伊東光晴「現代に生きるケインズ」(岩波新書)

同じ新書で、前の同著者の「ケインズ」は、歴史的背景から理論的な解説までバランスよく扱い、とてもよい本だった。しかしこの本は、ケインズをひたすら神格化し、ケインズ様の偉大なる御理論をその後の論者たちがいかに誤解歪曲してしまったかをひたすらあげつらうにとどまる、ケインズ神学の本でしかない。

2001年の本なので、基本的にはケインズ経済学に対しフリードマン、ルーカス批判、ニュークラシカルみたいな流れはすでにあったはず。だが、本書の中で執拗に批判されている新古典派反革命というのは、サミュエルソンのことだったりヒックスのことだったり。ご自分のかなり重箱の隅的な研究の範囲内でしかモノを見ておらず、前著での比較的広い目配りはあとかたもない。歳は取りたくないものだと思う。

ぼくはもちろん、クルーグマン的な見方(つまりは伊東が本書で批判しているような、新古典派反革命に汚染された邪教的理解)に影響されているから、乗数批判とかIS-LM 批判とかは、単にケインズの主張が完全には反映されていないというだけの揚げ足取りに近いんじゃないかとは思う。

たとえばIS-LMをヒックスがケインズに見せたら「ほぼ異論なし、だけど古典派の理解がちがうんじゃないか」と返事した、というのからヒックスのケインズ理解が変なのだ、というんだけどね。でも、概ねオッケーって言われたんだし、物言いがついたのは古典派理解のほうだし、それをもって IS-LMケインズを歪曲してるという理屈は変でしょ。いやそれどころか、ケインズ様を奉じつつもカーンなどの入れ知恵を受け入れたケインズはまちがっていて云々という具合に、いつのまにか伊東の脳内理想ケインズができあがっていて、それに反するものは現実のケインズ本人すらダメって、あなた何様ですか、という感じ。脳内理想ケインズがそんなに正しければ、それを元にご自分の理論を構築なさってはいかがです?

ついでに、pp.187-88 には金融緩和による日本の不況脱出という説が批判されてるんだが、クルーグマンの、日本が流動性のわなに入っていてお金をするだけじゃだめでそれにより期待も変えるのが重要、という主張にケインズを読む注意の十分の一でも払ってくれればねえ。

ケインズ学説史の中でならこういう本もありかもしれない。かれが触れていないものや無視しているものについては「まあ伊東先生はそういう方だから」ですむだろう。その人たちは他の学説なども知っているので、頑固老人の愛嬌だと思って大目に見られるだろう。けれど、ケインズについての一般・初歩的な理解を得ようと思ってこの本を手に取る人は本当にかわいそう。ケインズの理論の全貌もわからず、また現在(当時)の理論の状況もわからず、ケインズとは細かい話をつつきまわす世界でしかないと思ってしまうだろう。不幸なことだと思う。ケインズを研究しすぎるあまり、それ以外のものが見えなくなってしまった本なので、特に初心者は手にとってはいけない。



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