- 作者: 加納喜光
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/10/22
- メディア: 単行本
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漢字にはその根本的な意味があって、それが古代人の思考をそのまま反映させたものであり、それがコアイメージなんだって。そのコアイメージがわかればその漢字の本質的な意味が理解できるそうな。
まあこの部分まではいいよ。なんか白川静みたいな話なんだけど、たぶん著者は白川をあまり評価してないように思う。かつて白川がえらく批判した藤堂明保の流れに連なる人らしいから。
でも、その解説に書かれる、「古代人はこう考えた!」という話がえらく具体的で細々していてホント見てきたような書き方。
古人の発想はこうである。ことばは音の一種だが、連続する無意味な音声ではなく、連続した音に区切りをつけたものである。区切りをつけた音が世界を区切り、それぞれの物や事を識別することが可能になる。(中略)これを図形かするには具体的な状況が設定される。刃物は切る機能があり、「区切る」というイメージを表せる。「辛」が刃物を描いた図形の一つで、これをイメージ記号として利用する。ことばをしゃべるのは口の機能であり、口と関連する意味領域に属する。
だもんで、「口」の上に「辛」がのっかって、「言」という漢字ができたそうな。
えー、古代人がそんなことホントに考えたかどうか、そんな細々とどうしてわかるんですか? どうがんばっても、ものすごい憶測でしかあり得ないでしょう! やるとしても「こういう用法があるからこういう意味合いももっていたでしょう」くらいのことしか言えないと思うんだけど。だいたい「古人」ったって、みんながそう考えてたわけもないし、だれよ? そもそもこれって、加納が一人で思ってることなの、それとも学界的にある程度のコンセンサスってあるの?
ぼくは白川静の漢字話も、読み物としてはおもしろいとは思うんだが、ホント白川一人しかそういうことやってるのがいないみたいで、すっごく気持ち悪いのだ。あれは学問としてまともなのか? そしてもう一つ、漢字が文字として真に発達を見せた理由は、彼の呪術っぽい理解のせいではなくて、それを単に記号として使った単純化のおかげなんだよね。変な文様の意味合いにこだわりすぎたために、マヤ文字は解読が遅れたこともあって、たぶんあまり白川的な理解やこの加納的なコアイメージとやらは、ぼくはあまり真に受けないほうがいい気がする。
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