シュペーア『第三帝国の神殿にて/ナチス軍需相の証言』:これほど我田引水の自分だけいい子チャン回想録があるとは愕然。

Executive Summary

ナチス軍需相アルベルト・シュペーアの回想記『第三帝国の神殿にて/ナチス軍需相の証言』は、前半のヒトラーの建築/ベルリン計画マニアぶりなどおもしろいところもあるが、その後はひたすら、自分が常に正しく冷静で状況を把握し合理的に考え、他のバカどもを蹴散らしてすべて自分だけが正しいことを勇敢にヒトラーにも進言し、しかもホロコーストについては一切知りませんでした、という我田引水で自分一人をいい子チャンに描こうとする作為があまりに露骨。みんながこれを真に受けたのが信じがたい。その後、このいわゆるシュペーア神話はほぼ完全に否定されていて、彼もホロコーストの中心人物だったことが明らかになっている。

本文

トゥーズ『ナチス 破壊の経済』を訳すときに、引用ヶ所の確認のために買って持ってはいたんだが、初めてきちんと通読いたしました。いやあ、壮絶な代物。もちろん、一応自伝だしある程度は自分の都合のいい話が出てくるのは覚悟はしていた。が、これほど徹頭徹尾、自分は常に理性的で有能で他人の失策の尻拭いを見事にして、アレを建て直し、これを回復させ、こっちも見事に調整して、他の権力争いに明け暮れる無能なナチ中枢連中などとは常に距離をおいて、自分一人が常にドイツの利益のために孤軍奮闘していました、なんていう代物になっているとは、予想だにしていなかった。

そう感じるのは、拙訳トゥーズ『ナチス 破壊の経済』でシュペーアを、一章丸ごと割いて徹底的に叩いていたのを読んでいたせいもあるだろう。

トゥーズは、基本的にシュペーアの書くことをほとんど信用せず、この『第三帝国の神殿にて』もあまり直接的に参照していない。基本的な批判として、戦闘機生産にしても戦車にしても物流にしても、着任してその月のうちにすごい改善が起こりましたなんてことがあるわけないだろ、というものがある。鋼鉄の割り当てを変えて、生産ラインを調整し、アレをやり、こっちを調整して、各種施策が具体的な軍備生産の出来高に影響するまでに、どう考えても半年はかかる。基本的に、シュペーアのやったことというのは、すでに行われていた各種の改善を横取りして、自分の手柄に仕立てただけ、というのがトゥーズの立場だ。

そしてこの回想記を読んで、この見方を否定できる材料はまったくない。細かい数字をときどき挙げてみせることで、なんとなくもっともらしさは出しつつ、各種の具体的な部分では「無能なだれそれを更迭して仕組みを全面的に作り替えた」だけで記述は終わってしまう。何をどう作り替えたのか、そのために全体はどう調整されたのか、みたいなエンジニアリングのこだわりやポイントみたいなものはほとんど出てこない。全体的な軍需を考えるときに、どういうふうに戦略を立てたのか? 原材料調達、生産体制についてどういう把握をして、どんな見通しを持っていたのか? その手の話が、実に薄い。

そしてあらゆるところで、こいつは無能だった、ゲーリングとボルマンが私腹を肥やし利権争いでこっちを歪めていた、真面目な技官のだれそれが苦労していた、そこでワタクシがそれを救ってあげて、ものごとがきちんと動くようにしたけれど、それについての手柄を要求するようなことはなかった、それと自分だけは特権的な立場だったから、ヒトラーに常に正論を進言できた、という話が延々と続く。

そうそう、ニュルンベルク裁判でも、アメリカ軍は自分が有能で無実だと信じていてとってもよくしてくれて、無罪を確信してるよーと言ってくれました、なんて話が得意げに続いている。えー、そんなわけないじゃん。

その裁判で、彼はソ連軍に「『わが闘争』は読んだか」と聞かれている。実は読んでなかったんだけれど、そう言っても納得してもらえなかったので、読んだことにしました、というのがシュペーアの主張(下巻p.430)。なぜ読んでないかと言うと、ヒトラーがそれを時代遅れだと言っていたのと、あと難解だから、なんだって。ヒトラーに心酔してかなり初期にナチ党に入り、ヒトラーに取り入って出世してきたシュペーアが読んでないとは信じがたいうえ、ヒトラー焦土作戦をやろうとしたときに、産業界から『わが闘争』の引用(民族が英雄的に亡びるより永続する道を選ぶべきだ、という下り)が出てきたのに胸をうたれて、ヒトラー暗殺を計画した (下巻pp.307-9)、なんてのもある。読んでもないし、影響も受けてない本の下りで、なんでそんな動揺スンの? ちなみにその暗殺は計画倒れもいいところ。ホントにあったのかも怪しい。

そして、シュペーアといえば、自分はユダヤ人虐殺について何も知らなかったと主張してる。ああ、でももちろんナチ上層部として連帯責任はある。そこから逃げるつもりはない。ね、ぼくって清廉潔白で偉いでしょ、だから責めるなよ、潔く認めただろ、どんな非難をも負う、許してなんて言わないよ、言わないからね(チラッ)みたいな弁解が本書でも何度か展開される。でも、ナチス党最上層部の最も内輪にいた人物が、ナチスドイツの基本的な哲学と思想と、さらには東欧ロシアの接収のための先住民殺害および奴隷化と開発という基本方針について、何も知りませんでしたってわけがないでしょうに。軍需大臣として、各地の軍備生産を仕切っていた人間が、その軍備生産の大きな部分を担う、巨大な産業複合体だったダッハウアウシュヴィッツの運営の不可欠な一部だった強制収容所の中身について何もご存じなかった?

ちなみに、彼は強制収容所の存在についてはしっかり知っていて、それを脅しに使ったりしている (下巻p.116) 。労働力の挑発と動員について、担当者のザウケルともたくさん議論をしている。ついでに、その強制労働の囚人たちを使ったV2ロケット製造地下工場も視察している。ここはトゥーズ本によると、ノルマを果たせない囚人は見せしめに首をつられて、その死体がそこらにぶら下がっている中で、飯もない囚人たちが這いずる壮絶なところだったとか。ところがシュペーアは、そこを自分の目で見たのに「労働者の待遇が非人間的だったので改善を申し入れた」といい子チャンぶるだけ。他のSS運営の工場も視察している。アウシュヴィッツについては「ハンケがあそこに行くなと言ったから行かなかった。意図的に目を閉ざしたぼくは悪かったねー、知らぬうちに目を背けていたねー」と書いておしまい (下巻pp.210-20) 。

実際には後に強制収容所にでかけてユダヤ人囚人と撮った写真も出てきたし、自分が知っていたことを認める手紙も出てきたし、むしろ中心的な関与をしていたというのはいまやほぼ確実。そして、戦争の最後で最後にヒトラー焦土作戦をやろうとしたときに、それを阻止してドイツ国民を守ったのです、と言うのが自慢だけれど、トゥーズ本によるとどうもそうでもなさそうだ。

何も見所はないのかというと、ここに描かれたヒトラーの姿はそれなりにおもしろい。特に上巻で、ベルリン大改造計画をシュペーアといっしょにいろいろたてて、はしゃいでいる様子はなかなか微笑ましい。ボルマンの悪趣味ながら阿諛追従に終始する様子、ゲーリングのいろいろな策謀の様子はおもしろいし、また戦局がどんどん悪化する中での人々のうろたえぶりも、まあおもしろい。その一方で、ズデーテンとか、フランスを電撃作戦で一気に制圧したときには、もっと政府内はすさまじい多幸状態になっていたはずなんだけれど、そこらへんぜんぜん描かれていないのがずいぶん不思議ではある。自分はそういう戦局には関心無かったというアピールなのかな?

他の関係者はみんな死んでるので、まあ自分一人が好き放題話を作るのはいいんだが、ここまであらゆる面で自分をいい子チャンに仕立て上げると、あまりに嘘くさいと自分でも思わなかったんだろうか。そしてなんか、みんなそれにあっさりダマされて、シュペーアってえらく人気があって、ナチ党の中で一人だけ立派だったみたいなイメージがあるようだけれど (うちの母親もなんかずいぶんシュペーアはひいきにしていた)、なんで? この回想記読んだら、あまりに見え透いてない? もちろん、この清廉潔白なテクノクラート、というイメージは、80年代からほぼ否定されつつあるようで、たいへん結構なことです。

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訳者の品田豊治と、解説と称するまったく無内容な駄文を書いている土門周平は、このシュペーア神話を完全に盲信していて、ぼくが持っている中公文庫Biblio20世紀というシリーズのやつは2001年に出ているのに、このシュペーア神話が現在どうなっているかについて何一つ触れていない。まあ品田は1994年に死んでるから仕方ないのかもしれないけれど。こんど、これが復刊するようだけれど、そこではきちんとその後の評価の変遷についても何かしら説明がほしいものだねー。

ナチス軍需相の証言(上)-シュぺーア回想録 (中公文庫)ナチス軍需相の証言(下)-シュぺーア回想録 (中公文庫)

(付記:がっつり説明入るそうな。すばらしい!kaka-xyz氏、情報ありがとう!)

ちなみに、アマゾンに出てこないけれど、手元にシュペーアの書いた「The Slave State」という本がある。ヒムラーとSSがナチを牛耳って奴隷国家を作ろうとしていたんだ、という話らしいんだけれど。でも、それを知ってたんなら、あんた自分がユダヤ人とかポーランドウクライナの劣等民族虐殺について何も知りませんでした、という話はできなくなるんじゃないのかなあ。でもこの回想記を読んだ後で、またこの自分だけいい子チャンの弁明を読まされるかもしれないと思うと、しばらく手に取ることはなさそう。