ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは

ちょうど一年ほど前に、別冊『環』がジェイン・ジェイコブズの特集本を作るというので、寄稿した。

ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006 〔別冊『環』22〕

ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006 〔別冊『環』22〕

この本の企画をきかされたとき、どんな本になるかはだいたい想像がついて、まあほぼその予想通りだった。いろんな分野の専門家が、自分なりの専門分野からジェイコブズについてあれこれ語る――それは決して悪いことではないし、その意味でこの本も、悪いものではない。

が、すっごくよいものでもない。『アメリカ大都市の死と生』解説でも書いた通り、ジェイコブズの価値は、そういう専門分野を無視したところにあるからだ。各種専門家の意見の寄せ集めでは、たぶん不十分だ。さらに、ジェイコブズを評価する人の多くは、「よいまちづくり」といった話が好きな人々で、人に優しい多様で魅力あるまちづくり、みたいな話をありがたがる。でも、ジェイコブズは実は、必ずしもそういう見解に好意的ではない。が、たぶんそれをまともに指摘する人は、おそらく他の執筆者にはいないだろう。ジェイコブズに対するまともな批判を紹介する人すらそんなにいないんじゃないか。

すると、ぼくが憎まれ役を引き受けて、そういう話を全部やるしかないよなあ。そのためには、基本的にこの本の他の著者全員に、バーカと言うに等しいことをしなければいけないなあ。

というわけで、書いたのが次の文章だった。

ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは (pdf, 400kb)

たぶん他の執筆者は、あまりうれしくなかっただろうね。心優しいまちづくりの人たちは、市民運動とかエコとかいった話が好きで、この中で批判されているインチキな反原発(こう書くとすぐにキイキイ言う連中が出てくるんだけれど、インチキでない反原発だって当然あるのだ)活動とつるんでいたり、ある程度ほめられている小林よしのりにえらく反発したりしている人々も多いので、ジェイコブズがそんなのと関連づけられているなんて気に入らないだろう。

でも、ここに書いたような話はどこかで言っておくべきだと思う。そして、アマチュアにこんなことを言われるのは、そもそもが「専門家」たちが十分に専門してないからだ、というのもこの論説の主張ではある。

別の話で、専門家とアマチュア、みたいなことを少し考えていたので、こんな原稿を掘り出してくるのも無意味ではないだろうと思うに至ったので。ご笑覧いただければ幸い。

 

ところでいまジェイコブズ関連のブログをいくつか読んでいたら、この別冊『環』の編者の一人でもある塩沢由典がそのほとんどに2015年あたりにやってきて、コメント欄にいろいろ書いている。ジェイコブズに対して少しでも批判的なことが書いてあると許せないようなんだけれど、そのブログで紹介されていた批判に対しては直接反論できず、「すごいんだぞ」と言うにとどまっているのは残念。そしてこの『環』が出るという話と同時に、「知られざるジェイン・ジェイコブズ」なる本の翻訳が進んでいるという話を書いているんだけれど、どうもまだ出ていないらしい。どの本の翻訳かは知らないけれど(上の論説の最後で写真を載せた Ideas That Matter かな?) 遅いなあ。ぼくにやらせればすぐ(そして上手に)できるのに。

Ideas That Matter: The Worlds of Jane Jacobs

Ideas That Matter: The Worlds of Jane Jacobs


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