堀江『時計回りの振り子』:こういう余韻のある文はうらやましい。

 書評集とエッセイ集。ぼくも書評をいっぱい書いているし、その分他人の書評は気になるが、目にするものの半分は書評の名に値しないクズ感想文、三割はもう少しうまくかけよという感じで、いい書評だと思えるのは二割ほどしかない。

 堀江の書評は、(すべてとは言わないが)相当部分がこの二割に入る。同時期に朝日新聞の書評委員を務めたこともあるが、彼の書く書評のおかげで紙面が救われていたときもしばしばあったと思う。

 そして、彼の書き方はぼくとはまったく流派がちがう。ぼくは例外もあるけれど、基本的にはその本が与えてくれる価値とは何か、というのを明示的に書こうとする。堀江は、それを明示的に書くよりは、何となく匂わせることを選ぶ。そして、それが実にうまい。以前、堀江によるシモン『農耕詩』の書評をほめたけれど、あんな感じ。彼には、ぼくには書評できないような本でも書評できる(むろん、その逆もあるだろうが)。この本も、そういう書評がたくさんある。ときに、それは単にあらすじをなぞるだけに終わってしまって失敗しているようにも思えるけれど、成功しているときには絶品。

 彼のエッセイもそんな感じ。出来事をだらだら書いているだけのような文もあるけれど、往々にしてそれがある雰囲気を醸し出す。ぼくだと、そこで終わるのは不安でつい余計な説明をつけてしまうところで、堀江は文をあっさり手から放して残りを余韻に任せることができる。

 そういう書き方ができるのが、ぼくはとてもうらやましいと思う。彼の書評やエッセイは、勉強になるわけでもないし、ある主義主張が先鋭的に表現されているわけでもないんだが、でもそこに少し暖かい陽だまりのようなものがあるのだ。ぼくの書評は本から距離をおいて、輪郭を描いて、時に殴りつけたりほめたりする。堀江の書評は、むしろ本に寄り添う。ぼくの書評や文は、さらに要約して一行にまとめられるものが多い。堀江の文ではそれができない。でも、そこに価値がある。うらやましい。そして、いま書いたのをそのままこの二冊の書評として出そうかとも思ったんだが……これでは何もわからないよなー。堀江自身なら、この二冊について実にうまい書評が書けると思うんだが……



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