プーチン「新千年紀を迎えるロシア」(1999)

Executive Summary

1999年大晦日プーチンの大統領代行就任直前に発表された、ロシアの今後の政策についての概要文書。ソ連崩壊とその後改革による経済的な低迷と社会的な混乱を描き、自由と民主主義に基づきつつも、ロシア的な国家重視を維持した体制の強化を進め、競争と市場原理と産業高度化に基づく経済発展と生活水準の向上を目指し、そのために国の仕組みと行政府を強化しつつ、それを監視する市民社会も重視することが謳われている。

自由と民主主義を重視している部分を重視するか、国家重視の部分を重視するかで如何様にも読める玉虫色の文書だが、出発点でのプーチンは、かなりバランスの取れた考え方をしていたことはうかがえる。


プーチンシリーズで、ついでながら1999年大晦日プーチンがロシア大統領代行に就任する直前に発表した、政策方針の文書も訳したので、座興でアップロードしておく。

1999年大晦日、大統領代行に就任するプーチン (Kremlin.ru, CC BY 4.0)

すでに翻訳は、『プーチン、自らを語る』に出ているけれど、ところどころまちがっているのと、いまは絶版で手に入らないのとで、まああっても害はないでしょう。

プーチン「千年紀を迎えるロシア」(pdf, 600kb)

連崩壊とその後改革による経済的な低迷と社会的な混乱を描き、自由と民主主義に基づきつつも、ロシア的な国家重視を維持した体制の強化を進め、競争と市場原理と産業高度化に基づく経済発展と生活水準の向上を目指し、そのために国の仕組みと行政府を強化しつつ、それを監視する市民社会も重視することが謳われている。

自由と民主主義を重視している部分を重視するか、国家重視の部分を重視するかで如何様にも読める玉虫色の文書。その後、いろんな人がこれを持ち出して、自分の好みやそのときの気分次第で、プーチンは変節したとか、変節していないとかいう議論を展開しているけれど、正直いってあまり深読みするものでもないとは思う。当然のことながら、この時点ではどっちに行く道もあって、これを見てプーチンは最初から国家主義だったとかいう話ではない。

ただ、出発点でのプーチンは、かなりバランスの取れた考え方をしていたことはうかがえる (もちろん戦争やってる現在に比べればクソでもバランスが取れて見えるのは当然ではあるが)。国家主義の要素や大国主義は出ているけれど、でもそれだけじゃない。農業の改善とか、一部の産業政策とかは、まあできたところもあるし、それはロシアにとっていい影響を持っていた。でもできなかったところもたくさんあって、そこをもうちょっと頑張っててくれたらな、と思ってしまうのは、まあグチではある。

当時のプーチンが、いまのプーチンを見たら何と思うのかね、とつい思ってしまうところはあるんだけどね。そして今のプーチンは当時のプーチンを見て、甘かったと思うのか、それとも自分は変わっていないと思うのか……


新千年紀を迎えるロシア *1

Россия на рубеже тысячелетий

1999年12月30日 ウラジーミル・プーチン 翻訳:山形浩生 hiyori13@alum.mit.edu

目次:

新しい可能性、新しい問題 2

ロシアの現況 3

ロシアが学ぶべき教訓 5

まともな未来の可能性 7

人類は二つの象徴的なしるしの下に生きている。新しい千年紀 (ミレニアム) とキリスト教2000周年だ。この二つの出来事に対する世間の関心と注目は、単に赤字の祭日を祝うという伝統以上の意味を持っていると思う。

新しい可能性、新しい問題

新千年紀の開始が、過去20-30年の世界的な発展における劇的な転回と同時期だったのは、偶然かもしれない——だがそうでないかもしれない。その転回とは、我々がポスト工業化社会と呼ぶもの発展だ。その主な特徴は以下の通り:

  • 社会の経済構造変化、物質生産の比重が下がり、二次産業、三次産業のシェアが増大
  • 新技術の絶え間ない刷新と素早い導入および科学集約商品の産出増大
  • 情報科学と電気通信の地滑り的な発展
  • 人間活動のあらゆる側面における組織とマネジメントのあり方と改善の極度の重視
  • 最後に、人間のリーダーシップ。進歩を導く力となっているのは、個人とその高い教育水準や専門訓練、事業および社会活動である。

新種の社会の発展はすでに十分に長く続いているから、慎重な政治家、国士、科学者、その他観察力のある人々なら、このプロセスにおける二つの懸念要素を認識できるはずだ。

最初の要素は、変化は生活を改善する新しい可能性だけでなく、新しい問題や危険ももたらすということだ。それは当初最も明確な形で、環境問題の領域にあらわれた。だが他の熾烈な問題が、社会生活の他のあらゆる側面でもすぐに見出されるようになった。最も経済的に発展した国家ですら組織犯罪や残虐性の増大、暴力、アル中、ドラッグ中道、家族の耐久性や教育的役割の弱体化などから逃れられてはいない。

そしてもう一つの恐ろしい要素は、現代経済の果実やそれが提供する新しい繁栄の水準を活用できるのが、あらゆる国とはほど遠いということだ。科学、技術、先進経済のすばやい進歩は、通称黄金の十億人と呼ばれる人々の住むごく少数の国家で起こっているだけだ。その他のかなりの国々は、いまや過ぎ去ろうとしている世紀に新たな経済社会発展の水準に到達した。だが彼らがポスト工業社会を作り出すプロセスに参加したとは言えない。そのほとんどはその出発点からすらはるかに遠い。そしてこのギャップが今後当分残ると信じるべき理由もある。

だからこそ人類は第三千年紀の前夜にあって、将来を希望と恐怖の両方をもってのぞき込んでいるのだ。

ロシアの現況

この希望と恐怖の感覚は、ロシアではことさら赤裸々な形で表現されていると言っても誇張ではない。というのも、20世紀のロシアほど多くの試練に直面した国は、世界中に他にないからだ。

まず、ロシアは現在、経済社会発展において、トップ水準を象徴する国家ではない。そして第二に、ロシアは困難な経済社会問題に直面している。 ロシアのGDPは1990年代にほぼ半減し、GNPはアメリカの10分の1、中国の5分の1だ。1988年の危機以後 、一人あたりGDPはおよそ3500ドルに下がった。これはざっとG7諸国の平均指数の5分の1だ。

ロシア経済の構造も変わり、重要な地位は燃料産業、電力エンジニアリング、鉄と非鉄金属が占めるようになった。これらはGDPの15%ほど、総工業産出の50%、輸出の70%以上を占める。

実体経済の生産性は極度に低い。原材料と電力生産の部門では世界平均近くにまで上がったが、他の産業ではアメリカ平均の20-24%だ。 完成商品の技能的、技術的水準はおおむね5年未満の設備シェアに左右される。これは1990年には29%だったのが、1998年には4.5%へと激減した。我々の機械設備の70%以上は10年以上の古さで、これは経済先進国の数字の2倍以上だ。

これは一貫して下がり続ける国内投資、特に実体経済部門への投資低迷の結果だ。そして外国投資家たちが、ロシア産業の発展に貢献しようとしのぎを削っているわけでもない。ロシアへの外国直接投資の総量は、たった115億ドルだ。中国は外国投資で430億ドルも得ている。ロシアはR&Dへの割り当てを減らし続けているが、1997年に世界最大の多国籍企業300社は研究開発に2160億ドルを投資し、1998年にはそれが2400億ドルになった。ロシア企業のうち、革新的な生産に取り組んでいるのは5%で、その規模も極度に小さい。

資本投資の不足とイノベーションへの不十分な態度の結果、価格品質比率で見て国際的に競争力を持つ商品の生産は激減した。外国のライバルたちは、特に科学集約的な民生商品の面で、ロシアをはるか後ろに置き去りにしている。ロシアは世界市場におけるそうした商品の1%に満たないが、アメリカは36%、日本は30%を提供している。 国民の実質所得は改革の始め以来、低下を続けている。最大の下落が見られたのは1998年8月の危機以後で、今年その危機以前の生活水準を回復させるのは不可能だ。国民の全体的な金銭収入は、国連方式で計算すると、アメリカの10%に満たない。健康と平均寿命という、生活の質を決める指標も劣化した。

現在のロシアの劇的な経済社会状況は、ソヴィエト連邦から受けついだ経済のために我々が支払わねばならない代償だ。だがそれをいうなら、他に何を受けつげただろうか? 我々はまったくちがう基準に基づくシステムに市場要素を導入しなければならず、その昔のシステムは図体のでかい歪んだ構造を持っていた。そしてこれは、改革の進捗にどうしても影響する。我々はソヴィエト経済の、原材料部門と国防産業発達に対する過剰な注力のツケを支払わされている。これは消費財生産とサービス部門にマイナスの影響をもたらした。我々はソヴィエトが、情報科学、エレクトロニクスや通信といった重要部門を無視してきた代償を支払っている。生産者と産業の間の競争がないため、科学技術の進歩が遅れ、ロシア経済は世界市場で競争力を持てなくなった。これは企業とその人員の自主性と起業精神にかけたブレーキ、いや禁止令に対する代償なのだ。そして今日、我々は物質的にも精神的にも、過去数十年の苦い果実を味わうことになっているのだ。

確かにこの刷新プロセスでいくつかの問題は回避できたはずだ。そうしたものは我々自身のまちがいや、計算ミスや経験不足の結果だ。だがそれでも、ロシア社会が直面する主要な問題を回避することはできなかったはずだ。市場経済と民主主義への道は、1990年にそこに向かったあらゆる国にとって困難だった。そうした国々はみんな同じ問題を抱えていた。とはいえ、その度合いは様々ではあったが。

ロシアは経済と政治改革のうち、最初の移行段階を終えつつあるところだ。問題やまちがいはあったが、人類すべてが旅している高速道路には入れた。ダイナミックな経済成長と高い生活水準の可能性を提供してくれるのは、この道だけだ。これは世界の経験が説得力ある形で示す通りだ。これに代わる方法はない。

いまやロシアにとっての問題は、次にどうするかということだ。新しい市場メカニズムを全面的に機能させるにはどうしたらよいのか? 社会の中のいまだに根深いイデオロギー的、政治的な分裂をどうすれば克服できるのか? ロシア社会をまとめあげる戦略目標は何か? 21世紀の国際社会でロシアはどんな地位を占められるのか? 今後10-15年でどんな経済、社会、文化的なフロンティアを実現したいのか? 我々の強み、弱みとは? そしていま持っている物質的、精神的なリソースは何だろうか?

これらは人生そのものが提起する問題ではある。万人にわかるような形でこれらに対して明解な答を出せない限り、我々は我が偉大な国にふさわしい目標に向けて、着実に前進することはできない。

ロシアが学ぶべき教訓

こうした問題や我々の未来そのものに対する答は、過去や現在から我々がどんな教訓を学ぶかによって決まる。これは社会全体として作業であり、一年ですむようなものではないが、そうした教訓の一部はすでにはっきりしている。

  1. 終わろうとしている20世紀のほぼ四分の三にわたり、ロシアは共産主義ドクトリン実施の旗印の下で暮らしてきた。そうした時代の文句なしの成果を見なかったり、ましてそれを否定したりするのはまちがいだ。だがボリシェヴィキ主義の実験のために、我が国とその国民が支払わねばならなかった、とんでもない代償を認識しないのはそれ以上にまちがっている。さらに、その歴史的不毛を理解しないのもまちがいだ。共産主義やソヴィエトの権力は、ロシアをダイナミックに発展する社会や自由な国民を持つ繁栄国にはしてくれなかった。共産主義は赤裸々に、しっかりした自律発展能力がないのを実証し、我が国を経済先進国に一貫して遅れを取る存在へと運命づけた。それは文明の本流から遠ざかる、行き詰まりの裏通りへと続く道だった。

  2. ロシアは、政治および社会経済的な蜂起、危機、急進的改革の限界を使い果たしてしまった。新しい革命などを呼びかけるのは、ロシアとその国民にまったくもって無関心な狂信者や政治勢力だけだ。共産主義、国民愛国主義、急進的リベラル、その他どんなスローガンの下だろうと、我が国、我らが国民は、新しい急進的な解体などには耐えられない。国民の、生き延びて創造的な活動を行うための余裕と能力は限界に達している。社会は経済的、政治的、心理的、道徳的にあっさり崩壊してしまう。 責任ある社会政治力は国民に、市場改革と民主改革の期間に蓄積されたあらゆる良い面に基づく、ロシアの復興と繁栄の戦略を提示すべきだ。そしてそれは、進化的な、徐々にしっかりした手法で実施されるべきだ。この戦略は政治的に安定した状況で実施されるべきであり、ロシア人の生活、その一部のセクションや集団の生活劣化につながってはならない。この議論の余地のない条件は、我が国の現状から生まれてくるものだ。

  3. 90年代の経験は、過剰な費用を伴うことのない我が国の本当の刷新は、ロシア的な条件において、外国の教科書から取ってきた抽象的なモデルや手口を単に実験してみるだけでは確保できなことを赤裸々に示している。他国の経験を機械的に真似るだけでも成功は保証されない。

ロシアを含むあらゆる国は、独自の刷新方法を探さねばならない。我々はこの面で、いまのところあまり成功していない。自分たちの道筋と変化のモデルを求めてもがきはじめたのは、過去一年か二年ほどのことでしかない。我々にふさわしい未来の希望を掲げるためには、市場経済と民主主義の普遍的な原理を、ロシアの現実と組み合わせられるのだと証明してみせねばならない。

まさにそれを目指して、我々の科学者、分析家、専門家、あらゆる水準での公僕たちや、政治的、公的組織はすべて動くべきなのだ。

まともな未来の可能性

これが過ぎ去ろうとしている20世紀の主要な教訓だ。これにより、我々が歴史的な基準でいえば比較的短期間で、現在の長期化した危機を克服し、我が国のすばやく安定した経済および社会の前進のための条件を創り出すための、長期戦略の概要を大まかに述べることが可能となる。ここで肝心な用語は「すばやく」だ。というのも我々には、ゆっくりした出発をしている暇はないからだ。

専門家による計算を引用しよう。今日のポルトガルやスペイン並みの一人あたりGDP水準に到達するためにさえ、GDPを年率8%で今後約15年にわたり成長させ続けねばならない。ポルトガルやスペインは、世界の工業化先進国には含まれていない。もしその同じ15年で、GDP年率10%成長を確保できたら、イギリスやフランスに追いつける。 こうした集計があまり正確でないと考え、経済的な立ち後れは大したことがなく、もっと早めに克服できると考えるにしても、何年にもわたり頑張る必要がある。だからこそ長期戦略をまとめて、それをなるべく早く実現し始めるべきなのだ。

すでにこの方向で第一歩は踏み出している。政府のイニシアチブにより、その最も積極的な参加を受けた戦略研究センターは12月末に作業を開始した。このセンターは、我が国最高の頭脳を結集して、政府への提言や提案や理論・応用プロジェクトを起草し、それが戦略そのものの練り上げと、その実施プロセスで生じる課題に取り組むための効率的な方法の考案に役立つはずだ。

私は必要とされる成長の力学を実現するのは、単なる経済問題ではないと確信している。それはまた政治的な問題でもあるし、敢えて言わせてもらうが、イデオロギー的な問題でもある。もっと厳密には、それはイデオロギー的で、精神的で、道徳的な問題なのだ。私が見るに、ロシア社会の一体性を確保するという観点からすると、現段階においてはこの最後の点が特に重用に思える。

(A) ロシアの思想

我が国があまりにひどく必要とする有意義で創造的な仕事は、分断して内的にばらばらな社会では不可能だ。主要な社会部門や政治的な力が、別々の基本的価値観とちがった根本的なイデオロギー上の指向を持つ社会では、そんな仕事は無理だ。

過ぎゆく20世紀に、ロシアはそうした状況に二回直面した。1917年10月以後と、1990年代だ。

最初の例では、市民の合意と社会の一体性は、当時「イデオロギー教育作業」と呼ばれたものよりはむしろ、強引な手法で実現した。政権のイデオロギーや政策に合意しない者たちは、各種の訴追から弾圧まで様々な圧迫をかけられた。

実のところ、この理由から私は、一部の政治家や広報屋や学者たちが提唱する「国家イデオロギー」という用語は、必ずしも適切ではないと思うのだ。これはある種の近い過去との結びつきを作り出す。国家が祝福して支持する国家イデオロギーがあるところでは、厳密に言えば、知的、精神的な自由やイデオロギー的複数性、報道の自由、ひいては政治的自由の余地はないも同然だ。

私は公式国家イデオロギーの復活にはどんな形であれ反対だ。民主ロシアでは強制された市民的合意などあってはならない。社会的合意は自発的なものでしかあり得ない。 だからこそ、ロシア人の圧倒的多数にとって、望ましく魅力的となるような、狙い、価値、発展の方向性といった基本的問題について社会的合意を実現するのが重要となる。市民的な合意と団結の不在は、我々の改革が実に遅く痛々しい原因の一つだ。力のほとんどは政治的ないがみ合いに費やされ、ロシア刷新の具体的な作業に取り組むのに使われていない。

それでも、過去一年または一年半で、この領域に有望な変化が生じた。ロシア人の大半は、多くの政治家よりも叡智と責任を示している。ロシア人は安定性、未来への安心、その未来を自分と子供のために計画する可能性を求めている。それも数ヶ月先ではなく、何年、何十年も先まで計画したいのだ。平和、安全保障、しっかりした法治秩序の中で働きたい。所有形態の多様性、自由な事業と市場関係が拓いた機会や見通しを活用したがっている。

これを根拠として、ロシア国民は超国家的な普遍的価値観を認識し、受け入れるようになってきた。それは社会や集団や民族的利害を超える価値観だ。ロシア国民は、表現の自由、海外旅行の自由など、各種の基本的な政治権利と人間の自由を受け入れた。人々は、自分が財産を持てて、自由な事業に取り組めて、自分の財産を構築できる等々といった事実を大切だと考えている。

ロシア社会の一体性の別の足がかりは、ロシア人の伝統的価値観とでも呼べるものだ。こうした価値観は今日でもはっきり見られる。

愛国心。この用語はときに、皮肉な形で、果ては悪口としてさえ使われる。だがロシア人のほとんどにとって、これは独自の完全によい意味合いを維持している。それは自分の国とその歴史や業績に誇りを持つ感覚だ。自分の国を改善し、豊かで幸福にしようと努力する気持だ。そうした気持がナショナリズム的な傲慢や帝国主義的野心に汚されていなければ、そこには何もいけないものはないし、偏狭なものもない。愛国心は人々の勇気と辛抱強さと強さの源泉だ。愛国心と、そこに結びついた国の誇りや尊厳を失えば、偉大な成果を実現できる国民としての己を失うことになる。

ロシアの偉大さについての信念。ロシアはこれまでもこれからも大国であり続ける。それはその地政学的、経済的、文化的なあり方の不可分な性質による前提となっている。それがロシアの歴史を通じて、ロシア人の性格と政府の政策を決定づけてきたのであり、現在もそれは変わりようがない。

だがロシア人の性格は新しい思想で拡張されるべきだ。現代世界において、大国としての国の力は軍事力よりはむしろ、先進技術の開発と使用でのリーダーシップ、国民の高い厚生水準の確保、安保の確保、国際的な舞台で自国利益を守ることで表現されるのだ。

国家主義。ロシアがリベラルな価値観の深い歴史的伝統を持つ、たとえば英米のような国の二番煎じになるなどということは、当分起きないし、決して起きない可能性すらある。ロシアの国家と制度や構造は常に国とその国民の生活において、突出して重要な役割を果たしてきた。ロシア人にとって強い国家は、排除すべき異常ではない。その正反対で、彼らはそれを秩序の源にして保証者、あらゆる変化の創始者にして主要な原動力と見なすのだ。

現代ロシア社会は強く有効な国家を全体主義国家と同一視はしない。民主主義、法治国家、個人と政治の自由を重視するようになっている。その一方で、人々は明らかな国家権力の弱体化に危機感を覚えている。人々は、必要に応じた国家の導きの力と規制する力の回復を大望しているし、それはこの国の伝統と現状から生まれたものだ。

社会的連帯。ロシアでは、集団的な活動形態への希求が常に個人主義より重視されてきたのは事実だ。父権主義的な感情はロシア社会に深く根づいている。ロシア人の大半は、自分自身の状態改善を、自分の努力や主体性や事業的才能よりは、国や社会からの支援のおかげと考えるのに慣れている。そしてこの習慣がなくなるにはかなりの時間がかかる。

それが良いとか悪いとか言うつもりはない。重要なのは、そうした気持が存在するということだ。そしてそれ以上に、それが未だに力を持っている。だからこそ、無視はできない。これは何よりも社会政策で考慮されるべきだ。

新しいロシアの思想は、普遍的な一般人道的価値観と、歴史の試練 (激動の二十世紀の試練を含む) に耐えてきた伝統的なロシアの価値観の融合、有機的な組み合わせとして生まれるのではないかと思う。この決定的に重要なプロセスは、強制してはいけないし、邪魔をしたり、阻止したりしてもいけない。政治的なキャンペーンや、あれやこれやの選挙の熱気の中で、市民的合意の萌芽が踏みにじられるのを防ぐ必要がある。 この意味で、最近の国家院選挙結果は大いに希望が持てる。ロシア人の圧倒的多数は、急進主義、過激主義や、革命主義的色合いを持つ野党候補にノーをつきつけた。行政府と立法府の間に建設的な協力関係にこれほど有利な条件が作り出されたのは、おそらく改革が始まって以来、初めてのことだろう。

新生の国家院に代議員を持つ政党や運動の、真剣な政治家たちは、この事実から結論を是非とも引き出してほしい。国民の運命に対する責任感のほうが重視されるものと私は確信しているし、ロシアの政党、組織、運動やその指導者たちは、偏狭な党派や日和見的な利益のために、ロシアが持っている共通の利益や未来を犠牲にしたりはしないと信じている。ロシアのためには、あらゆる健全な勢力の連帯した努力が必要なのだ。

(B) 強い国家

我々は、持っても正しい経済社会政策ですら、国家権力や行政機関が弱いために不発に終わるという段階にきている。ロシアの回復と成長の鍵は、国家政策の領域にある。ロシアは強い国家権力が必要なので、是非それを手に入れねばならない。これは全体主義を主張するものではない。歴史はあらゆる独裁主義、あらゆる専制的な統治形態が短命だということを証明している。一時的に終わらないのは民主主義体制だけだ。いろいろ欠点はあっても、人類はこれ以上のものを編み出せていない。ロシアにおける強い国家権力は、民主的、法治的で、有能な連邦国家なのだ。

その形成の方向性としては以下が考えられる。

  • 国家当局機関やマネジメントのしっかり整理された構造、高い専門性、公務員の規律と責任の改善、汚職に対する戦いの強化
  • 最高の職員を選抜するという考え方に基づく国家公務員政策の再編
  • 当局とバランスを取り監視する十全な市民社会が国の中に生まれやすい条件を作り出す
  • 司法の役割と権威を高める
  • 連邦関係を、予算や財政の領域も含めて改善
  • 犯罪に対する積極的な戦い

プーチンにロシア憲法を渡すエリツィン。1999年大統領代行就任式にて(Kremlin.ru, CC BY 4.0)

憲法改正は、緊急の優先度の高い作業には思えない。いまある憲法は悪くない。個人の権利と自由を扱った条項は、世界でこの種のものとしては最高の憲法的な道具として見られる。国のために新しい基本法を起草するのではなく、現在の憲法と、それを根拠にした法律を、国や社会やあらゆる個人の生活の規範とするのは、きわめて真剣な作業となる。

この点で重要な問題は、既存の法律の合憲性だ。ロシアは現在、千本以上の連邦法と、数千にわたる各種共和国、地域、自治領の法律がある。そのすべてがさっき述べた基準を満たしているわけではない。司法省、検察局、裁判所が今日のように、この問題への対処で手をこまねいているなら、怪しげな、あるいは明らかに憲法違反の大量の法律が、法的にも政治的にも致命的となりかねない。国家の憲法的な安全性は、まさに連邦中心の正当性そのもの、国の統治可能性とロシアの正真性が阻害されるおそれさえある。

もう一つ深刻な問題は、政府が所属する三権の部門に内在するものだ。人権や自由、民主主義に対する主要な脅威は、行政府からやってくるという結論がグローバルな経験から導かれる。もちろん、ダメな法律を作る立法府も害はもたらす。だが主要な脅威は行政府からのものだ。それは国の生活をまとめ、法を執行するし、必ずしも悪意がなくても、政令の発行によりそうした法律を客観的に、かなり本質的な形で歪曲しかねない。

行政府の権限を強めるのがいまや世界的なトレンドだ。従って、社会としては恣意性と濫用をさけるために行政府に対する統制を強める方向が求められている。だからこそ私は個人的にも、行政府と市民社会とのパートナーシップ確立をきわめて重視している。市民社会の制度や構造を発達させて、腐敗に対する積極的でタフな戦いを実施したいのだ。

(C) 効率の高い経済

すでに述べた通り、改革の時代のおかげで国の経済と社会の領域には大量の問題が山積みとなった。実に困難な状況ではある。だが穏健な言い方をするなら、大国としてのロシアを葬り去るのはまだ時期尚早だ。いろいろ問題はあれ、我々は知的な可能性と人的資源をまだ維持できている。各種の有望な研究開発、先進技術は失われてはいない。天然資源も残っている。だからロシアにはまだ立派な未来が残されているのだ。 その一方で、1990年代の教訓を学び、市場経済転換の経験を理解しなくてはならない。

  1. まず大きな教訓だと考えているのは、世界における発展し、繁栄した大国としてのロシアの地位を確保してくれるような、国としての目標や進歩についての明確な理解がないまま、この長い年月を暗闇の中での手探り状態で進んできてしまったということだ。今後15-20年かそれ以上にわたる長期開発戦略がなかったことで、特に経済分野は大きな痛手を受けている。

政府は戦略と戦術の一体性という原理に基づきその活動を構築しようと決意している。それなしには、目先の穴を塞いで火消しモードで働くしかなくなる。これは真剣な政治や大規模なビジネスのやり方ではない。ロシアには長期的な国の開発戦略がいる。すでに述べた通り、政府はそれを編み出しつつある。

  1. 1990年代の二つ目の重要な教訓は、経済と社会部門の国家規制について、ロシアが一貫性ある仕組みを形成しなければならないということだ。

これは計画経済や統制経済システムへの復帰という話ではない。かつては全能の国家が、あらゆる事業の作業を上から下までこと細かに統制していた。私が述べているのは、ロシア国家を国の経済社会的な勢力の効率的な調整役にするということだ。国はそうした勢力の利害を調整し、社会開発の狙いやパラメーターを最適化して、その実現に向けた条件や仕組みを作り出すのだ。

これはもちろん、経済における国家の役割を、試合のルール考案とその実施監督にだけ限定するという、一般的な定式化を超えるものとなる。いずれは、ロシアもこうした仕組みに発展することだろう。だが今日の状況では、社会経済プロセスに国家がもっと深く関与する必要がある。国家規制システムの規模と計画の仕組みを設定するにあたり、我々は次の原理に基づかねばならない:国家は必要に応じて存在し、自由は必要な限りにおいて与えられる。

  1. 第三の教訓は、我々の条件に最適な改革戦略への移行だ。これは以下の方向で進められるべきだ:

3.1. ダイナミックな経済成長の促進。まっ先にここで挙げるべきなのは投資促進だ。まだこの問題は解決できていない。実体経済への投資は1990年代には5分の1となり、固定資本への投資は3.5分の1だ。ロシア経済の物質的基盤が脅かされている。

純粋な市場メカニズムと国家がそこに影響力を及ぼす手法を組み合わせた投資政策が望ましい。

同時に、外国投資家にとって魅力的な投資環境を作るための作業も続ける。はっきり言って、外国資本がないと成長は長く苦しいものとなる。そんな暇はないのだ。だから、外資をロシアに惹きつけるために精一杯頑張らねばならない。

3.2 積極的な産業政策の実施。国の経済、21世紀ロシア経済の性質は、何よりもハイテクに基づき科学集約的商品を生み出す分野の進歩にかかっている。現代世界においては、経済成長の90%は新しい知識と技術の導入によって実現している。政府は研究と技術開発の面で先進的な産業の優先的な発展狙った経済政策を実施するつもりだ。このために必要な手段としては以下のようなものがある。

  • 先進技術や科学集約製品の予算外の国内需要発達を支援し、輸出指向のハイテク生産を支援する
  • おもに国内需要を満たすための非原材料産業を支援する
  • 燃料、電力、原材料複合体の輸出能力を強化する
  • この政策を実施するための資金を動員すべく、世界中で昔から使われてきた各種の仕組みを使うべきだ。中でも最も重要なのは、分野を絞った融資と税制優遇、政府保証のついた各種の優遇措置だ。

3.3. 合理的な構造政策の導入。ロシア政府は、他の先進工業国と同様に、ロシア経済にも金融産業グループ、企業、中小企業が混在できると信じている。一部の発展を抑えたり、特定の経営形態の発展を人工的に奨励しようとしたりする試みはすべて、国の経済成長の足を引っ張るだけだ。政府の方針は、あらゆる経営形態の最適バランスを確保するような構造を構築するよう目指すものとなる。 もう一つ大きな方向性は、自然独占の活動を合理的に規制することだ。これは重要な問題だ。というのもそれが生産と消費者物価の構造すべてにかなり影響するからだ。つまりそれは、経済と金融のプロセスの両方や、人々の所得力学に」も影響するということになる。

3.4. 有効な金融システムを創る。これは困難な課題で、以下の方向性を含む:

  • 国の経済政策の主要な道具として予算が持つ有効性を高める
  • 税制改革を行う
  • 非支払い、物々交換などの非金銭的な決済手段をなくす
  • インフレ率を抑えてルーブルの安定性を維持
  • 文明化された金融市場や証券市場を作り出し、それを投資リソース蓄積の道具にする
  • 銀行システムを再編する

3.5. 経済と金融信用分野における裏の経済や組織犯罪と戦う。裏経済はどこにでもある。だが先進工業国では、そのシェアはGDPの15-20% 程度なのに、ロシアではそれが40%だ。この痛ましい問題を解決するには、法執行機関の有効性を高めるとともに、許認可、税制、外貨、輸出統制を強化すべきだ。

3.6. ロシア経済を一貫して世界経済構造に統合する。さもないと、工業化国が実現した高い経済社会的な進歩に追いつけない。この作業の主要な方向は以下の通り:

  • ロシア企業、事業や会社の外国における経済活動に対する国の積極支援を確保する。特に、輸出促進の連邦機関を作る頃合いだ。これはロシア生産者の輸出契約に保証を提供するものとなる。
  • 商品、サービス、投資におけるロシアの軽視に決然と対処し、全国的な反ダンピング法を可決施行する。
  • ロシアを国際的な外国経済協力規制システム、特にWTOに組み込む

3.7. 近代的な農業政策の追求。ロシア復興は、地方部と農業の復興なくしてあり得ない。我々は国家支援の手段と国家規制を、地方部の市場改革と土地所有関係の改革と有機的に組み合わせる農業政策を必要としている。

  1. ロシアにおいては、人々の生活水準下落を伴うようなあらゆる変化や手段はほぼすべて許されないことを認めねばならない。我々は、踏み越えてはならない一線まですでにきてしまっているのだ。

ロシアでは、貧困が壮絶な規模に到達している。1998年初頭、平均的な加重世界1人当たり所得は年額5000ドルほどだったが、ロシアはわずか2200ドルだ。そしてそれが1998年8月危機でさらに下がった。GDPの賃金シェアは改革開始時に50%だったのが30%に下がった。

これが最も熾烈な社会問題だ。政府は国民の実質可処分所得増大に基づく、安定した繁栄成長を確保するよう設計された新しい所得政策を練っている。

こうした困難にもかかわらず、政府は科学、教育、文化、保健を支える新しい手段を講じる決意を固めている。人々が心身共に健康ではなく、教育水準が低く文盲である国は、決して世界文明の頂点には上がれないのだ。

ロシアは歴史上で最も困難な時期の一つのただ中にある。過去200-300年で初めて、ロシアは本当に世界国家の二流、ヘタをすると三流グループにすべり落ちちかねない危険に直面している。この脅威を取りのぞくために残された時間はなくなりつつある。我々は国民のあらゆる知的、物理的、道徳的な力を動員しなければならない。我々は協調した創造的な仕事を必要としている。それを肩代わりしてくれる人は他にだれもいない。

すべては我々次第であり、我々だけにかかっている。脅威に直面する我々の能力、力をためて、つらく長い仕事に専念する我々の能力にかかっているのだ。

*1:原文、翻訳、写真ともにクリエイティブコモンズライセンスCC BY 4.0国際ライセンス。ネット上にある英訳は意味の取れないところが多すぎ、ロシア語からグーグル翻訳経由で訳した。