに好きなら、なぜいま無限に借り入れをしないの? そんなことをする人もどうやら確認されていない。すると、いったい小野理論の根拠ってどっから出てくるの?

そしてもちろん、こんなブラックホールみたいな貨幣愛がどっかにあるなら……それこそバーナンキ背理法の出番だ。日銀はもうどんどんなんでも買いまくればいい。それでもお金は貨幣愛に吸い込まれてインフレもまったく起きない。完全雇用も実現される。リフレ派はあくまで、完全雇用にもっていく手段としてリフレを主張しているんですからね。だから政策的にも、日銀がお金刷ってどんどん国債買え(そして政府がお金使え)というのは小野理論と整合的なはずなんですけど。

さて不思議なことにこの記事は、小野理論解説はほぼない。リフレ派に対する批判というのは、いまの時点で金融緩和しても効かないのに、将来にわたって緩和するといえば効くというのは筋が通らない、というもの。吉川洋による批判とほぼ同じですな。そこらへんの話はたくさん出ているし、歴史的に見ても示されているし、何より今回株が上がって実体経済へのよい影響も出はじめていることでほぼ議論はおしまいではないかな。自分のモデルではそれが説明つかないというのと、実際にそれが存在しないというのは別のことなのだ。そしてそれ以外の批判というのは、わかんない、はっきりしないというだけ。小野理論だと現状はどう説明されるのか、どういう提案があり得るのか、というのはまったくない。いま(というのは三月上旬だろう)までの円安は、ユーロ圏が安定してきたからだ、という斉藤誠説 (記事には書いていないが、2/27付の朝日新聞インタビュー) が紹介されている。ホンッと、その後3月半ばにキプロス騒動がやってくるとは、斉藤も小島も想像だにしなかっただろう。ご愁傷さまだが、ユーロ不安が再燃しても円が急騰したりしなかったことを考えると、この説の妥当性はもうないはず。つまり、もうこの記事は現状についての説明がないということだ。

小島寛之は、昔は数学大王と言われて非常におもしろい経済学を主張していたのに、小野理論の提灯持ちになってからは本当にがっかり。この変な貨幣愛とか、政府支出をすればすぐにその場で人々の可処分所得がそれだけ減るとか、変な仮定をおけば変な結果が出るというだけのものばかり。貨幣愛がないとは言わないけれど、それをまったく理由のない完全に合理性を逸脱したフェティシズムだとするのはあまりに極端でしょう。それなりに損得勘定の結果なんだというのを入れると話はまったく変わる。そろそろ実体経済のいろんな指標が出てきたところで、だんだん目を覚ましてくれることを祈るばかりなんだが…… しかし、リフレは政治運動だとかマル経と同じすべてを単一の悪者に帰着させる愚論だとか言っているのを見ると (p.55) 、回復不能かもしれない。
そしてこれだけわからない、ダメかも知れない、変だ、おかしいと連発しつつ、最後の最後で「でもうまく行ったらすばらしいね」とゴマを擦るヘタレぶり (p.59) 。が、その直後に「でもやっぱり国債暴落でハイパーインフレもあるかも」ときた。クソもミソもいっしょで、もはや学者としてわかるところとわからないところの明確な切り分けすらできていない状態。ひょっとしたら、もう上に書いたような小野理論の難点と現状に対する説明力不足をまのあたりにして、それだけ混乱して途方にくれているということかもしれない。が、そんな優柔不断と混乱につきあわされる読者こそ可哀想だ。

コラムや書評でもリフレ批判

これ以外にも、コラムでは松井彰彦がリフレ否定で、インフレ目標はインフレ下げるときにしか使わないとか、経済学は短期のことはわからないとかいう妄言 (pp.20-21)。上の小島と同じで、斉藤誠の受け売り。わからないんなら批判がましいこと言わなければいいのに。
また武田徹は、コラムでアベノミクスに対して聞きかじりの知ったかぶりで苦言を呈してみせる。が、その聞きかじりの先が水野和夫 (p.22)。もう必需品は完全に足りているから金融緩和しても贅沢品が売れるだけなんだって。あっそ。必需品がそんなに足りてるんなら、失業対策とか弱者救済とかしなくていいですね。だって足りてるんでしょ。ところがこのコラム、後半は安倍政権が弱者いじめだ、生活保護をカットしようとしているのはけしからん云々という話になる。つまり、その人たちの需要というのが満たされていないってことですな。前半で言っていること(それを伝聞とか経済学者でないとわからないとか逃げはうつが)話がまったく矛盾していることさえ、たぶん武田徹は認識していないだろう。

さらに書評欄では高橋伸彰が吉川『デフレーション』書評だが、本当にひどくてあらすじなぞっただけ。日本の量的緩和が効かなかったから、リフレはダメというのはもう経済学的には決着してるんだそうな (p.223)。だからリフレってそういう話じゃないから!! それを知らない人が書評すべきではないだろう。前から中公の書評はひどかったが、これは輪をかけてひどいわー。

唯一の救いが原田泰エッセイ

もうとにかく、全編リフレや黒田金融緩和に対する愚かしい否定論ばかりの一号。こんな中で、なぜか突然出てくる原田泰『黒田新総裁でついに否定された日銀理論』だけが清涼剤。本当にストレートで正統な議論で、実はこの一篇で本書にある上の各種の記事ほとんどすべて論駁されてしまっているんだよね。アベノミクスは一本目の矢だけでも十分で、インチキな二本目の矢とか三本目の矢とかは、ヘタするとないほうがマシ、というきっぱりした主張も見事。ぼくのatプラスの原稿ですら、この点はここまで明言はできなかった。

まとめ

とまあ怒りにまかせて書き殴ってきたが、とにかく徒労の多い一号。むろん、この号の原稿執筆時点ではまだ、黒田日銀が決まったばかりで、その後の日銀の政策会合の内容やそれに続く各種の実体経済改善の兆候などはわからなかっただろう。それを割り引いても、この惨状は目を覆うばかり。それも、どれも確固として反対論なり批判論なりがあるわけじゃないのね。雑誌全体としても、そして個別の書き手として、自分なりのしっかりした考え方がなくて、今後どっちに行くかわからないから二股かけてあいまいにしてお茶を濁そうとした結果全員で見事にうろたえぶりだけが浮かび上がったという情けない代物。これまでもほとんど読まなかったけれど、もう今後は封も開けないだろう。というか、中公さん、もう送るのやめてくれませんか。



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