アマゾン救済 2008年分 3

ウォズニアック『アップルを創った男』:あまりエピソードがなく、また怪物の怪物たる所以についての洞察が皆無で残念。, 2008/12/29

 いわゆる「もう一人のスティーブ」は伝説であり、かれの設計したアップルIIおよびその周辺機器に触れた人なら、その先進性、シンプルさ、エレガントさ、その他あらゆる面に感銘を覚えなかった人はいないといっていい。その天才ぶりは疑問の余地はない。

 しかしウォズニアックは基本的にはひたすら部屋にこもって設計をしているのが好きな生粋のエンジニアであり、生涯に伝記として読んで楽しめるようなエピソードがあまりない。前半など小学校時代のあまりおもしろくない思い出ばなしが延々と続いており、それもことさら生彩があるわけでもない。

 技術的な説明もほんのさわりだけで食い足りない。そして天才の常として、自分がなぜそういう非凡な着想ができるのかがわかっていない。このため、なんでも「見てたらできた」「考えたら思いついた」といった話しですべてがすんでしまう。

 たとえば当時、大容量記憶装置として急激に脚光を浴びたフロッピーディスクは、当時のパソコンにとってはきわめてハードルの高い、機械駆動部分と電子部分の混在するまったく新しい世界で、制御用のインターフェース基板を見ても、既存のDOS製品向けのものでは各種LSIディスクリート回路がてんこもりになっていた。ところがウォズの設計になるアップルII用のインタフェース基板は、ICがたった二つという信じがたい代物。こんなものでそもそもまともに制御できること自体が不思議だったが、それがアップルのシステムとシームレス(当時としては)に合体した環境を作り上げていたのはそれ以上の驚異。ソフトとハードの両方をすさまじい水準でこなす天才の作でしかありえず、どうしてこんなものが可能なのか、そのハードとソフトの切り分けの発想は――これだけでも聞きたいところ。  ところがそれについての本書での記述は「いらないものを削っていったらできた」というだけ。何をどういう考え方で「いらない」と判断したのかが知りたいんですけど……。どこにかれを天才/怪物たらしめている着想のちがいがあるのかを知りたい読者としては、肩すかし。たぶん、当人すらわかってはいないんだろう。でも、せっかくライターがついてるんだから、そこをつっこんで欲しいんだけど……

 ところがこのライターはかなり水準が低くて、DRAMって何、といった解説にページをやたらに使う。本当に技術的な素人読者を対象に置いているんだろうけれど、それはまちがいだと思うんだが。おかげで、本当におもしろいところがつっこみ不足になり、隔靴掻痒の感がまぬがれない。

 かれの人生の転機になった飛行機事故の話しも、記憶にないとのことであまり詳しくない。そしてアップルIIIをはじめ失敗についての記述も、分析に深みがない。さらにアップルをやめてからは、ほとんど何も起きないに等しい。コンサートとか新規プロジェクトとか、すべて持ち出しの手すさびにとどまっている。このため全体として伝記としてはおもしろみと生彩に欠ける。もちろん、それがウォズニアックらしいとはいえるし、また年寄りは読んでなつかしい部分もあるが、それだけで終わってしまっているのは残念。翻訳は、そうした部分をうまく活かせるものにはなっている。

サッセン『グローバルシティ』:日本のバブル永続を想定した古い本。すでに理論は完全に破綻、今更翻訳する意義はあったのか?, 2008/12/26

 原著は日本のバブル絶頂期の本(を5年前くらいに改訂したもの)。古くても洞察の衰えない本はあるが、本書はバブルが永続することを前提に書かれており、その理論すべてが無残に崩壊。いまさらなぜ翻訳したのかまったく解せない。

 本書の主張は、いまや都市が新しい生産拠点だというもの。情報インフラの発達で、生産拠点と本社機能が分離できるようになった。このため、本社機能だけを集めた都市が成立し、それにサービスを提供する会計事務所や法律事務所、金融サービス等が都市に集積。そしてそれが新しい金融商品などの財を生産することで、自律的に発展。都市(のエリート)だけが自由に発達し、工場を押しつけられる途上国(と都市の下働き)はいつまでもたこ部屋状態で格差は広がる一方。もはや国は意味がなくなり、企業体がその格差の中で永続化するというのがその議論で、反グローバリズム的格差論に都合がいいこともあってもてはやされた。

 が、本書の初版が出ると同時に、日本のバブルが崩壊、都市の生産や自律的発展というお題目は一気に崩壊。国は関係ないはずなのになぜ日本のバブルが東京の発展を阻害したの? 国にはやっぱり重要な意味があるのだ。さらに工場が集中した東南アジア、中国、インドは、やがて管理機能も移り、所得もあがって消費も拡大、研究開発も移り、大発展をとげた。もちろんその国内では細かい格差が出ている。でも先進国の都市拠点vs途上国低賃金工場という構図が固定化するというのはまったくの見当違いで、その格差は縮まったことはいまや明らか。第二版や日本版序文ではそれを必死に取り繕おうとしてはいるが説得力なし。そして生産拠点だったはずの投資銀行も、サブプライム以降はもはや事業機会がなくなって次々に解体し、都市内格差もどうなるか怪しいところ。

 結局いまの世界で、上海も北京もバンコクもドバイもバンガロールも何も説明できないグローバルシティ論に、何か意味があるだろうか? そしてその問題点を自分で指摘できない著者&訳者は、営業的な配慮をさしひいても学者として(能力and/or誠実さの面で)問題ありでは?

ジョージ&ウルフ『徹底討論グローバリゼーション賛成反対』:死んでもなおらないある病気の人に、ウルフが親切に教えてあげる教育的配慮に充ちた本。, 2008/12/24

 たいへんにおもしろい本だが、それをおもしろく思うのはぼくのような嫌みな人物だけかもしれない。多くの人はいらだつのではないか。スーザン・ジョージのあまりのひどさに。

 基本的には、スーザン・ジョージはあらゆることについてあまりに無知。貧困者が減っていることも知らないし、東アジアがグローバリズムの恩恵である輸出振興で栄えて貧困を脱したことも理解しておらず、そもそも貧困の定義すらご存じない。ウルフはそれに対して一つ一つ辛抱強く、それがなぜまちがっていて見当違いの議論かを説明し、スーザン・ジョージはそれに対して反論できずに論点をずらすしかない、というのが連続する。このため、両者の話がかみ合っていないように見えなくもないが、スーザン・ジョージが自分のまちがいを認めてそこから議論を発展させようとしないだけ。

 またトービン税についても、「なんで貧困対策の財源をトービン税に?」という至極当然のウルフの疑問に対し「理由なんかなくて、とにかく金がそこにあるからだ」というひどい開き直りぶり。学ぼうとしない人は何も学べないという見本がここにある。

 訳者もまたその見本の一人。反グローバリズムのお題目にだけ反応している愚かな現代思想学者で、せっかくこれだけていねいでわかりやすいウルフの説明を訳して精読したにもかかわらず、その議論がまったく理解できていないイタい解説を書いて平然としているのは失笑モノ。全体にいやみな感性があれば笑えるし、また軽傷の(頭のいい)反グローバリズムかぶれの人が読めば、目が覚めるよい本だとは思う。

ヴァンダービルト『となりの車線はなぜスイスイ……』:交通工学の本であるとともに、人間心理の事例集でもある楽しい本。, 2008/12/19

となりの車線はなぜスイスイ進むのか?――交通の科学

となりの車線はなぜスイスイ進むのか?――交通の科学

 おもしろい! 渋滞はなぜいらいらするのか、車に乗るとなぜ人格が(悪い方に)変わるのか。人を型にはめて判断してはいけないと普段は言っている人が、車については妙にドグマチックになるのはなぜか、道を増やしても交通渋滞が減らない理由、カーナビのジレンマ(いちばんいいルートをカーナビが選ぶと、そこに車が集中してかえって遅くなる等々)、車線合流はどうするのがいいのか。どれも車でありがちな話を、心理学や交通研究から軽妙に説明した非常に楽しい一冊。

 最近、行動経済学系の本がたくさん出ているけれど、本書はそれらの基礎にある知見を経済行動以外にもあてはめてみせた(部分もある)、ちょっと目先の変わったしろもの。本書で述べられている、人々のリスク判断とその歪みなどは、他の分野でも大きく効いてくるもの。本書を読むことで、行動経済学的な話も理解しやすくなり、視野も広がる。もちろんどれも決定的な答えがあるわけではないし、渋滞からぬけられるようになるわけでもないけれど、でも人は理由がわかると苛立ちが少なくなるとは本書でも指摘されていること。なぜ自分が渋滞で頭に来るかわかれば、多少は心も穏やかになるかもしれませんぞ。

フェイガン『千年前の地球を襲った大温暖化』:煽りすぎの気はあるが、変動を抑えるより適応策を考えようという堅実な提案の良書, 2008/12/14

千年前の人類を襲った大温暖化

千年前の人類を襲った大温暖化

 おもしろい本。小氷河期が人類史上あまりよい時代ではなかったことは知られているけれど、一般によい時期だったと思われている中世温暖期も、実はあちこちで干ばつが起こっていて人類大変でした、というのが基本的な主張。ジンギスカンの活動も、マヤ文明やクメール文明も、温暖期のおかげで発展した一方で、それがもたらした干ばつで滅びました、というのはなかなか興味深いし、おもしろい読み物。

 ただし、数世紀にわたり全地球を探せば、そりゃどこかの文明は滅びているだろう。それを列挙して、だから温暖期は恐ろしい時代だったといえるの? マヤやクメールは、そもそも温暖期のおかげで栄えたわけだし。さらに、当時つらかったから今の温暖期も文明滅びそうといわんばかりのレトリックは不誠実。経済のほとんどが農業で世界貿易がまったくなかった時代は気候変動の影響は大きいだろうけれど、現在は条件のいいところで食料生産をしてそれを貿易で他に運べばそんなに被害は出ないし、文明が滅びるなんてことはたぶんない。

 でも本書は一見すると誤解されがちなんだけれど、こわいから排出削減をがんばろうというありがちな主張はしていない。人類は気候をコントロールなんかできないんだから(つまり排出削減なんか無意味!)、むしろ適応策をよく考えようというのが最終的な提言になっている。その中で干ばつの影響もよく考えてね、というわけ。これは前著などからちょっと立場を変えているので読み取りにくい書き方になっているけれどおまちがえなきよう。そしてそうした提言を離れても、数世紀の世界各地にまたがる話をうまくまとめた、楽しい読み物に仕上がっている。