報酬を出すと献血の質も量も下がる、というのはまちがいかも……


先日訳したベンクラー『協力がつくる社会』は、利己性とか互恵性とか、人間の協力行動にちょっとでも利己的な部分があるという発想にものすごく敵意を示す本で、それが本の欠点だというのは解説で書いた通り。その中で一つ大きくクローズアップされていたのが、献血。献血は、完全ボランティアでやるのがその質も量も最も高くなる、というのが紹介されていた研究。報酬を出すと、報酬目当てに献血する人が多少増える一方で、無償で献血していた人々は自分の意図が貶められたように思ってそれ以上に献血量を減らし、さらに報酬目当てに献血する人々は貧しい=健康状態も低い人なので、質も下がる、というのがその主張。

この研究をもとに、売血制度のあった世界各国もだんだん無償献血に移行した、というのが本の主張で*1、ベンクラーはこれを使って報酬目当ての行動がいかに見下げ果てた代物であるかを匂わせるとともに、これに疑問を呈したケネス・アローなどの経済学者どもも、いかに私利私欲の金銭動機に頭が染まりきったおめでたい連中かを浮き彫りにしようとしていた(この本は、経済学者にものすごい敵意と偏見をむき出しにしているのも特徴)。

でも、Science を読んでいたら、この研究結果が疑問視されているんだって。もう完全に決着ついた話だと思っていたのでびっくり。

http://www.sciencemag.org/content/340/6135/927.summary

もとになった研究のサンプルの取り方や研究手法は問題があるそうな。そして、最近の研究だと、別に報酬出しても献血は減らないそうな。アメリカでもイタリアでも、ちゃんと献血は増える。報酬の種類とか(お金、Tシャツ、クーポン等々)、出し方によっていろいろ差は出る。が、それで他の人が献血しなくなることもそんなになさそう。また、献血することに報酬を出すのではなく、とりあえず献血にくることに報酬を出すことで、血液の質の問題も回避できる(無理して健康なふりして献血しようとする人がいなくなるので)。

まだ完全に決着がついたわけではないけれど、報酬がダメとか、それで純粋な自己犠牲博愛主義者のインセンティブが減る、ということではないみたい。いま、献血だけをあてにする方法では十分な血が集まらないので、他の方法ももっと検討する余地はある。


高校時代、実は「献血研究会」なるものを造って献血しまくってたんだよね。本当は二ヶ月に一度しか推奨されていないのを、献血手帳を二つ造って毎月やるとかして、仲間内で競争してたんだけど。で献血場所によってもらえる記念品やおみやげがちがって、それも研究対象。お茶の水駅前の献血はなぜか、いつもハサミやカッターといった刃物をくれたのは、地元で協賛している商店があったのかなあ。よくわからない。でもそれも多少の動機ではあったし、そんなにストイックさを要求しなくてもいいんじゃない、とは個人的には思う。さて、こういうのでだんだんまた風向きが変わりますかどうか……



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*1:日本ではライシャワー事件が原因だったと聞いているけど、ちゃんと調べてない。