松谷『ギャルと不思議ちゃん論』:労作ながらジャンル内だけに閉塞

ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争

ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争

サブカル内での棲み分けや派閥の抗争、重なり具合に関する、半ば自虐的、半ばナルシスティック、半ば自己参照的な論というのはたくさんある。おたくとナードとギークとジョックとゴスとパンクとチア系といじめっこといじめられっ子の相互力学は、アメリカの高校ドラマの永遠のテーマだ。

なぜそれがドラマのテーマとして成立するかというと――そのドラマの想定視聴者は全員、その力学内に身をさらしたことがあるからだ。だからそれを戯画化し、誇張し、細部を捉え、定式化すると「ああ、あるある」「そう、ああいうヤツ、いたよねー」という共感の基盤となる。

でも、それは基本的には意匠だ。ドラマがドラマとしておもしろくなり、それなりの一般性を持つようになるのは、その意匠をとっかかりとして、もう少し一般性のあるテーマに触れられるときだ。そして優れたドラマは、すべてそれを実現している。

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で、本書は、ギャルと不思議ちゃんというサブカル内での棲み分けの話をする。個別にそれを採り上げず、生態系的に考え、その二つの区分それぞれの内部の変遷を、それが置かれた環境とこの二つの派閥の相互力学としてとらえようとする。それはそれで、おもしろい。

が……本書はそこから一般性のあるテーマに発展しないのだ。そのサブカル内の派閥描写で終わってしまう。こんなことがありました。戸川純が出てきて、きゃりーなんとかが出てきて、あれもあり、これもありました。そして最後のまとめは:

ギャルと不思議ちゃん――そうした本書のコンセプトも、今後どのように推移するかはわからない。コギャルの誕生からそろそろ二〇年を迎えようとする時代、ギャルは縦にも横にも分化し、他の属性と結びついたりしている。きゃりーぱみゅぱみゅの存在によって不思議ちゃんも目立ってきているが、彼女が戸川純のような強力なアイコンであり続けるかはまだ未知数だ。

しかし、これからも女性は続く――。(p.339)

要するに、いろいろありました、今後どうなるかはわかりません、ということ。では、あなたのこのいろいろ調べた労作によって得られた洞察というのはなんだったのでしょうか? ある視点を元にこれまでのものを並べてみました。おしまい。それではぼくは読者として、単なる徒労感を感じるしかない。

これは、ぼくが松原の中国建築評論研究本今和次郎研究の本についての話でも述べたことだ。あるいはこの「ヒトはなぜ微笑むのか」でも、なぜ微笑むのか考察しました、でも結局なぜそれがだいじなのかとか、それがわかると何が言えるか、というのはまったくまとめられない。あるいはこの「ニューロポリティクス」でも、いろんな政治的な判断を下すときに脳内の活性化部位を調べてみました、ちがう部分もあるようです、という手法の話はできる。でもそれがどうした、という話はまったくできない。日本人ってサーベイ論文とかは得意なんだけどさ、サーベイでも羅列だけで終わって、結論(と提言)がない論文とか報告書とかを平気で書くんだよね。それと同じものが、この松谷の労作でも見られる。ギャルと不思議ちゃんは相互に影響しつつ生態ニッチを形成しています。はい、そりゃそうでしょう。でも、それを一応実証的に確認したのはよいことです。それで? それはどういう一般性を持つ知見を与えてくれるんですか? 本書はそれが全くない点で、実に日本人的だ。これは悪口。いっしょうけんめいやりましたから、意味があるかどうかはわからないけど、いっしょうけんめいのとこだけ評価してください、という上目遣いの本になりはてている。

これはもちろん、ぼくがそういうのと無縁だったこともあるだろう。ぼくはギャルでも不思議ちゃんでもなかったし、その力学の中にはいなかったから、本書に描かれているようなものを「ああそうそう、あったよねー」と懐かしく思えない。だから本書を十分に楽しめないのかも知れない。でも、その中にいた人しか楽しめないのであれば、ぼくは本としての価値はないと思う。あと、ぼくは自分の関心あるものないもの含め、いくつかの雑誌を定点観測して定期的に無理してでも買って読んでいるので、一応キューティーもスプリングも、ケラ!も(ちなみにぼくは、ケルアックと書いてケラと読ませるのがすっげー違和感あって――が閑話休題)キャンキャンも見てはいる。この中で書かれている話題もだいたいわかる。決してその内容面についていけないわけではないし、またその部分の分析や調査は、力作だと思うしご苦労だなとは思うし、高く評価する。

でも、結局本書は、いろんな時代のいろんな意匠や流行のキーワードを並べただけに終わる。ギャルママに森ガール、DQNネームにナゴムギャルですか。ありましたねえ。で、それがどうしたの?

松谷は、リサーチャーだと著者紹介に書かれている。で、確かに本書はリサーチャーの仕事だけあって、リサーチは立派だ。でも、結局リサーチャーどまり。惜しいなあと思う。松谷の書いたものは昔からいくつか読んでいたように記憶しているし、おもしろい視点もあったと思う。でも、その視点を彼は結局一般化できず、本書の段階ではまだ内輪での内輪意識慰撫にとどまっている。

もちろん、無理に一般化しようとして無残な結果に終わった本もたくさん見ているので、知っている領域のことをまず堅実に抑えようとするのは一つの見識ではあると思う。でも、その見識をどのように外に出すか? その意味で、松谷の次の本を(あるなら)ぼくは期待して見ようと思う。そしてこの本は――ぼくは書評には採り上げません。



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