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バルザック『ゴリオ爺さん』:さすが元祖大衆小説。おもしろい!

ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)

ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)

ピケティに出てくるので、半ばいやいや手に取った。いやならいちいち手に取らなくてもいいじゃん、邦訳はアマゾンで検索すればすむじゃん、と思うだろうけれど、ぼくはそれではすませないのだ。他のだれもほとんどやらないことだが、ぼくは各種の翻訳で、参考文献に邦訳がある場合はそれを書くだけでなく、引用部分のページ数が出ている場合には邦訳の中で該当箇所が何ページにあるのかまで調べて書いている。

Jane Austen, Sense and Sensibility (Cambridge, MA: Belknap Press, 2013), 405 邦訳ジェイン・オースティン『分別と多感』(中野康司訳、ちくま文庫、2007年) 510.

と言う具合。これだと、原著で405ページにあった、ほんの一言の台詞が、邦訳だと510ページにあるわけ。同じ作品でも原著がいろんな出版社やいろんな版で出ているものだと、ページ割りも全然変わってくる。だからそれが邦訳の何ページにあたるかというのは実物を見ないとわからないことも多いし、ぱっと索引見ればわかる話ではないことがほとんどなので、なんだかんだいいつつ全部読むはめになるんだよね。おそらくそれを活用してくれる読者は10年に一人いるかいないか。だれにも感謝されないけど、でもそういうところを手抜きしてはいけないと思うのだ。

が、それはさておき、『ゴリオ爺さん』を読んだ。ジェイン・オースティンも、いやいや手にとっただけでなく、そのままいやいや飛ばし読みした感じで、マジでゾンビでも出てきてくれないと退屈でかなわなかったので、バルザックもまあ古くさい退屈な代物だろうと思ったら、どうしてどうして。すばらしくおもしろい!

話は貧乏下宿屋にすむ怪しい面々。パリでの立身出世を夢見る若き貧乏貴族ラスティニャックくんは、法学の勉強をしているのだけれど、同宿の怪しいヴォートランのお説教(そしてピケティの論点そのもの)をあるとき聞かされる。つまり、労働所得よりも資本所得のほうが圧倒的に(当時は)多いから、勉強なんかやめて金持ち女をたらし込め、というもの。

一方の同宿者が、ゴリオ爺さんという人物で、なぜか知らないが貧乏暮らしで、変にリッチな女の影がある。愛人だろうとみんなが噂をしていたところ、実はそれは娘。爺さんはパスタ事業でかなりの財産を築いたんだけれど、それを全部娘二人の持参金にして、大金持ちに嫁がせたために、貧窮していることがわかる。

ヴォートランが持ちかけてきた、殺人と打算結婚による財産掠奪の話はなんとか振り切ったラスティニャックくんだが、それでも資本の力に膝を屈し、社交界で金持ち女のツバメとして出世を夢見るようになる一方、ゴリオ爺さんは娘たちにますますむしられ、ますます貧しくなり、そしてその背後で登場人物たちすべての運命を激変させる騒動が……

それぞれのキャラの立ち方がはんぱでない。もちろん、バルザック自身がお気に入りでその後も何作かで活躍させた、悪者だけれど世知に長けて魅力的なヴォートラン、子煩悩すぎる哀れなゴリオ爺さん、その間で情と正義と己の私欲や色欲や家族の栄誉に迷うラスティニャック、そして下宿屋の他の面々が、ファッション的にも小道具的にも食べ物的にも、発言や行動も、すべてきちんと構築されているのは見事だし、もちろん大衆小説なので、次から次へと派手な展開が続いて飽きさせない。ぼくはてっきり、ジジイが隠居して貧乏な中でグチをたれてるだけのネオレアリスモ映画みたいな小説だろうと思ってたんだが、お見それいたしました。

バルザックのお友だちのデュマ『モンテクリスト伯』とか三銃士とかも、ちょっと当時の舞台設定に入り込むのに時間がかかるけれど、いったん読み始めるとやたらにおもしろいからなあ。

翻訳も、特に問題なし。ただ、ゴリオ爺さんは昔パスタの製麺業者だったんだけれど、それがしばしば「素麺」と訳されているのは……イタリア素麺と言われると、なんか異様なものが想像されてしまうけれど、まあそれはご愛敬だ。

ちなみに藤原書店のバルザック作品集で、鹿島茂は、ゴリオ爺さんの「爺さん」という語感が悪いからこれがあまり読まれないのだと言って『ペール・ゴリオ』なる邦題をつけている。うーん、それが特に読者を増やすとも思えないんだけれど、どうかなあ。

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)

こちらは、巻末に中野みどりと鹿島の対談があって、それがいやだったのと通勤中に持ち運ぶのが楽なので岩波文庫で読んだんだけれど、こちらはそうめんは出てこないし、翻訳としては少し新しめで訳文も活き活きしている。岩波版も、普通に読める訳だし、極端な差があるわけではないけれど。

付記

新潮の平岡訳だと「澱粉麺」になっている。うーん、これもなんか違和感のようなものがあるが……




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