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一ノ瀬『放射能問題に立ち向かう哲学』:主張は非常にまっとうながら、哲学はどうなったの?

放射能問題に立ち向かう哲学 (筑摩選書)

放射能問題に立ち向かう哲学 (筑摩選書)

題名を見た瞬間、非常にいやな予感がした。哲学者がこの手の話をすると、現状の放射線の水準もろくに調べずに危険だ危険だこわいこわいとわめきたてる人々の主張を、非常にだらしなく肯定しちゃって、科学はダメだ、原発は科学の産物だからその科学を使ってリスクの考察とかするのはダメ、人々の直感と根源的な恐怖こそ正しい、みたいなホンッとどうしようもないところに行ってしまうので、その手の本じゃないかと思った(というか、それを期待してわざわざ買ったのだ)。「放射能」問題というのもその手の不勉強な人たちがよくやる用語法だし。

でもその期待は、ありがたく(というべきか残念ながらというべきか)裏切られた。現状の放射線の状態や、それをとりまく各種の評価、リスク検討の考え方について、よく勉強してそれをうまく整理した本になっている。その中で、人は低リスクや低確率事象の評価が非常にヘタだということから生じるいろいろな錯誤に触れつつ、まずは落ち着け、という話と、いたずらに恐怖をあおるべきでない、という話をしつつ、リスク科学などで言われているきわめて常識的な線で議論が進められている。よく勉強していて、悪い本ではないと思う。そしてそれを書いただけで、アマゾンレビューで一つ星の罵倒レビューが書かれているのはとってもかわいそうであるとともに、まさに本書で指摘されている問題が根深いことをよく示していると思う。

ただ……言っていることはすべて、通常の科学、ついでにリスク科学と行動経済学的な各種の評価バイアスの話。哲学はまったく出番がない。それではやばいと思ったのか、ときどきヒュームが出てきたり、最後に思い出したように「ソライティーズパラドックス」なるものが紹介されてみたりするんだが、正直いって、大した役割は果たしていない。

つまり、哲学は放射能問題に立ち向かえていない。もちろんそれは当然のことで、哲学がそんなものに立ち向かう必要があるわけでもない。金槌でネジがまわせないからといって、金槌が責められるべきではなく、そんなところにドライバーでなく金槌を持ってきたやつがドジだと言うだけだ。でもそれならつまり本書は、哲学者が放射能問題をまじめに勉強しました、というだけで、哲学が何かそこで活躍したというものではない。そこらへん、ちょっとミスリーディングだと思う。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.