ファシズム学ぼう! ムッソリーニ『ファシズム:ドクトリンと制度』

The Doctrine of Fascism

The Doctrine of Fascism

前にムッソリーニの伝記を書評したとき、いくつかムッソリーニ関係の本を読んだんだけど、見てみるとムッソリーニ自身のファシズム論って翻訳がないみたいなのね(昭和19年に出た翻訳が国会図書館にはある。「国立国会図書館デジタルコレクション - ファッシズモ教義[関裕美P]∵ごま∴氏にご教示いただいた。ありがとうございます!)。ヒトラー我が闘争』の訳さえあるのに。みんないろんな人を気安くファシスト呼ばわりするけど、実はみんな本当のファシズムってどういう主張だったのか知らないで、聞きかじりでモノ言ってるだけじゃん。情けない連中だね。

というわけで知ったかな情けない乞食どもに恵むシリーズ、第何弾か忘れたけど、ムッソリーニ当人のファシズム論です。短いので勉強しなさいな。

ベニート・ムッソリーニ他『ファシズム:そのドクトリンと制度』 http://genpaku.org/mussolini/mussolinifascismj.pdf(pdf 150kb)

どうだろう、実際のファシズムが世間の通念とはまったくちがうのがわか……ったりはしない。世間的なファシズム理解とそんなにちがうわけじゃない、というより世間的なイメージよりもっとひどいかも。

豆知識だが、本書の第1章を書いたのはムッソリーニではなく、ジョヴァンニ・ジェンティーレという哲学者かなんかとのこと。また、これを英訳したのがだれなのかは不明。ファシスト党の公式刊行物として出たもの。

内容的にはとても楽しい。短いしスラスラ読めるよ。いまの政治家の公式発言(だけでなく、評論家たちの駄文)でも、民主主義とか人権とかにリップサービスするのがアレだし、もっとモガモガ要領を得ない言い方をするのが基本なので、ここまで平然とすべて否定されるとかえって新鮮な面もある。たぶん、当時人気を博したのもそういう部分があるんじゃないかな。

ただしそこで実際に言われていることはかなり無内容。国家がすげー、国家エライって言うんだけど、なんで? どうして? 説明まったくありません。たたみかけるようにフレーズを重ねてインパクトを出そうとするけど、通して読むとあんまり論理的につながってない部分も結構あって、訳すの面倒でした。

でも人の多くは口調や単語の出現回数だけに反応するから、中身のなさはあまり大きなハンデにはならない。八紘一宇に心酔してた馬鹿な国会議員とかは、こういうの読んだらすぐファシズム万歳とか言い出しそう。が、それはさておき、ファシズムというのは、こういうドクトリンに基づくものなんですねー。Now you know.

ケインズ「孫たちの経済的可能性」

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ついでにちょっとやった「孫たちの経済的可能性」。あちこちに納められているけどネット上であってもいいと思ったので。

ケインズ「孫たちの経済的可能性」(pdf 75kb) https://genpaku.org/keynes/misc/keynesfuture.pdf

内容は有名といえば有名だが「ケインズは百年後には一日3時間労働になると言った」というふうな紹介のされかたしかしないのは、ちょっとかわいそう。もっと気楽な放言(そしてそれゆえになかなかおもしろい洞察がある)ですよ。

まとめると——

いま(第一次大戦後で大恐慌時代)は経済的にはひどい状況にある。でも長期的に見れば、経済は17世紀末から急激な成長をとげてきた。これは、急激な技術革新と、資産/資本の蓄積があったから可能になった。イギリスの資本は3.25パーセント成長を続けている。これがもっと続けば、経済はまちがいなくずっと豊かになる。すると、人類の経済問題は基本的に解決してしまう。働かなくてもよくなる

 そのとき、人間は何をするだろうか。いまは勤勉がよいこととされているし、経済問題への対応は遺伝子レベルで刷り込まれてるから、多くの人は暇と自由に耐えられないだろう。少なくなった仕事を広く薄く共有して何とか仕事を続けようとするかもしれない(一日3時間労働とか)。一方で、働く必要がなくなれば道徳もかわり、これまで金持ちや高利貸しを肯定してきた価値観が否定される。本当の生き方をわきまえた人が、余暇を十分に使えるようになる。これまでの金持ちや高利貸し翼賛は、資本蓄積を実現するための方便。それが十分に終われば、尊敬されるのは本当にいまを充実して生きられる人物だ。ただし、それが実現するのは百年以上先。そのうえで、いまのうちから人生を楽しむ準備をしておいてはいかが?

ということで、余暇に備えた人生とは、というもの。日本のニート諸氏はある意味で、ケインズがここで予想している存在ではあるが、なかなかケインズが言ったような話にはなりませんねえ(いや、なっているという見方も可能か)。

経済学者、未来を語る: 新「わが孫たちの経済的可能性」

経済学者、未来を語る: 新「わが孫たちの経済的可能性」

この本で、経済学者たちがケインズの見立てについてあれやこれや言っている。それなりにおもしろい。ただ全体の書きぶりからして、ケインズはそーんなに生真面目に詰められるとは想定しておらず、あくまですごくジェネリックな放言だというのはお忘れなく。それがあれば、ネタにマジレス、という感じでおもしろい。

その一方で、ざっと読み返すと、ケインズに比べてみんな視野が狭い。ケインズは、この一節を大恐慌のまっただ中に書いた。景気は停滞し、失業があふれ——その中で、ケインズは経済に対するすさまじい楽観論を考えてみせた。この本の経済学者たちは、みんな真面目だけれど、せいぜいここ20年ほどの問題にとらわれて、それについてあれこれ議論している。それは残念である一方で、知識人としての器というかスケールの差がはっきり見えておもしろい。

それにしても、この本って肝心のこのエッセイを収録してなかったように記憶してる。ちょっとの手間だし、原著になくても入れればよかったのに。多くの人は、各論者が何に突っ込みを入れているのか、今一つ理解できず苦労したと思う。

マンデヴィル『蜂の寓話』:ケインズがいかにイヤミなやつかよくわかる。

蜂の寓話―私悪すなわち公益 (叢書・ウニベルシタス)

蜂の寓話―私悪すなわち公益 (叢書・ウニベルシタス)

マンデヴィル『蜂の寓話』というのは、知っている人の半分はケインズ『一般理論』23章で言及されているから知っているんだと思う。

そこでケインズは、この詩と説明が有効需要創造の重要性を訴えたものであり、バカみたいな倹約とか節制とかをよしとする当時の社会通念からはずばぬけた慧眼であり、それ故にひどく攻撃されたんだと語る。

寓話に続くコメントからの抜粋2本を見ると上の詩には理論的な根拠がなかったわけではないことがわかります。

 この堅実なる経済、一部の人が貯蓄と呼ぶものは、民間の世帯においては資産を増やす最も確実な手段であり、したがって一部の者は国が痩せ衰えるのも豊かになるのも、同じ手法を追求すれば(彼らはそれが可能だと思っている)国全体にも同じ効果をもたらし、したがって例えばイギリスは、近隣国の一部のように倹約を旨とすればずっと豊かになると考えるのである。これは、私が思うに、誤りである。21

 それどころかマンデヴィルは次のように結論します。

 国を幸福に保ち、繁栄と呼ぶ状態にするには、万人に雇用される機会を与えることである。すると向かうべきなのは、政府の第一の任を、できる限り多種多様な製造業、工芸、手工芸など人間の思いつく限りのものを奨励することとすべきである。そして第二の任は、農業と漁業をあらゆる方面で奨励し、人類だけでなく地球全体が頑張るよう強制することである。国の偉大さと幸福は、豪奢を規制し倹約を進めるようなつまらぬ規制からくるのではなく、この方針から期待されるものである。というのも黄金や銀の価値が上がろうと下がろうと、あらゆる社会の喜びは大地の果実と人々の労働の成果に常にかかっているのであるから。この両者が結びつけば、それはブラジルの黄金やポトシの銀にもまさる、もっと確実でもっと尽きせぬ、もっと現実の本物の宝なのである。

 かくも邪悪な思想が二世紀にもわたり、道徳家たちや経済学者たちの非難を集めたのも不思議ではありません。その批判者たちは、個人と国家ともに最大限の倹約と経済性を発揮する以外にはまともな療法はないという謹厳なるドクトリンを抱え、自分がきわめて高徳であるように感じたことでしょう。ペティの「娯楽、すばらしいショー、凱旋門等々」はグラッドストン的財務の小銭勘定に道を譲り、病院も公開空地も見事な建物も、さらには古代モニュメント保存すら「お金がなくてできない」国家システムとなりました。ましてや見事な音楽や舞台などあり得ません。これはすべて民間の慈善や、先の考えのない個人の寛大さに委ねられることとなったのです。

ほとんどの人はもちろん、実際にマンデヴィルの本を読もうなどという物好きなことはせず、ケインズがそう書いているからというだけで、そういう立派な本なんだと思っている。

ぼくもそう思っていました。ケインズの思想に近い論者なんだろうと思ってました。

でも実際に読んでみたら……ぜんぜんちがう。

確かにこの本、ぜいたくは敵だという風潮に逆らって、むしろ贅沢こそ需要を創り出し、人々の雇用を創出するものなのだ、という慧眼は出ている。というか、確かにいろんな慧眼はある。人の徳や上品さ、善意、公平さなどはすべて、実は人々の貪欲、下劣さ、虚栄心、他人をだまそうというこずるい心性などから生じている、というのがこの本の趣旨。各種の道徳とか、善意に見えるものとかは、実はそういう私的な悪の相互作用または相互牽制の結果として生じている、という。

でもマンデヴィルがそこから引き出すのは、自由放任と現状肯定の、むしろリバータリアニズム的な主張だ。各種の私悪が、公益につながる。私悪を否定すると、かえって公共にとっては害になる。だから――私悪をなくそうとしてはいけない!

たとえば、当時の町はゴミだらけで悪臭まみれのひどいところだった。でもマンデヴィルは、「そういう私悪は、よく考えれば仕方ないことなんだ、ゴミや悪臭なくして都市の経済活動や産業活動ができるだろうか。だから、それを規制したりなくそうとしたりすることは、経済活動否定であり、したがって人をかえって不幸にする。よって、ゴミや悪臭は我慢しろ」とのたまう。

あるいは、商人がインチキ商品を売ったりするのも、「人は常に他人を出し抜こうとしているのだ。だまされると腹がたつけど、自分が人をだまそうとしなかったやつはいないのだ。よってそういうのは仕方ないのだ」とおっしゃる。

全体として、すべて現状追認、あきらめろ、規制しようとするな、美徳に見えるものは人の打算からくるあれやこれや、つまりは現状は仕方ないのであり、無理に規制しようとしてはいけない、というわけ。全体としては、ケインズ的な発想のほぼ正反対の代物だ。

いやあ、びっくりいたしました。

ケインズがこんな露骨な自由放任リバータリアニズムを支持していたわけがないんだよね。この23章、ケインズ重商主義をほめてみたり、高利貸し禁止法をほめたり、クルーグマンも指摘しているとおり、明らかに屁理屈こねて常識はずれなことを言って見せて喜んでいるような部分が多いんだけれど、このマンデヴィル絶賛も、なんかそういうひねくれた根性のあらわれじゃないかと思う。いやあ、ケインズってほんとイヤミなやつだと思うわ。

しかし、マンデヴィル自体は非常におもしろいのは事実。アダム・スミス的な考え方を、他のあらゆるところにまで広げた(というか逆で、マンデヴィルのほうが先なんだけどね)という意味では慧眼だし、お暇ならご一読あれ。

なお、これの続編もあるんだよねー。

続・蜂の寓話 〈新装版〉: 私悪すなわち公益

続・蜂の寓話 〈新装版〉: 私悪すなわち公益

(しかも新装版が出るのか)。読もうかな。どうしようかな。

ケインズ『平和の経済的帰結』翻訳終わったぜ。

はい、先月末にはじめたケインズ「平和の経済的帰結」、終わったぜ。乞食ども、持ってきやがれ。

ケインズ「平和の経済的帰結」(pdf 1.2 Mb, 商業的に出そうなので公開停止)

そのときに述べた通り、題名のPeaceは、講和条約のことではあるんだけれど、文中でケインズが、ドイツに対する「戦争による被害と平和による被害」という具合に、戦争と平和を対比させて書いている部分がいくつかあって、それを考えると平和のほうがいいかな、と。

基本的に主張は簡単。

ドイツにすっげえ賠償金を払えって言うけどさ、無理じゃん。

  • まず、賠償金のうち、即座に50億ドル支払うことになってる → 即座の支払に使える現金とか資源とか、あんたら全部接収してかすめ取ったじゃん。払えないよ。
  • そして今後ドイツは経済活動を通じて儲けて払えといってる → あんたら炭鉱も奪い、船も奪い、工場も接収し、経済活動するために必要なものを全部分捕ったじゃん。それでどうやって経済活動すんのよ。
  • んでもって、無理矢理取りたてるために賠償委員会なんてものを作って、ドイツのあらゆるところに口だしできるようにして、あらゆるものをむしり取らせんだろ? ドイツがこつこつ再建しようとしたら、それ全部かっさらうんだよね? →ドイツ人だってそれじゃやる気出ないだろ。無理よ。
  • さらに、いまはグローバル化で世界経済がつながっている。ドイツが賠償のために黒字を出すということは輸入しなくなるということ。→ すると戦勝国のほうが市場が減って、かえって自分の経済が苦境に陥るよ

そもそも、こんな相手を身ぐるみ剥いでまともな生活すらできなくするようなことを要求するって、それ自体が人道にもとる野蛮行為だろ。それに、そういうことしないという約束でドイツは休戦に応じたんだろ。それを完全に反古にするって、ひどくね?

ホント、まさにドイツがギリシャに対してやってること(ここ数日、ギリシャ関連報道ないからどうなってるかわからんが、まあまともな方向に向かっているわけがない)。とにかく金返せ、緊縮財政して返せ、そうでなければ資産売り払え、資産売り払ってどうやってその後返すお金を捻出できるのかわからんけど、とにかく返せ――

あと、第2章のウィルソン大統領とクレマンソーの人物描写も見所。

 

なお、この後の自体の推移については、Wikipediaの記述をご参照あれ。

第一次世界大戦の賠償 - Wikipedia

あと、sinking fundsなるものの意味がやっとわかったわ。辞書を見ると減債基金なる訳語があるんだけど、結局それが何なのか今までは漠然としか理解できなかったんだが、借金返済のときの、元本返済相当部分のことね。「基金」となっているのは、住宅ローンとかみたいに元利均等払いで元本もだんだん返していく場合ではなく、balloon payment方式で最後にどーんと元本一括返済する場合、その元本分をどこかに積み立てておく、というわけね。「一般理論」でも何カ所か出てきたんだけど、これでやっとすっきりした。

ナイム『権力の終焉』:あら翻訳出てたの。

権力の終焉

権力の終焉

あら、この本、邦訳出てたんだ。個人的にはあまり感心しなかった本で、昔、頼まれて査読をしたんだけれど、お奨めしなかった。その出版社は結局見送った。そのときの査読書はこちら:

cruel.hatenablog.com

日経BP社はどういう計算でこれを出したのかは不明。

はてなブログに引っ越してよかったこと

何のメリットがあるかわからず、はてなダイアリーでずっとほっぽっといていたが、多少はいいことあると聞いたのではてなブログに移行してみました。

いまのところのメリット

デメリット

  • まだ書き方なれてない。写真のリサイズとかどうするんだっけ。

ただ書き方は、markdownの勉強しようとしてるせいもあるので、まあこれからですな。

人情山吹黄金地獄 そば屋の段

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しばらく前に、近所のそば屋が開いてたので入ってそば。注文を待っている間、何の気なしに聞こえてきた臨席の会話。同棲して一週間なの~、とかギャル風女子が友だちの女の子と恋バナしてるなー、と思って、艶っぽい話でもこないかと漠然と聞いていたら突然なんだか雰囲気がかわった!

そのギャル曰く、でも自分は2年後に司法試験受かって、留学して、かえったら企業の法務部に勤める予定であり(そのほうが安定してるから、だって)、このままカレと同棲続けて結婚になるとそのキャリアプランのじゃまになるから、いまのうちに別れておいたほうがいいのでは、という相談になり、それが全部大阪弁で、その場にはいないその彼氏は、たぶん彼女にそんな打算があるとはつゆほども思わずラブラブのつもりなんだろな、とおもうと可笑しいやらかわいそうやらおそろしいやら。いまは、いつの時点で別れるのが感情コストと愁嘆場の面倒とキャリア追求障害の点で最適かを論じてる。こわ〜

ここらでそばがきたんだが、いつもなら一瞬で食い終えるそばを、とにかく引き延ばして耳は完全にダンボ状態です。なんでも彼は帰国子女だし優しいし、でもその優しいのは、いま自分がかまってあげてるからで、いまのキャリアプランを追求したら、彼に割く時間は減り、彼との関係も変わるはずだから先手を、だって。ヒィ〜!

相方の子はこちらに背を向けていたので、どんな顔でこれを聞いていたか不明だが、「やっぱ自分のキャリアも大事だもんねー」とか相づちをうつ一方で、「でもその計画もまだわかんないとことあるよねー」と常識も入れるが、「だからこそ、それに注力できるよう考えねば」とギャル子はきっぱり。で、相方が、前に付き合った彼と1年半でわかれたがキツかった、という話をしたら「そうよねー、だから1年以内だよね~」ということになり、カレシの何も知らないところで一年以内の別れが確定した模様(涙)。もっと聞いていたかったがさすがにそばでそれ以上ひきのばすのはつらいし、仕事にも戻らなきゃいけなかったし……