ブローデル『都市ヴェネツィア』:お気軽なフォトエッセイ

Executive Summary

お気軽なフォトエッセイ。『地中海』の碩学だがそうした面は軽く触れるだけで、個人的な思いでと文芸的な位置づけ、その文化への憧憬と将来展望を簡単にまとめて、奥深さを持ちつつもさっと流し読みできる。

本文

手持ち消化で。お気楽なフォトエッセイで、ささっと流し読みできる。

ヴェネチアは『地中海』の中でも重要な役割を当然果たし、地中海とともに発展して地中海とともに衰退したところではある。スペインとトルコが争う中で漁夫の利を得て、北からの人や物の流れと南からの人や物の流れが公差するという地理的な優位性により成立した都市。『地中海』の中でも、ヴェネチアのライバルはジェノヴァなんだけれど、地図を見てもらえばわかる通り、ちょうどイタリア半島をはさんで反対側にある。同じ地理的な優位性により成立してたのがとてもわかりやすい。

その後、世界の中心ともいうべき存在は、地中海の衰退とともにヴェネチアを離れ、スペインをかすめて、アントワープアムステルダム、さらにはロンドン、そしてその後ニューヨークへと移行したのだ、とブローデルは書く。なぜ、というのを彼は『地中海』でもあまりはっきり書かなかったし、そこらへんの事情は本書でも明言されない。

が、そもそもこの本はあんまりそういう話はせず、私的なヴェネチアの想い出、各種小説や歴代文化人の描いたヴェネチア偏愛の紹介、そしてこの町に成立していた奇妙な形の自由 (仮面つければなんでもありのお祭りとか)、そしてその周辺工業化に伴う環境変化と、観光客増大に伴う純粋な地元民減少への危機感が描かれ、国際的な文化都市として準独立みたいな地位を与えて生き延びる道があるかも、と示唆しておしまい。

1984年に書かれた本で、半分は懐古趣味だけれど、もちろんそこいらのタレントやライターどものフォトエッセイなんかとは格がちがう代物。あちこちにある井戸、ちょっとした建築の特徴、縦横に駆使される文芸的な引用など、お見事。また行きたくなるねー。

写真はプロのカメラマンによるものだけれど (がんばってエッセイ書いてる)、そんなすごい感じはしない。ヴェネチアそのものだけでなく、かつてその繁栄を支え、いまは廃墟になった周辺地区まで映しているのは、ちょっと楽しいかな。

あと、2019年暮れとかも、ヴェネチアが50年ぶりの高潮で水浸しになって、ほら温暖化で海面上昇だやべーぞ大変だぞ、と意識の高い連中が騒いでいたけれど、本書を読むと、これは昔からヴェネチアの宿痾で、そもそもが砂洲に杭打って家を乗っけてるので常に沈むのは宿命で、特に地下水に頼っていた頃はそれが顕著で地盤沈下しまくり、高潮はいつものこと、だから一階はすべて使用人部屋で、ご主人様たちは二階以上に住むのが普通なのだ、というのがわかる。

それで思い出したけど、2014年のヴェネチア建築ビエンナーレの日本館を手伝うと言いつつほとんど何もしなかったんだけれど (早稲田大学中谷礼仁がほぼ全部仕切った)、せめてものご奉公で、各国パビリオンで行うシンポとか対談とかにいっぱい出たんだが、そこで「温暖化やばいぜ」とわめくアメリカの建築家とけんかになり、「十年後にはこのベネツィアも沈んでビエンナーレもできなくなる!」と言うので「沈まねーよ、沈んでたらおまえを移転先のビエンナーレにファーストクラスで招待してやる」と言ったら「上等だ、じゃあ沈んでなかったらオレがヴェネチアまで招待してやる」と答えやがったっけ。あと4年か。その頃にはコロナもおさまって、また行けるようになっているだろうなあ。あいつ、誰だっけ。

そういえば、このはてなブログで「アマゾン商品を挿入」でヴェネチアを検索すると、陣内秀信の本がたくさん出てくる。彼は(あのあごひげがカッコよかったこともあるし)一時もてはやされていた若手だったけれど、最近はずっとえらくなっているんだろうなあ。