ブローデル『地中海』その他:前半は地中海世界の広がりを美しく描き出す名著だが、結論不満、また現代的妥当性は?

Executive Summary

ブローデル『地中海』は、特に前半は地中海を取り巻く環境、物質世界とそれをベースにした人間たちの活動を壮大かつ優美に描き出し、とても美しく豊か。でもそれがこれまでの歴史的な見方にどう影響するのか、後半で採りあげる事件や人物にどう影響し、歴史評価がどう左右されるのかがほとんど描かれず、不満。『文明の文法』で行った1970年代の現代社会の分析を見ても、彼の見方が特に鋭い視点を与えてくれたわけではないのは明らか。

おそらく1940年代には、こうした歴史把握それ自体が新鮮で革新的だったのだろうけれど、いまはそれが常識になって目新しさがなくなっている。同時に、関連書はすでに知見が古くて内容の妥当性もないそうだが、この大著はどうなんだ? 『地中海』は、全五巻のうち1-2巻だけ読んで描写の美しさを味わえばよいのでは?

本文

うーん。

フェルナン・ブローデル『地中海』。名声だけは聞いていて、いつか読まなきゃと思って買いこんで……20年くらいになるのかな。でも全五巻の分厚さにビビって、手出ししないままほうってあった。それが今月に入って、コロナ一掃セールで溜まった本を読み始め、ゲバラ本を処理するのと並行して、ブローデルも片づけようと思った。

結果、ちょっと——いやかなり——失望したと言わざるを得ない。

『文明の文法』:ブローデル現代社会を語る……だがいまから見るとピントはずれ

まず『文明の文法』上下巻を読んだ。これはブローデルが、フランスのエリート高校生向けの教科書かなんかで書いた、世界の地理/歴史的な概観だ。世界のあらゆる地域について、現在(というのは1970年代頃)の状況について大きな視点から語る、という本。

文明の文法1

文明の文法1

なんだが……その数十年後たったいまから見ると、ぼくはどれも非常にピントはずれに見えた。西欧中心主義に陥るまいとして、アジアアフリカ南米から始まるんだが、特にアジアの中国とかについては、あっちではウィットフォーゲルかじり、こっちで別の通俗書をかじり、みたいな感じで大した視点がない。イスラム世界についてもインドについても同様。ヨーロッパについても、社会主義と欧州統一をやたらにほめそやすだけ。いまから見ると、時代の通説に迎合してただけじゃないの、という感じで、まったく役に立たない。

もちろん、1970年代の本にいまからケチつけるのは、岡目八目でフェアではない。が、何度も書くけど、人生がフェアだなんてだれがいった。それに歴史家に正確な未来予測を要求する気はないけれど、この人は人口とか物質環境とかをもとにした視点が売りのはずで、それが現代を見るにあたっても何かポイントをついていた、というのが出てこないと、この人の業績そのものが疑問視されるのでは? 「社会主義にこだわったのはアレだが、気候風土のもたらす小麦の流れの重要性の指摘は有効だったねー」というようなのがないと、あんたの言ってた話はなんだったんだ、と言われても仕方ないのでは? 歴史学者としての視点は歴史が評価を下すし、50年たってのその評価はせいぜいがB-じゃないだろうか。

というわけで、初ブローデルはかなりミソがついたところからはじまった。

『歴史入門』:人口とか物流とか、大きな流れから歴史を見る……いまでは当たり前

次に、お手軽な本として『歴史入門』を見てみた。

歴史入門 (中公文庫)

歴史入門 (中公文庫)

これは大著『物質文明・経済・資本主義』の簡単なイントロ本ではある。で、基本的な主張は、これまでの歴史学は、だれそれが王様になって、あそこと手を組んで、ここで戦争し、そこで反乱がおきて……といった特定の人間と事件をひたすら重視するやり方だったんだけれど、それでは不十分だよ、というもの。その社会において様々な物流がどんなふうに担保されていて、それをもとに社会がどう成立していて、その背景として生産体制がどうなっていて、それが地理的な要因にどう支配されていたか、みたいなところを押さえて、そこから歴史の変遷を見ましょう、というもの。人口とか食料とかの物質的な背景から入り、市場の発達から資本主義の発展、さらに産業革命等の役割に触れる。

それはお説ごもっとも。が、ぼくの偏りもあるんだろうけれど、それって当たり前では? たぶん、ブローデルの功績というのは、それを当たり前にしたことで、彼が1940年代に『地中海』を出した頃にはこれが革命的な視点だったらしい(と『地中海』の訳者解説に書いてある)。でも、それをいま説明されても、それ自体は特に目新しくはない。すると本書をいま読むのも、考古学的な意義以上のものはないということになる。

『地中海』:壮大で美しい……んだけれど、結局何なの?

ということで、かなり期待を下げた状態で『地中海』を読みはじめました。たぶんこの期待マネジメントのおかげもあったんだろう。意外なほど楽しめたことは否定できない。「人口や物流、その背景にある環境をきちんと見ましょう」というお説教はおもしろくないけれど、それを実際にやってみせてもらえると、壮大な世界が開けてきて、とても豊かな読書体験にはなる。

『地中海』概略:環境に翻弄される人間とその活動、文明の争い……でもそれが急にただの出来事人間史へ

特に全五巻のうちの第一巻、一番分厚い『環境の役割』はすばらしい。地中海を取り巻く山と平地、その間の人々の往き来、南にある砂漠とそこからの人々の往き来、季節のめぐり、それに翻弄される人々の活動、そして様々な物質の流れを通じて、ドイツやロシア、さらに北欧にまでつながる「地中海」を核とした世界の広がり——それが実に美しく描き出されて、読んでいるだけで何か視野が広がる感じ。そしてそれを背景に、人々の作る交易路が形成される。本書が扱う16世紀だと、航海術が未熟なので、船も地中海の真ん中までは出て行けず、基本は陸地が見える範囲の沿岸づたいの航路だ。海路と陸路がひとまとまりに検討される。

第2巻は、それをベースにした経済のあり方。貴金属の流通、主要な経済物資——小麦やワインや胡椒がどのように流れるのか? それが各種のデータをベースに解きほぐされる。

第3巻は、経済をベースにした社会の話で、帝国とか各種のちがう文明とかが、地中海を舞台にどうからんできたか、という話。そしてその中で、だんだん地中海以外の存在が台頭してくる。大西洋の存在が大きくなり、スペイン、ネーデルランド、イギリスといった、その後の世界の覇権中心も見えてくるけれど、まだ地中海を脅かすほどではない。そして、ベネチアの存在がだんだん衰え、スペインが威力を増して、その一方でトルコがイスラム世界の重鎮として地中海に乗りだし、といった大きな力の衝突として歴史の動きがだんだん出てくる……

……のだけれど、第4巻になって、話は急に個別の歴史事件で、ピウス五世がどうした、フェリペ二世がどこそこでだれに特使を送り、神聖同盟ができてレパントの海戦が、という話になる。そしてそれが、これまでの環境や物質文明の話とどう関連しているのか、というのが見えなくなってくる。多少の説明はある。レパントの海戦——神聖同盟オスマントルコ海軍を撃破した闘い——は歴史的には大事件とされているけれど、実はあまり影響がなかったんですよ、といった話とか。だけれど、じゃあ環境の役割みたいな話ってのが重要ですというのは、ここにどうからんでくるの? 時化のせいでドンファン率いるスペイン海軍がこのときに半年足止めをくらいました、といった話はあるんだけれど、それがこれまで1-3巻で出てきた話と、なかなか結びつかない。

第5巻は、半分が巻末資料集なので、本文は前半しかなく、とても薄い。地中海でのいろんな覇権争いの挙げ句、トルコも東のペルシャに目を向けるようになり地中海から引っ込んだが、スペインも大西洋に目を向けて地中海に背を向け……といういろんな出来事を細やかに描いて、最後は結論。

でもこの結論が、よくわからない。結局、短期の歴史を見るにも長期的な環境とかを見ていかないといけませんよ、という主張はわかった。わかったんだけれど、でもこの長い五巻本で、何がその主張を裏付けるものとなっているんだろうか。何事もあまり単純化してはいけませんよ、もっと深い原因があるかも、と言う話もわかるんだけれど……具体的には? それがまったく見えてこない。

他の見方が単純すぎるなら、この新しい見方ではどんなちがう知見が得られるの?

これはこの大作すべてに言えることだ。結局、あなたの提案する新しい見方で何が得られるんでしょうか。たとえば、第3巻で通称価格革命が出てくる。これは16世紀にヨーロッパで急激に物価が上がり始めた現象だ。これは通常、アメリカ大陸から大量の銀が流入した結果だとされる。でもブローデルは、いや物価上昇はアメリカからの銀が入ってくる以前から起きていたんだ、といってこの説を否定するんだけれど……じゃあ何なの? 彼の考える物価上昇の原因って何? ブローデルはそのあたり、言葉を濁して結局大した説明をせず(スーダンの金とかの話は少しあるけど)、結局この物価上昇が、この地域全域における経済活動の活性化の影響なんです、というようなことを言っておしまい。うーん、まったく説明になってないんですが。

結論でも「短期的に見ても、長期的に見ても、農業活動がすべてを支配している」と彼は書く。食料調達が重要だった、ということですね。でも4巻、5巻のいろんな事件で、食料調達の話がどれだけ出てくる? ほとんどない。

そしてその流れで「穀物とその取り入れこそが経済活動の中心であり、それ以外は蓄積の結果であり、間違った都市志向から生じた一つの上部構造である」と言うんだけれど、いやあ、農業、特に本書で問題にしていたような小麦とか香料とか、蓄積できるのも一つ大きな取り柄だから、「蓄積」とその取引ってのもかなりでかいんじゃないんですか? 文明活動って、その蓄積をどうするか、というのを追い続けてきた人間活動だし、それが上部構造だから軽視していい、みたいな言い方はないんじゃないですか? さらに「間違った都市志向」というのはどういうこと? 都市が「間違っ」てるなんて話は、この全五巻にまるで登場しなかったんですが、いきなり何なんですか?

地中海は16世紀以降、だんだん衰退して世界の中心はオランダやイギリスに移る。これを多くの歴史家は、単純な栄枯盛衰みたいな図式で語ろうとして、その衰退の発端をこの16世紀に見て取ろうとするけれど、それは単純すぎる後知恵だよ、と彼は言う。その衰退が絶対決まったもので、どうあがいても逃れられないなんてことはあり得なかった、あんな可能性もあった、こんな可能性もあった、といって。

オッケー、なるほど。それならブローデルは何をそこに見ようとするんですか? うーん。彼はまず、衰退が決定的になったのは17世紀になってからだよ、と言う。いやそうかもしれないけど、16世紀にその萌芽が(決定的ではないにしても)あったと考えていけない理由はなんかあるんですか? そしてブローデルは、そこに何やら景気の長期波動的な話を持ち込もうとするんだけど、栄枯盛衰というのと、なんかよくわからん長期波動の景気循環なるものがありますという話と、どれほどちがうんですか、というのもはっきりしない。その一方で、地中海の衰退は欧州北部と地中海部の景気循環のずれのあらわれだ、という見方にも、ブローデルは慎重姿勢を見せる。でも、それはこれからの研究課題ですね、と言う。えー、それじゃ結局何なの?

見落としているのかもしれないけれど、でもそのためにこの全五巻を再読する気にはとてもならん。それと、ぼくがこの時期の地中海の事情についてそんなに詳しくないせいもあるのかもしれないね。そこでのそれまでの通説をよく知っていたら、「おお、このナントカ使節による和平交渉がこんな意味を持っていたのか、全体の流れで見るとまったくちがってくるね、すごいよブローデルさん!」となるのかもしれないんだが……

まとめ

ということで、前半で感じたすばらしい爽快感が、後半に行くにしたがってどんどん消え去るのはとても残念な本ではあった。おそらく1940年代には、こうした歴史把握それ自体が新鮮で革新的だったのだろうけれど、いまはそれが常識になって目新しさがなくなっているんだと思う。この『地中海』は、ブローデルの博士論文だとのこと。たぶんこの環境全体を描き出す歴史叙述の手法と、そのための壮大な文献資料活用手法が大きく評価されたんだと思うし、これまでの歴史的な見方にどう影響するのか、後半で採りあげる事件や人物にどう影響し、歴史評価がどう左右されるのかについては、これからの課題で済んだのかもしれない。

が、実際にはどうだったんだろうか。今後、『物質文明・経済・資本主義』を読むと、それについてもっとまとまった見方が出てくるのかな?ぼくはあまり期待していない。というのも『文明の文法』で行った1970年代の現代社会の分析を見ても、彼の見方が特に鋭い視点を与えてくれたわけではないのは明らかだからだ。

でも、『地中海』は、全五巻のうち1-2巻の壮大さと美しさは圧倒的だと思うし、決して読んで損はない(どのみち多くの人は、そこらへんで挫折すると思うし)。そして、この縦横無尽の資料活用手法を見ると、ピケティ『21世紀の資本』もある程度この伝統に連なる研究なんだな、というのも見えてくる。

まとめ追記:この中身の学問的な妥当性は?

さらにもう一つ。この労作は、学問的に見て現代の評価はどうなんだろうか? そう思ったのは、この『地中海』の成功を受けて書いた、石器時代からの地中海の歴史をブローデルを描いた『地中海の記憶』を読んだから。その訳者解説によると、なんでもそこに書かれた内容はすでにその後の考古学的な発見により完全に陳腐化してしまい、もはや学問的な意義はなく、ブローデルポエムを楽しむだけ、とのこと。うーん、もしそうならば、この『地中海』だって現時点でどこまで妥当なのかは当然疑問に思ってしまうよな。そこらへんについて、解説などでは一切触れられていないんだが……どうなの?

地中海の記憶―先史時代と古代

地中海の記憶―先史時代と古代

『地中海の記憶』とまったく同じように、いまや全然学問的にはどうでもいいというなら……読むだけ時間の無駄だった、となるだろう。その一方で、学問的にその後ここから一歩も変わらずブローデルの慧眼すげえ、ということなら、こんどは地中海をめぐる歴史学みたいなものの学問的意義も怪しいことになってしまう。半世紀以上も進歩がない学問ってのもねえ。

そんなことで、ちょっと今もやもやしている感じ。行きがかり上、『物質文明・経済・資本主義』も読むことになるんだろうね。でも少し間を置いてからにしよう。

余談

余談ながら、『地中海』各種グラフのしょぼさは現代的な感覚からすると異様。でも、 Lotus1-2-3でグラフが何とも気軽に出せるようになったのは80年代末。それまでグラフって、大変だったんだよねー。簡単な棒グラフですら数時間がかり、地図上の人口分布図なんて3日はかかった。

あと翻訳は、労作だと思うけれど、原文直訳らしくて何を言ってんのかわかんない部分がときどき出てくる。

北ヨーロッパ南ヨーロッパとの間に「古典的な」景気循環の致命的なずれが存在していたのだとも、私は考えていない。もし存在したとしても、そのようなずれが、地中海の繁栄を掘り崩すとともに、北欧人の覇権を確立したのではないと思う。一石二鳥の手っ取り早い説明である。検討してもらいたい問題である。(第五巻p.190)

景気循環のずれはなかったし、あってもそれが欧州覇権交代につながらなかったと思う、と言いつつ「一石二鳥の説明だ」と言ってるのは、えーと、でも実はやっぱ景気循環のせいかもしれないと思ってるってこと? なんか英語の「I wonder if it isn't...」みたいなのをまちがえてるんじゃないかと思うんだけれど……結論の重要な部分でこういうのがあるし、2巻の経済のところとか、首を傾げることもあるし。第一巻とか、第3巻はあまり危なげなく、特に第一巻は雄大な視点が持つ広がりを訳文がうまく出し切れてると思うんだが……