『ゲバラ日記』=ボリビア日記 全種類比較

Executive Summary

チェ・ゲバラのボリビア時代の日記、通称『ゲバラ日記』は、邦訳が8種類もある。特に原著の直後1968年に出た5冊は、真木訳を除いて翻訳権がどうなっているのかまったく不明。いちばんありそうなのは、キューバ政府内でもそもそも権利の帰属が不明確/気にせず、プロパガンダとして他のバージョンを黙認、奨励したというもの。が、真相はいまとなっては闇の中。

また翻訳の中身も様々。コスパ的に最高なのは三一新書/中公文庫の真木嘉徳訳。訳も問題なく、付属資料も完備。最も最近に出た中公文庫の平岡新訳版は付属資料はまあよいが、細かい翻訳のミスが多い。その他、全邦訳に目を通してレビューしてみました。


はじめに

先日読み終わった、長大なチェ・ゲバラ伝の書評を書いて、まとまりがないと述べたところで他の伝記とかにも目を通したところ、むしろこれはかなりいいのではという印象に変わってきた。で、それを書き直す間に、ゲバラの他の著作にもざっと目を通しておこうと思った。

『ゲリラ戦争』はずいぶん前に読んでいたし、ゲバラを扱った映画がきたときに出た新訳版については、三一新書のものとの比較したレビューを書いた。

cruel.hatenablog.com

で、次に名高いのがいわゆる『ゲバラ日記』というやつ。知らない人は、これがゲバラのキューバ革命の日記だと思っていることが多いんだが(ぼくも最初に手に取るまでそう思っていた)、これはゲバラが最後につかまって殺された、ボリビアでのゲリラ闘争日記なのだ。ところが、たいへん不思議なことに、こいつの邦訳は少なくとも8種類ある。なんで? それぞれどうちがうの?どれを読むのがいいの? そこらへん、だれかがきちんと比較して説明しておかないと、読もうかな、と思った人もわけがわからなくて、結局面倒になって手に取らずじまい、ということになってしまう。ぼくもこれまでそうだった。が、それはあまり生産的ではない。

ということで、他にだれもやっていないなら、しょうがないからぼくがやろう。どうせほとんどは、アマゾンの中古で1円とかだ(送料ばっかりかかるのでバカらしいから、本当は図書館を使いたいんだけれど、あいにくコロナで閉館中だ。やれやれ)。

背景

これを読む多くの人は、そもそもゲバラがボリビアで何をやっていたかもご存じないだろう。そこでちょっと背景を書いておこう。

ボリビアに到る道のり

エルネスト「チェ」ゲバラは、アルゼンチン生まれながら、二回にわたるおのぼりさんバックパッカー南米旅行で社会正義に目覚め、メキシコで出会ったカストロの手下としてキューバ革命を成功させてしまい、革命の寵児/アイドルとして世界に名を轟かせた——ここまでがみんなの知っている話だ。

さて革命政府のナンバー2とも言うべき存在として、ゲバラはまず必殺粛清人となり、バティスタ政権時代の軍や警察関係者、およびその他大量の人々を人民裁判にかけて大量に殺戮。そしてその後、中央銀行総裁と工業大臣になって、キューバを一次産業(サトウキビ)依存経済から離脱させて一気に工業化し、経済的自立を目指そうとした……

が、ゲバラはそもそも経済についても工業生産についても、何も知らない。有能な人は革命騒ぎで殺されるか亡命済みで、右も左もわからない状態の中、あらゆる面で完全に失敗し、その失敗すべてを、アメリカの妨害、ソ連の妨害と怠慢と称するもの (いきなりスチール工場を作ると言い張ってソ連を呆れさせている)、そして国民の気の緩みのせいにした。この最後のものへの対策として、強制収容所での強制労働 (強制じゃない、クビになるか、それともボランティアで労働奉仕をするか選べ、と言ったので国民の自主性に任せた、という理屈だが、そんな話が通りますかいな) を導入したのもゲバラだ。そして自国の運営もうまくいかないのに、他の南米諸国の革命支援をしたがり、あちこちに工作員を送りこんだりして、各国の共産党にえらく嫌われるし、またソ連にさんざん支援をもらっているのに、革命への態度が生ぬるいといって中国に接近したりして、キューバ/カストロとしてもゲバラをイマイチ扱いかねていた面もある。

ゲバラ自身も、自分の行政官/政治家としての無能ぶりを痛感するようになり、次第に自ら別の革命指導にあたりたいと思うようになって、だんだん公職と表舞台から姿を消し、ゲリラの指導と南米の国内工作に注力。が、他の南米諸国もソ連との関係が強いところが多くて、革命よりは合法的な選挙戦による権力奪取を狙う方針になっていたところへ、キューバが変な工作しているというので、各国の共産党もカンカンだし、ソ連もカンカン、アメリカにも目の敵にされる状態になった。そして故国アルゼンチンのゲリラ戦を、手下を送りこんで遠隔指導しようとしたらすぐに崩壊してしまった。

ここでゲバラはどうも、「遠隔操作では無理だ、オレが自ら現地に出向けば、自分の威光でゲリラたちは一致団結して人々もオルグされ、革命が成功するのだ」という変な考えを抱き始めたらしい。そしてその舞台として、まずコンゴに赴いた。カストロと仲違いして辺境に飛ばされた、という説もあるけれど、そういうことではなくむしろゲバラ自身が、かつての栄光よもう一度と張り切ったらしい。

でも、まずコンゴ地元のゲリラたちはまったく無能で、迷信深く、内部抗争ばかりで、怠け者で、規律のキの字もなく、ちょっとでも戦闘になるとすぐに逃げる。地元民の支援もまったく取り付けられない。ゲバラは完全なよそ者扱いだし、現地語もしゃべれずにオルグもできず、とにかく何一つ実現できずに数ヶ月で逃げ帰ってくる。

ここまでが前置きだ。

ボリビア入りから死まで:『ゲバラ日記』の範囲

で、ここから話はボリビアに入る。

キューバ革命が成功したのは、キューバにカストロたちとは無関係に存在していた共産党が、すでにかなり下準備を進めて農民たちのオルグをすませていたことが決定的な要因だった。カストロ&ゲバラはそこにうまく乗っかっただけ、とすら言える (とはいえ、他の反乱勢力に比べてカストロたちの立ち回り=通称「フォコ」戦略がうまくいったのは事実)。コンゴは、そうしたものがまったくなかった。

ところが、ゲバラはそうした教訓をまったく意に介することなく、すぐにボリビアに向かう。南米なら地の利があると思ったようだが、そりゃコンゴと比べたらねえ。そしてボリビアでも、何の基盤もない山岳農民の中で何ができると思ったかはよくわからない。単に盲目的にキューバの成功を真似ようとしたのか、諸説あるんだが、どうも故国アルゼンチンでの革命が最終的な目標として念頭にあったらしい(かつての失敗したアルゼンチン蜂起の残党をわざわざ送りこんでいる)。ゲバラの活動地域は、ボリビア、チリ、アルゼンチンの接するあたりで、そっちへの足がかり的なことも考えていたらしい。

そこでまず、東ドイツから来た二重スパイのタニア(彼女が東独のスパイでもあったことは、シュタージの資料で裏付けられている。ただしキューバを裏切っていたのかどうかは不明) が何やら都市部で工作をして、ボリビア共産党ともあれこれコネをつくり、アルゼンチンやペルーとの国境近いジャングルに農場を確保。そこを拠点としてボリビアの反主流共産ゲリラと手を組む手はずができると、すぐにゲバラが乗り込んできた(1967)。

が、タニヤは身バレ文書を満載したジープが当局に押収されて正体露見、もはや都市工作に戻れなくなってしまう。ゲバラはボリビア共産党と話し合ったけれど、ゲバラがあまりにタカピーだったため物別れに終わり、ゲバラ一味は完全に孤立。また行動を共にしていたボリビアのゲリラたちも、現地の事情をよく知らないキューバ人たちにあれこれ指図されるのは必ずしも快く思っていなかった模様。地元農民もゲリラに協力する理由は皆無だし、軍からお触れがまわっている状態で、ゲバラたちはとにかく逃げ回るのが精一杯。補給も、都市部との通信もなく、新人のオルグもできず、孤立した40人が次々に脱落/死亡を続けるジリ貧。

また行き場がなくてゲリラに参加したタニヤは都市工作要員でしかなく、農村ゲリラの経験も訓練も皆無。現地では明らかに外人で目立つのに、そこへ有名作家のレジス・ドブレまでつれきて、キューバ方言で大声でしゃべるなど無用に目立つ行動を繰り返し、その時点ですでにキューバ人ゲリラの存在はボリビア政府軍に知られてしまっていた。オルグしてきたボリビア人も、ヤワな都会ッ子ばかり。タニヤらは慣れないジャングルですぐ病気になり、ろくに逃げられずに殺され、レジス・ドブレはどうも戦争ごっこにあこがれていたらしく、自分も前線で戦いたいと熱弁をふるいつつ、まったく役にたたず、都市部での連絡/工作要員として下山しようとしたとたんにつかまり (「カナリアみたいに歌った」=なんでもペラペラしゃべったとのこと)、ドブレがゲロったせいでゲバラがボリビアにいること (そしてその居場所) が確定してしまう。ボリビア軍も包囲を強化、CIAも乗り込んできて、ゲバラも間もなく捕まって殺される。

このボリビア日記は、彼がボリビアに入ってから、つかまる寸前までの記録となっている。

なぜ8種類も邦訳があるのか?:おそらくは当時のゲバラ葬式景気をあてこんだもの

さてこのボリビア日記=『ゲバラ日記』は、邦訳が7 8種類もあると書いた。なぜそんなにあるのか?

実は、このうち5種類は1968年に出ている。ゲバラの死の直後だ。つまりこの5つは、ゲバラの葬式景気をあてこんだ代物だ。当時のゲバラ人気はぼくたちは知るよしもないけれど、相当なものだったにちがいない。社会主義とかはファッションアイテム、ソ連がそろそろ幻滅気味のところへ、毛沢東中国が出てきて、さらにはソ連にも平気でたてつく正統派社会主義のキューバも登場。いま、ゴダールの『中国女』とかを見ると、当時のインテリ層は完全に頭がおかしかったことがよくわかる。ゲバラ人気は、そういう発狂の中でかなりすごかっただろう。 そういう意味で、葬式景気もかなりのものだっただろうとは推測できる。たぶん、この各種ゲバラ日記が結局どのくらい売れたか、せめて何刷くらいまでいったかを調べると、多少は定量化できるんだろうが……さすがにそこまではやってられない。

追記 (2023/09/25):

その後、この日記は英訳版もやたらに何種類もあることがわかった。日本だけが特殊ではなかった模様。すると以下のオプションで、翻訳権とかは関係なくプロパガンダ的にひろめたかったのと、ベルヌ条約非加盟で著作権がないと判断された、というのがありそうだ。

翻訳権の謎

が、そうはいっても著作権とか版権とかどうなってるの? これが……よくわからない。

可能性1:真木訳以外は全部海賊版?

三一新書/中公文庫biblio20世紀版の訳者真木嘉徳は、訳者あとがきでこの点について怒っている。自分たちの訳書はハバナ国立出版協会と独占契約を結んでおり、他のやつは海賊版だ、とのこと。1968年に出た他の訳書も、みんなキューバ版をもとに訳したことにはなっている。が、その一方で、みすず書房版のように余計なものがついたりしていて、他の国で出たバージョンも参照しているとのこと。どこから何を持ってきたのかがよくわからない。翻訳権について明記されていないという意味では、海賊版の可能性は十分にある。

可能性2:第三国の(正規の)翻訳権取得?

その一方で、海賊版だと断言するのも若干ためらわれるところはある。単に、書いていないだけかもしれない。またキューバと話をつけた形跡がないだけでは断言しづらい。『モーターサイクル・ダイアリーズ』の巻末解説によると、キューバは売れ線の本については外国の出版社に著作権管理を委託したりしているとのこと(現代企画室は、イタリアの会社から権利を得ている)。1968年の時点でキューバがそんなことをやっていたのかはわからないが、各種の『ゲバラ日記』が第三国経由で何らかの権利を取得した可能性は、ないわけではない。ただし、どこにもそれは書かれてはいない。

可能性3:キューバ内でも翻訳権の帰属が不明確/気にしていない?

が、もっと大きな可能性としては、当時はキューバ当局がプロパガンダとしてゲバラの日記その他を出してくれるなら大歓迎という状態だったことが考えられる。真木訳はハバナ国立出版協会と独占契約を結んだかもしれないけれど、でもキューバの国内でゲバラ日記およびその他革命関連文献の「権利」について明確な管理方針が存在していたのかは不明。国立出版協会との独占契約があっても、外国の翻訳権処理会社は別にあり、さらにキューバ文化省も口だしできないはずがないし、権利をどっかに独占させるより、なんでもいいからどんどん翻訳させて広めるほうがプロパガンダ的に有利、とキューバ当局が判断したのかもしれない。青木書店『ゲバラ選集』は在日キューバ大使館の支援を受けていることだし。他のも大使館に聞いたら「どんどんやっちゃってー」と言われた、という可能性は大いにある。

可能性4:キューバはベルヌ条約非加盟だったので国際的な翻訳権の制度的基盤がなかった?

そしてわずかながら、キューバ当局に渋い顔をされつつもみんな海賊版を出した、という可能性もないわけではない。とはいえ、キューバ当局が文句を言ったという証拠もまったくないのだけれど。そもそもキューバがベルヌ条約に調印したのが1997年だったし、1968年頃はキューバはUCC ジュネーブには加入していたとはいえ、日本その他から見れば国際的な著作権の立場があいまいだったところへみんなつけこんだ、ということが考えられる。そうねえ、海賊版と言われればその通りだが、翻訳権の交渉を行う法的基盤がなかったと言えなくもない、という感じだったのかも。

             

ということで、邦訳書を見る限り、何がどうなっていたのかはまったくわからない。が、個人的には、上の可能性3がいちばんありそうだと思う。

もちろんこれは昔の話だ。いまはキューバもベルヌ条約に批准してるし、TRIPSまで入ってるのか……だからもっと最近のものになると、2002年の三好訳はキューバで出たゲバラ全集をベースにしており、翻訳許可もキューバ文化省から直々に得ているとのこと。また2007年の平岡新訳版は、アメリカで著作権管理をやっているOcean Pressから許可を得ている。

入手できる邦訳の評価 (評価の高い順に)

で、各種バージョンの比較。いま普通に——というのは、新刊か入手しやすい中古で、ということ——入手できるのは4種類。おおむね、評価のポイントとしては:

  1. つくべき資料がちゃんとついているか (序文や、特に日記の一部と考えるべき付属文書)
  2. 翻訳そのものの正確さ
  3. おまけの資料
  4. 解説とかの出来 (これは営業的なアレなので、ほとんど影響していないが)
  5. 著作権の処理 (個人的にはかなりどうでもいいし、断言できる材料がない)

といったところ。もちろん、最初の二つが最大のポイントとなる。翻訳のチェックは、さすがに全部やるのは手間なので、最初の11月から翌3月くらいの部分を重点的に見てみた。

1位:真木嘉徳訳『ゲバラ日記』(三一新書/中公文庫):堅実。入手しやすく水準も高く、コスパ最高、できれば新書版を!

奥付は1968年11月。4番目に出た邦訳となる。三一新書版で長く親しまれてきたバージョン。その後、2001年に中公文庫biblio20世紀に入って、いとうせいこうの「解説」がついた。新訳版に置き換わってしまって、いまは古本でしか手に入らないけれど、とても入手しやすい。

さてこのブログエントリを書き始めたとき、ぼくは基本的には、いま出ている新訳版がいちばんいいんだろうな、と思っていた。中公文庫にはもともと、この真木訳が入っていたのが、新訳に置き換わったのはそれ相応の理由があると思っていた。が……

まったく予想外ながら、この古い真木訳のほうがいいわ。

まず、巻末についた「付属文書」。新訳では、原著にあるコミュニケと付属文書IIIだけ。これに対して、真木訳には、ゲバラが受けとった各種のメッセージもついている。

こうした付属文書は、ハバナ版では後から追加された模様。真木訳は、この部分は『グランマ』(キューバ共産党機関紙) に掲載されたものをもとにしているとのこと。

またカストロによるゲバラ追悼の辞が入っている。これは他のバージョンにはない特徴で、訳者か編集部の判断で追加したのかな? 必須ではないものの、サービスとしては嬉しい。

さらに翻訳。この真木訳も、もちろん完璧ではない。ぼくはスペイン語はちょっとしかできないけれど、英文から判断する限り、少し構文が面倒なところでの誤読はある。また細かいところでは、ケチはつけられる。ゲバラが「ぜん息をきわめて安直な薬で沈静化させていた」とかね。なんですか、安直な薬って。でも大きく流れに影響するようなものではない。新訳のできの悪さに比べたら、神々しく見える(というのはちょっと言い過ぎだけど)

そして版権的にも、この訳はキューバ当局ときちんと契約して独占翻訳権を取得したものだそうな。

『ボリビア日記』が七月二日にハバナで発売された当日、出版元のハバナ国立出版協会と日本キューバ文化交流研究所とのあいだに、日本における独占翻訳出版の協定が成立した。

というわけで、この訳が権利をきちんと取得したことはわかる。中公文庫版だと、この「日本キューバ文化交流研究所」というのがいったいどういう組織なのかわからないし、またそれが三一書房とどういう契約を交わしたのかも不明なんだが、新書版の冒頭には「訳者例言」なるものがあって、真木はこの日本キューバ文化交流研究所の所員だとのこと。出版社でもないところがなぜ翻訳出版の権利を取得できるんだとか (代理人としての役割ならともかく)、いろいろ疑問ではあるが、まあいい。

上に書いた通り他の本の事情がよくわからないので、これだけが正規版だと言うのははばかられるのだけれど、でも最もストレートでクリーンな権利関係となっているのはまちがいない。まあこれは、新訳版ではもちろんきちんとクリアされている点だけれど。

解説は、いとうせいこう。三一新書版には(当然)なく、中公文庫に入るときに加わった模様。あまり中身のある解説ではないが、2001年の文庫化の頃にはいとうせいこうはまだネームバリューが高く、営業的な判断もあったのだろう。その一方で、新書版にはゲバラの日記のコピーがところどころ入っていて、一部手書きの地図もあり、理解しやすい(ところもある)。だから中公文庫よりは三一新書版が手に入ればそれがベスト。

ということで、訳は標準的、付属文書も豊富、権利関係もクリア、そして安くて入手もしやすいとなれば、数ある中でこれが一番コスパが高いのは文句なしではないかな。それにしても、三一書房はゲバラ『ゲリラ戦争』でも非常にレベルの高い翻訳を出しており、実にえらい。数十年たっても見劣りしないというのは、出版社としての見識を示すものでもあるとは思う。

2位:平岡緑訳『新訳ゲバラ日記』(中公新書):訳の水準が低いし英語からの重訳

まったく予想だにしていなかったけれど、この新訳版はぼくはあまりお奨めできない。あまり積極的な2位ではない。

これは本当に意外だった。すでに述べた通り、現時点で読むのであれば、この新訳版が一番無難だろうとぼくは思っていた。2006年に出た、Ocean Press のAuthorized 版の翻訳だ。このバージョンの売りは、これまでの(つまり1968年に出た) 版ではボリビアの要望で削除されていたいくつかの日が復元されていることだ。なぜ削除されていたかというと、ボリビアの治安上の配慮から、なんだというけどいまはどうでもいいところだし、ゲバラの新しい姿が見えてくるわけではない。

ただし、その部分の復元は、次に挙げる高橋訳が数十年前からやっていたことではある。また、下の三好訳でもそこは補われている。したがって、他と比較して突出して優れたセールスポイントとはいえない。

そしてこのバージョンは、翻訳がイマイチ。具体的なイメージのないまま、英語の字面だけ見て訳した部分だらけで、このため明らかにまちがっているところがやたらにある。細かい部分が多いとはいえ、これだけ先行訳がある中でもう少しきちんとやってくれてもよいのでは?

カストロの序文では、ボリビアに初めて入ったチェが「以前からボリビアの農民と接触していた」とか、「ゲバラはボリビアで意外にもいろいろ抵抗にあった」とか。抵抗や障害にあうに決まってるじゃん! 日記の部分でも、冒頭の数ヶ月分を他と比較したけれど変なところ多数。

英語版からの重訳だというのを気にする人もいるだろう。ぼくは小説とか文学的な価値の高いものでもない限り、重訳のデメリットはそんなにないと思っているし、本書の場合特に重訳で大きく価値が変わるとは思えない。でも、基本的な部分でまちがいが多いのはなあ。これがこんな調子だと、同じ平岡訳の『革命戦争回顧録』の翻訳も推して知るべし。

またゲバラは、ゲリラ戦の最中に何度かコミュニケを書いて、地元のマスコミに採りあげさせようとしている(そして失敗している)。この日記にはそれが付属文書としてついている。このバージョンは、他にはあった「文書VI」がカットされているけど、大した中身ではないのでこれはどうでもいい。が、他の版は、他にもゲバラの外部との通信が含まれている。かなり単調な日記の中で、ゲバラが外部とどんなやりとりをしていたか(受信したものだけだから、やりとりの「とり」だけだけど) わかると、多少は全体の状況が見えやすくなる部分もある。原著で削られた以上、それがなくても文句を言う必要はないんだが、でも読者にとっての効用が下がっているのは否定しがたい。

新訳の際に、著作権処理を任されている西側の会社(何社かあるらしい)の一つ Ocean Pressときちんと契約は交わし、著作権上はクリーン。

復活部分の価値はほどほど、細かい誤訳が多く、重訳で、高い評価はあげられない。真木訳の中公文庫版のいとうせいこう解説をそのまま流用しているけれど、感想文以上のものではないし、いとうせいこうの客寄せ効果が2006年の時点でどこまであったんだろうか? いまならゲバラの意義、その中でもこのボリビア遠征の意味合いについて、もっときちんとした評価ができたはず。その意味で、せっかくのチャンスを無駄にした点でもポイント低い。映画便乗商法だったんだろうけど…… 古本で真木訳を入手するほうがずっとコスパが高い。これで読んで、何か決定的に白を黒と誤解するようなことはないだろうけど、50年前の翻訳に負けるってどういうことだよ……

3位:三好徹訳『チェ・ゲバラの声:革命戦争の日々・ボリビア日記 詳注版』(原書房):訳文も正確でなめらかだが、付属文書を全部カット。

奥付2002年4月。たぶん多くの人は、こんなバージョンが存在することすら知らないだろう(ぼくも知りませんでした)。ゲバラの伝記を書いた三好徹が、何とスペイン語の勉強から初めて、本国の全集をベースに翻訳したもの。

作家だけあって、訳はなめらかだし、精度は高い。これを訳すためにスペイン語を勉強したとのことだけれど、他の翻訳と比べてまったく見劣りしない。読むならこれが一番かも。また、翻訳権もちゃんとキューバ文化省から直々に取得とのこと。権利関係もクリーン。日記部分だけは昔の本では削られていた数日分も復元された完全版。

「詳注」としてついている注は、主に日記の部分に登場する人間の紹介をそれぞれの日の後につけたものが多い。他の本でも、登場人物一覧は巻末にあるが、いちいちそれを見るのは面倒だし、この配慮はありがたい。

その一方で、カストロの序文はついているが、他のバージョンにある付属資料がない。ゲバラの出したコミュニケとか、通信とか。そのかわりに、最後に訳者が勝手に選んだ書簡集がついているんだが、単純に趣味で選んだだけで、ボリビアのゲリラ戦とは全然関係ない。だから文中で参照されているものが全然わからないということになっている。これは大きなマイナス (最初に見たときには、この本が後から来たので、他の訳で気になった部分の比較だけしたせいで、この大きな脱落を見落としていた。すまんね)。

伝記まで書いたゲバラらぶ♥な三好徹の、自らスペイン語を学んでまで訳した熱意は評価する。が、付属資料カットは大減点せざるを得ない。「革命戦争の日々」と抱き合わせになっていて、しかもハードカバーのお値段高め(3800円)で入手がちょっとつらいのも欠点。3位。日記の部分だけであれば、図書館とかであれば、このバージョンで読むのが最もお奨めだけど、付属文書とセットの日記だからねえ……

4位:高橋正訳『ゲバラ日記』(角川文庫):日記だけでカストロ序文も付属文書もない。

奥付は1969年1月1日、まあおそらく1968年中に出たことでしょう。が、何の前置きもなくゲバラの日記部分だけが始まり、たぶん読む人はいったいこれが何なのかぜんぜんわからないはず。ゲバラの日々のメモだから、多少背景知って読まないとちんぷんかんぷんだよ。他のバージョンだと、カストロの「不可欠な序文」というのがついていて背景説明になっているし、またゲバラが出したコミュニケなどが付属文書としてついているのだけれど、本書にはそういうのが全部削除されている。だから本文中で参照先が書いてあっても、その参照すべき文書がないというマヌケな状態。正直、なぜこんな出し方をしたのかは不明。訳を急いだからだろうか? いずれにしても、その後何度か新版も出しているし、その過程で補うくらいのことはしてもよかったのでは?

その分、著者による「ゲバラ小伝」(とても長い)がついている。一応出来事については普通にまとまっているけれど、あまりいいとは思わない。ゲバラはキューバ革命政府で、なんと中央銀行総裁になったんだが、訳者は中央銀行というのが何をするところかよくわかっていない模様。ゲバラの失策についてはあまり触れず、とにかくゲバラ翼賛になっているのは、小伝としてあまり評価できないものの、ゲバラ関係文献はみんなゲバラ信者が書いていて、この文章だけが突出してダメなわけではない。

一方、本書にも評価すべき点がある。1968年に発表された原著は、数日にわたり欠落部分がある。1968年に出た訳書はすべてその部分が欠けている。が、この訳書だけはアメリカその他に流出したバージョンを使ってその部分を補い、日記だけに関してはいちはやく完全版としている。

が、他と構成がちがうことからもわかる通り、翻訳権とかどうなっているのか、さっぱりわからない。なんかやっているのかもしれないけれど、何一つ表記もないし、かなり怪しげ。

翻訳は、可も無く不可もなし。真木訳よりは少しこなれているかもしれない。が、カストロ序文と付属文書がないし、敢えて手を出す必要はない。

絶版邦訳の評価 (順不同)

これまでの4冊は、いまでも普通に手に入るし、古本屋でもよく見かけるもの。それ以外に、もう絶版になって数十年でかなり頑張って探さないと手に入らないものが34種類ある。これらは現代的な価値はなくて、わざわざ探す必要もないものだけれど、一応完全を期すために説明しておく。

朝日新聞外報部訳『ゲバラ日記』(朝日新聞):原文の正体がよくわからない謎のバージョン

朝日新聞による訳・出版で、奥付は1968年7月、おそらく最も早い訳じゃないかと思う。ただし、カストロの序文はあるけれど、高橋訳と同じく巻末の付属文書はなく、本文中で参照先が書いてあっても、その参照すべき文書がないというマヌケな状態。

また、他の版にはある注記がない。たとえば1967年1月7日のところに、「ゴンドラは南米では乗合バスを指すけれど、ここでは物資調達部隊を指すんだよ」という注がついているけれど、この朝日新聞版だけにはそれがなく、このため「ゴンドラ」というのをまちがえて解釈している。だから、翻訳のベースにしたのがハバナ版ではないんじゃないかと思われる。真木訳の解説や三好訳の解説で論難されているのはこのバージョンかな? また、下の太平出版版のコメントを見ると、どうもキューバ版を直接参照はしておらず、他のバージョンをもとにしたようで、省略部分があるらしいが確認できていない。

訳そのものは、可も無く不可もない普通の訳。巻末の解説は、珍しくゲバラの完全な信者ではなく、ゲバラの欠点なども多少は指摘できていて、各種解説の中では少しましなほう。でも、しょせんは50年前の解説。付属資料がないのを補うほどの付加価値はないし、探し出して読む必然性はまったくない。つーか読むな。捨てろ。朝日新聞も、あこぎな商売してやがる……

仲&丹羽訳『ゲバラ日記』(みすず書房):余計なものがいろいろついた、いちばん変なバージョン

みすず書房版。奥付は1968年8月、たぶん朝日新聞社版に次ぐ、二番目の訳じゃないかな。版権ページによると、他と同じハバナ版をもとに翻訳したことになっている。でも版権取得については特に記述がない。また冒頭に、他のやつにはまったくない出版社の序文みたいなのがあるし、巻末に変なポエムが入っているのも特徴。元にしている本は同じはずなんだが、訳者の凡例によると、同書の英訳、仏訳とともにメキシコ版を参照したと書いてある。どうもこのポエムや序文はそのどれかから来ている模様。たぶん真木訳の解説で「余計な文がくっついている/ハバナ版を参照した様子もない」と苦言を呈されているのはこれだと思う。また、下の太平出版版のコメントを見ると、どうもキューバ版を直接参照はしておらず、他のバージョンをもとにしたようで、省略部分があるらしいが確認できていない。

訳は普通で、可も無く不可もなし。解説は何やら左翼アジビラまがいだけれど、まあこれは時代の雰囲気ってことで。変なポエムは……いいよ、読まなくて。いちばんヘンテコな邦訳ではあるけれど、これまたわざわざ探すほどのものではない。

栗原&中川訳『ゲバラの日記』(太平出版):今となってはすごい特徴があるわけではない。

真木訳では、三一新書版が出る前に三種類も訳書が出たことになっている。これがその三つめだろう。奥付によると、1968年10月刊。キューバのヤツを入手して、スペイン語から訳した完全版だというのが自慢。朝日新聞社版とみすず版は、どうも不完全な部分があるらしい。なんかハバナ版を手に入れるのに何やら画策したようなことが解説に書いてあるけれど、具体的なところは不明。また、版権についてはまったく言及なし。

完全訳を売りにしているだけあって、付属資料などはきちんと揃っている。翻訳の水準としては、まあこんなものではないですか、という標準的な出来。いくつか他の本でまちがえているところをチェックしたけれど、まあ普通にできている。が、突出してすばらしいわけでもない。

おまけで、ゲバラがカストロに送った別れの手紙が収録されているのが特徴。

ぼくも今回、アマゾンで検索をかけるまでは知らなかったバージョン。いまとなっては目新しい特徴もなく、突出した出来でもないので、わざわざ探すほどのものではない。何かの星のめぐりで手に入ったら、このバージョンで読んでも罰は当たらないだろう。

『ゲバラ選集 4』(青木書店):翻訳は愚直ながら、まあ普通

奥付1969年10月5日。中身は、三一書房/中公文庫の真木訳とほぼ同じ。日記部分は、他と同じハバナ版を参照し、各種翻訳(ロシア語も含まれているのが特色かな)を参照している。で、付属資料も揃っている……んだけれど、付属文書はなぜかハバナ版の『ボリビア日記』を参照せず、キューバの小農組合機関誌『ANAP』に掲載されたものを参照したとのこと。中身はどうも同じで、なぜ別のテキストを参照したのかについては説明がまったくない。細かくチェックしたわけではないけれど、中身はまったく同じに見える。真木訳がこの部分について『グランマ』の掲載文をもとに翻訳したのと同じく、翻訳開始時点ではまだハバナ版の本に収録されていなかったせいかもしれない。

翻訳は、あまりに愚直といえば愚直。たとえばカストロの序文のこんな訳:

ゲリラの部隊の内部では、このような批判がたえずおこなわれねばならないのである。とりわけ、そうしなければならないのは、小さな中核だけからなっている段階において、きわめて不利な物質的条件に直面し、数量的にはかりしれないほど優勢な敵に対峙しているとき、ちょっとした不注意で、あるいは、ほんのとるにたりない過失であっても、致命的なものとなるかもしれず、隊長が徹底的にきびしい要求をもっていなければならないときに、同時に、みたところ無意味なような、ひとつのできごとやエピソードを利用して、新しいゲリラ部隊の戦士たちや、将来の幹部たちを教育しなければならないときにそうなのである。

最初の文はわかるが、次のものすごく長い文のぐちゃぐちゃさ加減は相当なもの。冒頭の「そうしなければならない」と「そうなのである」はどっちも、批判をしないとダメ、ということを指すんだよね? 日記本体は、体言止めの多いメモ文体だから、こんな長くややこしい文は登場せず、まああまり害はないといえばないけれど、それもかなり愚直。

翻訳権は、どうなっているかまったく不明。冒頭の凡例によると、いろんな出所から編者/青木書店が勝手にもってきたらしい。日記の付属文書の扱いを見ても、また選集に収録した他の文書を見ても、「ゲバラ選集刊行会」があちこちから手当たり次第に拾っていた様子。ただしまったくの海賊出版ということではない。「キューバ大使館、日本キューバ友好協会などの全面的な協力により」と宣伝にあるので、暗黙のうちに (かどうか知らないが) キューバ当局の承認は得ていると思っていいんじゃないかな。

まとめ

結局、今世紀に入ってからの二冊を除くと、真木訳以外はどれも翻訳権をあまりきちんと処理していないらしいということが明らかになっただけで、その具体的な権利処理がどうなっていたかについては最後まで判明せず。もともと当時は翻訳権がどうしたというのをキューバ側もあまり深く詰めず、日本側もそれに便乗してうやむや、というのが最もありそうな話。キューバ側がそれを、単純な認識不足でやっていたのか、それともプロパガンダ上のメリットを考慮して意図的にやった(というかやらなかった)のかは不明。また日本側も、うーん。どういう認識だったのかはまったくわからない。昔の人はおおらかでした、ということですませていいのかな?

各種バージョンで最大の差は、日記以外の付属文書。それ以外に、昔のヤツは原著の段階で数日分が抜けている。また翻訳のベースとなった版に応じて省略されている部分もあるらしいが、これは具体的には未確認。ただし日記に関しては、これを研究にでも使おうというのでもない限り、その欠落部分はいずれも大きなマイナス点にはならない模様。

翻訳に関しては、いちばん最近のもののできが悪いのが意外。あとは五十歩百歩という印象。

すると結局、最初期に出た三一新書/中公文庫biblio20世紀の真木訳(その中でもどちらかというと古い新書版)がいちばんポイントが高く、コスパ的にも最高ということになる。50年前に、いまでも一番まともと言える版を出していた三一書房は、ゲバラ『ゲリラ戦争』についてもそうだけれど、見識もありレベルも高かった。

しかしこれだけ邦訳があるということは、この『ゲバラ日記』=ボリビア日記、そんなすさまじい商業価値があったということなのか? 中身は本当につまらない、ジャングルの中のゲリラ行軍メモよ。当時の日本でのゲバラ人気はよくわからないんだが……