ホール『都市と文明』I:文化芸術の創造理論なんだが、出た瞬間に古びたのはかわいそうながら、それ以前に認識があまりに変では?

Executive Summary

ピーター・ホール『都市と文明 I』は、都市がイノベーションの場だからえらいのだ、という結論ありきの本。第一巻では、高踏文化に見られる創造性がテーマとなっている。しかし冒頭にある創造性の理論のレビューがあまりにショボく、その後の各種都市の記述に必要な枠組みが提示されない。

そして結論も、文化芸術の発達のためにはある程度の人口集積が必要で、それから社会経済環境が急変していて、異質な人びとがたくさん入ってきたけれど疎外されていて独自文化を発展させるようなときに、大きな創造性が生まれるんだ、というもの。500ページ読んで得られる知見としては不満と言わざるを得ない。


ルイス・マンフォードの大著『歴史の都市 明日の都市』にかわる総合的都市論となるべく、都市計画の大家とされるピーター・ホールが満を持して発表した大著『都市と文明』の三分冊その1ではある。

まずこの本、1998年に出ていて、基本的なテーゼは都市が創造力によって文明の原動力となっているよ、という話。それ自体は、異論はないんだけれど、それって70年代から80年代にジェイン・ジェイコブズがかなり強く主張していたことで、出た当時もいまさら感はあったと思うし、都市集積の重要性に関する理論もどんどん出ていた頃だ。

そして、出て数年後にはリチャード・フロリダのクリエイティブ階級云々が出てきてしまった (2002)。ぼくはこの本、あまり感心してないけれど、でもまあそういう考え方を普及させたのはまちがいない。過去の都市をほじくりかえすまでもなく、いまのアメリカの都市が創造性を生み出し、という話があるならそっちのほうが興味をひくよね。

そして冒頭で理論的なまとめをホールは試みるんだけれど……これがさっぱり意味不明。

この第一巻では創造性といっても文化的な創造だけに注目するんだそうな。だからアーティストの創造性の研究の話ばかり。美術とか文化とか。まあ経済の話は第2巻だから、それはそれでいいのかもしれない。しかしそれを勘案しても、本書で採り上げる既往研究は変なのばかり:

  • ハワード・ガードナーの創造性研究:天才は異質な環境の中でひらめきを見出す、と主張したそうな。

  • マルクス主義の主流派:中身の説明はなく、創造性との関係も説明なく、主流派は無視していいとの一言。アドルノベンヤミンだけはいいんだというけど、そのどこがいいのかは言わない

  • ポストモダニズム:中身の説明もなく、単なるマルクス主義の一派とされて「文化あるいは芸術の革新についての革新的な論点がない」と否定されておしまい。

  • イポリット・テーヌの理論:だれ? 聞いたこともない。なんで特筆されているのかさっぱりわからない。芸術家にとって自由と新しい環境の重要性を指摘した、というようなところらしいが意味不明

  • クーンとフーコー:クーンのパラダイム論は、科学の話より芸術の話だそうな。フーコーは、それまで支配的だった体系からの断絶を重視したのでポモの有象無象とはちがってえらい、というが具体的にそれが創造性とどう関係しているのか説明なし

  • トルンクヴィストらの創造都市:情報と能力と知識のからみあいで創造的環境ができるのだと述べたとのこと。

いや、経済学とかないの? 芸術論とかもうちょっとあると思うよ。天才の分析とか、他にもたくさんあるんじゃない? 教育学とか心理学とか、もっといっぱいあると思うなあ。異質な文化同士の衝突で新しい文化運動が生じる、なんて話はいくらでもあるんじゃないかなあ。ルネサンスがなぜ生まれたか、とかさあ。個人の創造性や天才の話もいろいろある。都市や地域の文化的な発展についての話もいろいろある。ブローデル『地中海』だってそういう話ですわな。でもホールはまったく挙げないで、なんかすごく偏った採りあげ方をする。これってどうよ。こんな百科事典みたいな本で。

さらに説明の仕方もひどすぎる。過去の理論を説明するなら、「この人は創造性についてこんな主張を行いました。それは従来のに比べてこんな点が優れています。でもこんな不足があります。別の人はそこのところは成功したけれど、こっちに不足がありました。私はそれをあわせて本書のアプローチにします。目新しいでしょ」というふうにやってほしいんだけれど、それが皆無。マルクス主義が何をしに出てきたのか、まったくわからん。マルクス主義の主流って、出てきた瞬間に「見るだけ無駄」と言われるんだけれど、それならなんでそもそも言及してるの? ポモは創造性の理論においてどんな特徴を持っていたの? イポリット・テーヌって、聞いたことないけどなんで特筆されてるの?

その後のくだくだしい記述を見ると、どうもマルクス主義は、下部構造が上部構造を規定して、下部構造変化により人びとが創造活動をするような新しい環境をつくるのだ、というようなニュアンスで持ち出されているらしい。さて、そもそもそんなものを創造性の理論として持ち出すべきなのか? ある種の傍系理論として出すならまだしも、創造性の理論としてまっ先に採りあげるべきなのか? しかも、ろくに説明もせずに一蹴してしまうのに、中見出しを立てるほど重視すべき理論なのか? そんなあたりについて説明まったくなし。マルクス主義がもっと力を持っていた60年代なら、こういうやり方もあったのかもしれない。でもすでにベルリンの壁が崩壊した後でそれを真面目に考察すべきだったんだろうか。ホールはそれをまったく説明していない。

ポストモダンも、「現実は幻想だという理論だ」と述べて、ビデオドロームとか挙げるが、それが創造性の理論としてなぜ特筆すべきものだったの? 一切説明なし。ただ、おもいつきの無力な理論、フランス知識人が己の周縁化に危機感をおぼえてでっち上げた変な理論だ、と述べるだけ。それ自体は同意するけど、それなら中見出しをたてて言及する必要はまったくなかったのでは?

マルクス主義理論なんか出さなくても、本書で挙げているアテナイだのフィレンツェだので、パトロン文化があったとか商人同士の文化的な競争とか、文化芸術が発達する理論なんていくらでもあると思うんだけど、そういうの触れないの? 触れないんだよねえ。

そして本書のテーマである都市との関連性があまりに薄い。一巻の最後では、文化芸術の発達のためにはある程度の人口集積が必要で、それから社会経済環境が急変していて、異質な人びとがたくさん入ってきたけれど疎外されていて独自文化を発展させるようなときに、大きな創造性が生まれるんだ、というまとめになる。うーん。500ページ読んでそんだけかあ。

出た直後から創造性への注目が進んで、理論もたくさん出てきて、本自体が出た瞬間に古びてしまっていた面は大きい。でも、1998年ですら、創造性についてこんなショボい理論しかなかったはずはないし、それを把握できていないホールの本って、大丈夫なんだろうか、と思ってしまうのは人情だと思う。

二巻についても、あまり期待はできない。一巻は、芸術的な創造力が花開いた都市を扱い、二巻では産業的な創造性の話になるので、二巻では経済学的な知見も少しは出るんだが……少し。しかも、そこでも1980年代の理論の話をするときにマルクス経済学がどうしたこうした言ってて、ちょっと信じられない。基本的な認識がゆるいうえに、大山鳴動して鼠一匹羊頭狗肉になるのはかなり見えているので、そういう偏見を持って読むしかない。

原書はもっていたけど重いし鈍重で読むのをやめてしまったんだけれど、最後の三巻のまとめはいいようだ、とマイケル・バティが書いているので、それに期待するかな。でもそれも三月まで出ないようなので、ホールが期待を良い意味で裏切ってくれたか、そのときに書きましょう。ホールは、本書があまり評判にならなかったのでがっかりしたようなんだけれど、正直言って、これでは仕方ないな、とは思う。

いずれ、彼が都市計画の思想史としてあげたCities of Tomorrowについてまとめようとは思うけれど、ざっと昔に読んだ印象では、やはり同じ病気に冒されているとは思うんだ。