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Amazon救済 2011年分 1

Amazon Rejects 書評

バルト『モードの体系』: 体系そのものの記述は途中で終わっており、静的な記述と事例に依存。でも試みは今も興味深い。, 2011/5/31

試みはおもしろい。本書には暗黙の前提がある。文化的な意味の体系は衣服の外にあり、ファッションとはそれを衣服に対応づける仕掛けだ、というものだ。

記号論のご託はこれを言うために出てくるのだけれど(バルトが依拠した記号論ソシュール言語学では、言葉とその意味とは完全に恣意的な関係しか持っておらず、これはファッションとその文化的意味でも同じだ)、でもいまの一行さえ理解すれば、変なジャーゴンはまったく知らなくてかまわない(ウェブで本書について検索すると、この記号論の講義が延々続くけれど、たぶんそれは本書の本質をまったくはずしている)

 では、何が何に対応しているのかを見るべく、バルトはある年のファッション(モード)について雑誌記事をもとに分析。あれこれ美文調の能書きは多いが、ブラウス、ワンピース、スカート等々を羅列、それについて、袖の長短、飾りの多少、ひだの多少、といった具合にモードの語彙を羅列する。それをすべてやると、ある意味でモードの母集団というかそうした語彙カテゴリーの数 n で形成される、ファッションの n 次元空間みたいなのが定義できる。その中で、「チェックのソックスは春の装い」という記述がファッション雑誌にあったら、「チェックのソックス」という部分に「春の装い」という意味を関連づければいい。それを通じ、いまのファッションがどこに分布し、それが外部の何と対応して……といったことをやりたかったんだろう。

 でも実際には、あれこれ語彙を抽出したところで止まってしまい、きわめて中途半端。意味の対応をきちんと整理できていない。いくつかの事例を羅列するレベルにとどまっている。意味を作るのに、各種要素を羅列したり対立させたり等、どんな形で意味が強化されたりするかも、羅列的な記述にとどまる。結果として静的な構造分析の常として「その通りかもしれないけど、それで?」という話で終わっている。

 そしてその後、それを動的な分析につなげるための思いつきがあれこれ書かれ、アイデアとしてはおもしろい。ファッションが参照する外部の意味との対応、そしてその参照方法の変化に伴うモードの変遷とその意味。なるほどと思えるところもあるが、やはり思いつきレベルのままなのが残念。とはいえ小野原「闘う衣服」のように、それを発展させようとする人もいる。通読する必要はないが、ざっと目を通して何をやろうとしていたかは理解して損はない。

 翻訳は、訳語をこだわりをもって吟味してあり、バルトのくどい文体にもかかわらずかなり読みやすい。能記/所記といった業界内部のジャーゴンを廃して、一般読者にわかりやすくしようという意識は大いに讃えられるべき。

中身は各種陰謀論やインチキ科学の網羅的紹介だが翻訳が最悪, 2011/5/13

陰謀説の嘘

陰謀説の嘘

 シオン議定書真珠湾攻撃陰謀説やマッカーシズムケネディ暗殺、ダヴィンチ/コードの陰謀、デニケンやらヴェリコフスキーやらの疑似科学、9.11陰謀説、そしてスターリン時代のソ連におけるトロツキー陰謀説など、各種の陰謀論を楽しく紹介した本……のはずなのだが、翻訳がどうしようもない逐語訳のうえ、原文になく文脈的にもまったく意味のないところでやたらに改行を入れる変な処理のため、よみにくいことおびただしい。

「本書で取り上げた説の中には、悲惨な結果を迎える説もある。それはテンプル騎士団に関する本であるはずがない。(中略)学問の研究成果は、ある程度の歪曲をともなう。しかし、実害をこうむるのは、人々がすでにそれよりも優れた本を読んでいるか、あるいは、優れたテレビ番組を見ているかもしれないときだ。」 (p.408)

この得たいのしれない文章、正しくは

「本書で取り上げた説の中にはひどい実害につながったものもある。だがテンプル騎士団の本だと、さすがにそれはない。(中略)学術性というものが、多少の打撃を受けた面はあるだろう。でも真の実害といえば、人々がその間にもっとましな本を読んだり、ましなテレビ番組(あればの話だが)を見たりできたはずだった、という時間の無駄だけだ。」

全編こんなのばかり。陰謀論が知りたければと学会の「トンデモ超常現象」のほうがずっと読みやすい。翻訳がまともならもっといい本になったのに……

しょせん、彼女の理論が果てしない言い換えに過ぎないだけだとわかる本。, 2011/4/26

領土・権威・諸権利―グローバリゼーション・スタディーズの現在―

領土・権威・諸権利―グローバリゼーション・スタディーズの現在―

本書は、中世からずっとナショナル(国民国家)概念がどんなふうに発達してきて、それがグローバル化に伴って少しずつ変わってきたことを述べている。

……それだけ。

彼女が本書でやっているのは、果てしない言い換えにすぎない。変な用語を編み出すことで、何か目新しいことを言っているかのように見せかけるが、その中身はない。たとえば、国家と市民がいまや一部で乖離して、市民なのにあまり権利がもらえない事例や二重国籍なども一部で可能になっている話を指して、「私は、これらの変容を、シティズンシップ制度内の特定の特徴の非常に特殊な脱ナショナル化と呼んでいる」そうな。それで?

……それではなし。本書は、こういう言い換えをしたことがすごいと言いたいらしいが、その言い方で何が言えるのかはまったく指摘できない。従来の国という概念に対し、グローバル化の進展で一部うまくおさまらない部分が増えたのを「脱ナショナル化」と呼ぼう、というのが本書の唯一の主張だが、ホント、それがどうしたんですか?

またデジタルネットワークの考察においても、その内容はローレンス・レッシグやティム・ウーなどの考察を一歩も超えるものではない。

『グローバル・シティ』の失敗で、いろいろ予防線を張りすぎたあげくに、彼女の本は結局「いろいろある」以上のことが言えなくなっている。分厚い本書を読んでも、新しい知見はおそらく得られず、読者は整理されない「あれもあればこれもあるが、そうでない場合もあり」の果てしない羅列を読まされて徒労感を抱くばかりだろう。ちなみに、原著者のながったらしい文を、やたらに読点の多い読みにくい金釘訳文にしたてあげた訳者と、それをきちんと見直せない監訳者は、翻訳に手を出すべきではないと思う。

(注:このレビューについては、コメント欄でかなり激しく議論があって、それなりにおもしろかったので消されてしまったのは残念)

丁寧に足跡をたどるのはいいんだが、そこから何が見えてきたかというまとめが皆無。, 2011/4/18

本書は、秋葉原殺傷事件を起こした加藤の生涯を、淡々と描いた本。他のレビューアーが書いているように、安易な判断や断定はせず、事実だけを並べており、著者もそれを売りだと述べている。だが本書の難点はまさにそこにあり、安易どころか、安易でない判断すら下していないところにある。

 「現実は建前で、掲示板は本音——そう語った加藤の言葉にこそ、この事件と現代社会を読み解く重要な鍵がある」と著者は書く。では、その言葉から事件と現代社会を読み解いた結果、何が得られたのか? 加藤の生涯をていねいに見ることで、一体通常の決めつけでは得られないどんな知見が得られるのか?

 本書はそれを書かない。そこに何かがあるんじゃないか、とは書くんだけれど。本書は、加藤に友達はいたけれど本音が言えないと思っていたとか、掲示板で調子にのって煽りカキコをしていたらなりすましがあらわれて、アイデンティティが崩れたとかのエピソードを悲愴っぽく同情すべきであるかのように描くんだけれど、全然同情できない。切実さも感じられない。しかもそれって社会的にどうにかできる話なの? 結局、社会不適応のキモヲタがネットでハブにされてはた迷惑な暴れ方をした、という以上の話にはまったくなっていないようにしか見えない。

 が、それはしょせん、この事件の上っ面しか見ていない野次馬の感想かもしれない。本書はそれを批判したいようだ。ならば、著者はこの事件について何を言えると思うのか? じっくり加藤と向き合い、その足跡をたどった結果として、何が見えたのか? それが提示されないのは、ぼくは慎重さやストイシズムや誠実さなどではなく、むしろただの優柔不断、あるいは「いろいろ取材したけど何も出てきませんでした」というのをごまかすためのポーズに見えてしまう。

実物より優れているかもしれない。, 2011/4/7

ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選

ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選

 色校の鬼のような一冊だが、その結果はじつにすばらしい。特に実物と比べると本書の優秀さがよくわかる。ここに収録された作品の一部が2011年初頭に山種美術館で来日公開されたが、当然ながら退色を防ぐために照明が薄暗くなっており、特に暗い部分の細部は必ずしもよく見えない。本書 p.99 の鳥居清長の作品は、窓の外が真っ黒に見える。ところが本書では、その暗い中に微妙な細部があることがはっきりとみえる。実物を観るより本書を観る方が、一部とはいえ細密な鑑賞ができるのだ。

 その意味で、オリジナルを普通の照明の下で手に取ることはできない以上、求めるものによっては本書の図版は、美術館で実物を見るよりもよいかもしれない。むろん、思いっきり近づけば版面の色のドットが見えてしまうという点では実物にもちろん及ばないが…… 当然ながら解説その他も文句なし。

いい本です。本文はネットでフリーで読めます。, 2011/3/12

富岡日記 (《大人の本棚》)

富岡日記 (《大人の本棚》)

いい本です。日本の産業発展において、外国から技術を導入しそれを改善する中で、女工がこきつかわれる一方ではなく、それに積極的に関与した事例もあることを示し、同時に富岡製紙工場の内情を示す貴重な記録。女工への志願のプロセス、その後の技術習得に対する異様な情熱、さらにはそれを完全国産化した六工社設立への参与など、産業史、労働史、ビジネス倫理など多面的な意義を持つすばらしい本。

……というようなことを以前述べたところ、ある労働経済学の専門家には散々に揶揄されて「いやあ、確かに世の中は女工哀史の通りでしたが、ごく初期の一部では富岡日記みたいなこともあったんですよという風に、居候がそっと出すような言い方であれば、誰も文句は言いません」といやみったらしく言われました。が、女工哀史だけではなかったことも知っておくのは重要でしょう。

なお、本文はすでに著作権が切れており,ネットでフリーで読めます。

http://cruel.org/books/tomioka/tomioka.html