旅に出る時ほほえみを

旅に出る時ほほえみを (1978年) (サンリオSF文庫)

旅に出る時ほほえみを (1978年) (サンリオSF文庫)

もう30年近く前に買ってずーっと本棚に寝ていたのを、引っ越しを機に始めて全部読んだ。昔、冒頭だけ読んでもっと無害なおとぎ話と思っていたけれど、どうしてどうして。よくソ連時代にこんなものを書いて発表できたものだ。ナボコフ『ベンドシニスター』と同じ話だけれど、こちらのほうができがいいかもしれない。


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『去年を待ちながら』

たぶん無駄とは知りつつ、インターネットの無限の叡智におすがりしてみるテスト:

P・K・ディック『去年を待ちながら』という佳品がある。

去年を待ちながら (創元推理文庫)

去年を待ちながら (創元推理文庫)

さて、この邦訳の献辞はナンシー・ハケット宛てになっている。ぼくが持っている英語版もそうなっている。

ところが、このキンドル版と別のペーパーバックだと、献辞がドナルド・ウォルハイム宛てになっている。

Now Wait for Last Year

Now Wait for Last Year

さて、これはディックがどこかで変えたのか?たとえばイギリス版と米国版でちがうということなのか?それともだれかがどっかでまちがえたのか?

ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは

ちょうど一年ほど前に、別冊『環』がジェイン・ジェイコブズの特集本を作るというので、寄稿した。

ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006 〔別冊『環』22〕

ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006 〔別冊『環』22〕

この本の企画をきかされたとき、どんな本になるかはだいたい想像がついて、まあほぼその予想通りだった。いろんな分野の専門家が、自分なりの専門分野からジェイコブズについてあれこれ語る――それは決して悪いことではないし、その意味でこの本も、悪いものではない。

が、すっごくよいものでもない。『アメリカ大都市の死と生』解説でも書いた通り、ジェイコブズの価値は、そういう専門分野を無視したところにあるからだ。各種専門家の意見の寄せ集めでは、たぶん不十分だ。さらに、ジェイコブズを評価する人の多くは、「よいまちづくり」といった話が好きな人々で、人に優しい多様で魅力あるまちづくり、みたいな話をありがたがる。でも、ジェイコブズは実は、必ずしもそういう見解に好意的ではない。が、たぶんそれをまともに指摘する人は、おそらく他の執筆者にはいないだろう。ジェイコブズに対するまともな批判を紹介する人すらそんなにいないんじゃないか。

すると、ぼくが憎まれ役を引き受けて、そういう話を全部やるしかないよなあ。そのためには、基本的にこの本の他の著者全員に、バーカと言うに等しいことをしなければいけないなあ。

というわけで、書いたのが次の文章だった。

ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは (pdf, 400kb)

たぶん他の執筆者は、あまりうれしくなかっただろうね。心優しいまちづくりの人たちは、市民運動とかエコとかいった話が好きで、この中で批判されているインチキな反原発(こう書くとすぐにキイキイ言う連中が出てくるんだけれど、インチキでない反原発だって当然あるのだ)活動とつるんでいたり、ある程度ほめられている小林よしのりにえらく反発したりしている人々も多いので、ジェイコブズがそんなのと関連づけられているなんて気に入らないだろう。

でも、ここに書いたような話はどこかで言っておくべきだと思う。そして、アマチュアにこんなことを言われるのは、そもそもが「専門家」たちが十分に専門してないからだ、というのもこの論説の主張ではある。

別の話で、専門家とアマチュア、みたいなことを少し考えていたので、こんな原稿を掘り出してくるのも無意味ではないだろうと思うに至ったので。ご笑覧いただければ幸い。

 

ところでいまジェイコブズ関連のブログをいくつか読んでいたら、この別冊『環』の編者の一人でもある塩沢由典がそのほとんどに2015年あたりにやってきて、コメント欄にいろいろ書いている。ジェイコブズに対して少しでも批判的なことが書いてあると許せないようなんだけれど、そのブログで紹介されていた批判に対しては直接反論できず、「すごいんだぞ」と言うにとどまっているのは残念。そしてこの『環』が出るという話と同時に、「知られざるジェイン・ジェイコブズ」なる本の翻訳が進んでいるという話を書いているんだけれど、どうもまだ出ていないらしい。どの本の翻訳かは知らないけれど(上の論説の最後で写真を載せた Ideas That Matter かな?) 遅いなあ。ぼくにやらせればすぐ(そして上手に)できるのに。

Ideas That Matter: The Worlds of Jane Jacobs

Ideas That Matter: The Worlds of Jane Jacobs


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Amazonレビューをサルベージした理由

ここ一週間ほど、ずっとアマゾンのレビューをサルベージしていたんだけれど、その理由は突然すべてのレビューが消されてしまったから。個々のレビューが消されたことはこれまでも何度かあって、だいたいが酷評された人が文句を言ったことが多かったんだけれど、今回のはなんだかわからない。

アマゾンに問い合わせたところ、以下のようなお答えがきた。

Amazon.co.jpにお問い合わせいただき、ありがとうございます。

これまでのお客様のAmazon.co.jpコミュニティ内での活動を調査した結果、ガイドラインに違反していた行為がございましたので、このほど、ご投稿いただいておりました全てのカスタマーレビューを非掲載に変更させていただきました。今後は当コミュニティへのご投稿は行えません。

Amazon.co.jpでは、お客様のアカウントにおける活動状況を慎重に調査し、今回の判断を行っております。なお、この判断については変更されることはございません。

Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございました。

Amazon.co.jp カスタマーサービス 木島

ご利用ありがとうございました。 Amazon.co.jp

---- お問い合わせ内容 ----


02/18/17 12:34:21 名前:山形浩生 コメント:以下1点の項目を記載のうえ、メール送信ボタンを押してください。

  1. お問い合わせ内容 ぼくの書いたアマゾンレビューがすべて消えているのですが、何かあったのでしょうか。

こういうことなので、復活はあり得ない。文句を言っても受け付けられない。書いても予告なしに消されたりするので最近はアマゾンにはレビューを書かないようにしていたんだけれど、まさか全部消されるとは予想外でした。

だけど、ガイドラインに違反していた行為って何なんだろう? ちなみに、ガイドラインは以下の通り:

Amazon.co.jp ヘルプ: コミュニティガイドライン

広告利用もないだろうし、違法コンテンツもなさそうだし、URL入りのやつはあったけれどいつの間にかそこだけ削除されていたし。たぶん、酷評された人が逆恨みして、誹謗中傷だと文句をつけたということなんじゃないかとは思うけれど、真相はわからない。

サルベージは、WayBack Machineに残っている過去の履歴を使っている。サッセンをめぐるネットてんぐ氏とのやりとりとか、コメント欄でも救いたいものはあったけれど、そこまではさすがに無理。

2004年以降のものの相当部分はサルベージできたけれど、明らかに抜けているものはある。ロラン・バルトが、だらしない左翼ポチぶりを全開にして「ソ連に神話はない」とか語っちゃってる初期エッセイ集とか、トロツキー自伝の上巻、ジョブズ伝の第一巻とか。あと古いヤツね。ヒラリー・クリントンが実はは虫類人で夫を操って人類支配を狙ってるという本とか(これが最初のレビューだったと思う)。スキージャンプダブルスのDVD評もあったなあ。は虫類人はともかく、その他のものは記憶から少し補ったりするかもしれない。

しかし余計な手間がかかってアレだわ。消すなら事前に予告してほしいもんだぜ。

(追記:その後、もう少し細かく見て、ロラン・バルトのやつとか、トロツキー自伝の上巻とか、スキージャンプペアとか、あとツイッターで教えてもらった「プラネタリウム作っちゃった」本とかサルベージできました!)


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Amazon救済 2014-2016年分

ブエノスアイレス摂氏零度』: ブエノスアイレス 撮影秘話、別ストーリーに別エンディング!この値段ならファンは必見, 2016/6/19

ブエノスアイレス 摂氏零度 [DVD]

ブエノスアイレス 摂氏零度 [DVD]

  • 発売日: 2014/11/28
  • メディア: DVD

久々に映画館で見たので、懐かしくて検索しているうちに出くわしました。王家衛監督『ブエノスアイレス』のメイキングで、非常によくできています。主軸は関係者(現地の手配担当など)との関わりですが、映画のファンにたまらないのは、使われなかったトニーレオンの自殺シーン、はるばる呼び寄せられたのに、最終的な作品にはまったく登場しなかったシャーリー・クワンの場面、チャン・チェントニーレオンといっしょにレストラン厨房で働いていた野球帽の青年)の登場する他の大量のシーンなど。トニーレオンは、当初は最後にシャーリー・クワンといっしょにイグアスの滝にいくような撮影になっていたんですねー。王家衛自身の様々なコメント、トニーレオンレスリーチャンのタンゴのレッスンも非常にいいと思うので、是非是非!

U字水道管: 問題なし。なお、パッキンもついていますので、別に買う必要なし!, 2016/6/3

流しの排水管が避けていて、いつの間にか水漏れするようになっていたので交換しました。素人でも簡単にできます。なお、両側のパッキンもついてきます。アマゾンだと、一緒に買うようおすすめで出てきますが、必要ありません。今後買う人のご参考まで。

『ダイヤモンド ピケティ特集』: 奥谷禮子コメントを見逃すな! ピケティに対抗して大化の改新まで遡る偉業! 2015/2/10

そろそろピケティ特集も、本体の解説は食傷気味なのか、このダイヤモンドではむしろ周辺の人々の反応を中心に載せております。とはいっても、他でも見かけた似たようなメンツも多く、いまいち新味が出せていない……と惰性でページをめくるなかで行き当たった衝撃のピケティ評が、p.51 の奥谷禮子によるコメント! こいつはすごい。日本で格差が出たのは若者の責任感がないからだとか、企業はでたらめな労務管理はできないといった次の文で、でも健康管理は労働者の自己責任だと言い放つ。この短さでここまで支離滅裂なのは、一種の曲芸ともいうべき技でクラクラします。2千年前から r と g を示したピケティに対抗し、大化の改新までさかのぼった、歴史性の豊かさも衝撃です。他もたかが半ページにつっこみどころ満載で、突っ込み密度は最早ブラックホール級。逃げられません。ダイヤモンドは、これを計算ずくで載せているとしたら、すばらしい策士ぶり。ここのところは必読!  でも半ページなので立ち読みでもいいかな。

前半はまあまあですが、受け売りの際にはご注意を。, 2014/12/16

ピケティ入門 (『21世紀の資本』の読み方)

ピケティ入門 (『21世紀の資本』の読み方)

  • 作者:竹信 三恵子
  • 発売日: 2014/12/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

前半のピケティ『21世紀の資本』のあらすじ説明は、まあまあ普通です。ただ、有名な r > g の式に出てくる r をガンマだと思っていて、読み仮名つきで γ (ガンマ) とやってしまうという (p.21) 、この分野の基礎知識の欠如が出ています。受け売りする際には十分に注意してください。

後半はそれを日本に適用し、アベノミクス「批判」をしています。が、常に全体的な傾向をきちんと把握せず、個別の事例や細かい政策だけをとりあげて文句を言うという不適切な議論が展開されます。第3章では、カルロス・ゴーンが高給取りだ、高給取りが増えたというのにケチをつけますが、そりゃ金持ちはいるでしょう。でもそれが経済の中でどういうシェアを占めるのか考えなくては話になりません。また4章以降のアベノミクス批判は、通常言われるアベノミクスの大枠(三本の矢というやつ)はほとんど無視して、被災地の女性就業策が弱いとか、労働の規制緩和がダメとか、個別の政策についての論難に終始。それも、きちんと政策評価しているのではなく、著者の印象を挙げただけです。賛同できる部分も多少はありますが、政策批判としてはお話にならないレベルです。で、ピケティがそれにどう関係してくるかというと……関係しません。格差が大きな問題だと言っている、という入り口の話だけであとはまったく出てこない。ピケティはそういう個別政策にまで入り込んだ議論をしてないから当然なんですが。

冒頭の記述によると、編集部に本書を書けと言われるまでピケティを読んだこともなかったとか。解説を書かせるなら、多少はピケティが関心領域に入っていて基礎知識のある人にやらせたほうがよかったのではないかと。おすすめはしませんが、前半のアンチョコ部分は、まあまちがってはおりません。

2015.1.23追記:本日書店で見た第六版では、上の γ(ガンマ)は r になおっていました。まちがいを直すのはよいことです。

アレクサンダー『形の合成/都市はツリー』: アレクサンダーの入手しにくい著作をまとめてくれて感謝。でもこの変な本文の組み方は?, 2014/2/26

ずいぶん昔に出て、長いこと入手しにくかった「形の合成に関するノート」。アレクサンダーが、いまのような宗教がかった話に入り込まず、理論的な機能造形の構築手法を考えていた時代の本で、パタンランゲージの各種要素組み合わせによる建築のアイデアの萌芽が見られ、なかなかおもしろい。またあわせて収録されている「都市はツリーではない」は、形の合成でのアプローチをいわば否定して、もっと複雑で階層化されないものとしての都市を考え始めた有名な論文。なかなか手にいれにくかったので、こうしてどちらも読みやすくなったのはすばらしい。のだが……

本のつくりが異様。本の下の余白がまったくなくて、ページぎりぎりまで字が迫っていてびっくり。なんだか、「形の合成」を改めて組み直すさずに、昔の版を無理矢理この判型に押し込めたような感じになっている。なぜこんなことに?

ある意味でこの二冊とも、手に取る人の大半はアレクサンダーに興味があって、その考え方の変遷をたどりたいと思っているのではないかと思う。その意味で、ちょっとマニアックな本なのであまりきれいに本として作り直す手間をかけたくなかったということだろうか。でも、一部(たとえばこの評者)は、この頃のアレクサンダーが持っていた可能性のほうがおもしろいと思っているので、もう少し読みやすさとか本としての作りに配慮してくれてもよかったように思う。

Amazon救済 2013年分

カプチャン『アメリカ時代の終わり』:邦訳が出た時点ですでに古び、2013年から見て完全に状況を読み損ねた本。, 2013/9/3

アメリカ時代の終わり〈上〉 (NHKブックス)

アメリカ時代の終わり〈上〉 (NHKブックス)

内容的には他のレビューアーの言う通り。アメリカは今後、もう他国にあまり介入しないようになるだろうという本。EUがもっとがんばれるし、中国もおとなしくなるし、というわけ。

だが、この原著が出た時点ですでにアメリカはアフガン爆撃を行い、その後もイラク侵略を行い、あれもやり、これもやりという具合。著者の見立てはまったくあたらず、アメリカは(大した用もないのに)ユーラシアに相変わらずちょっかいを出し続けている。さらにその後、EUはユーロ破綻により迷走を続け、ユーラシア大陸の面倒などとても見られそうにない。そして中国に関しても、本書の見立てはきわめて甘かったと言わざるを得ない。つまり全体として著者の見通しはまったく妥当性を欠いていたということになる。

もちろん、本書は長期的な戦略やマインドの話であり、十数年くらいの状況だけで評価するわけにはいかないのかもしれない。確かにアメリカはだんだん世界の警察をやるのに疲れてきてはいるようだ。その意味では、まったくピントはずれではないのかもしれない。さらに、本レビューは岡目八目のそしりは免れまい。だが 2013 年現在から見ると、本書の価値はきわめて低い(いや当時も低かった)と言わざるを得ないし、おそらく刊行当時の一部の論調を知る意外に読む意味はないだろう。

Mahma『Autobio』: Only if you have a personal interest in the Author., 2013/8/21

My First Coup D'Etat: And Other True Stories from the Lost Decades of Africa

My First Coup D'Etat: And Other True Stories from the Lost Decades of Africa

If you know who the author is, and (for whatever reason) have a personal interest in him, then this book MIGHT be interesting. However, if you are looking for some insights into Ghana (and Africa) today, this book is totally useless.

The book traces the life of John Dramani Mahama, the current vice president of Ghana, from his childhood to graduating college (and coming back from USSR). It tells the strory of how he stood up (sort of) to a bully in school, how his friends formed a school band, his first crush on a girl and writing her a series of love letter (supposedly his first “writing” career), how he became a socialist, how he went to college, his (father’s) temporary escape to Nigeria, how he went to USSR, how he had trouble getting to the capital city for college application. This was a time when Ghana went through some political instability, where military rule was sort of scary, and some cursory descriptions are there as backdrops to his life stories.

However, unless you have some personal interest in this person, it’s not particularly interesting. I don’t think the episodes are particularly bad, but nor are they too good, and it lacks the power to resonate with more general wider issues. He had a girlfriend but she moved away. Oh. How sad. He did go through some hard times, but on the other hand, he comes out as a rich kid from a wealthy family who didn’t really suffer. He doesn’t get beaten up much, doesn’t go to jail. It’s always friends or teachers or brothers that get the raw deal. It’s hard to sympathize with the character except for at some very generic level. Also, to understand the book, you probably have to have some idea about the geography of Ghana, and basic knowledge about it. Like, where Tamale is, what position is Kumasi etc., and the sort of the slight tension between people in northern and southern part of Ghana. I worked in Ghana for nearly a year, and so I understand these quite well. But without such knowledge, why the author would want people to understand the difference between north and south Ghana would be hard to understand.

The book ends at about 1990. At that point, he hasn’t made any strides into politics. Therefore, there’s absolutely no description about the present day dynamic Ghana, or the political situation there. Or about the future of Ghana. Maybe I’m asking too much, but when you read a memoir of a big shot politician, I think its fair to expect some comments about his view on the current situation of his country or ideas or the world. Nothing like that here.

So, I don’t know who would want to read this, or who gets any benefits out from this book. I’m not sure why everyone is giving these rave reviews, because I really don’t agree with them. Maybe because I’m Japanese. Maybe people of Ghanian decent may enjoy this, but I really can’t recommend this to anybody.

大谷他『<建築>としての……』: アイデアはおもしろいが書評は凡庸でアイデアを活かせていない, 2013/5/20

〈建築〉としてのブックガイド

〈建築〉としてのブックガイド

ぼく自身が書評をあちこちで書いているので、人の書評にはかなり厳しくなってしまうのだが、すごくほめたい本ではない。建築(というか、家ですな)のいろいろな部分ごとに本を割り振って書評を書き、その中でその割り当てられた部屋と多少こじつけめいた関連をつけようという試み。たとえば風呂場に割り当てられた本の書評は「この本は湿気に満ちている」とかね。そのアイデア自体は、まあまあおもしろいか。

でもそれぞれの書評やブックガイドの8割は、決しておもしろくはなく、自分語りに堕しているし、その建物との対応もおざなりで後付めいている。本というのは、ある人間の考えなりイメージなりで構成される空間を切り取るもので、それを読むのはその(何次元になるかわからないけれど)空間の中をさまよう行為でもある。でも本書の書き手の多くは、本のもつそうした空間性にかなり鈍感で、その壁や床といった面や部分しか見ていない。少なくともそういう書き方しかしていない。

そして、結局このブックガイド全体で構成された建築とはどんなものだったのか? 一部の頭でっかちの現代建築理論はさておき、ふつう建物というのは用途がある。このブックガイドで構成された建築は、何のためのものなの? 本書はそれが最後まで明確にならない。序文を見ると、何らかの寄せ集め的な建築をイメージはしていたようだが、寄せ集め建築にも寄せ集めの必然性と用途があるのね。本書はそれが最後まで見えない。いったい、ホンマタカシの玄関から入って丸谷才一の廊下を通り、宮崎学の書斎につながる空間とはどんなものか? つまりそのそれぞれの本の間のつながりやまとまりはどうなっているんだろう。建築を考えるというのはそういうことなんだが、この本は個別の部分の造形だけで話しをしていて、最終的な建築全体にまで考えが及ばない。その意味でアイデア倒れ。エッセイとして一部おもしろいものもないわけではない。が、書評集として特に成功した試みとは思えなかった。

ライハート&ロゴフ『国家は破綻する』: 力作ながら、2013年4月にデータ処理のミスが発覚、本書の結論の大きな部分がまちがいとなった模様, 2013/4/18

国家は破綻する――金融危機の800年

国家は破綻する――金融危機の800年

 本書は、金融危機債務危機と不景気の繰り返しを歴史を追って述べた本で、それなりの影響力を持っていた。特に、国の債務水準が上がると(GDPの90%を超えると)経済成長率がマイナスになる、という結果が出ており、この研究を根拠に、ユーロ危機においてもギリシャやスペインやイタリアに厳しい財政再建要求がつきつけられることとなった。

でも2013年4月に、この結果が追試で再現できないことが判明し、ロゴフ&ラインハートが使ったエクセルシートを見ると、一部のデータを取りこぼしていたことがわかった。それをきちんと採り入れると、債務がGDP 90%超えても経済成長率はマイナスにならない(ただし少し成長がわずかに鈍るのは確か)。

すると本書の結論のかなりの部分、特に政府債務要注意とか財政再建しないと経済成長もできないといった部分は成り立たなくなるし、また本書の処方箋を信じた多くの政府(や国際機関)も、実はあまり深刻ではないことに目くじらをたてて国民を苦しめていたということになる。

いまでも本書の一部は読む価値はあるし、いくつかの歴史分析はおもしろい。でも全体の価値は激減してしまったと言わざるを得ない。

尾山他『経済数学』: 日本経済の現状を無視した許し難いデフレ本。 2013/3/22

改訂版 経済学で出る数学: 高校数学からきちんと攻める

改訂版 経済学で出る数学: 高校数学からきちんと攻める

 我が国経済は過去二十年にわたるデフレに苦しめられており、近年ようやく日銀の方針変更(と期待されるもの)によりその脱却が本格的に始まろうとしているところである。だが本書はせっかくのインフレ期待を踏みにじり、日本を再びデフレの渦にたたき込みかねない、許し難い一冊である。

 前バージョンから5年たって出た本書は、確かに価格だけ見れば2000円–>2205円と価格上昇が見られる。これは年41円の上昇であり、その算出法および図示法については本書pp.1-3 に詳細に記述されている。一方、増加率で見た場合、これは5年で10%増、年率では2%弱の増加となる (pp.72-75)。したがって一見すると、物価上昇に貢献しているかのような印象がある。

 しかしながらよく見ると、実は本書のページ数もまた230–>380と大幅に上昇している。このため、ページあたり単価で見た場合、8.7円から5.8円と大幅な価格下落が見られ、なんと年率8%近い価格低下である。むろん、個別商品の価格下落と物価全体の下落とは混同すべきではないが、一方で物価全体はミクロの個別商品の総和でもあり、本書もデフレ傾向にそれなりの寄与度を持つと考えるべきである(本書には寄与度の計算は出ていないが)。

 むろん商品の価格設定は需要と供給を見据えた上で生産者にとっての利潤を最大化するところに設定されるものであり、それが市場均衡点となるのはEcon101である。本書でも、いたずらに数学の解説だけに陥らず、こうした経済学への応用も含めた解説が行われている (pp.10-30)。同時に、生産費用面から見た利潤最大化も考えるべきであり (pp.32-41)、また他の(少なくはないが限られた)類書との寡占市場と考えればそれをゲーム理論的に考えることもできた (pp.43-52)。また実際の価格決定はさらに複雑であり、ラグランジュの動員も必要となろう (p.222-226)。だがいずれの場合にも本書が真に利潤&効用最大化を実現できているとは考えにくいのである。

さらに同時に著者たちの労働を考えた場合、こうした充実かつ平明な内容のものを執筆するにはかなりの労働投入が必要であったことは容易に予想され、それが著者たちの労働と余暇の配分において効用を最大化できるものであったかは、本書pp.231-232などの問題に当てはめれば容易に解けるように、はなはだ疑問であるといわざるを得ない。こうした効用最大化を無視した低効用な過労をうかがわせる商品はまさにデフレ下の劣悪な景気状況の反映である。

 ただしこれは技術一定を想定した場合であり、技術革新(ex. コンピュータ等執筆環境の改善および活用できる学会の知見上昇)を想定した場合の分析はソローモデル (pp.339-345) の活用も視野に入れるべきかもしれない。本書にはこれも説明されている。

 我が国若手経済学者の期待株がこのように、日本経済の現状と希望はもとより経済合理性すら無視した本を出すとは嘆かわしい限りであり、堕落と言わざるをえない。それについて、まさに(この書評でやったように)本書の説明を使って理解できるのも本書のトンデモないところ。むろん消費税率の引き上げに賛成した多くの経済学者よりは罪は軽いだろうが……

 とはいえ本書が人気を博すれば、利潤の高い各種スピンオフ事業が本書から派生することで本書自体のもたらしたデフレ傾向が相殺されるという可能性もある。さらに需要高踏による価格上昇も可能性としてはある(たとえばさらに改訂増補版が出るとか……)読者諸賢は日本経済のためにも、このいたずらに低い価格にまどわされることなく、数少ない「よいデフレ」の実例としてこれを享受し、買い支えることが求められよう。

吉川『デフレ』: 不況は需要不足が問題といいつつ対策は供給側の技術革新に増税?, 2013/3/12

デフレーション―“日本の慢性病

デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する

日本のケインジアン代表と聞く吉川洋が、デフレについて書いた本なのだが非常に混乱した本となっている。過去20年強にわたる日本の不況について、ケインズ派として需要不足が問題なのだと言うが、その需要不足を解決する手段というのがない。それどころか、最後に出てくる提言は供給側で「需要創造型の」イノベーションを促進すればいい、日本はデフレでコスト削減ばかりやるようになったのでイノベーションが減ったのがいけない、とのおおせ。でも需要創造型のイノベーションはどうすれば実現できるんでしょうか? それはノーアイデア規制緩和とか。さらになぜ需要創造のイノベーションが減ったかといえば、これもデフレのせいらしい。だったらデフレを何とかしましょうよ、という話になりそうなものなんだが……

ところが著者は、デフレはどうしようもないと主張する。驚いたことに、ケインズ派といいつつ、お金の理論を実体経済と関連づけたケインズの業績はまったく顧みられることがなく、時に流動性の罠などを口実につかいつつ、結局お金(マネーストック/サプライ)はデフレとも景気とも関係ないという話に落ちてしまう。そして金融政策でデフレ脱出というクルーグマンや各種リフレ派の議論に対し、それは貨幣数量説を前提にしているからダメだというだけ。でもその貨幣数量説の否定も、直近のいくつかのデータや19世紀末の話を書いておしまい。もう少しいろいろ研究成果はあると思うし、おおまかには成り立っていたと思うんだが、厳密に成立していないからダメといって全否定。さらに期待の役割もまったく考慮しないので、いまデフレから脱出できなければいつまでも脱出できないことになってしまう。

結果としてデフレは金融的な現象ではなく、実体経済の結果だという話になってしまい、本書の中でさんざん罵倒しているRBCなどの現代マクロと寸分代わらない理屈となってしまっているのは驚き。

さらに政策提言として、冒頭に「消費税率の引き上げはきちんとやれ」という主張が何の説明もなく登場するのはいったい何? 著者は古いマクロ経済学の復権をうたうが、その古い経済学で増税が景気によいという主張は出てきますか?

不況は需要不足が問題と言いつつ、提言は供給サイドの改善と脈絡のない増税主張。ケインズ派といいつつお金の役割を否定しデフレを実体経済のせいと述べ、RBCなどを「役に立たない」と述べつつ自分の主張はそれとまったく同じ。混乱した本と言わざるを得ない。

長谷川『縮む社会で……』悪しき社会ダーウィニズム, 2013/3/6

生物は個体数が増えることもあれば、減ることもある。でも、どの場合にもそれなりに「適応」している。だから日本はいま不景気だけれど、景気回復の努力なんかせずに、不景気と経済縮小に「適応」しなさい、と説く悪しき社会ダーウィニズムの本。

確かに生物は、あらゆる時点で適応しているかもしれない。でも個体数が多い段階から少ない段階に移る中で、一部の個体は当然病気にかかり、飢え、死ぬ。適応というのは、あくまでその後の姿だ。人間社会でそれをやれというのはつまり、次の適応に移行するときに個体が飢え、病気にかかり、死ぬのを黙認しろということだ。つまり、弱者は死ね、強者だけが生き延びろ、それでオッケー。これは通常、社会ダーウィニズムと呼ばれ、進化論の初歩を学ぶときにも強く戒められるもののはず。本書がそれを何のためらいもなしに開陳してみせるのは、驚きをこえて呆れるばかりだ。

もちろん著者の研究するアリは、それを黙認する。でも、人間はそんなことを黙認したり甘んじたりはしない。それにアリが暮らす環境は、アリにはまったく変えることができない。でも人間の暮らす経済は、自然が与えたものではない。人間が作ったもので、それを人間が変えることもできる。そこを無視して、適応しろとは何とお気楽なことか。

また本書は、グローバル化を目指すのは愚か、ガラパゴス化が正しい、自分のニッチを見つけて暮らすのがいいのだ、と述べる。著者はそれが生物学の知見を経済に適用した目から鱗の知見だと思っているようなのだが、まず日本の(いや世界中どこでも)企業のほとんどは国内のニッチマーケットを相手にしている。町の床屋、喫茶店、本屋、その他たいがいの事業所は地元のニッチマーケットで生息している。そしてそうでない企業も、コストをかけてグローバルすべきか、自分のニッチを守るべきかというのは、生物学者に言われなくても企業戦略として日々真剣に考えていることだ。本書の主張はもはや陳腐ですらない。

アリの社会で見れば、働いていないアリもいるというのは合理的なことだ。そしてそれは人間社会でも、多少の在庫を持つとか設備に余裕をもたせるといった点で示唆的かもしれない。でも、だからといってそれを、失業はいいことなのだ、という話に直結してはいけない。アリの気持ちはわからなくても、失業者の気持ちはわかるのだから。それをやらない本書は、人間をアリ扱いして貶め、その個別の苦しみを無視した、お気楽な学者の、無自覚なだけになおさら残酷な最悪の社会ダーウィニズムでしかない。

『プロトタイプ・ターミネーター』総予算300万円のビデオ撮影。, 2013/3/6

 うーむ。フィルムじゃなくてビデオ、それもホームビデオ撮影。冒頭のビデオタイトラーによる題字が涙を誘う。そしてエンドロールを見ると、監督以下主要スタッフ(そして脇役出演)全部同じ人で、編集とかその他いくつかはどうも奥さんらしく、冒頭のナレーションは娘みたい。ホームビデオ!

 冒頭のCGはテレビゲームもどき。異星活動服はペイントボール対戦用のマスク。セットは一つで、その外に出ては戻ってくるだけ。空気が薄くてマスクが必要という設定だけなのに、主人公は「慣れちゃったみたいだ」と称してマスクなしでオッケー。脚本は、とにかく引き出しが一つしかない感じで、伏線といった概念がなく、その場その場で話が完結してしまい、流れとかまったくなし。非線形知性アンドロイドと称するツナギ着ただけのターミネーターねーちゃんとか(本家の女ターミネーターに影響されたらしく、やたらと小首をかしげる演技がうざい)とにかく、唖然とするくらいひどくて、大学生の自主製作ビデオでももっとマシだよ−!

……と思っていたら、作者のページがvimeoにあって、総予算300万円! しかもちゃんと役者に給料出しているとのこと。すごい。それを知ると、なんか愛すべき作品にも思えてくるんだが(だから星二つにしました)、それでも金とって見せられる水準じゃねいぞー! ちなみに、作者は本作が日本でDVDで出ていることも知らず、驚いていました。原題「Exile」。

ガリレオ『望遠鏡で見た……』:「星界の報告」新訳。神をも畏れぬ邪説を唱えたトンデモ本。発禁にすべき。, 2013/3/5

望遠鏡で見た星空の大発見 (やまねこブックレット)

望遠鏡で見た星空の大発見 (やまねこブックレット)

望遠鏡で見ると、星空はずいぶんちがって見えるんだよ、というのをガリレオが、自分の感動を素直に伝えるべく書いた本。最初は、望遠鏡の構造の解説から入り、その後は月はこんなふうに見えて、実はでこぼこなんだよ、とか星座の周辺にはほかにもいっぱい星があるんだよ、というのを述べる。月のでこぼこは望遠鏡なるカラクリを信用すべきかどうかにも関わるので簡単に断言すべきではないと思うが、そこまではいい。

だが問題はその後。ガリレオ木星を観察して、そのまわりをまわっているとおぼしき星の報告を行い、実はすべてが地球を中心にまわっているのではないんじゃないか、コペルニクス説が正しいんじゃないか、という神をも畏れぬ邪説を唱えている。ふつうに教会の教えを知っている人なら決して思いつかないトンデモで、しかもそれが実に淡々と書かれているために、うっかり読んだら信じてしまいそうなほど。同じ星が木星のまわりをまわっているように見える、というんだけれど、別にそんな解釈をする必然性もあるのかどうか。定評ある聖書の教えより、卑小な人間たる己自身のまちがえやすい目を、しかもさらに怪しげなギヤマンのカラクリ経由のものを大仰に言い立てる慎みの欠如は嘆かわしいにもほどがある。

しかもその書きぶりはきわめて断定的であり、それ以外の解釈はあり得ないかのようで、他の可能性をすべて否定している。そうした傲慢な書きぶりでは決して共感は得られないであろう。いたいけな信徒が読むと真に受け、ヘタをすると神の教えすら疑ってしまいそうなので、禁書推奨。著者も不届き千万なので火あぶりにすべきだと思う。

翻訳はきわめて優秀で、中学生にでもわかる。そして訳者の判断がこのトンデモ本の流布に貢献してしまっているのは、pp.56-57の図。原著では、「この日ではこんな感じでした」というのを日ごとに説明しているのをとばして、その図だけを並べている。すると、確かにそれを見ただけで、ああ木星のまわりを他の星がまわっているんだなあ、という印象が勝手に生まれるようになってしまっている。原著の記述だとまだ疑問の余地があったものを、無意味な全訳を避けて図だけ集約したことで、ガリレオの主張がかえってわかりやすくなってしまったという、神様的にはちょっと許し難い邦訳。その意味で厳密には全訳じゃないんだが、全訳よりさらに犯罪的ではないか。でもこうした書き方やまとめ方は、観察日記の書き方のお手本としていいんじゃないか。

訳者が誇る工夫として、長い修飾節を<>に入れる(たとえば、「多くの人にはずいぶん長くて細かい本はわからない」というのを「<多くの人>には<ずいぶん長くて細かい本>はわからない」という具合に処理する)というのがある。ぼくはやらないけれど、でも手法として嫌いではない。LISPみたい。なじめない人でも、そんなにうっとうしくはないと思う。

ただ、何語のどの本をもとにした翻訳なのかは明記しておいてほしかった。また、タイトルは原語直訳が「星空についての報告」で、このタイトルだとガリレオの本だというのがちょっと気がつかれにくくて損をしていると思う。ぼく自身、最初はガリレオとその発見についてのジュブナイル的解説書だと思っていて、実物だと知ってびっくりしたもので。

 あまりの犯罪的内容のため、星は一つにしようかとも思ったが、邪説も悪魔のささやきの反面教師として後世の座興にはなるかもしれないので、おおめにしておく。

Amazon救済 2012年分

ペルッツ『夜毎の……』かすかにふれあう運命の静謐さ。 2012/8/31

夜毎に石の橋の下で

夜毎に石の橋の下で

 ペルッツは、昔かの名作『第三の魔弾』を読んで、七〇年代くらいのラテンアメリカ作家だとばかり思い込んでたんだよね。それが20世紀初頭の東欧作家とは意外や意外。

 で、これはそのペルッツのかなり後期の作品……と書くことにどこまで意味があるのやら。狂王ルドルフ二世に、大富豪のユダヤ人商人、その妻、その財産、ユダヤ教司祭に天使、そのそれぞれの運命が本人すら気がつかないほどかすかに、だが多様な形でからまりあい、そのかすかなからみあいが、それぞれの人生を大きく変えている——読むうちにそれがだんだん明らかになってきて、そして冒頭の短編に出てきた司祭の謎の行動がやがて解き明かされるとともに、すべてのパズルの駒がおさまって、大きな悲しい絵ができあがる——そしてその絵も、もはや語り手が語る時点ではすべて過去のものとなり、これまたかすかな痕跡が残るばかり。

 ラノベに代表される下品な小説みたいに、なんかいちいちでかい事件が起きて、いちいち主人公が「うぉぉぉ」とかわめいたり爆発が起きたり、ラスボスが出てきて「ふっふっふ、実は我こそは」とか説明してくれたりしない。説明がむずかしい本で、とにかく読んで、としか言えないし、ある程度の辛抱と頭のバッファがあって、いろんな宙ぶらりんの糸口を宙づりにしておく能力がないと、それがだんだんとつながって大きな輪になるおもしろさあは感じられないだろう。こういうのをうまく説明できたらな、とは思う。最近、小説系があたりが多いので、それをまとめてとも思ったけれど特に共通点もないのでそれもむずかしいし。 でも、静謐でありつつ運命の残酷さとそのはかなさみたいなのをゆっくり感じたい人にはお勧め。夏よりは冬に読みたい小説だと思う。

斉藤他『地震リスク』: 耐震性の高い住宅づくりや保険加入を行動経済学から実証分析, 2012/4/6

人間行動から考える地震リスクのマネジメント: 新しい社会制度を設計する

人間行動から考える地震リスクのマネジメント: 新しい社会制度を設計する

 中身はよい本なのに、題名も、出版社の内容紹介もまったく本書の中身を適切にあらわしていないのが難点。

 基本的な問題意識は、特に住宅の建設・選択においてどうやって地震リスクをもっと考えた行動を人々にしてもらうか、というもの。耐震性の高い住宅を選んでもらうにはどうしたらいいかとか、それが地価に反映されるかとか、保険加入をどう促進するか、とか。で、その中で日本の住宅ローンの問題も建築士の問題も、中古マンション市場の問題も、マンション改修投資の問題も挙げている。最後には人的資本の影響も見ている(この最後のだけ住宅から離れて他とちょっと焦点がずれるが)。

 ここらへんをちゃんと実証的に検討しているのが本書の強み。定性的には言われているマンション改修のむずかしさの原因を定量的に把握しようとしたり、耐震性への投資を理論で考えたり、保険加入行動についてアンケートで把握を試みたり。一方で、耐震性はいいけど実際の消費者がそれをどこまで気にしているか、アイトラッカーで調べてみるなんていう調査まで入っていて、結構おもしろい。

 で、そうした選択行動には、古典的な行動経済学上の問題がつきまとうわけで、いつか地震のときはいいかもしれんが目先の安さにはかなわない、とか、保険入れと言ってもみんなつい先送りにしちゃうとか。それが実際にどう効いているかを実証で裏付けて、そこから政策的含意もちゃんと出している。堅実でよい本だし、行動経済学のきちんとした応用例としてもよいと思う。ただこの題名だと、なんかあらゆる社会制度をひっくり返すようなでかい(=無内容な総論)のような印象が出てしまうので、住宅系の耐震性向上などがメインの話だというのがわかるようにするともう少し関係者(住宅屋、保険屋、国交省などの政策担当者)がもっとちゃんと手に取るんじゃないか。

Nathan『Sybil Exposed』: 多重人格を流行らせた「シビル」の虚構を同情的に暴く本, 2012/4/4

多重人格はミステリーやホラーでいまや定番の設定だが、その発端となったの失われた私 (ハヤカワ文庫 NF (35))だ。この本では、「シビル」なる女性が幼児期の虐待などで一ダースもの人格に分かれていたとされ、それが統合される過程が描かれる。これがベストセラーになり、アメリカでは何万人もの自称多重人格症やそのセラピストが無数に登場した。

が、本書はその実際の臨床資料(患者の死によって公開さえた)をもとに、実際には何が起きたかをまとめる。そして、「シビル」の物語が、かまってほしくて話をねつ造する患者と、功を焦って患者に催眠術や幻覚剤まで使って人格をねつ造させる精神医と、それを描くことでジャーナリストとして大成したい作家という女性三人がグルになったねつ造なのだということを明らかにする。

本書の描く三人の末路は実に悲しい。「シビル」が一大社会現象になってから、患者と医師は自分の虚構の露見をおそれてほとんど共依存的な共同生活に入り、ジャーナリストはその後もスキャンダラスなスクープを目指すがすべて失敗し、失意のうちに死亡した様子を描く。そして作者はこの一件が、女性の社会進出が始まりつつもまだ不安定だった時期に女性たちが感じていた不安と焦りの反映と見る。彼女たちもある種分裂した生き様を強いられており、それは社会全体の不安定さにもつながっていた。「シビル」はそれ故に、著者たち自身にとっても切実であり、そして社会にも受け容れられたのだ、と。だからこの三人を描く著者の筆致は、厳しいと同時にもの悲しく優しい。が、それが生み出した数々の家庭破壊などの被害にについても、著者は淡々と指摘する。多重人格を本気で信じている人、うさんくさく思っている人すべていおすすめ。

ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』: 参考文献もちゃんと収録されるようになり、単行本よりずっとよくなった! 2012/3/11

本書は世界各地の歴史一万年以上について扱う本なので、当然あらゆる研究を著者一人がやったわけではありません。したがいまして、著者がどんな論拠でものを言っているのかがとても重要になります。原著ではもちろん、Further readings として参考文献をちゃんと挙げ、疑問点やもっと詳しく知りたい人のために便宜をはかっていました。

ところが邦訳の単行本では、その部分がばっさりカッとされており、心ある読者は激怒して、それを勝手に訳出したりもしました。その後、草思社もあわててウェブにそれを掲載したりしていましたが、本としての価値は大きく下がっていたと言わざるをえません。

この文庫本では、ありがたいことに参考文献をちゃんと巻末に載せており、本としての価値は単行本をずっと上回っています。単行本を持っている人も、こちらを改めて買って損はしないでしょう。惜しむらくは、原著2005年版から追加された、日本人の起原にかんする章と2003年版エピローグについて、訳出されていないばかりか言及すらないことです。それで本筋が大きく変わるわけではありませんが、もう少し配慮があってもよかったとは思います。ご興味のある向きは以下を参照:

ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章について

『Thomas Pynchon (DVD)』当然ながら目新しいことはわからず、ブロガーなどを集めて周縁情報をなぞるだけ。 2012/1/3

Thomas Pynchon: Journey Into the Mind of Thomas [DVD] [Import]

Thomas Pynchon: Journey Into the Mind of Thomas [DVD] [Import]

 正体不明の作家として名高いトマス・ピンチョンのドキュメンタリー……なのだけれど、もちろんこれまでインタビューもなく写真もごくわずか、身辺情報も限られているとあって、ネタがない。このため、こんなDVDを見ようとするほどピンチョンに興味があるような人なら当然知っているような話以外はまったく出てこない。おもにしゃべっているのは、ピンチョン関連のまとめサイトを作っているブロガーとか、ピンチョンについて調べた記者とか。写真を撮りに行ったが逃げられた話などは、すでにピンチョンファンにはおなじみ。ブロガーは、ピンチョンがメキシコシティにいたのと同じ時期に、ケネディ暗殺犯とされるオズワルドもメキシコにいた、なんて話を得意げにするが、数百万人いる都市ですからねえ。あとはピンチョン仮装大会に本人があらわれたかもしれないとファンたちが夢想した、なんて話をあれこれするブロガーとか。

 直接の関係者としては、ピンチョンのもとガールフレンドが、昔ピンチョンの住んでいた家を案内してくれる部分は、興味を持つ人もいるかも。重力の虹を書いている頃で、すべて手書きで書いて、推敲、その後タイプ、というスタイルだった、なんていうのは楽しい。あれを手書きで??! また某授賞式でピンチョンの代役を務めた人物に話をきくのは、ちょっとおもしろい。が、おもしろい部分はのべ10分もあるかどうか。

 ラストは、ニューヨークでピンチョンの写真を撮った記者の話と、CNNがピンチョンを撮影した話。確かにこの二つに登場するピンチョンは若き日の面影通り(特にひょっとこみたいな口)。またCNNがそれを放映するときに行った粋な配慮の話は、CNNの株を上げる。

 でも、意味のある部分があまりに少なく、とても90分近いDVDにすべき内容ではない。60-70年代のニュースフィルムや都市風景をたくさんはさむことで何とかそれっぽい雰囲気にはしているものの、冗長。30分か、せいぜい60分にまとめるべき内容だろう。